今夜、しばたの郷土館で講談を聞く会が開催された。
宮城を拠点に活躍中のアマチュア講談師村田陸奥之介による、原田甲斐に
まつわる創作講談のカイ。笑いあり泪ありの伝統話芸で、歴史に親しんでみませんか。
開会行事、主催者から講談を開くに至った経緯があった。
前席に空席が目立つ、約20人の参加者か。
講談師:村田陸奥之介
演目:伊達騒動350年「逆さ門の由来」
「寛文事件」いわゆる「伊達騒動」。
3代仙台藩主、伊達綱宗が不行跡のかどで幕府から隠居させられ、数え年2歳の
亀千代(綱村)が四代藩主となったことから始まる伊達家のお家騒動です。
寛文11年、幕府の大老酒井雅楽頭の屋敷で取り調べ中に、仙台藩奉行の原田甲斐
が騒動の当事者の一人である伊達安芸を斬り、本人もその場で斬殺されることで
騒動はクライマックスを迎えます。
原田甲斐の一族は、お家断絶、幼い子どもにいたるまで命を奪われることとなり、
屋敷も解体されましたが、門だけは残されました。
解体しようとした人夫が続々怪我をしたとか、焼却することにしたら夜中に子どもの
泣き声が聞こえてきたとかで、結局燃やすことなく、荘厳寺に移ってきたそうです。
船岡領主であった仙台藩家老原田甲斐宗輔の、片平丁にあった仙台屋敷門を移築した
ものと伝えられ、逆臣の門ということで,「逆さ門」とも呼ばれていた。
屋根の破損が甚だしく、柱が傾くなど全体的に老朽化が進んだため、平成5年(1993)
と6年の2か年にわたり、解体修理工事を行った。
その際、柱材の上下を逆さに、左右の位置を交換して建て直した「門」であることが
判明、「逆さ門」のいわれが明らかとなった。
荘厳寺 宮城県仙台市青葉区新坂町12-1
屋敷門は、仙台市指定登録文化財に指定されている。
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