goo blog サービス終了のお知らせ 

星・宙・標石・之波太(しばた)

星、宇宙、標石、之波太(しばた:柴田)をこよなく愛するサイト。

講談で聞くカイ・ハラダ

2021-08-07 23:54:47 | 之波太:柴田

今夜、しばたの郷土館で講談を聞く会が開催された。

 宮城を拠点に活躍中のアマチュア講談師村田陸奥之介による、原田甲斐に

まつわる創作講談のカイ。笑いあり泪ありの伝統話芸で、歴史に親しんでみませんか。

開会行事、主催者から講談を開くに至った経緯があった。

前席に空席が目立つ、約20人の参加者か。

講談師:村田陸奥之介

演目:伊達騒動350年「逆さ門の由来」

 

「寛文事件」いわゆる「伊達騒動」。

3代仙台藩主、伊達綱宗が不行跡のかどで幕府から隠居させられ、数え年2歳の

亀千代(綱村)が四代藩主となったことから始まる伊達家のお家騒動です。

寛文11年、幕府の大老酒井雅楽頭の屋敷で取り調べ中に、仙台藩奉行の原田甲斐

が騒動の当事者の一人である伊達安芸を斬り、本人もその場で斬殺されることで

騒動はクライマックスを迎えます。

原田甲斐の一族は、お家断絶、幼い子どもにいたるまで命を奪われることとなり、

屋敷も解体されましたが、門だけは残されました。

解体しようとした人夫が続々怪我をしたとか、焼却することにしたら夜中に子どもの

泣き声が聞こえてきたとかで、結局燃やすことなく、荘厳寺に移ってきたそうです。

 船岡領主であった仙台藩家老原田甲斐宗輔の、片平丁にあった仙台屋敷門を移築した

ものと伝えられ、逆臣の門ということで,「逆さ門」とも呼ばれていた。

屋根の破損が甚だしく、柱が傾くなど全体的に老朽化が進んだため、平成5年(1993)

と6年の2か年にわたり、解体修理工事を行った。

その際、柱材の上下を逆さに、左右の位置を交換して建て直した「門」であることが

判明、「逆さ門」のいわれが明らかとなった。

荘厳寺 宮城県仙台市青葉区新坂町12-1

屋敷門は、仙台市指定登録文化財に指定されている。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。