朝日新聞5月10日の天声人語に「廃藩置県」のことが出ていた。
1871年、明治政府はそれまで存続していた藩を廃し、県と改めた。生まれたのは天童県、
松本県、岸和田県、名古屋県、今治県・・・。府県の総数は305もあった。今年はその
廃藩置県から150年を迎える。
とある。
管理人が参考にしている文献「要説 宮城の郷土誌 仙台市民図書館編」によれば
徳川時代270年間を通じて「藩」という公称は存在しません。
「藩」が存在しないのですから、「支藩」などという呼称は尚更甚しく
無知な誤用であります。慶長20年(1615。7月13日元和と改元)
7月7日に2代目将軍秀忠が発布した「武家諸法度」13条を見ても、大名領
については「国々・国々大名・他国・自国・諸国・諸大名・国主・治国」
などの用語を用い、藩とか藩主などの語句は全く出ていません。
幕府で個々の大名領の公式な名称としたものは「地名」+「領」であって、
例えば仙台の場合は、「仙台領」というきまりでした。
それが正式な名称となったのは、慶応4年(1868。9月8日明治と改元)
閏4月27日発布の「政体書」に、旧幕領を府・県とし、その他の大名領を
藩として併立させる「府県藩三治制」が規定されたことに基づきます。
このことは「官令沿革表」に「地方官ヲ分チ府藩県ノ三官ト為シ等級職制ヲ定ム」
とあります。28万石を下賜された「仙台領」が、明治2年3月版籍奉還を
新政府に願い出て、6月17日に許可され、ここに始めて「仙台藩」という
新国家の地方行政単位が新設されたのであります。この「仙台藩」は、やがて
明治4年7月14日廃藩置県によって「仙台県」に引継がれるまでの一時的な
正式公称だったのです。ところがこの「藩」という呼称は、近世大名領と
その支配体系の総称として簡便ですので拡大慣用され、逆に徳川始期にまで
遡って、当時の大名領を○○藩と通称して何人も怪しまず今日に至ったものです。