座間コミニティー

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今日の聖人の記念日

2015年07月20日 07時12分38秒 | キリスト教

聖アポリナーリス司教殉教者

?-75年ごろ

 アポリナリスは、北イタリアのラヴェンナで宣教し、その地の最初の司教となった。

 彼は、多くの病人を癒し、奇跡を行ったといわれる。皇帝ネロの迫害の際に捕えられ、拷問を受けて追放され、その後殉教したと伝えられている。

 彼の遺体は、ラヴェンナの近くに建てられた聖アポリナリスのバジリカに埋葬され、9世紀に、聖マルティノ司教座聖堂に移された。この教会は新聖アポリナリス教会と呼ばれている。ビザンチン美術の代表的建築であり、そのモザイク画は世界的にも有名である。


◆心の訴えを考察する

2015年07月20日 07時11分42秒 | 聖書

最初に訴える者は、
その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。(箴言一八17)

古い落語に「帯久」というのがあります。
帯久という駆け出しの呉服屋は、金に困っては、人のいい同業者から、二十両、五十両と借金します。優しい甚兵衝は、気持ちよく、無利子・無証文で貸してやりました。最後に百両を借りた帯久は、それを返しに行きます。甚兵衛が出かけてしまったので、いったん返した金を猫ばばして帰り、それを元手に大もうけをします。一方、親切な甚兵衛は火事で焼け出され、十年も長患いして、落ちぶれはててしまいます。ところが、訪ねてきた甚兵衛を、帯久はなぐるけるのろうぜきをして追い出します。よほど腹にすえかねたのでしょう。苦しまぎれに甚兵衛は、帯久の家に火をつけました。帯久は、甚兵衛を町奉行に引っ立てて訴えます。火つけの刑は、火あぶりです。
初めは、奉行の目にもだれの目にも、帯久の訴えのほうが正しく、甚兵衛は悪く見えました。しかし、詳しく調べた名奉行が、帯久の悪心を見抜き、正しい判定をするというペーソスにあふれた話です。
私たちは、不平や不満を訴えられるものなら、人にも言いたい、神にも申し上げたいということが時々あります。私なども、妻に対して「こうしてくれてもよさそうなものだ」とか、「分かってくれないのかな」と、正直なところやはり時々思います。
ところでこれは自分の体験です。自分の心の訴えとか心の不平不満は、初めに自分ひとりで訴えている時は、いつも「自分が正しい」「相手が悪い」のです。しかし、落ち着いて相手の気持ちになって考え、第三者の目、ことに神の目から自分の心の訴えを見てみると、実にばからしくなります。愚かなのは、この私だと分かるのです。自分の罪と弱さを知ると共に、神を知り、神を恐れ、神の目で自分も人も見られるようになるところに、平和と祝福と愛があるのです。

 


◆私たちが御国を受け継ぐことの保証……。

2015年07月20日 07時10分58秒 | 聖書

(エペソ一・一四)

ただイエスのみによって養われることを学んだ人は、なんという光と喜びと慰めを経験することであろう。しかしこの世において私たちは、キリストの尊さをきわめて不完全にしか会得していない。古くから言われているように「ほんのちょっと味わっただけ」である。私たちは、主のいつくしみ深いことを味わった。その甘美な味のゆえに、さらに深く主を知りたいと望むが、しかし彼がどれほど善であり恵み深いかについてはいまだ知っているとは言えない。私たちはすでに御霊の初めの実を味わった。しかしさらに天上の果物を心ゆくばかりに味わおうとして飢え渇くのである。私たちは子とされることを待ち望んで、心のうちにうめく。ここでは荒野のイスラエル人のように、エシュコルのぶどうの一ふさを食べただけであるが、かしこではぶどう畑に入ることができる。ここではマナがごくわずかに降ってくるのを見るだけであるが、かしこでは天国のパンと天国の穀物を食するのである。
私たちは今、信仰の初心者にすぎない。私たちはいろはを習ったが、単語を読むこともできなければ、まして文章を組み立てることなどとてもできない。しかしある人が言ったように、「天国にほんの五分間いれば、地上のすべての神学者たちと会うよりも多くを知る」。私たちは現在、満たされない多くの望みをもっているが、まもなくすべての望みが満たされる時が来る。そしてすべての私たちの能力は、その永遠の喜びの世界で、各々すばらしい仕事を見いだす。
おお、クリスチャンよ。まもなくあなたは、すべての試練と困難を取り除かれる。あなたの目は今は涙に満たされているが、もはや泣くことはないであろう。御座に座しておられる主の輝きを、あなたは言い尽くすことのできない喜びをもって見るであろう。否、それだけでなくあなたは主の御座に座り、主の栄光の勝利にあずかることができる。主の栄冠、主の喜び、主の楽園、これらはすべてあなたのものになるであろう。そしてあなたは一切の相続人であられる主と共同相続人となるのである。

 


第2列王記25章8-12節

2015年07月20日 07時09分46秒 | 聖書

25:8 第五の月の七日──それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった──バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、 25:9 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
25:10 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。



 バビロンの王ネブカデネザルは、南王国ユダの王であるゼデキヤをバビロンに捕らえ移しただけではなく、自分の国に反逆を起こさせないために、エルサレムの町そのものを破壊する行為に出ました。

侍従長のネブザルアダンを遣わして、主の宮、王宮、および主だった家をことごとく破壊して焼いてしまいました。

また、町を囲んでいた堅固な城壁自体も破壊してしまいました。

こうして、その町に住んでいた人のみではなく、その町自体も破壊することによって、南王国ユダの完全崩壊をはかったのでした。

かつて神の都と言われて栄えた町も、廃墟のみが残される町となってしまったのです。


エペソ6章2~3節(歴代誌第一29章)

2015年07月20日 07時07分26秒 | 聖書

★あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。

■O:今日のコラム
これは十戒の第一の戒めではありません。これは、十戒の中の人間関係に関する戒めの第一であるということです。これには祝福するという約束まで付いています。
父母を敬うことが人間関係に大きな祝福をもたらします。子ども達が争っていても、父が敬われていたら、父の戒めによって子ども達は正しい状態になれるのです。父母を敬うことは、人間関係を大きく正していきます。これは霊的な指導者に対しても、年配者に対しても適応できるでしょう。
特に霊的な指導者を敬うならば、その人の油注ぎを相続することになります。エリヤにするように命じられていた事を実際に行う油注ぎを受けたエリシャ。モーセにするように命じられていた約束の地の相続を実際に成し遂げる油注ぎを受けたとヨシュア。ダビデとソロモンもそうです。ダビデの主の宮を建てることを願う油注ぎが、ソロモンに相続され実際に建てる事になりました。
父母を敬うことが人間関係においての第一の戒めです。第一のものを第一とすることは大切な事です。私たちに幸せをもたらす事でもあり、神の回復のための近道です。


■A:考えてみよう
父母を敬う。霊的にも、あらゆる意味でも。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


7月19日(日)のつぶやき

2015年07月20日 01時44分03秒 | キリスト教