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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

猪害で全滅

2012-09-11 | 小人閑居して憮然

Photo_3  覚悟していた事とは言え、ついに泥水地からの収穫は皆無となる。今年の猪の食害はフィールド全域に見られていた事だから期待している方が認識不足と言えるのだが…。

 フイールド初詣用の稲穂も欲しかったのだけれど諦めねばならなくなった。僅かに残った籾を集めて使うしかない。

 水田としての水稲栽培ではないから、収穫に拘泥する事は不要なのだけれど、手間隙も掛けていないのに残念がるのは欲の致すところである。

 稲の葉を食べる、いわゆる害虫の被害は全くみられなかった水稲だったから、トンボや蜘蛛に生餌を提供してくれたのか、そちらに注意を払うべきなのだろうが、人の心は欲深い。


朝科カボチャ

2012-09-10 | 何よりの楽しみ

Photo_3  佐久の道の駅で販売していたカボチャ、試食してみたら栗カボチャ様の味わいで少し軟らかい。「包丁も入れやすいですよ」の言葉で一本買ってきた。日持ちはやや劣るとの話だったが冬まで保存する心算はないし、休日にでも調理する。

 土地の在来種ということも売り文句だったが、大手種苗会社の提供するF1種のように全国一律でない品種を食べるのも地方の楽しみ方だろう。

 汁の実か煮付けで食すくらいしかしないのだけれど、郷里で食べていたように、蒸して塩だけで食べるのも美味しいカボチャと思える。


生活と命に係わる事態

2012-09-10 | 蝶の食草園

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 この夏も山椒は息絶え絶えである。初夏の頃は緑に覆われて綺麗だったが、今は棘棘の骸骨みたいになっている。新しい新芽が萌えなくてもキアゲハの産卵が絶えないのだ。山椒は良く耐えている。フィールドの山椒はここまで食べられる事は無いのは、他に食草があるためなのだろう。

 庭の山椒、この夏の何度目かの復活の緑が見えてきたのだが、目を凝らすと卵も幼虫もここかしこに見る事が出来る。既にウマノスズクサはジャコウアゲハの幼虫に食い尽くされている。ウマノスズクサの地上部は消えてもゴボウ根は残っているから新たに発生してくれるだろうが、成長途上で餌を失った幼虫の姿を時々見かける。

 地上に降り移動していても周囲には食草は無いし、小生、食草を用意した事で飢餓する状況を提供してしまった事になる。なんとも「しまった!」事である。「電気を提供する」として住めなくしてしまうのと似ているような、そうでないような…。


*晩夏

2012-09-10 | 感じるままの回り道

               ネム咲けば見上げて痛き碧い空

               雷鳴にきびす返せり山の道

               迷うほどクモの巣多き若き森

               南瓜かね瓜かねと問う金糸瓜

               刈り置けば猪はどこでも鼻に掛け


ヌルデミミフシ

2012-09-09 | 小父のお隣さん

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 長野まで出かけた折、野営した脇のヌルデに虫瘤が多数出来ていた。小生、ヌルデは目に付いたが虫瘤までは気がつかなかった。兄が葉の縮れに気がついて呼んでくれたのだ。確かにヌルデの葉は縁が波打って汚い感じがする。寄生されたことと関係しているのかどうかは知らない。

 小生のフィールドでは、ヌルデは厄介者で「増えすぎちゃって困るのー」の口なのである。日あたりの良い親木の周辺は多数発芽してくる。種子は冬場の餌になるから親木まで毛嫌いはしないけれど、密生されるのは願い下げである。

 それはともかくフィールドでは、この虫瘤は見たことが無い。標高や気温と関係しているのだろうか…。


瓢箪から駒

2012-09-09 | 感じるままの回り道

Photo  長野まで運んで用を成さなかった小生の刈り払い機、気化器の部分を外して灯油で洗い、プラグも交換したが調子は変わらない。とりあえず修理見積もりに持ち込んでみた。

 翌日に電話があって「お話された症状をサービスマンに伝えたところ『見当がつきました』といわれ、概ね修理代金15,000前後かかります。どうしますか?」と言う。

 この値段だと新品が購入できるし、思い切って更新する事にした。廃棄する前に分解して遊んで見ようと、再度気化器を外し、ダイヤフラムまで分解した。シリンダー内部やヘッドは綺麗だったし、ガソリンタンクの空気穴とマフラーの掃除もし、気化器の燃料の通り道は口で息を吹き込んで清掃した心算で組み付けた。

 燃料を入れ試運転したら快調に吹き上がるではないか…。実際に作業に耐える状態かどうか確認するためにフィールドで試用してみた。フルスロットルで息を継ぐような動きが数回あったが、ほぼ元通りの出力を回復した。膝高の密生したエノコログサを快調に刈り払える。

 これで当分使えそうだけれど、あの修理見積もりの15,000円はなんだったのだろう。穿った見方をすれば「売り上げ増」を狙った戦略なのだろうか…。どこに原因があると判断したのか教えてもらえなかったし…。商いも大変だ。


台地の刈り払い

2012-09-08 | 今日は真面目に

Photo_7  竹笹類を全伐し、草原に誘導中の台地の刈り払いをする。ここも今期何度目かだけれど、既に膝上の高さまで伸びていた。

 まだ植生が安定しないので、主勢の顔ぶれは変化するけれど、今回はエノコログサが繁茂していた。エノコログサは高生種でないから刈り払わなくても草原誘導に差し支えは無いのであるが、その下に、まだ笹竹のひこばえがある。

 このひこばえとススキの株立ちを根絶しないと藪になるから刈り払いは欠かせない。「侵入竹全伐」はすっきりするが、その後、何年にも渡ってひこばえ除去で格闘しなければならない手間隙を知る人は作業者だけだろう。

 だから、ある程度の全伐面積を保有すると維持管理に労力を要し、新たな侵入竹伐採が衰えてしまう。現状はそんなところだ。刈り払いも処理面積に限度があるから現状で手一杯。必要な作業はワンパターンになる一方である。


ツリフネソウ

2012-09-08 | 旅行記

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 草刈り従事君の途中、久しぶりにツリフネソウを見た。それも二種類同時にである。キツリフネは郷里の新田脇にあったから承知だったが、赤紫のツリフネソウは初めてである。

 「舟を吊った形」と言うより、小生には「イカの泳ぐ姿」に見える。オウムガイにも見え無くはない。この花を見て何時も思うのだが、何でこうまでしなければならないのか理解に苦しむ。

 種子も種子で、採種しようとするとホウセンカのように弾け飛んでしまうのだ。可愛くて可愛くない植物だ。そういえば、登山をしていた頃に採種し栽培しようとした事があったが花を見れずに終わった。


ヒトスジシマカ

2012-09-07 | 小父のお隣さん

Photo  額がムズッとした感じがあって、タオルで軽く押さえたら蚊がついて来た。体長は4mm程度のヒトスジシマカだった。郷里では「ヌカガ」と呼んだ。糠粒のように小さいと言う意味だろう。

 この蚊はアカイエカやヤブカとは異なり小さいから飛行中は視認しにくい。就寝中に耳元で羽音がして灯りをつけても発見できることはまずない。

 これからがシーズンになって、車から降り玄関に入る一瞬に吸血されることがしばしばなのである。身体の周囲を飛んでいても視認し難いし、羽音も小さいから「あれ、何時の間に?」と思う時は、おおむねヒトスジシマカの被害である。

 小さく「プクッ」と腫れた皮膚を見ると悔しさがつのる。


**てなもんや三度笠 1

2012-09-07 | 合混で闘作すれば

  野田は捨て藪 小沢は枯渇

       重箱残菜 橋の下 ハア コリャコリャ             川原者

  与党は夜盗 野党も夜盗

       沈んだまんまの 民の日々 ハア コリャコリャ       弥生姐さん

  デモ騒ぐ新大久保の街中にどこにでもいるシロアリの群れ  蟻方迷惑

  ヨトウムシ選んで喰って丸坊主ところ構わず噛むヤトウムシ 芽糞花糞

  どの国もカミツキガメが増えたなり袈裟も憎いと血泡の口唇  疳強調

  いにしえの寄らば大樹は蟻頼み                   角影


置き土産

2012-09-07 | 小人閑居して憮然

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 泥水地上段の棚田まで猪の食害が広がった。この田は別グループの田んぼだけれど、一箇所が被害を受ければ総てに被害が広がるのは何時もの事である。その上、置き土産にウンコまで置いていった。「喰えば出る」とは自然の摂理とは言え、礼儀知らずにも程がある。

 我がグループの棚田は谷ひとつ隔てた北側の谷にあるが、先週は被害が出ていなかった。今週はどうなのか確認していないけれど、見回りに行って防げる類のものでもなく、ウンを点に撒かせたい。

 尾篭な話で恐縮だが、そのうちに「総て籾だけ」のウンコが見られるようになるだろう。


走りには早い

2012-09-06 | 何よりの楽しみ

 Photo_3 Photo_4 何年か前に植えた栗の木に初めて実がなった。樹高は胸の高さだが3個結実させた。一週間ぶりくらいに立ち寄ったら、既に1個だけになっている。その毬も割れて栗の実が見えていたから収穫した。

 栗畑の栗は9月下旬が収穫の頃となるので、きっと早生品種なのだろう。一個だけだから、いわゆる「チン!」して食したが、走り物だけに「珍!」と鳴ったのである。それはともかく、熟度は足りなかったが美味しさは変わらない。九月の初めに栗を食べるなんて初めてである。


忘れた頃に…

2012-09-06 | 小父のお隣さん

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 庭から家に入り寛いだ頃になると頭部や手足がむずむずする。原因はわかっていてアブラムシなのだ。フィールドから帰宅した時は直ちにシャワーを浴び着替えるからなんでも無いけれど、車との間、庭を通ると必ずと言って後からこの不快感が訪れる。

 萩の枝の先端にビッシリ発生したアブラムシが通りすがりに移ってしまうのであるが、アブラムシそのものより手足の体毛一本が動いている感覚で、不愉快この上ないのである。薬剤散布も致し方ないと思い状態を確認に行ったら、「散布は却下」と言われてしまった。

 テントウムシの幼虫が多数生息していたのだ。こんなに多く生息している場面は始めてである。成体になるための変体途中の個体もいて、結局は散布を諦めた。まあ、汚いものに触れないような感じで避けて通ることにすればよい。

 萩は我が家の様な小さな庭では大きすぎて合わないのが理解できたから、残暑が終わったら山に移植する。それまでの辛抱なのである。


山ノ神さま

2012-09-05 | 旅行記

   2_2 刈り払い機が不調で一台だけしか用を成さなかった。半分は刈り残しである。翌日は蓼科山登山の予定で、大河原峠でキャンプするつもりだったが、林道の崩落で通行禁止になってあえなく頓挫。結局、途中で野営したのだが、夕食頃から雷雨に見舞われ、翌日も不安定な天候のため別ルートからも断念することになった。

 深夜、目覚めた時、雲は晴れて満月が明るかったけれど、排尿のため森に入るとゾクゾク感がする。臆病風の為ばかりではない、深い森にある霊気みたいなものなのだろう。Photo_10

 帰路、「山の神さま・天然記念物コナラ群落」の看板があったので立ち寄ってみた。

 コナラの巨木を祭ってあった。きっと最大だった樹は倒れて朽ちていたけれど、周囲にはまだ巨木があった。洞の中には幼樹の時代に光を求めて幹を曲げ、根元の穴から生き延びようとした姿もあって、「山の神さま」への畏敬の念は、命への畏敬の念なのだろう。


丸太巣箱 2(巣房の基礎)

2012-09-05 | 何よりの楽しみ

Photo_3  残暑が厳しい。八月の前半より日射を避けたい気分がある。

 そこで緑陰講座ならぬ緑陰工作に精をだした。先日、穴を穿った丸太に巣房の土台となる細木を組み込んだ。材料を購入する事もないから、リフォームで不要になった障子の桟を流用する。

 土台を入れたのは二体だけで、残りの一体は腐朽が進んでいるのであえて細工はしない。丸太のガランドウで設置してみる予定だ。

 緑陰に座り込んでノミで溝を彫るだけだったが、やはり暑くて肌着まで濡れた。