この夏も山椒は息絶え絶えである。初夏の頃は緑に覆われて綺麗だったが、今は棘棘の骸骨みたいになっている。新しい新芽が萌えなくてもキアゲハの産卵が絶えないのだ。山椒は良く耐えている。フィールドの山椒はここまで食べられる事は無いのは、他に食草があるためなのだろう。
庭の山椒、この夏の何度目かの復活の緑が見えてきたのだが、目を凝らすと卵も幼虫もここかしこに見る事が出来る。既にウマノスズクサはジャコウアゲハの幼虫に食い尽くされている。ウマノスズクサの地上部は消えてもゴボウ根は残っているから新たに発生してくれるだろうが、成長途上で餌を失った幼虫の姿を時々見かける。
地上に降り移動していても周囲には食草は無いし、小生、食草を用意した事で飢餓する状況を提供してしまった事になる。なんとも「しまった!」事である。「電気を提供する」として住めなくしてしまうのと似ているような、そうでないような…。
長野まで運んで用を成さなかった小生の刈り払い機、気化器の部分を外して灯油で洗い、プラグも交換したが調子は変わらない。とりあえず修理見積もりに持ち込んでみた。
翌日に電話があって「お話された症状をサービスマンに伝えたところ『見当がつきました』といわれ、概ね修理代金15,000前後かかります。どうしますか?」と言う。
この値段だと新品が購入できるし、思い切って更新する事にした。廃棄する前に分解して遊んで見ようと、再度気化器を外し、ダイヤフラムまで分解した。シリンダー内部やヘッドは綺麗だったし、ガソリンタンクの空気穴とマフラーの掃除もし、気化器の燃料の通り道は口で息を吹き込んで清掃した心算で組み付けた。
燃料を入れ試運転したら快調に吹き上がるではないか…。実際に作業に耐える状態かどうか確認するためにフィールドで試用してみた。フルスロットルで息を継ぐような動きが数回あったが、ほぼ元通りの出力を回復した。膝高の密生したエノコログサを快調に刈り払える。
これで当分使えそうだけれど、あの修理見積もりの15,000円はなんだったのだろう。穿った見方をすれば「売り上げ増」を狙った戦略なのだろうか…。どこに原因があると判断したのか教えてもらえなかったし…。商いも大変だ。
竹笹類を全伐し、草原に誘導中の台地の刈り払いをする。ここも今期何度目かだけれど、既に膝上の高さまで伸びていた。
まだ植生が安定しないので、主勢の顔ぶれは変化するけれど、今回はエノコログサが繁茂していた。エノコログサは高生種でないから刈り払わなくても草原誘導に差し支えは無いのであるが、その下に、まだ笹竹のひこばえがある。
このひこばえとススキの株立ちを根絶しないと藪になるから刈り払いは欠かせない。「侵入竹全伐」はすっきりするが、その後、何年にも渡ってひこばえ除去で格闘しなければならない手間隙を知る人は作業者だけだろう。
だから、ある程度の全伐面積を保有すると維持管理に労力を要し、新たな侵入竹伐採が衰えてしまう。現状はそんなところだ。刈り払いも処理面積に限度があるから現状で手一杯。必要な作業はワンパターンになる一方である。
野田は捨て藪 小沢は枯渇
重箱残菜 橋の下 ハア コリャコリャ 川原者
与党は夜盗 野党も夜盗
沈んだまんまの 民の日々 ハア コリャコリャ 弥生姐さん
デモ騒ぐ新大久保の街中にどこにでもいるシロアリの群れ 蟻方迷惑
ヨトウムシ選んで喰って丸坊主ところ構わず噛むヤトウムシ 芽糞花糞
どの国もカミツキガメが増えたなり袈裟も憎いと血泡の口唇 疳強調
いにしえの寄らば大樹は蟻頼み 角影
庭から家に入り寛いだ頃になると頭部や手足がむずむずする。原因はわかっていてアブラムシなのだ。フィールドから帰宅した時は直ちにシャワーを浴び着替えるからなんでも無いけれど、車との間、庭を通ると必ずと言って後からこの不快感が訪れる。
萩の枝の先端にビッシリ発生したアブラムシが通りすがりに移ってしまうのであるが、アブラムシそのものより手足の体毛一本が動いている感覚で、不愉快この上ないのである。薬剤散布も致し方ないと思い状態を確認に行ったら、「散布は却下」と言われてしまった。
テントウムシの幼虫が多数生息していたのだ。こんなに多く生息している場面は始めてである。成体になるための変体途中の個体もいて、結局は散布を諦めた。まあ、汚いものに触れないような感じで避けて通ることにすればよい。
萩は我が家の様な小さな庭では大きすぎて合わないのが理解できたから、残暑が終わったら山に移植する。それまでの辛抱なのである。
刈り払い機が不調で一台だけしか用を成さなかった。半分は刈り残しである。翌日は蓼科山登山の予定で、大河原峠でキャンプするつもりだったが、林道の崩落で通行禁止になってあえなく頓挫。結局、途中で野営したのだが、夕食頃から雷雨に見舞われ、翌日も不安定な天候のため別ルートからも断念することになった。
深夜、目覚めた時、雲は晴れて満月が明るかったけれど、排尿のため森に入るとゾクゾク感がする。臆病風の為ばかりではない、深い森にある霊気みたいなものなのだろう。
帰路、「山の神さま・天然記念物コナラ群落」の看板があったので立ち寄ってみた。
コナラの巨木を祭ってあった。きっと最大だった樹は倒れて朽ちていたけれど、周囲にはまだ巨木があった。洞の中には幼樹の時代に光を求めて幹を曲げ、根元の穴から生き延びようとした姿もあって、「山の神さま」への畏敬の念は、命への畏敬の念なのだろう。