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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

子どもは風の子

2011-01-16 | 遊び子は

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 最高気温7℃台の曇り日、こんな日でも子ども達は元気だ。年中組だけども活動を見ていると当方が寒くなる。

 林道の凍った路面でシリセードや腹ばいで滑って遊び始めた。挙句の果てはトンボ池で遊び初めて、結局ずぶ濡れで着替えをする子ども達も出る始末だった。案の定、歯の根も合わずに震えている子供もいる。

 空気が乾燥しているし風も出ているから、今日は焚き火でなくカセットコンロで豚汁を作ろうと指示したばかりだったが、グループの責任者から「子ども達が冷えたので焚き火にあたらせてください」との申し入れを受け、急遽焚き火台を拠点の広場に出した。

 子ども達は温まった後、横で昼食を取って帰ったが、会友たちには食後の尻炙りに丁度良いと好評だった。こんな気温だったから午後の植栽はキャンセルして、火の始末をして解散。それにしても寒かった。


もう少し

2011-01-16 | 今日は真面目に

Photo_3  作業現場の竹も残り少なくなった。今日も100本ほど伐り倒して置いたのを一部裁断したが、林床は足の踏み場もない。林内と周囲の侵入竹全伐と集積はもう少しだ。 

 はじめた頃は「何時果てるか」予想も出来なかったが、終点が見えてくると「良くやったなあ」と感慨もでてこようと言うものだが、まだ完璧ではない。林が無くなった尾根にいたる部分の急傾斜に一部残っているからだ。ここも全伐しないと補給基地を残すことになってしまう。

 今日も最高気温7℃程度だったが、風も無く陽射しがあるから汗ばむ感じの作業だった。それでも作業を終えて一服すると風が冷たくなるから、脱ぎ捨てていた上着を羽織らないと寒いのだ。同じ7℃でも家のダイニングと山の感じ方が異なるのが面白い。

 体感的に室内の方が寒さを感じてしまうのは何故だろう。


苗木届く

2011-01-15 | 今日は真面目に

Photo_3  市が支給してくれた苗木が届いた。3月くらいだと塩梅がいいのだが、この時期に植え込むのは心配がある。

 このまま適期まで待つのも水管理を欠かせないし、今月の活動日に植栽するしかないかなと思うところだ。今月の定例会は人数が集まるから、除伐した竹の枝はを処理してもらうのがベストと思っていたのだけれど、なかなか計画通りには事が運ばない。

 入手した苗は、シナノキ、エノキ、ムクノキ、紅梅のあわせて35本である。梅は別にして、シナノキ、エノキ、ムクノキなどを注文したグループは配達表を見せてもらった範囲ではなかった。これらは、この山域に存在しない樹種ではないけれど、どっちかと言うと選択されない樹種でもある。

 そういう理由もあってか、ポット苗でなく掘り取られた「根巻き苗」で搬入されたのもある。これは根の痛みが大きいから活着に不安を残す。とは言え、必要な苗が半年後には支給されるのは大変有り難い。コナラやクヌギは実生で育成しているけれど、植え込むまでに3~4年かかるからだ。それに、どこでもコナラやクヌギでは、これも都合がよくないだろう。


*歌会始 御題「葉」

2011-01-15 | 合混で闘作すれば

 山みどり荒れ 街一葉なし

   山死衰命 秋津島 ハア コリャコリャ                  駒子姐さん

 建設とばかり発破をつぎ込んで葉っぱ茂らぬ山の姿よ        孤老

 落ちた葉も混じれば知らぬ葉も見えて増えるが程に春の日近し   融葉

 立ち枯れて緑葉落ちたる枝ひろげヒノキは朽ちる弁慶のよう     トロル

 枝に一葉小首かしげてメジロゆく                      殿

 初日射す谷地一面の敷き落葉                       山倒家


*末は大木

2011-01-14 | 今日は真面目に

Photo_2

        苗床は空になりたりへたる腕

        苗植えて増したるしるしタコの数

        半世紀前は子苗の杉並木

        並び立ちモアイのごとく杉の列


あと50本

2011-01-14 | 今日は真面目に

Photo Photo_2

 除伐したい残りの孟宗竹も50本余りとなってきた。遊歩道から作業現場方向を望むと、今までは竹の林にしか見えなかった木立の奥が、杉・ヒノキの林に変わっている。陽射しが入り込んでいるのも見て取れるから、全体的に奥まで明るい雰囲気が出てきた。

 今日、伐り倒した100本近くは、そのまま斜面の下に倒れこんだままだし、昨日まで除伐していた斜面も同様で足の踏み場も無い。残りの50本余りは既に除伐した台地との境にあり、切り込みを入れると台地側に倒れてしまう重心を持つものばかりなのだ。

 台地の面は昨年、苦労して片付けた場所で実生樹も育っていて倒したくない。斜面側に倒し落とすには、それなりのイネルギーが必要だ。どちらにしても手間隙かかる作業である。

      人知れずああだこうだの思案すらものの見事に外れる今日も


寒い日々

2011-01-13 | 感じるままの回り道

Photo  Photo_2

 最低気温氷点下の日が続いている。トンボ池の氷結は、日中に一部は融けても融け切らず再氷結に組み込まれてしまうからおせんべいを重ねたような氷結を呈している。

 枯れ葉などが氷結点となって、氷が成長した部分は綺麗な模様を見せている。少年時代、郷里の実家の冬、起床すると外に面したガラス窓が一面に氷結して細かい花とも葉ともつかないような模様を見せていた。子ども心にも「綺麗だなあ」と毎日見入っていたものだ。

 それに比べれば大雑把ではあるけれど、それなりに氷の芸術を楽しむことが出来ている。これも池を掘った賜物と言えば言えるけど、想わぬ副産物の上腕の痛みは解消していない。寒いと更に疼くのだ。「もうっ!」である。


見通せる林

2011-01-13 | 今日は真面目に

Photo_4  林内の侵入竹を切り倒して、ようやく上部から下まで見通せるようになった。風の通るのも感じるし、眺めているだけでも気分が安らぐ。

 まだ林床は散乱した竹で入り込めない状態であるけれども、何日かかかって集積が終れば、気持ちの良い林の姿が現れるだろう。みんないささかくたびれ始めているが、ノルマなどない活動だから気楽といえば気楽である。

 陽の差し込めなかった林床はコクランの自生が見られたが、木漏れ日とは言え、日射を受ける様になると大丈夫か気になるところだ。一方、勢力を誇示していた「アリドウシ」という細長い棘を満載した小樹は更に勢力を増すのだろう。この木は小さいけれど鋭い棘で通るたびにズボンを通して刺してくる。林床の竹を片付けたら刈り払い機で一掃だ。


振り子の様に

2011-01-12 | 今日は真面目に

Photo  Photo_2

 斜面の上部の大きい孟宗竹にやっと着手できて、見た目にも林らしい景観が現れてきた。写真では判らないが、斜面には浸食による深い水路が出来ていて、移動時は注意が必要だ。特に倒した竹の処理を行う段階になると、足元が見えなくなるから危険この上ない。

 倒した竹は、とりあえず3m程度に切断して、後は手鋸で枝を切り落とし集積する。今の所、複数の参加があるから処理は会友に任せきりだ。この段階になると除伐する位置を反対方向の末端にして、倒した時の危険が及ばないように位置を交互に入れ替えて行っている。


*去りし年を想う

2011-01-12 | 温故痴新

 つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに    和泉式部

    つれづれに空疎見るらん重い費と天下り来る者なくならん

 行きなやむ牛の歩みにたつちりの風さへ暑き夏の小車      藤原定家

    息なやむ牛のみそぎに立つほこり風さえ抜けぬ夏の高千穂

 いかにしてこのひともとにしぐれけむ山に先立つ庭のもみぢ葉  藤原定家

    以下にしてこの日の本の時雨れけむ病先立つ家の紅葉字


ビジョンのパート

2011-01-11 | 感じるままの回り道

Photo_2  Photo_3

 現在作業中の林の上部は、孟宗竹と真竹が混在して尾根に到達する。今日、ようやく林の上端に到達した。このあたりは細い真竹が乱立して入り込み難い事、この上ない。一本一本鋸で伐り取るのも手数だし、鉈鎌では地際から切断できないので刈り払い機を使用した。

 これでようやく林の全貌が露出した。孟宗竹のエリアは樹木が全て枯れてしまった部分が残っているけれど、そこは急ぐことも無い、一番最後に全伐する。今日、刈り払った林床は倒れた竹が縦横無尽に散乱して、足の置き場所が見えないから移動に難渋するのだが、明日からは寸断と枝払い、集積の作業になる。

 このように、延々と繰り返しの作業を続けていると「何をやっているんだろう」と思うときもある。「物好き」の一言で片付ければ簡単だけれど、それではモチベーションが再生しない。こんな時「ビジョンはハート、ビジョンのパート」と言い聞かせて、駄々っ子をなだめるのだ。

 ビジョンを明確に維持できているかはともかく、棚田、溜池、遊歩道、草刈り、除伐、枝打ち、植林と取りとめも無く続く活動は、パートばかりで完結など無い活動の連続だ。いわば時給のないパートワーカーみたいなものである。別の見方をすれば「三途の川原の石積み」だろう。手を休めれば鬼がきて破壊する。「自転車操業」も近い表現だ。


*風花と伐る

2011-01-11 | 今日は真面目に

 風花に指固まれば脇に入る

 裸木を伐れば年輪風の花

 枯木かと思えど冬芽丸くあり

 切粉噴き鋸の喰い入る樹に小雪


あえなく失敗

2011-01-10 | 今日は真面目に

Photo_3  Photo_4

 拠点の上り口にある桜が昨年になり完全に枯れ死した。子どもたちが入り込む原の末端に生えていたのだが、枯れ枝の落下も見られるようになって、除伐することにした。斜面に生えた自然樹のためか4本立ちで、どれもが斜めに立ち上がっている。

 山側へ傾斜していた3本は難なく切り倒したが、谷側に傾いているのが主幹で、重心の方向に4m程度の樹高に育ったエノキがあって、これを傷つけたくないのでロープをかけて4人で引いていたのだが、樹木の重さにはかなわなかった。

 心配したとおりエノキの上に倒れて掛かってしまった。ついでに主枝も一本折り取ってしまう、あえなく失敗の巻。樹の状態がよければ平茸の原木にしようかと考えていたのだが、サルノコシカケの菌糸が中心部まで入り込んでいたから、クワガタやタマムシの住処にせざるを得ない状態だった。「棚ボタ」にはならなかったが、それはそれで虫たちには「お年玉」だろう。ちなみに8年前の開花は写真のようだった。

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敷き落葉

2011-01-10 | 感じるままの回り道

Photo_5  Photo_6

 「ノバラよノバラ蝦夷地のノバラ」と歌いだす歌があるが、さしずめ「落葉よ落葉」と歌いだしたい風景だった。落葉樹の葉はあらかた落ちて、樹の下は落葉の絨毯になっている。大抵は風に吹き飛ばされてしまうか吹き溜まりになるかなのだけど、この木の下は風が通らないから綺麗なものだ。見ていても心和むのは落葉と「同類」のせいかもしれないし、田舎者の美的感覚かも知れない。

 市街地で「落葉が汚い。掃除に手間がかかる」など、苦情の種になって樹が処分されるのは良く見聞きすることだけれど、セミやカエルの鳴き声が「うるさい」から駆除して欲しいという感覚も理解できない感覚の一つである。喧騒と表現することはあっても煩わしい音ではないのだ。どっぷりと浸っていると幸せな心地さえしてくる。

 落葉にしろカエルやセミの大合唱にしろ、「風情を楽しむ」事が出来るのは生育環境に由来するのだろうか。そうだとすると「貧しかったけれど豊かな環境で生まれ育った」と思わざるを得ない。今も「貧しくて豊かな閑居」である事には変わりはないのだけれど…。


*立ち枯れ木

2011-01-09 | 今日は真面目に

 丈に負け枯れて朽ち立つヒノキ伐る倒れつ薫る芯の精気よ

 あなかなし押せば波打つ立ち枯れのヒノキも薫る伐り倒る時

 ロープ掛け揺らし引いても倒れこぬ係りし枝は細くありとも

 竹伐れば夏草茂り刈り払う増える手間隙先減るこの身