暑さ厳しき折り、水切れはご法度である。であるから何をさておいても取水機能の維持を図らねばならなく、熱中症警戒アラート発令中であろうと作業には出向かねばならん。てなもんでこの日も掘削一路、放水路から掘り下げる事にした。放水路の底を掘り下げないと取水升の在る箇所の水位が下がらない。升を覆う笠型フイルターは掘り出せるものの升内の泥土を浚渫するに腕が底まで届かないのである。泥浚い用の笊を掴んで肩口まで水に突っ込んでも取水管口程度までしか届かず、その下に沈殿している砂泥の浚渫はかなわない。
暑さが暑さだけにのらりくらりと行いたい作業なれど水域のリスクを考慮するとそうもいかず、結局は孤爺自身にリスクが及ぶ作業になってしまう。たまたま娘が孫たちを連れて帰省中なのだが「たまには骨休めに温泉に…」と誘われたものの現実的な選択肢ではなく丁寧にお断りしたものの「どうせまた同じことの繰り返しでしょっ!」と呆れられてしまった。確かにそうであって自転車操業・水商売はそれに尽きるのであるけれど「余人をもって代えがたし」なら良い方で「余人」すらいない現状では孤爺たるもの毎週、鍼治療に通い、毎日湿布とお灸を欠かさず熱中症のリスクには配慮しつつ作業を続けねばならないのである。
さて、排水路の掘り下げも基盤層なのでスコップではほんの少しづつだ。一通りスコップを入れてからジョレンで均しつつ、くし削る事を繰り返し、取水堰上端面より水面を10cmほど下げる事に成功した。これで取水升内の泥土を浚い採る事が可能になるのだが姿勢が窮屈なので息が上がる。まあ、ここまでに至る間にスコップで砂礫を取り除きフイルター部を露わにするまでで既に息も上がり腰の黄色信号が出ているのだった。狭い防砂枠囲いの中にしゃがみ、長靴の中に水が入らないように、尻が水に浸からないようにと気を配りつつ取水升内の砂泥を掬い採るのは窮屈できつい。
例えれば水棺桶に頭部を下げて屈葬された姿勢だけれど、それでも馬力をあげて作業した結果、取水升内の泥土の半分は取り除けたが、次回は柄杓を使い底浚えまで行わねばならない。その後、二カ所の排砂バルブを順次開放し管内の排砂を実施し吐出量測定を行えば復旧のルーティンは満たせるのものの排水路の法面や掘り上げた砂礫の移動が必要なのでまだ作業に通わねばならない。ああ我が人生、骨休めやくつろぎの時間は棺桶に入ってからなのだろうと汗を拭くのだったが、サンコウチョウの鳴き声に癒される谷間でもあった。そして我が腰は水シャワーの後に湿布で癒される・・・。
写真を眺めつくづく実感するのは「よくもまあ、この量を掘り上げたもんだ!」に尽きる。正月四日から意を決してスコップとジョレンで掘り下げ進んだ結果であるが水路の両側は大きな堤となってしまった。このような量の砂礫流下の防止作業を上流部で行いたいもののフイールドの作業積み残しも多いし涼しくならないととても着手出来ない。かくして年中無休、腰痛休業の日々が続くのであった。老いてなおますます盛んの発起かな!お粗末。
