師匠はその弟子に「おまえは暗い」と、いつも嘆いていた。人を笑わせる落語家が憂鬱(ゆううつ)そうでどうする。師匠の意見はもっともだが、おかみさんはかばい続けた。「いいんだよ、この子は。暗さを売り物にすればいいんだから」。その一言に暗い弟子はずいぶんと気が楽になった▼師匠とは人間国宝の柳家小三治さん。暗い弟子とは十七日にがんで亡くなった柳家喜多八さんの若き日である▼深みのある声。巧みな人間描写。喜多八さんの訃報に贔屓(ひいき)にしていた方はさぞ、がっかりしているだろう。円熟味を増し、さらなる変化、進化の過程にあったその芸である▼一時期の高座。初めて見た方は面食らったかもしれぬ。暗い。年中「夏の疲れが尾をひいております」「虚弱体質でして」と元気がない。本気で心配したお客さんもいたそうだが、それが手。聴衆を「なんだ?」と引きつけて、その憂鬱さからは予想もできぬ大熱演となる。暗さを逆手に取る、あのアドバイスも効いていたのだろう▼「うまそうに演じたり、うまいと(聞き手に)思わせるのもいけない」。晩年の境地。押し付けがましさのない高座はおかしく、奥行きがあった▼「噺家(はなしか)は六十を過ぎてから」。先代林家正蔵(彦六)さんの言葉だが、還暦過ぎてもなお成長を求め努力した方である。「まだ伸びしろがある」。伸びしろの先にあったものが実に惜しい。
喜多八 たけのこ
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