落語の「蛙(かわず)茶番」はシロウト芝居の役もめの話で、芝居の当日、伊勢屋の若旦那が姿を見せず、幕が開けられない。若旦那の役は「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」の巨大なガマガエル。クジの結果だが、若旦那、この役が気に入らず、すっぽかす。若旦那ばかりではない。舞台の警備役にあたる「舞台番」の半公もおもしろくないとやって来ない…▼「恐らく芝居始(はじま)って以来、興行者、或(あるい)は演出家が、この俳優の役もめには手を焼いているのであります」と劇作家の岸田国士(くにお)が役もめをかつて嘆いたが、役者の方は嫌な役を引き受ければ、自分の立場が傷つけられた気にもなる▼政治家は地方ではガマガエルほど、あまり引き受けたくない役になっているようだ。統一地方選後半戦の町村長選と町村議選。町村長選は半数を超える七十町村、町村議選は総定数の約三割が無投票で当選したそうだ。その役を引き受けたいと思う人が少なく、選挙にならない▼なり手が少なく無投票。投票の機会がなくなることで政治への関心はさらに薄れ、また、なり手は減る。そんな連鎖を想像する▼出馬するリスクや報酬の問題もあるが、世間ではやはり、その役が魅力的に見えていないのだろう▼政治家という職業が光にあふれ、誰もが憧れる役にすることが解決策か。が、政治とカネの問題が相次ぐ政治を見れば、その役はどうしたってガマガエルに思える。
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