中華街の魅力

齋藤修と多くの人が中華街情報を共有する場となることを期待いたします。最近中華街にあまりいけず、データーを整理しています。

中華街では珍しい地下の飲食店。慶華楼、最近は食べ放題にシフトしているが?

2020-03-24 13:06:37 | 大通り

中華街は以前埋めて地(海)であり、その後水田があったため、地下を持つ建物は少ない。この店の特徴は、880円の定食。点心2種がつく優れもの、一人で食べると十分なミニコースである。料理の量も多く十分楽しめる。麻婆豆腐は辛さも調整できる。麺のセットは、点心1種であるが「ミニチャーハン」がつく。

それより発見したのは、「自慢の贅沢コース6000円→3000円」。フカヒレ・北京烤鴨がついて、この12品はリーズナブル。お得感満載といえると思う。4人程度だと、カタログ通り「北京烤鴨」の姿も見られるのかもしれない。

 

 

 

 

 

中華街では珍しい地下の店。「慶華楼」も頑張っています。

横浜中華街 - Wikipedia     
横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は、神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)である。1955年以前は唐人町や南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、中国各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当該地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割に当たる。約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。1866年(慶応2年)の横浜新田慰留地から数えると150年強の歴史をもつことになる。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに「三大中華街」とされる。
起源
1859年(安政6年)、横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁(中国人商人や取引仲介者)や外国人外交官の雇い人が来住した。当初、彼らは香港や広東から来ていたため、広東省出身者が多かった[1]。その後、横浜と上海、イギリスの植民地の香港の間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。これが横浜中華街の原型である。
初期の埋め立て地「横浜新田」の海岸線沿いに建てられたため、この地域のみ区画が約45°ずれている[2]。この頃の商店は日用雑貨店、衣料品店、食料品店などの店が大半で、中華料理店は多くなかった。1872年(明治5年)には、柳麺(lau min、ラウミン)の屋台が出始めていた。

 

「特徴」
1.地下の飲食店。換気設備等がしっかりしているので気にならない。
2.以前はごはんおかわり有料だったが、最近はスープもサービスに。

 

750~850円(料理1品+スープ+ザーサイ+ご飯)+おしぼり
 ビルの地下にある落ち着いた雰囲気の店である。テーブルも大きめでゆっくり食事をする際には向いている。特に際だったメニューはないがある程度の物は取りそろえてある。ランチにおしぼりが付くもうれしい配慮である。
 4種類ほどのメニューが日替わりで展開されている。ご飯は,小さめの器に盛られてくるのでお代わりをするようになる。従業員の応対は良い。店全体が地下街のためやむを得ないのだろうが,暗い雰囲気(落ち着くというわけでもない)がする店でもある。次々と運ばれてくる料理はおいしい。ご飯も炊き加減が良く,お代わりがすぐしたくなる。
 内部は非常に凝ったインテリアを維持している。中華街で地下のみで営業している店は少ないが、その分サービスと味にこだわりを持っているようにも思う。「得々セット2500円から」などもあり、4000円程度からは、豪華なコース料理を楽しむことができる。非常に安心してのんびりできる雰囲気のある店である。
ランチ例)A麻婆豆腐 Bピーマンの細切り牛肉炒め Cエビのチリソース 

 

 


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