自然を愛して

田舎暮らし

北海道旅行 函館山と五稜郭

2015-12-09 15:04:51 | Weblog
函館山と砲台跡(北海道遺産)
   
函館山(標高334m、周囲9m)行き方は市電十字街徒歩約10分の函館山麓駅から
山頂を結びロープウェイがありますが、私たちが訪れたときは整備点検のため営業中止で車で登りました。
ロープウェイは津軽海峡を背にして登って行くそうです。
函館山は市街地西端にある山で別名は臥牛山(がぎゅうざん)とも言います。
津軽海峡につきでた断崖上にあるため展望が良く、天気の良い日には下北半島を望む事が出来ます。
頂上の展望台から見る景観は両側を海に挟まれた独特の地形を生み出し素晴らしい
函館港、緑の島、摩周丸、市街地にはJR函館駅、その先に五稜郭タワーも望めます。
夜の観光は車の交通規制(タクシーは可能)があるためホテルから夜の観光バスに乗って出かけました。
雨が少々降っていましたが、溢れるばかりの光を見渡せ素晴らしくバスの中では感嘆の声が響いていました。
傘をさして展望台まで行くとまた格別でドラマチックで神秘的でした。
夜景の美しさをガイドの方が教えて下さいましたが、函館の夜景は秋と冬が一番きれいで
世界三大夜景(北海道「函館山」、香港「ビクトリアピーク」、ナポリ「ポジリポの丘」
日本三大夜景(函館山、神戸の摩邪山の掬星山、長崎の稲佐山)だそうです。皆さんも納得できるでしょう!

函館青函連絡船記念館摩周丸  函館市若松町
 
北海道南端(道南)と本州北端(青森県)の日本海と太平洋とを結ぶ津軽海峡(東西約130km)を
1965年(昭和40年)に就航、1988年(昭和63年)まで運航。
青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に
係留・保存して公開しています。
船室は見学をしませんでしたが、「船の歴史としくみの解説」を伝えているそうです。
岸壁は函館朝市から近くて、蟹の注文してから船の外見だけ見に行きました。
地元の人が「写真は舳先から写すと良いですよ。」と教えていただき撮影しましたが
澄みきった青空と碧い海に白と青色の船体のコントラストが良く好きな景色の写真になりました。

五稜郭タワー

幕末の見果てぬ夢の象徴の五稜郭は展望台から見渡すと函館山や津軽海峡、特別史跡五稜郭の全体が眺望できます。
◎展望1階はゆっくりくつろぎながら五稜郭の星形の展望を楽しむ空間になっていて、カフェスタンドや売店があります。
 歴史上の人物土方歳三のブロンズ立像が置かれていました。

土方歳三

 近藤勇と尊王攘夷のあらしが吹き荒れる京都で新撰組を結成。
 「池田屋」などの討幕派浪士を取り締まり、「鬼の副隊長」として統率していましたが、
 鳥羽伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでの敗北。新撰組局長の近藤勇が処刑された後も宇都宮、会津と戦い
 榎本武場率いる旧幕府艦隊に仙台で合流し蝦夷地に渡りました。
 五稜郭を本拠地とした旧幕府軍による暫定政権、蝦夷共和国では陸軍奉行並・函館市中取締りの要職を務めた。
 明治2年(1869年)新政府軍による攻撃に自ら最前線で兵を励まし奪戦し、敵を撃退したが
 明治2年5月新政府の総攻撃により孤立友軍を援護するために出撃しましたが、一本関で銃撃を受け35年の生涯を閉じました。

◎展望2階
 五稜郭の迫力満点の展望台と五稜郭の歴史を学べるスペースです。
 グラフィック展示「五稜郭物語」は、ペリー来航から始まる歴史を年表や絵図面で分かりやすく紹介。
 「メモリアポール」では情景模型があって、子供たちも説明を読みながら歴史に興味持つことでしょう。

「箱館総攻撃」
 箱館山の裏側から絶壁を登って表われ新政府軍の奇襲隊の様子。
「戦時下の赤十字精神」

 新政府の一隊が、脱走軍の箱館病院にも突入。病院長(高松凌雲)は怪我人や病人を助けるため赤十字精神を敵に訴えた。

箱館奉行所

 五稜郭内には箱館奉行所を中心に20数棟の付属建物などがあったことが発掘調査を始め、古写真や
 文献資料・古図面などの調査で分かりました。それを基に箱館奉行所は2006年(平成18年)に工事を開始
 史実に忠実な復元が進み、2010年(平成22年)に140年の時を超えて再現されました。
館内は、
再現ゾーン


 襖を開け放すと72畳の広さになる大広間や奉行の執務室があった表座敷は奉行所の中でも格式の高い部屋でした。
 中庭から見上げる太鼓橋は最も高く突き出ているのが5階部分、約16,5mの高さで港を監視するための役割がありました。
 ちょっと江戸にタイムスリップした感じでした。
歴史発見ゾーン
 幕末の箱館開港により設置された箱館奉行所と奉行所を守るために築造された五稜郭、戊辰戦争の最後の戦いとなった
 箱館戦争の歴史を解説。箱館戦争にかかわった人物も紹介していました。

映像シアター
 復元工事の様子をハイビジョン映像で紹介。専門職人による日本伝統建築の匠の素晴らしさに感服しました。
 建築復元ゾーンもありました。
発掘出土品「巴瓦」にはみつ葉葵紋
 「釘隠し」釘隠しは柱や釣り梁と長押が交差する部分に打った釘を隠すための化粧金具(復元工事使用品)
   
外観の屋根
 屋根瓦は建設当時のまだらな色相を再現するために越前山の赤系4色を用いられていました。
 他の復元された板倉と土蔵は売店と管理事務所として使用。

石垣

 大手口から入って左側に本塁の石垣には最上部に刎ね出しがあります。
 上から二段目の石が貼りだして積まれているため外部からの侵入を防ぐ構造になっています。
 函館山の麓の立待岬(たちまちみさき)から切り出した安山岩などが使用されています。
 珍しい石垣は子供が説明してくれました。
 北海道旅行は自然の風景の素晴らしさ、歴史、美術館、美味しい食物をたっぷり堪能しました。

北海道の秋

2015-11-30 18:04:42 | Weblog
11月24日、札幌は62年ぶりに積雪が40cm超え、冬到来を伝えていましたが、
今年は子供と一緒に北海道の紅葉を10月20日過ぎに楽しみました。
東京から新千歳空港に降り、レンタカーで私の好きなそうなコースを子供が選び
富良野、小樽運河、余市、函館を中心に旅を満喫しました。

後藤純男美術館 (北海道空知郡上富良野町)
最初に訪れたのが美術館ですが、札幌から紅葉が続く山々を眺めながらのドライブは素晴らしく感嘆しました。
後藤純男美術館に着くとすぐ十勝岳連峰の山並みが一望できるレストランでゆっくり食事をしてから展示室で作品を鑑賞しました。
後藤純男画伯は院展で理事もされていたこともあり、奈良、京都など日本の古都の風物や古寺を描いた作品、
季節ごとに様々な表情を見せる日本風景を描いた作品、雄大な中国の自然や歴史的な景観をテーマにした作品など
多様で奥行きの深い大作が展示されていました。島根に住んでからは院展を毎年鑑賞していますが、
改めて荘厳で神秘的な画風に圧倒されました。初めて観る法隆寺の百済観音、中国の天壇など目に留まりました。
子供は一度訪れているので「凄いでしょう。」と時々私に説明していました。
一人の画家の美術館を訪れるのも良いですね。
帰りはのどかな丘陵地帯を通過しましたが、今は何もありませんでしたが春はきれいな丘を見ることができるでしょう。

          写真をクリックすると大きくなります

小樽運河(小樽市)『都市景観100選』
大正2年「埋立て式運河」が完成。
(内陸に水路を掘ったもでなく沖合を埋立て、陸の間にできた水路に海上に停泊した船舶から貨物を乗せた艀(はしけ)を係留し、
人力で荷揚げをする方式)でしたが、戦後に入り衰退したそうです。
その後、埋立工事に着手、昭和61年に北海道17号線小樽線が開通。
散策路やガス灯が整備され、運河周辺は小樽の一大観光スポットに成長しました。
運河の両岸には煉瓦や札幌石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、壁につたわっている真っ赤なくずのはが
水面に映り美しい景色です。のんびり船で観光する人、人力車で散策する人など往時をしのぶ事が出来ます。
早朝でしたが外国人観光客を多く見かけ船から手を振っていました。
 

ニッカウヰスキー(北海道余市郡余市町黒川町)
小樽駅から車で30分。豊かな自然の中に歴史を刻む建造物など日本のスコットランドと称されニッカウヰスキーの聖地です。
建造物には乾燥棟(キリン塔)、粉砕・糖砕棟、発酵棟、混和棟、1号貯蔵庫、リタハウス
旧竹鶴邸(創業者夫婦が暮らした和様折衷の私宅の一部も見学できます)
ウイスキーの歴史やニッカの生い立ちなど展示された博物館や
ニッカ会館(レストラン、無料の試食できるコーナーや買物もできます)
敷地内の木々の紅葉は、竹鶴邸やリタハウスが一番きれいでした。
観光客も多く、NHK朝ドラの「マッサン」が放映されてから人気があり大変の人出でした。

大沼公園(国定公園)『新日本三景』
全国でも最も古い公園の一つで大正4年には、三保の松原、耶馬溪と共に新日本三景の一つに選ばれました。
平成8年に54年ぶりに小噴火した駒ケ岳(標高1,131)とその裾野に広がる大沼、小沼など湖などが織りなす風景は
繊細で柔和な印象を与えます。
駒ヶ岳には大きな火口があり、火口壁を取り囲むように剣ヶ峰、砂原岳、隅田盛があるため、
駒ケ岳は眺める方向によって峰の形が変わります。
大沼、小沼、じゅんさい沼は駒ヶ岳の火山活動によってできた湖、沼なので、湖岸線が複雑に出入りし、
また泥溶岩の一部が湖に浮かぶ126の小島なるなど、地形の骨組が細やかです
駒ヶ岳は山麓の森林はブナなどの温帯性の落葉広葉樹が多く、柔らかな景観を作り出しているそうです。
「大沼湖・小沼湖島巡り」を遊覧船で回り、説明を聞きながら駒ヶ岳が場所によって変わる美しさを眺めながら、
紅葉の木々に止まっているトビ、カワセミ、湖を泳いでいるカモなども見つけました。
遊覧船を降りてから公園広場から見る夕暮れの景色は神秘的で素晴らしく息を飲むぐらいでした。
公園は四季折々楽しむことが出来ますので、ゆっくり季節ごとに訪れたい場所です。


 

元町
元町界隈は坂の町ならでの魅力的な景色を繰り広げています。大三坂の近くにはエキゾチックな雰囲気があって
元町カトリック教会、函館聖ヨハネ教会と函館ハウスト正教会(重要文化財)があります。
石畳の美しいチャチャ登りの街路樹のナナカマドは通りを赤く染め、落ち着いた雰囲気を演出していました。
(上から眺めると良いです)
(チャチャはアイヌ語で老爺を意味で老若男女が腰をかがめて上がらなければならないほどの急坂を言うそうです)




五稜郭(函館市五稜郭町)『特別史跡』
北防備の目的で造られた日本初のフランス築城方式星形の要塞です。
五稜郭タワーから望むと良くわかります。
幕府と官軍の最後の戦いである函館戦争の舞台となった所です。
園内には復元された函館奉行所があり真っ赤なモミジがきれいでした。
4月の公園はソメイヨシノの桜が咲き誇り見事だそうです。


赤レンガ倉庫群(函館市末広町)『重要伝統的建造物群
函館のベイエリアに建ち並ぶレトロな風情あるレンガの倉庫群は明治20年ころから始まった営業倉庫でした。
北洋漁業はサケ、マス船団の拠点的な役割を果た函館と共に繁栄を極め、函館ドックや港町として人々の往来も多く
昭和40年に大きく発展しましたが、200海里問題で北洋漁業の漁獲量が削減され急速に衰て行きました。
昭和63年から、営業用倉庫以外は、ショッピングモールやビアホール・レストラン、カフェなど
商業施設として利用され「金森倉庫」が有名です。
近くに明治4年函館郵便局として建てられた建物があり、外壁全体に這うように伸びている蔦は
眩いほどの鮮やかな赤色で素晴らしいく横からも撮影しました。
今は「函館明治屋」(豊川町)ですが館内はガラス製品やオルゴールの販売などして制作体験コーナーもあるそうです。


ホテルのフロント
ハロウィーン用の飾りが目に留まりました。

伊藤若冲と京の美術 細見コレクションの精華

2015-10-14 09:48:31 | Weblog
島根県県立美術館では『伊藤若冲と京の美術 細見コレクション』が9月18日~11月3日まで開催
展示品は94点、京都の優雅な文化が凝縮された珠玉の作品を楽しむ事が出来ます。

 
≪群鶏図≫〈部分)案内板で撮影 ≪糸瓜群虫≫ロビーで撮影 
                     
細見美術館
大阪の実業家、故細見良(初代古香庵)にはじまる細見家三代の蒐集をもとに平成10年京都の岡崎に開館
コレクションは、日本の美術工芸の分野が時代を網羅し、中でも平安、鎌倉時代の仏教神道美術、室町の水墨画
茶の湯釜、桃山の茶陶や七宝工芸などそして琳派や伊藤若冲など江戸時代の絵画に優品が多く内外屈指のコレクションと
知られているそうです。特に若冲の作品は画業初期から晩年までの作品があります。

伊藤若冲(1716年~1800年)
京都市錦小路の裕福な青物問屋の長男に生まれ、家業を継いでも絵画制作に没頭。
40歳で弟に家業を譲り、晴れて画業三昧の生活を送ります。
最初に狩野派の画法を学び次に中国古画を熱心に模写したようです。
その後身近な動植物を実際に観察して忠実に写生に取り組み、精密な筆使いと独創的な画風から
「奇想の画家」と呼ばれています。
代表作は「動植綵絵」どうしょくさいえ(宮内庁尚蔵館所蔵)です。
様々な動植物を鮮麗な色彩で緻密に描きつくした大作。約10年かけて完成しました。

興味を持った作品

都に遊ぶ【名所遊楽と祭礼の世界】
●祇園祭礼図屏風 六曲一又●
●四条河原図巻 一巻
●遊楽図高坏 一基
●薬玉図 土佐光孚 一幅
●やすらい祭・牛祭図屏風 浮田一

都の美意識Ⅰ【王朝のみやび】
●「貫之集」巻下 断簡〈石山切〉藤原定信 一幅(重要美術品)
●山王霊験記絵巻一巻 部分(重要文化財)
●撫子図屏風 六曲一
●忍草下絵和歌巻 断簡 本阿弥校閲(書) 俵屋宗達(下絵)一幅
●歌仙絵色紙「藤原仲文」 俵屋宗達 一幅
●伊勢物語かるた 伝 葛岡宣慶(書)一具のうち
●源氏物語図屏風「総角」 岩佐又兵衛 六曲一隻
●清少納言雪図 鈴木守一 一幅
●定家詠月次花鳥図 野崎真一 四枚
 
都の美意識Ⅱ【茶の湯の心】
●豊臣秀吉自筆書状(いわ宛)豊臣秀吉一幅
●利休消息 千利休 一幅
●芦屋霰地楓鹿図真形釜
●茶碗 志野茶碗 銘「弁慶」 ●瀬戸黒茶碗 銘「鳴門」 ●黒織部沓形茶碗
●信楽水差 銘「赤富士」
●銹絵馬図角皿 尾形乾山 一枚 ●七宝八角水差

若冲と都の絵師【華ひらく個性】
●平家納経(模本)田中親美
「化城喩品」けじょうゆぼん 「嘱累品」しょくるいぼん 各一巻
 表紙絵・見返し絵 俵屋宗達(原画)
●四季草花図屏風 「伊年」印 六曲一双
●四季草花図 神坂雪佳
●児島湾真景図 池大雅 一幅

若冲の作品から
●花鳥図押絵貼屏風(六曲一又)
 若冲の得意のとする鶏を中心に右隻は梅、牡丹、に蝶、立葵、沢瀉、
 左隻は、翡翠(かわせみ)、菊に蜻蛉(かげろう)、鴛鴦(おしどり)、 鳥を描く。
 勢いに富む濃墨の線描、薄墨の滲みを生かした面取りの連なりなどの様々な技法を試しています。
 構図は端から二図ずつ向き合うように、モチーフも関連付けて構成されています。
●鼠の婚礼図
 横長の画面の左隅に、婚礼の最中の鼠たち、そこへ画面の右下からもう酔いが回ったのか、盃を担ぎながら尾を引かれて到着する鼠
 宴席から迎え出る者もいます。遅れてきた二匹を待ちかねる一同の気持ちを余白を空ける事で表現している可愛い作品です。
●群鶏図(一幅)
 鶏の逞しい姿が切れの良い筆使いで颯爽に描かれ強く惹きつけられます。
●里芋図(一幅)
 若冲作品の魅力のひとつ大胆な構図。野菜の様々な形、内に秘めた力強さなど知り抜いている若冲だからこそ
 誇張した表現で筆を遊ばせる事が出来たようです。
●糸瓜群虫図(一幅)
 糸瓜の周囲に11匹の虫たちが群れ遊ぶ様を描いており、生動感あふれる虫たちの描写は正確で緻密です。
 糸瓜と虫たちが同化して見えますので11匹いるかどうか探して観るのも楽しいです。
後期展示品(10月14日~11月3日)伊藤若冲≪雪中雄鶏図≫江戸中期 

◎伊藤若冲の作品に出合ったのは20年前に東京の三の丸尚蔵館で、群系図、向日葵雄鶏図、大鶏雌雄図、雪中錦鶏図
 桃花小禽図、梅花皓月図、群魚図、蓮池遊漁図など鑑賞しました。
 “若冲の鶏”と言われ、鮮やかな色彩に描写は精密で幻想的な作品だと思っていましたが、
 今回の展示品の屏風やユーモアある作品、様々な優れた水墨画の表現を観ることができ満足しました。
◎細見美術館の名前は知っていても内容をあまり知りませんでしたが京の名所、祭礼、王朝のみやび、歴史
 古典文学、茶の湯の心など随分知ることが出来ました。京都の美術館に行って見たくなりました。

 今回は展示作品のうち知らない作者もいましたが企画展の入り口の側に 「作者略歴集」がありましたので
 頂いて役立ちました。(無料)


 三の丸尚蔵館について
  皇室に代々受け継がれた絵画、書、工芸品など環境の整った施設で保存、管理、調査研究を行い、一般にも展示公開しています。(平成5年開館)
  場所は皇居東御苑
  大手門から入ると三の丸尚蔵館がすぐ近くにあります。静かな庭園があって周りを気にしなくて友人と楽しくお話が出来ます。
  散策していると江戸城本丸跡も見ることが出来ます。帰りは反対側の門に出るのも良いです。
  展覧会期中の休館日は毎週月曜日、金曜日
  出入門の最寄りの駅
  ◆大手門  地下鉄各線の大手町駅(C13a出口) ◆JR東京駅(丸の内北口)
  ◆平川門  地下鉄東西線竹橋(1a出口)
  ◆北桔橋門 東西線竹橋(1a出口)

雑草の中の花

2015-10-11 10:22:24 | Weblog
秋の朝、裏庭に出ると雑草の中に可憐な花々が咲き、自然を楽しむ田舎生活の一日が始まります。
近くに柿木、夏みかんの木があり、直射日光の当たらない、ちょっと湿った場所ですので
ちょうど良い花シュウカイドウを植え、自然に生えたツユクサ、つわぶきの花たちを九月に撮影しました。
今朝はシュウカイドウの花は薄こげ茶色になり、種子が飛んで来て咲いたコスモスが風に揺れ彩っています。


シュウカイドウ(秋海棠)
 
     シュウカイドウ              植木鉢のベゴニア
シュウカイドウ科 ベゴニア属 多年草 開花時期(8月~10月初旬)
耐久性が強く繁殖も容易です。球根を植えると野外でも定着し、種子をまいて増やすことが出来ます。
茎の頂点から花序を伸ばし2㎝~3㎝程度の淡紅色の花を咲かせます。
雄、雌同株異花で雄花は花弁が開き黄色く球状に集まった雄しべが目立ち、小さな花弁が2枚あり、
大き花弁のように見えるのは萼で2枚あります。
雌花には花弁がなく、大きな萼が2枚わずかに開くだけです。
葉っぱは偏必形で左右非対称で互生です。
柔らかく下垂れる可憐な花が好きですから秋になると籠に自然に活けます。
花言葉
自然を愛す、片思い、 未熟

ツユクサ(露草)

ツユクサ科、ツユクサ属、一年草 開花時期(6月~10月)
畑の隅や道端などで見かける雑草です。
茎は15㎝~50㎝位、二つ折れになった苞の間から青色の花が次々と咲きます。
花弁は3枚ですが、上部の2枚は青く大きくて下部の1枚は白くて目立ちません。
雄しべは6本あり、そのうちの2本が長く花粉を出し、残りの4本は黄色が目立ち花粉はださないそうです。
朝露を受けて咲き始め午後になるとしぼんでしまいます。
花の青色汁を採って染物の下絵を描くための絵具として用いられています。
葉は笹のような形をした広い線形で葉の根元は茎を抱いています。色はやや淡く互生です。
鮮やかな青色は白色が良く合いますから白い花と一緒に仏様に御供えしましたが、
1日花と言われますが良く映え2、3日は持ちました。
花言葉
尊敬、夜想曲、なつかしい関係

ツワブキ(石蕗)
  
キク科、ツワブキ属 山野草、常緑多年草、開花時期(10月~12月)
花は株の中心から出て、先端に数輪咲き菊の花に似て3㎝前後の黄色の花を咲かせます。
新芽は茶色の綿毛に包まれていますが、成長になるにつれて取れていきます。
葉は根生葉で基部が大きく左右に張り出し、革質で艶があって直径20㎝前後の腎臓形です。
地下には短いワサビ状の根茎が連なり大きな株になります。
活花では他の花茎の隠し用に下に葉を活けると落ち着いた活花になります。
花言葉
謙虚、困難に傷をつけられない


アブラゼミ

2015-10-01 17:35:37 | Weblog
中秋の名月(9月27日)には秋虫の声を聴きながら月を楽しみましたが、
9月末の真昼に珍しくジリージリジリジリジリジリジ・・・・・と鳴く蝉の声を聴きました。
鳴き声からしてアブラゼミです。

セミの抜け殻
  
  

石の上でセミの裏側を撮影

8月の初め頃、白木蓮の樹にセミの抜け殻を見つけました。
よく見ると1本の樹に6匹もいました。葉っぱは穴が空いていましたので食したのでしょう。
アブラゼミの特徴は体長は35㎜、触覚は毛深く、第3節は第2節の1,5倍あります。
頭部は横から見ると額の部分はが大きく角ばっています。
翔は茶色で艶があり蝉の区別は簡単です。
お腹の縞はえりの線が黒いラインになっています。
脱皮は背が割れて白い顔を出し、翔を広げるそうです。
夫に背中の中央が割れていたので聞きましたら、子供とき見たそうでとても神秘的だったと話してくれました。
生き物は素晴らしいですね。


成体(黒い体と褐色の翅が樹皮への擬態に役立ています)

日本アマガエル

洗濯物を干しに裏庭に出ましたら布団干しの道具に日本アマガエルが止まっていました。
日本アマガエルの指先には吸盤がついているので、滑りやすいステンレスの棒の上でもしっかりとつかまっているのでしょう。
飛び移るのも上手くあっという間にいなくなりました。
アマガエルは周囲の環境に合わせて体色を変化させることができるそうですが、黄緑の葉っぱと同色のきれいな色でした。

石見銀山遺跡(温泉津町本町発掘調査)の現地公開と出土品展示

2015-09-13 10:52:16 | Weblog
大田市では温泉津地区の下水道工事に先立って市道湯乃街線で発掘調査が6月から9月18日までの予定で実施されています。
この度、9月11日に現地説明会が公開されました。


遺構の調査には剣尺を使用していました。深さ約2m、横幅約2,5m位でしょうか?
発掘調査によって道路と水路の跡が見つかったことを石見銀山課の方がわかりやすく丁寧に説明されました。

幅約30㎝の石組側溝を確認、戦国時代の後半(16世紀後半頃)~江戸時代末~明治初頭の時期に
それぞれ築かれていたことが判りました。
水道管の工事などにより失われていた部分も少なくありませんでしたが、今の市道の位置にあったことがわかったそうです。
道路沿いの側溝である水路の位置からみて、当時の道は現在の市道より狭かったものと想定されるそうです。

出土品
遺物は庄屋屋敷近くの三叉路で見つけられたものが展示

●陶器
   
国内産(唐津、備前、瀬戸など)の他に、中国や朝鮮、ベトナム産陶器が、琉球から持ち込まれたとみられるものが
多く見つかりました。
最も多く出土したのは、中国で焼かれた青花(せいか)と呼ばれる磁器、中国の華南地域で焼かれた交趾(コーチ焼き)
朝鮮半島産、ベトナム産の陶器などは戦国時代後半から江戸時代のものとみられます。

●木製品

 下駄、木札、桶、漆碗、箸などの日用品。
 木札にはお茶に関する文言が書いてあり、送り先の名前まで分かったそうです。

●石製品
   
「石敢當」(いしがんとう)            拓本
 石敢當は中国では、8世紀の唐の時代に始まっていた魔よけの石碑です。三差路などに設置されました。
 日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かけます。
 出土した石敢當は四角柱で高さ52cm、幅と高さは20cm余り。
 正面に「石敢當」という文字が刻まれています。元号は江戸時代の延宝年間の可能性があるそうです。
島根県では石敢當の出土は初めてです。出土によって琉球の交流のあった可能性を示す一番興味深い資料です。

今回の調査から得られたことは温泉津が、銀の積出しや物資の搬入を担った港として賑わった様相が伺われます。
出土品からは当時の文化を窺ううえで貴重な発見となったと説明されました。


焼き物について
【青花】(せいか)
白地に青の文様を表した磁器です。青花は釉下彩の一種であり、成形した器を
いったん素焼きしてから、酸化コバルトを含む顔料で器面に絵や文様を描く。
その上から透明釉を掛けて高火度で還元焼成すると、顔料は青色に発色します。
【白磁】
白い胎土(主としてカオリン系の陶土)をそのまま生かして、
これに無色透明の上釉をかけて高温焼成した素地がそのままの白い色を
現わしたのが白磁です。そしてこの白磁は、硬い焼物であって、
染付や色絵などのような、色釉は全く施されてない物です。
【青磁】
釉の成分の灰に含まれるわずかな鉄分が酸化第二鉄から酸化第一鉄に変化する
ことによって発色するものです。

温泉津町の櫛島
  
最近雨が多かったので、久しぶりに透き通った青空と日本海の荒波を眺めながら美味しい空気をたっぷり吸い込み自然を満喫しました。


琉球王国の展覧会

2015-09-06 15:47:03 | Weblog
7月22日から8月31日まで島根県古代出雲歴史博物館では「東アジア交流の盛華 琉球王国」が開催されました。
NHKBSテレビの時代劇「テンペスト」(2011年)を観てから琉球王国をすっかり魅了して、国宝の玉冠を観るため
「玉冠」展示最終日の17日に雨の中早朝出かけました。尚家伝来した数々の至宝に驚き、素晴らしい作品を堪能しました。


桂並木の葉は少し色づき、山に靄が立つ雨上がりの美しい景色

琉球王国について
1429年から1879年までの450年間、沖縄本島を中心に存在した琉球國。多くの島からなる琉球列島は、
古くから特色ある風土の中、東アジアや東南アジアとの交流を通して、独自の文化圏を形成した。
隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。
1609年に薩摩藩により琉球侵攻、琉球国が敗戦。時の国王、尚 寧王(しょう ねいおう)が和睦を申し入れ、薩摩の属国となった。
1872年、明治政府は琉球国王、尚 寧王を藩主として琉球藩となった。
1879年、琉球処分により沖縄県となる、琉球王族は日本の華族になった。
第二次大戦後、日本の国土から分離され、信託統治領として、米軍が軍政下に置き、昭和27年(1952)から昭和47年(1972)まで
沖縄本島を中心とする琉球政府が設置された。
昭和47年(1972)施政権返還、沖縄県して本土復帰を果たした。


        看板の作品(左から)
【国宝】赤地龍瑞雲嶮山模様繻珍唐衣裳  第二尚氏時代(18~19世紀)
   (あかじりゅうずいうんけんざんもようしゅちんとういしょう)
     琉球王国の冬用の礼服。玉冠と共に国王の即位儀礼や元旦などの重要な国内儀礼際に着用。
     中国皇帝から賜った反物を使用。明代の様式を取り入れながらも背面に房を施すなど琉球独自の形態になっているそうです。
 
【国宝】美御前御揃(スーメーウスリー) 第二尚氏時代(15~18世紀)
 (右) 朱漆巴紋牡丹七宝繁沈金御籠飯 朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(大)
     (しゅうるしともえもんぼたんしっぽうつなぎちんきんうくふぁん) 
     儀式用の三御飾。御籠飯と呼ばれるお米を盛る容器で、王城内で儀式や祝宴の際に使用。
     二段重ねの食籠で、蓋の甲が一段高く蓋鬘や格段に玉縁を廻らす。
     朱漆に深い彫の沈金で家紋(三ッ巴紋)や牡丹七宝繁文様が施されています。
     鮮やかな朱漆、深彫りの沈金が華やかさの中にも落ち着きがあり、形の美しさに魅了しました。

(中央) 金杯、銀杯洗、托付銀鋺、銀脚杯(大)、銀脚杯(中)、銀脚杯(小)、
     朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(小)
     朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(大)
     城内の祝宴に用いられたもの。

 (左) 御玉貫(大)御玉貫(小)(うたまぬき)
     糸で綴ったガラス製の小玉に覆われた錫製の瓶子。祭礼儀式や琉球王国や王妃などから下賜する酒を入れる容器として使用。
     胴部の文様は家紋を表し、底裏にも同じ文様が点刻されてるそうです。
     初めて見る珍しい製品です。
    朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(大)

【国宝】玉冠(付簪)(たまのおかんむり) 第二尚氏時代(18~19世紀)
     玉冠は皮弁冠(ひべんかん)やタマンチャーブイとも呼ばれ、冊封(国王の即位儀礼)や
     正月儀式など杭の重要な儀式の際に、唐衣裳と共に国王の正装として使用。
     表面には黒縮緬が貼られて、その上に金糸帯が12筋縫われ、各金筋には24こずつ金や銀、珊瑚、水晶など
     7種類の玉が合計288個、鋲でとめられ、金簪は龍の文様です。

【県指定文化財】木造文殊菩薩坐像 江戸時代 (1670年)
     円覚寺旧蔵の釈迦三尊は沖縄戦で大破し、木造文殊菩薩坐像以外の木造釈迦如来、木造普賢菩薩坐像は頭部を失った。
     その大破した仏像や破片等は地元の人々の手で集められ、沖縄県立博物館・美術館で保管されていたが
     近年大掛かりの修繕が施されました。
     円覚寺は琉球王家の庇護厚く、沖縄戦で焼失するまでは琉球第一の巨刹として繁栄しました。

進貢船の図(しんこうせんのず) 第二尚氏時代 (19世紀)
     皇帝から与えられた品物や中国で購入した品物を積んで、進貢船が那覇の港に帰り着いた様子を描いたものです。
     港には進貢船を見物する人であふれ、和船や爬龍船など大小の船が入り乱れ賑やかな港の様子が伝わりました。
 
【県指定文化財】聞得大君御殿雲龍黄金簪 第二尚氏時代(16~17世紀)
       (きこえおおぎみうどぅんうんりゅうおうごんかんざい)
     聞得大君は琉球における最高位の神女。簪は聞得大君御殿にあった簪と伝えられています。
     前面に金箔が貼られ、頭には太陽を示す日輪や雲、龍と波の浮彫などが施され
     柄の部分には唐草文や魚々子(ななこ)文などが彫られています。
     側面と頭の底面、柄にある「天」の字は、王家の道具の印です。
     簪や神扇の大きさに驚きました。

【国宝】黄色地鳳凰瑞雲霞文様紅型紋紗衣裳 第二尚氏時代(18~19世紀)
    (きいろじほうおうずいうんかすみもようびんがたもんしゃいしょう)
     少年用夏物の紅型衣裳。
     中国から輸入された高級色材である石黄で染められた黄色地に、霞文様や鳳凰が表されています。
     黄色地に鳳凰文様の衣装は王家のみ使用。

気に入った展示品
●琉球王国尚家の至宝
    首里王府は国王の唐御衣裳をはじめ王府内の調度を製作管掌する小細工奉行とともに、官営工房いうべき貝摺奉行を設けて
    漆器をはじめとする美術工芸品を導入、洗練化し、すぐれた作品を今に伝えています。戦禍を免れた至宝です。

【国宝】紺地龍丸文様緞子唐衣裳(こんじりゅうまるもんようどんすとういしょう) 第二尚氏時代(18~19世紀)
     琉球国王の冬用の衣装。冊封の際に中国皇帝より賜った反物で仕立てられています。
     生地は緞子の紋織物で染められた深い青地に龍、菊唐草の文様が配されていますが
     緞子の光沢に深い青地が美しく、袖の形、身頃の裾の広がりなど素敵です。

【国宝】黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん) 第二尚氏時代(19世紀)
     黒塗に螺鈿の五爪の龍の文様が施された東道盆。
     東道盆は神仏へのお供え物や客人をもてなす際に使用。
     同様の品物は中国皇帝に献上されました。

【国宝】三彩三耳壺(さんさいさんじこ) 第二尚氏時代(19世紀)
     胴をろくろ成形で球形にはらませ、肩の三方に横耳を付けた壺屋焼の壺。
     底は平底で高台を浅く削り出す。内外面全体に釉薬を掛け、外面に白土を縞状に重ね
     その上に緑・藍・褐色の釉薬を玉縁に仕上げた口縁部から胴部全体に縞状に流しています。

●琉球の美

   木綿白地飛鳥に流水蛇籠葵菖蒲文様衣裳 第二尚氏時代(19世紀)
  (もめんしろじひちょうにりゅうすいじゃかごあおいしょうぶもんよういしょう)
     大模様の型紙を繰返して身頃に染めた作品。
     型紙を置いて糊防染し、その後、顔料や染料によって染める。朱、臙脂(えんじ)、黄色は中国から入手
     藍蝋は日本製が使われ、紅型は特別注文であった。
     蛇籠、流水を中心に据え、葵や菖蒲、小鳥が飛び交う様が表現されています。
     菖蒲の葉先が風に揺れえいるように見え、動きのある作品。
     この衣装は振袖に仕立てられており、元服前の男児が、江戸立の際に身につけたと伝わっています。

【県指定文化財】呉須線彫魚文皿(ごすせんぼりぎょもんざら) 第二尚氏時代(18世紀)
     湧田焼(わくたやき)作者 仲村渠致元(なかんだかりちげん)
     波に跳ねる魚を軽快な刀法で線彫りし、呉須で色を添えた皿。
     仲村渠致元は薩摩に赴き、竪野窯で朝鮮陶工の子孫から陶技を学んで持ち帰り沖縄の進展にも
     大きく貢献したため士族に取り立てられました。

【県指定文化財】象嵌色差面取抱瓶(ぞうがんいろさしめんとりだちびん) 第二尚氏時代(19世紀) 
     沖縄の陶器を代表する器型の抱瓶。泡盛などを入れ、両側に付けられた耳に紐を通し肩から吊るして用いていました。
     一般に抱瓶は三日月型だが、この作品は曲折させており、幾何学文様が象嵌されています。

     呉須飴釉丸文按瓶(ごすあめゆうまるもんあんびん) 第二尚氏時代(19世紀) 
      明治以降に導入された酸化コバルト釉を使用。天然呉須は沖縄では貴重で近世の壺屋焼ではほとんど使われていません。
      取っ手附き土瓶は沖縄ではアンビンと呼ばれ水汲みに使用。

●美の復興
  壺屋焼:小橋皮永昌、紅型染色家:城間栄喜、芭蕉布:平良敏子など戦後伝統を復活、後継者育成に努めて再興に尽力しました。

赤絵大壺(あかえおおつぼ)作者 小橋皮永昌(1970~1978年)
     赤絵を使い吉祥文で大柄の壺を埋め尽くした作品。
絹黄色地枝垂桜流水菊文様衣裳(きぬいろじしだれざくらりゅうすいきくもんよういしょう) 作者 城間栄喜(1908~1992年)
     琉球舞踊のために制作。衣裳の上と下部には異なる型紙が使われ複数枚で絵羽風に模様を構成する鎖大模様(クサリウフムユウ)
芭蕉黄色地総絣上衣(ばしょうきいろじそうがすりじょい)作者 平良敏子(1921年)
     芭蕉は輪層になった幹の内皮を薄く剥がし、細く裂いて糸にします。
     琉球王国では芭蕉布を老若男女、身分を問わず広く衣服の素材に使用しました。

 ※島根県立古代出雲歴史博物館は歴史博物館だけあって歴史は詳しく当館の地図、その他の資料も多数展示されていましたが
 観なれた工芸品をまとめました。

  
島根県立古代出雲歴史博物館のマスコットキャラクター
 雷太(うんた)くん 妹 出雲(いずも)ちゃん
シーサー
夫が沖縄旅行に行ったときのお土産
魔よけのために建物の門や屋根などに置く獣の像です。

しまなみ海道・尾道の旅

2015-08-25 19:22:20 | Weblog
中国横断自動車道尾道松江線(中国やまなみ街道137㎞)が平成27年3月に全線開通し2時間30分で行けるようになり
山陰、山陽、四国の旅が便利になりました。
今回観光バスで(しまなみ海道)島めぐりと尾道の旅を日帰りで楽しんできました。
しまなみ海道59.4km(西瀬戸自動車道)は尾道北ICから今治までも簡単に行く事ができます。
山陰自動車道出雲から出発、中国やまなみ街道を通り目的地に行きました。
バスの中では高速道路の案内板を見ながら夫と奥出雲の地名や三次、世羅などの話をして緑豊かな山並みを眺めました。
しまなみ海道に入ると穏やかな瀬戸内海に浮かぶ美し島々に感激
6年前親友と広島県宮島の弥山展望台から眺めた島の名前を思い出し、ここが向島、因島、生口島、伯方島、大三島などと
懐かしく感慨にふけました。

大山祗神社(大三島)
日本総鎮守 大山祗神社は御祭神大山積大神、御分社は全国に1万余り祀られています。

◆乎知命御手植の楠

神門前にある楠は大三島に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠です。天然記念物に指定され
2600年と伝えられ古来御神木として崇められています。

◆神門

江戸時代の寛文元年(1661年)松山藩主・松平定長の寄進。
素朴造屋根は切妻造檜皮葺。

◆大山祗神社楠木郡

境内の楠木は昭和26年一抬国の天然記念物に指定され、定樹は38本他に大小200本の楠が群生。
この楠木も対象樹で直径2,6m高さ24mあります。

◆河野通有兜掛けの楠

弘安4年蒙古襲来に当たり通有は神社に参籠祈願し、三島水軍を率いて筑前に進発し、神社の神使白鷺の導きにより勝利を得ました。
その出陣の際、兜を掛けたと伝えられています。樹は横たわっていました。

◆鶴姫銅像

大山祗神の大宮司である大祝安用の娘。周防の大内義隆が攻めてきたとき16歳で陣代として出陣し勝利。
先立った兄や恋人への想いなど晴らし水軍の守護神として鶴姫伝説が語り継がれいますが、18歳の若さで亡くなったそうです。
◆宝物館は時間がなく見学しませんでしたが、国宝や重要文化財に指定されている兜、鎧、刀など展示されているそうです。
  神社の住所は愛媛県今治市大三島宮浦 (JR予讃線今治駅から瀬戸内海交通急行から大三三島行きバス1時間)

万田酵素工場見学(因島)

瀬戸内海のほぼ中央に位置する因島にあり広大の敷地に発酵棟、試験農場があります。
果実・穀類など53種類以上の原料を3年3ヶ月以上じっくり発酵・熟成した食品を分かりやすく説明していただきました。
試験農場では植物が色も良く大きく育っていて、夫は説明を熱心に聞いて液体肥料を購入して今使用しています。
休憩中はスイカをご馳走になり美味しくて暑さのなかの至福のひと時でした。

ジェラード専門店ドルチェ(生口島)

道路挟んで瀬戸内海を眺めながら地元で作られたフルーツを使った美味しいジェラートを食べながら休憩。
雨粒が落ちてきて写真は暗い感じですが、晴れた日には澄んだ海と空が素晴らしいでしょう。

千光寺公園(尾道)

標高144,2mの千光寺の山頂から中腹に広がる公園には「文学のこみち」があり
花崗岩の岩肌にこの地を訪れた文人の俳句、和歌、詩など丁寧に読みながら写真を撮りました。

文人の碑
徳富蘇峰 前田曙山 正岡子規 物外 十返舎一九 金田一京介 江見水蔭 志賀直哉 林芙美子 緒方洪庵 巖谷小波 山口玄洞
山口誓子 柳原白蓮 河東碧梧桐 竹田・竹下・伯秀 松尾芭蕉 中村健吉 俚謡 古歌 小杉放庵 菅茶山 陣幕久五郎 頼山陽 

展望台・千光寺の本堂で尾道水道を望む
 


最後に赤堂と呼ばれる千光寺の本堂で仏像にお線香を供え拝んできました。
本堂行く途中にやさしいお顔をした仏像と可愛いお地蔵さんに出会い、その傍の岩に柳原白連の歌
《ちヽ母の聲かときこゆ瀬戸内海にみ寺の鐘のなりひびくとき》と彫ってありました。
1時間の観光では見落としも多く次はのんびり尾道全体の「小寺めぐり」「おのみち文学の館」などを訪れたいと思いました。

帰りのバスの中から撮影

神話のふるさと奥出雲に近づくと緑色に輝く棚田がとっても綺麗でした。

      
その後夕日が素晴らしくずっと見ながら感嘆 無事1日が終わりました。

牛の放牧

2015-07-08 10:44:07 | Weblog
島根県立農業大学校牛

  
7月5日(日)島根県立農業大学校で『第31回農業祭』が開催されたました。
毎年学生さんが育てた野菜、花、果物、乾シイタケ、牛肉ジャムなど販売、模擬店などもあり、
人気が高く長蛇の列で早めに出かけた積りでも駐車場は満杯で臨時駐車場に車を入れました。
近くに畜産実習場があり小高い山に牛が放牧されて写真を撮ることができました。
放牧された牛はのんびり枯草を食べたりしてのどかな風景です。
牛舎の牛は人に懐っこくてそばに寄って来てくれました。学生さんが大切に育てているのでしょうね

三瓶山西の原牛
   
帰りは三瓶山の放牧も見たいと思って西の原に行ってきました。(西の原では春から秋にかけて牛の放牧が行われます)
牛たちは日差しを避け木陰で休んでいましたが、子牛を連れた牛の家族は子牛を優しく見守っていました。
子牛は初めて見ましたがバンビーみたいに可愛くてずっと見ていても飽きません。(東の原にも放牧場があります)
放牧は自然の新鮮な空気、豊富な日光、牧草に恵まれ、十分な運動も出来るので抵抗力を養う効果が大きいそうです。

三瓶山西の原
  


男三瓶と子三瓶のすそから緩やかなスロープを描いて広がる西の原草原は三瓶山を代表する景観です。
今は草原が一面に萌黄色に広がり、薄い青空と白い雲、深緑の山のコントラストが美しく駐車場の傍に
可愛く咲いてる黄色の花も美しさを添えていました。その花はセイヨウタンポポかしら?
西の原は四季折々の変化や行事を楽しむことが出来ます。
春は(3月)野焼き 夏(8月)クロスカントリー大会が開催されます。


2015年三瓶高原クロスカントリー大会について
開催日  平成27年8月23日(日)
申し込み 7月10日(金)まで(消印は9日有効)
内容は大田市の公式サイトで調べると分かります。

カタツムリ

2015-06-25 14:42:43 | Weblog
   うすら梅(小梅)


                            カタツムリ
   
   
梅雨入り前の5月末の晴れた日、畑にゆすら梅を採りに行きましたら、傍にあるミカンの樹にカタツムリがいました。
さっそくカメラのシャッタを切るとその音で殻に入ってしまいました。
待っている間「かたつむり」の唱歌のように
1、 でんでん虫々かたつむり、お前の頭はどこにある角出せやり出せ頭だせ。
2、 でんでん虫々かたつむり、お前の目玉はどこにある角出せやり出せ目玉出せ。
の心境になりましたが10分ぐらいすると頭を出し、大触覚(後触覚の先端に眼があります)
小触覚、腹足など観察して自宅に帰ってから調べました。

カタツムリの体の図
殻、肝臓、肺、肛門、呼吸孔、脳神経節、唾液腺導管、口、食道、唾液腺、生殖孔、陰茎、膣、粘液、輸卵管、矢嚢
胃、腎臓、外陰膜、心臓、輸精管が説明してあり生きもの素晴らしさを再確認しました。
カタツムリは種類が多く名前を調べましたが、写真のカタツムリはセトウチマイマイ(瀬戸内蝸牛)だと思います。

セトウチマイマイ分類
界:動物界  門:軟体動物  網:腹足網  目:有肺目
亜目:真有肺亜目  下目:柄目下目  上科:マイマイ上下
科:オナジマイマイ科  属:セトウチマイマイ
分布は本州(中国地方)、四国、九州
生息場所は樹上性
成貝は30㎜位の中型です。螺塔は低く円盤形に近い、殻表は光沢があり、殻の上面に細かい火炎彩が出て色帯もあります。
殻の巻き方は右巻きです。
軟体部の背中には一本の黒帯が通っていました。カタツムリは様々の模様があって名前を判断するのが難しいですね。

                            紫陽花
  
かたつむりは雨露に濡れた紫陽花が良く似合います。
梅雨のイラストで多く見かける作品は紫陽花とカタツムリ、青ガエルです。我が家の庭の紫陽花の葉に止まってくればと願っています。

てんぷらの材料

2015-05-22 16:11:09 | Weblog
早春から初夏にかけて田舎は若葉から新緑、深緑と変化が楽しめる一番美しい季節です。
そして、てんぷらの材料は山、畑、土手、庭から摘んで楽しみ、新鮮なめずらしい山菜が堪能できます。
フキノトウから始まりタラの芽、うど、スギナ、ヨモギ、ユキノシタ、柿の芽、タケノコを賞味しました。

◆ふきのとう
フキはキク科の多年草で、地下茎になった横に伸びます。蕾を使いますが苦みが美味しい。

◆タラノキ
 
ウコギ科の落葉低木。3年前植えた樹が2m位になり、その後挿し木で増やした樹が1m前後になりました。
桜が咲き始めるころ新芽を採りてんぷらにしましたが天然ものは歯ごたえがあって良いです。
畑は夫が趣味でしているので私はあまり畑に行きませんが、今日写真撮りに行きウドとタラノキを
間違えていたことに気が付きました。
タラノキの若葉を採取して油で揚げましたら少し苦みがあり、食用するには新芽を使うことです。

◆ウド

最近、畑に植えている山ウドの若葉をてんぷらにしました。スープ、みそ汁の色取りにも使用します。
茎は緑ですが皮が固く厚いので剥かなくてはなりません。マヨネーズをつけて食べ、ワカメとあさりといっしょに
味噌和えも作ります。
東京のスーパーでは軟白栽培(地下で株に土を盛り暗闇にの中で栽培)が販売されて良く買って料理をしていました。
アクは余りありません。

◆スギナ
 
シダ植物門トクサ科
トクサ科では最も小柄で、地下茎を伸ばして良く繁茂し、生育には湿気の多いい土壌が適して畑にも生え難防除雑草。
我が家は田んぼを畑にしてから生え、雑草取りに追われていますが別名「地獄草」と言っている意味が分かりました。
てんぷらにするのは栄養茎をスギナと呼び、鮮やかな緑色で丈は10cm位のときに採り、揚げるとパッと広がり
サクサクしてとても美味しいです。
胞子茎をツクシ(土筆)と呼び佃煮にします。

◆ヨモギ
 
キク科の多年草。地下茎はやや横に這い集団を作って、茎は立ち上がり、やや木質化します。
葉は大きく裂け、裏面には白い毛が密生。
初めて庭で見たとき菊の花だと思いましたら裏をみて違いが分かりました。
葉があまり硬くならない4月頃が良く畑から採りました。
てんぷらの衣は裏面だけ付けて揚げます。特有の香りが大好きです。
新芽は茹でて草餅、草団子するため葉が柔らかい時期に茹でて冷凍にしております。

◆ユキノシタ
 
ユキノシタ科は双子葉植物に属します。花は両性花で放射相称または左右相称、花弁は4枚または5枚
雄蕊はその2倍あります。多年草の植物ですが、温帯から寒帯に分布し草全体が紅紫色の毛でおおわれ、
湿った場所に群生しています。いつも裏庭の山の下で山菜採りです。
初夏に白い花を咲かせ今丁度きれいに咲いている所です。
最近鑑賞用に花屋さんで見かけたこともあります。

 
てんぷら材料は傷ついていない柔らかい葉を選び、衣は裏面につけて低温の油であげましょう。
初めて食べたとき美味しさにびっくりして最近は良く作ります。

◆柿の新芽
 近所の人に教わりましたが、柿木の柔らかい新芽のとき採り2,3枚一緒に衣を全体につけて揚げます。
風味はあまりありませんが、きれいな色が食器に映えます。

◆タケノコ

孟宗竹が終わり、今は細長いハチク(淡竹)が採れはじめ早速てんぷらに揚げました。
ハチクは地下茎が浅くすぐ地面に出てきます。赤身を帯びた皮にはつるとして産毛はほとんどなく
エグミ、アクが強くないので水で茹でて冷めるまでそのままにし、完全に冷めてから水を取り替えて
一晩水にさらしておきます。
てんぷらには穂先を揚げると軟らかく、盛り付けのとき後ろに斜めに置くと纏まりが良いです。
ハチクは茹でて切って冷凍にすると冬になっても料理ができて便利です。

川端康成と東山魁夷展 

2015-05-05 16:19:06 | Weblog
 
ロビーで撮影          美術館案内板のポスター

「巨匠が愛した美の世界」と題して島根県立美術館で3月20日(金)~5月10日(日)まで開催
美術に造詣があった文学者川端康成が収集した国宝3点を含む珠玉の名品と同時に川端康成と
深い交流があった人気画家東山魁夷絵画、コレクションの古美術から現代までの幅広い作品が約200点展示
文豪と画家の美の世界を一度に鑑賞できた喜びと文学、芸術の奥深さに誘われて再度美術館へ出かけました。

人物紹介
●川端康成(1899~1972年)
大阪生まれ、2歳で父、3歳で母、7歳で祖母を大阪茂木中学校在学中の15歳で祖父とも死別
東京帝国大学文学部英文科に入学、のちに国文科に転科し卒業
「文藝時代」を創刊し、新感覚派の代表作家として活躍。
1948年 日本ペンクラブ会長に就任
1961年 文化勲章
1968年 日本初のノーベル文学賞を受賞
1972年 72歳自死
代表作
「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「山の音」「眠れる美女」「古都」などが日本の美を表現。

●東山魁夷(1908年~1999年)
横浜市生まれ、3歳~18歳神戸で過ごす。
東京美術学校日本画科に入学、在学中に帝展に初入選
1933年~35年ドイツに留学。ベルリン大学で美術史を学ぶ。
1969年(昭和44年) 新宮殿の大壁画「朝明けの潮」の制作ならびに「京洛四季」展により毎日芸術大賞を受賞
1969年文化勲章受賞
代表作
「残照」(日展特選) 「道」「光昏」「北欧風景」
唐招提寺壁画「濤声」「山雲」「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」
鑑真和上像厨子絵「瑞光」
澄んだ色調の風景画は人気が高い。

出品展示品

第1章 文豪川端康成(所蔵公益財団法人川端康成記念館)
●『秋野の野に』川端康成「書」東山魁夷「画」
 ノーベル文学賞のとき東山魁夷がお祝い駆けつけたとき、川端康成は「秋乃野に鈴鳴羅し行く人見えず」と筆を執り
後日贈った書に東山はこの書を二曲屏風に仕立て裏に秋の野を描いて川端記念館に寄贈しました。
川端康成の書を初めて観ましたが魅力的な書に驚き、東山魁夷の銀粉を使った優しい画が印象的でした。
●文化勲章  「七宝」デザイン畑正吉
●ノーベル文学賞メダル「金」作者エリック・リンドベル 
 ノーベル文学賞状 羊皮紙製 作者ケルスティン・ティニ・ミウラ
 デザインは小説「千羽鶴」の東山魁夷装幀(ドイツ語版)をヒントにしたと思われるそうです
●挿絵原画 『伊豆の踊子』木村宗八 志野『千羽鶴』杉山寧 
●表紙画画帖『川端康成全集』安田靫彦 
●千羽鶴装幀原画『双鶴図』『四鶴飛翔図』小林古径 『舞姫』岡鹿之助 『山の音』山本丘人 
●『抒情歌』高井貞二 『ハワイ絵日記』平山郁夫
●川端康成原稿『日本文学の美』『ほろびぬ美』『美の存在と発見・続』
川端康成の愛用品 川端康成の自画像 。挿絵、装幀は有名画家ばかりでした。
特に安田靫彦の作品は今まで展覧会では歴史上人物などの大作ばかりを観ていましたので、
柔らかい色彩で描かれた表紙画画帖がめずらしく楽しみました。

第2章 川端康成と東山魁夷交流の軌跡
■(公益財団法人川端康成記念会)所蔵
●川端康成宛て東山魁夷書簡
●東山魁夷作 
「北山初雪」「マリアの壁」「風」
(習作)「静宵」「冬の花」 「月影」東山魁夷
「雪降る」川端康成作品選(装幀原画)
 東山魁夷 (スケッチ)「ストックホルムグランドホテルより」 「晩鐘フライブルク」「車窓」
黒田辰秋作黒田辰秋作(拭漆虔栗楕円盆) 
■東山家所蔵
東山魁夷宛て川端泰成書簡(東山家)
川端康成作 「山上林下人」「風景常氏新」(紙本墨書)
東山魁夷作「北山杉の秋」(習作) 
 京の春『古都』京の秋『古都』(挿絵原画) 樹根(小下図)
「山湖静」「フレデルク城を望む」(個人蔵)
第2章の中で一番良かったのは東山魁夷からノーベル文化賞のお祝いに贈呈された「北山初雪」です。
川端康成の作品「古都」の最終章の景色です。北の山杉がうっすらと雪に蔽われて、陽の当たる山の斜面は、
梢に丸く残された葉の繁みが粉をふりかけたように白くなって重なり並び、その間を真すぐな幹の列が
明暗の縞模様に描いて連なり、片側の陰になった暗い谷は伐採された斜面だけが白くなり、
立ち並ぶ杉の繁みを錆群青の深い色に沈めてその上に置く雪を青海のあるグレーに見せた風景だそうです。
風景画の静寂の中に美しさを感じました。

第三章 響きあう美川端康成コレクションと東山魁夷コレクション
■川端康成コレクション
 ●埴輪『乙女頭部』古墳時代(5-6世紀)素焼き
   ほのぼのとまどかに愛らしく、均整、優美の埴輪です。
   傍にあった縄文時代晩期の土偶「女子」ハアト型の顔も面白く横から後ろからでも鑑賞が出来ます。

 ●オーギュスト・ロダン 『女の手』ブロンズ
  女性の左手ですが親指だけは真直ぐ伸ばし、残りの四本の指は少し曲げています。  
   ロダンと言えば「考える」を思い出しますが、人体の小部分を切り離したものだけにどこから見ても象徴的です。

 ●『聖徳太子立像』鎌倉時代(13-14世紀)木造彩色玉眼
   聖徳太子の手を合わせている姿の幼像は少ないそうですが やわらかさ、やさしさ、幼さが可愛くて手を合わせたくなる像です。

 ●アフガニスタンハッダ仏頭(3-5世紀)朔像
  一見してもギリシャ風を残し、インドのガンダアラ風を加えていますが古代の東西文化交流のシンボルです。
  石造でなく朔像なのが珍しいそうです。

 ●【国宝】『十便十宜図』(じゅうべんじゅうぎ)池大雅 与謝蕪村 1771(明和8年)紙本墨画淡彩
   江戸時代中期の文人画家池大雅と与謝蕪村の合作として有名。十便図を大雅、十宜図は蕪村が描きました。
   内容は明末清初の文人で劇作家の李笠翁の詩にもとづき。十便詩は山中の営みの良さを
   十宜図は季節、時間天候の変化による楽しみを描いています。
 ●【国宝】浦上玉堂凍雲篩雪図 江戸時代後期(19世紀初期)紙本墨画淡彩
  浦上玉堂は岡山支藩の生まれで琴の名手。50歳で脱藩して漂流を重ねた。この作品は玉堂の最高傑作と言われています。
  凍ったような曇天から篩にかけたような細かい雪が舞う様子が描かれています。玉堂は筆運びや筆圧による墨の調子、
  また渇筆や擦筆を用いるのが特徴だそうです。この作品は大気の湿潤や微光の移ろいを描き出すため、
  墨色の濃淡や階調によっても遠近感や物の量感を表現し、点じられた代赭の粉末などじっくり鑑賞すると良さが
  少しずつ分かるよう気がします。

 ●小林一茶『うつくしや』江戸時代後期(19世紀初期)紙本墨書・書画 ●黒田辰秋『拭漆栃手箱』1968(昭和43年)木製漆塗
 ●古賀春江『公園のエピソード』1933年(昭和8年)紙・水彩 ●永井荷風『築地草』1915年(大正4年)紙本墨書・淡彩
 ●草間彌生『不知火」1955年(昭和28年)紙・パステル・グワッシュ・インク
 ●川端康成宛の文人たちの書簡
  菊池寛 谷崎潤一郎 横光利一 林芙美子 坂口安吾 岡本かの子 太宰治 三島由紀夫 瀬戸内寂聴
  川端康成と親しく交わった人々との関係を如実に物語った記録の集大成として価値のあるものです。
 ●伊藤初代宛て川端康成書簡(未投函)桜井靖郎所蔵
  伊藤初代と婚約するも一法的に破約されて、失恋の心は長く尾を引き、初期の様々な作品に生かされた人物への手紙です。
 ●川端康成と伊藤初代の婚約時に第一高等学校からの友人三明永無と3人で撮影した写真
  1921(大正10年)瑞泉寺所蔵(大田市温泉津町)三明永無は島根県の人で親しみを感じました。

■東山家コレクション
 ●エジプト プトレマイオス王朝時代(紀元前3世紀) 『石碑断片』石、 『彩色板絵』木、彩色
 ●ローマ 『梨型細瓶』(1-2世紀)ガラス ●ギリシャ 黒像式レキュトス(紀元前6世紀)陶器
 ●ペルシャ 『青釉碗』(13世紀)陶器 ●朝鮮『高句麗剣把頭』銅製鍍金 新羅時代(6世紀)
 ●中国『饕餮文銅器』殷時代(紀元前14-11世紀) 『加彩馬頭』漢時代(紀元前3-3世紀)
  正徳官窯 『青龍文中皿』陶器 明時代(14-17世紀)
  古代エジプト、古代ギリシャ、中国、朝鮮、石碑や壺、銅器など出土品と思われるものなどは
  あまり見る機会がないのでゆっくり鑑賞しました。上京した時には東京国立博物館に行きたくなりました。
  石濤『清湘老人山水画冊』1691(庚熙30年)紙本墨画・淡彩

 ●伝俵屋宗達『伊勢物語図色紙」江戸時代前期(17世紀)紙本彩色
 ●紺紙本金泥法華経(伝中尊寺経)平安時代後期(11-12世紀)紺紙本金泥書
 ●陶器 伝尾形乾山『梅の絵茶碗』江戸時代中期 北大路魯山人『菓子鉢』 岡部嶺男『鼠志野茶碗』
  楠部彌弌『彩埏 山帰来香炉』茶入名『村時雨』(蓋裏 和歌松平不昧筆)
  お茶を楽しむ東山魁夷は茶道具が多く深みのあるお茶碗を多く拝見できました。
 
 ●エミール・ガレー『色硝子果実文調水差・水盃』 ガラス
  アール・ヌーボーの代表的作家エミール・ガレー作品を久しぶりに観て美術館でガラス工芸を鑑賞したくなりました。

第4章 東山魁夷の風景画
 ●習作 『川の畔り』『山峡飛雪』『木枯らし舞う』『樹氷』
 ●『月出づ』所蔵山種美術館
  長野志賀高原での取材であって白樺の山の斜面が前面を対角線で截(きり)その中央のところで、
  後方の樅の山の稜線が弧を描いて交叉する。樅の山から丸い大きな月が出る風景である。樅の山の濃郡緑青、
  白樺の山の芽吹きの若葉との対照、日本的なにおいが漲(みなぎ)る作品(米寿記念 東山魁夷展図録より抜粋)

 ●『潮音』所蔵東郷青記念 損保ジャパン日本興亜美術館
  風景を静止したように切りとる東山スタイルには珍しく、自然の一部分を動的にとらえています。
  不動の岩礁と絶えず変化する潮の対比を、色彩や波を作り出す表情を丹念に描き分けることで表現しています。
  写生は島根県益田市戸田小浜で描かれ、作品になったそうです。
  列車から良く眺める日本海は岩にぶつかる荒波の力と泡の美しさはいつ見ても飽きません。身近に感ずる作品です。

  ●『狭霧晴れ行く』島根県立美術館寄託

 『米寿記念東山魁夷展』を日本橋高島屋で鑑賞していましたので、今回の展覧会で、青の世界、紅葉の世界、雪の白い世界
  月の陰翳世界、雲烟世界をゆっくり鑑賞でき、東山魁夷の作品にあえて今回の企画に大満足です。


「巨匠の眼」川端康成と東山魁夷(ミュージアムショップで販売)
美を愛して止まらない川端の美術コレクションや国民画家東山魁夷の作品、川端と東山の往復書簡、
東山の美術コレクション、「川端文学フォト・エッセイ川端康成という森」(作者水原園博)など川端の文学にまつわる
貴重なエピソードなど充実度の高い本です。
どこからでも読んでも楽しめる本ですが、最初に読んだページはノーベル賞文学賞受賞のときの記念講演「美しい日本の私」
その序説です。不朽の名文をと言われていますが改めて日本の美しさを再認識しました。
 
 (DVDの上映(美術館ロビー)
新発見された貴重なカラー映像と川端康成のコレクションを紹介しています。
ノーベル文学賞受賞会見のお祝いに駆け付けた若き日の三島由紀夫、石原慎太郎などが映っていました。


                   宍道湖の風景
   

オモト

2015-04-10 15:09:12 | Weblog

観葉植物がほしくて園芸店に行きましたらめずらしい万年青(オモト)があって購入しました。
万年青は古典園芸植物で歴史は400年以上と言われています。
品種も1000種類を超えて、お祝い事などによく使われる吉草・長寿草として愛され親しまれています。
厳寒にも強く室内の緑の装飾として人気が高い植物だそうで、玄関に飾っていると皆さんが
「素敵ね!」とおっしゃいます。
購入した万年青は特殊栽培でさらに鮮明な斑入となるように人造斑入したものです。

◆斑について
 斑(ふ)のない緑一色の個体を青と言い
 斑は葉や茎の葉緑素が部分的に失われ、白や黄色に変色したもの

◆斑の入り方
 覆輪(ふくりん)《葉の外側に斑があるということで外斑とも言う》
 葉を縁取るように入る斑
 葉の縁に白、黄色、の斑が入るもの
 葉の周辺に斑入りになった状態
 斑の入り方で、葉の周辺部を斑が囲み、中央部は地の緑色
 斑の面積が狭いもの(覆輪の幅の狭いもの)を糸覆輪
 斑の面積が広いものを大覆輪

手入れ方法
◎直射日光、室外はさけます。
◎潅水 夏は1~2日おき、冬は5~7日おきにコップ1~2杯ぐらい与えます。
◎肥料 4月、6月、8月に暖効性化学肥料(大粒)を4~5個を与えます。

自宅で育てている万年青
 
冬は玄関に置き、ときどきは庭に出して直射日光をさけ日陰に置くこともあります。
大株になったので桜の花が咲く今頃に2,3株に分けて今年は手入れをして
冬に赤くなった実を鑑賞したいと思っています。

山陰道仁摩・温泉津道路全線開通記念プレイベント

2015-03-22 16:18:18 | Weblog

山陰道仁万・温泉津道路全線(5.9キロ)が3月14日開通する前の3月8日(日)に記念イベントがあり
夫と義姉と一緒に行ってきました。
主会場は仁摩・石見銀山IC周辺で行われ、家族連や友人と楽しむ人
また広島、松江からの観光客など2000人の人出があったそうで盛大でした。

ステージエリアでは
 ●石見銀山天領太鼓演奏 
 ●仁摩地区地域活性化シンボルキャラクター「にまちょう琴音ちゃん」誕生披露
 ●ゆるキャラ紹介(らとちゃん、テンピー、人麻呂くんとよさみ姫、みさ坊、えごはちゃん、
  オオナン・ショウ、タキシードマウス
 ●邑南町マスコットキャラクター「オオナン・ショウ」ショー
 ●宅野神楽がありました。
  らとちゃん、にまちょう琴音ちゃんを傍で撮影ができました。マスコットキャラクターは可愛いですね

   
にまちょう琴音ちゃん(仁摩町)  らとちゃん(大田市)

ロードエリアでは
仁摩・石見銀山⇔琴ケ浜第一高架橋(往復約4キロ)までウォーキングでき、鳴り砂「琴ヶ浜」が一望できるスポットで
撮影をしました。
馬路の風景は海と国道9号線、JRが一度で観ることができ、青空に薄く広がった雲と水平線が素晴らしく
反対側は山がそびえ新緑の頃はまた一つ美しさが増えることでしょう!

 

 
仁摩町、琴ヶ浜                      高山

テント村エリアでは
飲食コーナー、物品販売、仁摩名物「つみれ汁」が無料配布されました。
つみれ汁のお出汁はミンチだけで作られ、評判が良くて長蛇の列が続き皆さんは堪能されたそうです。
私も今度作ってみたいと思っています。

 らとちゃんについて
石見銀山が世界遺産なって5周年事業のマスコットキャラクターとして活躍しました。
その後、大田市のキャタクターとしてイベント会場などで盛り上げたり、
キャタクター商品が販売もされておしゃれなTシャツ、木工人形などもあります。
らとちゃんの姿は頭に付けている螺灯(らとう)と鉱夫の衣装がモチーフです。
螺灯はかって石見銀山の間歩(坑道)でも使われました。サザエの殻に油を入れて火を灯す明かりのことです。


(2年前購入した人形です)



ロウバイ(蝋梅)

2015-01-27 17:04:40 | Weblog
 
我が家の蝋梅          近所の蝋梅 

月日の経つのは早く今年も梅の可愛い蕾がちらほら咲き始めました。
庭に出るとロウバイが12月末ごろから黄色の花を咲かせ香り高く漂っています。
10年前に植えた低木ですが花びらは蝋細工のように艶があります。
近所には2m位のロウバイがあり散歩のときいつも楽しませていただいています。

毎年1月は美容院に行き新春の活け花を楽しんでいますが、
今年は現代風の壺に華やかな大王松と奔放な線の蝋梅と山茶花が一輪添えてあって
春の兆しを感じ、今年も元気に心豊かに過ごしたいと思いました。


江戸時代初期に中国から渡来した蝋梅は、中国では「雪中の四花」として尊ばれているそうです。
雪中四花は蝋梅、梅、山茶花、水仙です。