自然を愛して

田舎暮らし

横須賀港

2015-12-24 16:04:38 | Weblog
横須賀港は神奈川県横須賀市に寛永6年(1853年)アメリカのペリー艦隊の黒船が浦賀に来航して以来横須賀製鉄所
海軍工廠、軍港として発展を遂げた所ですが、末っ子が日曜日に「横須賀の軍港めぐり」に誘ってくれました。
現在は在日アメリカ海軍基地、海上自衛隊の艦隊司令部が置かれていて横須賀基地は長浦港に隣接し在日米海軍司令部や
極東海軍施設部隊が置かれています。
第7艦隊に属する原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」揚陸指揮艦ブルー・リッツ、イージスシステムを搭載したミサイル巡洋艦
ミサイル駆逐艦(イージス艦)と言った軍艦が事実上の母港としているそうです。当日は出航していて観ることができませんでした。
出掛けた日は11月1日「自衛隊記念日」で人出も多く「YOKOSUKA軍港めぐり」の汐入ターミナルには並んで待つぐらいでした。
案内人が海上自衛隊やアメリカ海軍の基地に停泊している艦船の種類、名前、役割など分かりやすく説明して下さいました。

艦船には艦番号と名前が付いていること。
「自衛隊記念日」には艦隊に満艦飾が国際信号旗をつなぎ合わせ艦首からマスト、艦尾まで揚げて装飾されること。
実際に珍しいものを見て艦船の美しさを感じました。
そして停泊している艦船はその時によって違いますので、また訪れるのも良いみたいです。
クリスマス頃には艦船がライトアップされ、2016年の年明けには鮮やかな花火が打ち上げられて見事だそうです。

≪停泊していた艦船≫


いずも(DDH-183)
海上自衛隊の護衛艦(横須賀へ配属)
艦名は令制国の出雲に由来し、旧海軍の出雲型装甲巡洋艦「出雲」に続き二代目で
海上自衛隊の護衛艦としては初代です。
2015年現在海上自衛隊では最大の艦艇。19,500トンがあり、航空運用機能、揚陸輸送機能、補給機能、病院船機能があり
ヘリコプター搭載護衛艦としてジャパン マリユナイテッド横浜事業所磯子工場で2012に起工。2015年就役。


しらせ(AGB-5003)
南極観測船第二代
文部科学省国立極地研究所の南極地域南極観測隊の輸送・研究任務のために建造。
艦の運用は海上自衛隊により行われています。
砕氷能力を向上させた独特の局面形状の艦首や朔氷補助設備として船首散水装置など改良。
観測船はオレンジと白がマッチして良く目立ちました。今は11月16日に出港しましたので今は横須賀港では観ることができません。


潜水艦
潜水艦隊司令部(横須賀基地船越地区)
第2潜水隊群(横須賀基地楠ヶ浦地区)
横須賀潜水訓練分貴隊(横須賀基地楠ヶ浦地区)
アメリカ軍基地の港に停泊していました。
黒いクジラのような艦から煙を出している様がとても珍しいく思いました。


横須賀海軍施設乾ドック
基地内には大型艦船用ドックがあり、各艦艇の日々の点検、修理業務には横須賀基地内で行われています。


海洋観測艦
5104(わかさ) 5104(にちなん)


汎用護衛艦(DD)
107(いかづち) 129(やまゆき)

ヴェルニー公園
JR横須賀駅で降り、海岸線に沿って広がるヴェルニー公園。艦船と色とりどりのバラを観ながら、
汐入ターミナルに行き「横須賀軍港めぐりに」乗船しました。
フランス式庭園には赤いバラ、黄色のバラ、ピンクのバラ、つるバラ、白バラなどがありました。
バラの観賞は5月下旬と10月中旬に「バラまつり」がありますのでその時期が一番良いのではないでしょうか。


  


日本初の南極船
日本初の南極船「宗谷」は昭和31年から37年(6次)まで観測船として活躍しました。
その後昭和53年に退役するまでは海上保安庁巡視船として活躍、昭和54年から
船の科学館(東京都江東区青海1丁目)前に停留され永久保存として展示されています。
宗谷は昭和13年耐氷型貨物船として建造され、太平洋戦争を経験。
その後引き上げ船、灯台補給船として使用された船です。
子供が小学生の時いとこ達と一緒に船の科学館に行って、見学したり遊んだことは遠い想い出となりした。
           

東京の夕焼け空

2015-12-16 20:57:08 | Weblog





夕焼けは日没の頃、西の地平線に近い空から赤く見える現象を言います。
空や山々を赤く染めあげて美しいものですが、あっという間に終わり
見とれているとカメラチャンスを逃してしまいます。
10月から11月に東京に居ましたのでその時写したものです。
東京の郊外ですが空気もきれいで隣の県は神奈川県です。良く晴れたときは
遠くの大山(おおやま)が見えることもあります。
私の好きな夕焼けは島根県立美術館から見る夕日です。
嫁が島がある宍道湖の夕日は素晴らしく屋上展望テラスがありますが、西側の屋外に出て芝生から眺めます。

霧のかかった空

朝目覚めたとき、窓ガラス越に見るといつもの景色がなく空は霧にすっぽり包まれて視界ゼロでした。
時間が経ってから雲の間から少しずつ丹沢の山並みが見え始めとても神秘的でした。
霧の発生は「放射霧」と言って放射冷却で地表付近の水分が冷やされる際に起きたためだそうです。

北海道旅行 函館山と五稜郭

2015-12-09 15:04:51 | Weblog
函館山と砲台跡(北海道遺産)
   
函館山(標高334m、周囲9m)行き方は市電十字街徒歩約10分の函館山麓駅から
山頂を結びロープウェイがありますが、私たちが訪れたときは整備点検のため営業中止で車で登りました。
ロープウェイは津軽海峡を背にして登って行くそうです。
函館山は市街地西端にある山で別名は臥牛山(がぎゅうざん)とも言います。
津軽海峡につきでた断崖上にあるため展望が良く、天気の良い日には下北半島を望む事が出来ます。
頂上の展望台から見る景観は両側を海に挟まれた独特の地形を生み出し素晴らしい
函館港、緑の島、摩周丸、市街地にはJR函館駅、その先に五稜郭タワーも望めます。
夜の観光は車の交通規制(タクシーは可能)があるためホテルから夜の観光バスに乗って出かけました。
雨が少々降っていましたが、溢れるばかりの光を見渡せ素晴らしくバスの中では感嘆の声が響いていました。
傘をさして展望台まで行くとまた格別でドラマチックで神秘的でした。
夜景の美しさをガイドの方が教えて下さいましたが、函館の夜景は秋と冬が一番きれいで
世界三大夜景(北海道「函館山」、香港「ビクトリアピーク」、ナポリ「ポジリポの丘」
日本三大夜景(函館山、神戸の摩邪山の掬星山、長崎の稲佐山)だそうです。皆さんも納得できるでしょう!

函館青函連絡船記念館摩周丸  函館市若松町
 
北海道南端(道南)と本州北端(青森県)の日本海と太平洋とを結ぶ津軽海峡(東西約130km)を
1965年(昭和40年)に就航、1988年(昭和63年)まで運航。
青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に
係留・保存して公開しています。
船室は見学をしませんでしたが、「船の歴史としくみの解説」を伝えているそうです。
岸壁は函館朝市から近くて、蟹の注文してから船の外見だけ見に行きました。
地元の人が「写真は舳先から写すと良いですよ。」と教えていただき撮影しましたが
澄みきった青空と碧い海に白と青色の船体のコントラストが良く好きな景色の写真になりました。

五稜郭タワー

幕末の見果てぬ夢の象徴の五稜郭は展望台から見渡すと函館山や津軽海峡、特別史跡五稜郭の全体が眺望できます。
◎展望1階はゆっくりくつろぎながら五稜郭の星形の展望を楽しむ空間になっていて、カフェスタンドや売店があります。
 歴史上の人物土方歳三のブロンズ立像が置かれていました。

土方歳三

 近藤勇と尊王攘夷のあらしが吹き荒れる京都で新撰組を結成。
 「池田屋」などの討幕派浪士を取り締まり、「鬼の副隊長」として統率していましたが、
 鳥羽伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでの敗北。新撰組局長の近藤勇が処刑された後も宇都宮、会津と戦い
 榎本武場率いる旧幕府艦隊に仙台で合流し蝦夷地に渡りました。
 五稜郭を本拠地とした旧幕府軍による暫定政権、蝦夷共和国では陸軍奉行並・函館市中取締りの要職を務めた。
 明治2年(1869年)新政府軍による攻撃に自ら最前線で兵を励まし奪戦し、敵を撃退したが
 明治2年5月新政府の総攻撃により孤立友軍を援護するために出撃しましたが、一本関で銃撃を受け35年の生涯を閉じました。

◎展望2階
 五稜郭の迫力満点の展望台と五稜郭の歴史を学べるスペースです。
 グラフィック展示「五稜郭物語」は、ペリー来航から始まる歴史を年表や絵図面で分かりやすく紹介。
 「メモリアポール」では情景模型があって、子供たちも説明を読みながら歴史に興味持つことでしょう。

「箱館総攻撃」
 箱館山の裏側から絶壁を登って表われ新政府軍の奇襲隊の様子。
「戦時下の赤十字精神」

 新政府の一隊が、脱走軍の箱館病院にも突入。病院長(高松凌雲)は怪我人や病人を助けるため赤十字精神を敵に訴えた。

箱館奉行所

 五稜郭内には箱館奉行所を中心に20数棟の付属建物などがあったことが発掘調査を始め、古写真や
 文献資料・古図面などの調査で分かりました。それを基に箱館奉行所は2006年(平成18年)に工事を開始
 史実に忠実な復元が進み、2010年(平成22年)に140年の時を超えて再現されました。
館内は、
再現ゾーン


 襖を開け放すと72畳の広さになる大広間や奉行の執務室があった表座敷は奉行所の中でも格式の高い部屋でした。
 中庭から見上げる太鼓橋は最も高く突き出ているのが5階部分、約16,5mの高さで港を監視するための役割がありました。
 ちょっと江戸にタイムスリップした感じでした。
歴史発見ゾーン
 幕末の箱館開港により設置された箱館奉行所と奉行所を守るために築造された五稜郭、戊辰戦争の最後の戦いとなった
 箱館戦争の歴史を解説。箱館戦争にかかわった人物も紹介していました。

映像シアター
 復元工事の様子をハイビジョン映像で紹介。専門職人による日本伝統建築の匠の素晴らしさに感服しました。
 建築復元ゾーンもありました。
発掘出土品「巴瓦」にはみつ葉葵紋
 「釘隠し」釘隠しは柱や釣り梁と長押が交差する部分に打った釘を隠すための化粧金具(復元工事使用品)
   
外観の屋根
 屋根瓦は建設当時のまだらな色相を再現するために越前山の赤系4色を用いられていました。
 他の復元された板倉と土蔵は売店と管理事務所として使用。

石垣

 大手口から入って左側に本塁の石垣には最上部に刎ね出しがあります。
 上から二段目の石が貼りだして積まれているため外部からの侵入を防ぐ構造になっています。
 函館山の麓の立待岬(たちまちみさき)から切り出した安山岩などが使用されています。
 珍しい石垣は子供が説明してくれました。
 北海道旅行は自然の風景の素晴らしさ、歴史、美術館、美味しい食物をたっぷり堪能しました。