自然を愛して

田舎暮らし

石見銀山の紅葉

2010-11-20 19:18:07 | Weblog
                       石見銀山公園
                
                公園の側に大田市観光協会(観光案内所)有
                遠方の山は仙の山(標高537m)と要害山(標高414m 山吹城跡)

                       銀山遊歩道(江戸時代の街道) 
 

       新切間歩近くの休憩所                         龍源寺間歩近く
      
銀山地区の新切間歩は銀山遊歩道、休憩所は新しい道路の側(両方から行ける)

石見銀山地区の間歩(坑道)は全部で約600あり、一般公開しているのは龍源寺間歩だけである。
龍源寺間歩の近くには佐毘売山神社(鉱山の神様)高橋家(山組頭の遣宅)がある。

                          五百羅漢 
                 
銀山で亡くなった人々を供養するため石窟に様々の表情している501体の羅漢像を安置。

                         町並み地区  
                
観世音寺の頂上から西性寺方面を眺める。

           城上神社                          井戸神社 
 
石見銀山資料館側                          大森代官所跡バス停の反対側に井戸神社
                                      石見の代官井戸平衛門が祭ってある。
                            
2007年世界遺産に登録された石見銀山は16世紀から環境に配慮し、人と自然が共生しながら銀生産を実現した遺跡と鉱山町(大森の町並み保全地区)です。
紅葉の美しさはあまり知られていませんが、自然が豊かなところで紅葉見物に今年は2回(11/13・11/19日)行ってきました。1回目は銀山遺跡、2回目は大森の町並みをゆっくり見物しました。1週間の間に落ち葉になったところ、ただいま紅葉の真盛り、これから楽しめる場所もあります。真赤な美しいもみじを眺めて楽しみ、落ち葉を踏みしめて楽しみ、黄緑、青緑の葉が自然にマッチして満喫できます。


河井寛次郎展                                     

2010-11-02 08:31:45 | Weblog
山陰が生んだ陶芸の巨匠 河井寛次郎生誕120年を記念した展覧会が各地で開催されています。

島根県では
島根県立美術館(松江市)《11月7日迄》―すべてのものは自分の表現-
国際展グランプリ受賞作品を中心とした寛次郎の代表作と共に棟方志功・濱田庄司ら交流作家の名品が集結!

和鋼博物館《11月23日迄》-歓喜(よろこび)の人―
京都・河井寛次郎記念館所蔵の作品から、陶芸ばかりでなく木彫や書など、寛次郎が目指した創作の世界を紹介

加納美術館(安来市)《11月23日迄》
ふるさと安来に伝わる河井寛次郎の陶芸作品を展示

県外では
日本民藝館(東京都目黒区駒場)《11月23日迄》
富山県水墨美術館《11/12~12/19》
毎日新聞社「河井寛次郎~生命の歓喜~」展
東京日本橋高島店《12/27~20011/1/17》
大阪高島店《2011/1/20~/1/31》
京都高島店《2011/4/20~/5/5》

島根県立美術館の企画展は(9月23日~11月7日)河井寛次郎の作品を一挙200点公開していますので楽しみに出かけました。
今までに河井寛次郎の作品は、大原美術館(倉敷)工芸館、足立美術館(安来市)常設展示室、島根県立美術館コレクション工芸室で
少々鑑賞していますので特徴はわかりますが、今回は河井寛次郎の多数の作品を判りやすく次のように分類して展示してありました。
1章 陶工への出発
   東京工業学校窯業科学を学び、卒業後は京都市陶磁器試験所に務め、青磁器釉5000種、辰砂釉3000種、天目釉2000種の
   釉薬の実験を行い釉薬の知識に精通した。
   試験場でマット釉の磁器や軟陶を、下宿で楽焼を作るなど様々な焼物を試み、図案及び応用作品展に出品する。
   試験場を退職後五代目清水六兵衛の顧問(2年間)になり釉の調合に携わった。

2章 河井陶芸の精華 川勝堅一コレクション
   1920年30歳のとき京都五条坂の清水六兵衛窯を購入し『鐘渓窯』と命名して作陶を開始する。
   1921年第1回創作陶磁展では、中国、朝鮮の古陶磁に倣った精巧な作品により華々しいスタートを切った。
   この時から川勝氏と親交が始まりコレクションが形成された。
   その後、李朝陶器や濱田庄司が持ち帰ったスリップウェアなど実用陶器の魅力を見出し、やがて柳宗悦や濱田らと民芸運動を推進した。
   そして、戦後の晩年は日用に即した形にとらわれない自由な造形、無定形を志向し、自由で独創的な造形美を発表した。

3章 すべてのものは自分の表現
   後期の特徴は、その造形と装飾性にあり、前衛的なオブジェとも取れる器形やそれを飾る貼文、緑釉、泥刷毛目、三色打薬など
    独特な技法は、他に追随をゆるさないものです。
    木彫制作も佳境を向かえ、彫像では「手」をテーマに、木彫面では見るもの全てが「面」に見えるといい、原始的・民族的ともとれる不思議な想像世界を発表した。
   焼物にも製作された。
   また、河井寛次郎独特な詞・ことばが多数生み出され、「火の願ひ」「命の窓」など文集が組み込まれるなど文才振りが披瀝された。
   その他金工品や家具も作っています。

4章 美の創造者たち
   寛次郎と密接な交友を持った濱田庄司、棟方志功、黒田辰秋、芦澤介、安部栄四郎の仕事を関連深い作品や同時代の作品を取り上げて紹介されています。

心に残った作品
1章では
「三彩鳥天使水注」
釉薬は中国唐の三彩に倣っていますが、鳥に乗る天使が西洋的です。
「青磁鱔血文桃注」
中国古陶磁を模範とした技巧的で、桃が二色の色彩で綺麗です。
「マット釉水瓶」
2章では
「白地草花絵扁壺」
1957年のミラノ・トリエンナーレ展グランプリ受賞作。
石膏型を菱形に整形した大壺。白化粧の地に鉄釉、辰砂、呉須の各釉薬で草花分を躍動的に描いています。
口縁と下部などの鉄色の帯が全体を引き締めて、力強く堂々とした作風は寛次郎の陶芸を象徴するものです。
「打薬扁壺」
  白化粧を施した上に黒・緑・赤の三色の釉薬を大筆に含ませ、勢いよくうちつけることから打薬技法と言います。
形は脚部が突き出し、不思議な姿を創出しています。
「呉州泥掛刷毛目皿」「鳥陶板」「丸紋鉄薬四方壺」「練上鉢」など
3章では
書「非草非木」くさにあらず ひとにあらず きにさらず
力強い独特な字体は魂の書とも言われ禅僧の書のような鋭い筆使いが魅力的です。
「碧釉貼文扁壺」「木彫り・像(手と花)木彫・面(カラクリ)など
寛次郎は人間国宝や文化勲章など推挙を受けながらもこれらを断り、昭和41年76歳の人生を終えました。
多くの作品が高度な技術や独創的な造形に加え、言葉に表れた深い精神を感じることができ、見応えがありました。
4章では
◎濱田庄司(陶芸家・昭和30年人間国宝認定、昭和45年文化勲章受賞)
 「黒釉錆流描皿」「赤絵丸文段重」
◎棟方志功(版画家・昭和45年文化勲章受賞)
 「二菩薩釈迦十大弟子」「詞集『火の願い』
◎黒田辰秋(工芸家・昭和45年人間国宝に認定)
 「根来鉄金具手箱」「卍文状差し」
◎芦澤介(工芸家・昭和31年型絵染技法で人間国宝、フランス芸術文化功労勲章受章)
 「紙雛図」「八雲村岩坂の安部栄四郎工房」
行きたいと思っていて、行きそびれた日本民藝館に上京したときは是非訪ねたいと思いました。


会期も後6日になりましたが、11月3日公開実演があります。
演題 「寛次郎作品のテクニック」
講師 森山雅夫(寛次郎の内弟子 温泉津町・森山窯)
日時 11月3日(水・祝日)
   [1回目]13:00~  [2回目]14:30~


             宍道湖の夕日

  
 県立美術館野外彫刻            嫁ケ島(10月17日撮影)
 
10月17日のイベントはロビーコンサート『琴とギターのスーパーフォーマンス』AKI&KUNIKOでした。
 演奏曲「神々の国の都」は素晴らしい曲でうっとり聴き、当日は工芸、音楽、夕日を堪能しました。