自然を愛して

田舎暮らし

新庄コレクション展 Ⅳ  宍道湖の景色

2017-03-01 22:17:04 | Weblog
織田一磨
■出雲風景 松江京橋 大正十四年(1925)年7月
夜の京橋川。水面に映る暖かな灯りは、石版独特の滑動を持った輝きで群青のとばりを深め色数の使用は抑えたものです。
化学変化で制版するため自由に出来てしまう描画に頼り過ぎず、油絵具の光沢が雰囲気を重ねないよう顔料に配慮してあるそうです。
                   『創作版画』
     (様々な解釈がある中、狭義では)絵師・彫師・摺師の協業による浮世絵版画に対し、一人の作家が版画制作の全工程を行う近代版画のこと。
      織田一磨や平塚運一はその代表的な作家。


川瀬巴水

■旅みやげ代三集 出雲松江(曇り日)大正十三(1924)年
版元渡辺庄三郎から刊行された巴水の版画は、摺度数が少なくとも20回、多いもので40回弱も摺り重ねています。
植物性の絵具を主とし、水気が多く透明感を保った摺色に仕上がるそうです。
水面に施された繊細で複雑な色彩と質感や奥行きの表現は、この木版画の美質を最大限に生かした摺師の技によって可能となったものだそうです。



浮世絵はこれまでは島根県立美術館のコレクション室や本、ポスターなどで観るぐらいと
東京町田市国際版画美術館で鑑賞したことがあるぐらいで知識はありませんでした。
今回多数の作品を観て大胆な構図、遠近法、版画摺の内容、江戸時代の風景、生活などを知り
また、大正時代からの近代作品、松江・出雲の風景を観ることが出来て版画の良さを楽しみました。
説明を書いた作品は私の好きな作品と会場で頂いた鑑賞ガイドの「浮世絵物知双六」の用語解説文を参考にまとめました。
これからは美術館に出かけましたときはコレクション室でじっくり鑑賞したいと思っています。生まれ故郷を大切になさった新庄二朗氏に感謝です。


大雪が降った後の松江(1月)
 
               宍道湖の青空                                                   大人気の宍道湖うさぎ(籔内佐斗司)                     

                 県立美術館の雪かき跡


新庄二郎コレクション展 Ⅲ

2017-03-01 20:54:49 | Weblog

伝杉村治兵
■清水桜下の男女 うらみのすけと雪姫
杉村治兵衛は、菱川師宣と共に浮世絵草創期活躍した絵師で浮世絵版画で一枚摺を制作した先駆者として知られています。
作品はは無款ですが治兵衛作と考証され、背景の音羽の滝の描写から清水寺を舞台にとしていることが分かります。
     『丹絵』
  黒一色の墨摺絵の上に、丹(酸化鉛)を中心に黄や緑などの絵具を筆で手彩色したもの。
  おおらかな墨の線や鮮やかな丹のオレンジからは、素朴ながら力強い印象を受けます。

鈴木春信
■蚊帳の母子 明和二~七(1765~0)年頃
春信は微笑ましい母と子の情景を数多く描いています。男の子の輪郭は空摺で色を付けないで、子供の柔らかい肌の質感を表現しています。
男の子の腕をそっと掴む指先、細い目などわが子を思う母の愛情を感じます。     
     [空摺]
  絵具をつけない板木で強く摺り、紙に立体的な凸凹線を摺り出す技法。着物の模様や子供の柔肌、
  降り積もる雪などやわらかい質感を表現するために用いられました。

喜多川歌麿 
■糸屋小いとが相 寛政(1789~1801)期
歌麿の画集後期に制作された美人大首絵。歌舞伎や浄瑠璃の恋のヒロインを取り上げた揃物でよく見かける作品です。
「本町二丁目の糸屋の娘」と歌われた糸屋の娘小糸を描いたものです。
左右に大きな貼り出した髪は灯籠鬢(とうろうびん)という当時流行の髪型。髪の毛の間から奥が透きできるほど精緻(せいち)な彫りです。
     『大首絵』
  人物の胸から上に、特に顔を大きく捉えた役者の絵や美人画のこと。人物の心情や性格に迫る細やかな表現を可能としました。
  勝川春好、写楽、歌麿らが優れた作品を残しています。

東州斎写楽■(市川男女蔵の奴一平)寛永六(1794)年
写楽の第一期大判役者絵28図の内の一つで、歌舞伎『恋女房染分手綱』に取材した作品。
丹波留木家の家老の子、伊達与作に仕える下僕奴一平が奴江戸兵衛に襲われる場面で、刀の柄に手をかけて身構える緊張感のある
一瞬の所作をとらえています。背景全面に施された黒雲母が、人物の表情や所作を際立てています。
糸屋小いとが相、市川男女蔵の奴一平)は良く見かける作品です。
     『雲母摺(きらずり)』
  粉状にした鉱物をの雲母(うんぼ)を用いる摺り技法。鉱物特有の輝きが画面に華やぎを与えました。
  特に背景を一色で摺る「地潰(じつぶ)し」として、写楽の役者絵や歌麿の美人画で用いられる。

歌川豊春

■浮絵阿蘭陀国東南湊図 安永~明(1772~89)年
西洋の線遠近法(透視図法)を真似て、空間の奥行きを強調した絵です。近景が手前に浮き出ているように見えます。
二次元の画面上に遠近法を生む錯視的効果は、それまでにない新しい視覚として面白がられました。
豊春は浮絵を発展させた絵師で、代表作の一つです。
線を重ねる陰影表現や異国風の建物と人物の表現は江戸時代では目新しいです。
     『浮絵』
  西洋の線遠近法を真似て、空間の奥行きや距離感を強調した浮世絵です。
  近景が手前に「浮」出ているように見えることから、この名で呼ばれました。

小林清親(1847~1915年) 
浮世絵になかった新しい空間表現や水や光の描写を誘う感傷が同居した独自の画風が人気を博し浮世絵版画に文明開化をもたらしました。
西洋風の風景画が多く「明治の広重」と評されました。新庄二郎氏が最初に蒐集した作品は小林清親だったそうです。

■九段坂五月夜 明治十三年(1880)年
九段坂は標高が高い絶景地だったそうですが、靖国神社に建つ常燈明台が今の景色にも感じるところがあります。
光は現代とは違いますが、この作品は街を彩る転々とした明かりが情感を高めています。
雨雲のぼかしや地面に映える提灯の色にすり違いがあり、抑えられた色違いで坂の下へ静かに少しずつ暗くなって消えていく余韻を感じます。
    『光線画』
  主に小林清新が描いた光や影によるドラマチックな効果を活かした「東京名所図」のこと。
  清新は文明開化で劇的に変わる東京の姿を郷愁誘う独自の画風で描きとめました。


懐月堂安度
■武田信玄図 宝永~聖徳(1704~16)期
江戸時代には、武田信玄の軍陣影が盛んに描かれました。日輪の前立をつけた諏訪法性の兜をつけ、鎧の上に緋色の法衣を羽織り虎皮に座す姿です。
鮮麗な色彩による装飾的で平坦な体が、顔の皺や髭まで描き、わずかに陰影を施し面貌部を際立っています。
「日本戯畫懐月堂図之」の落款と「安度」印があり、美人画で名高い壊月堂安度の武者絵は極少数もので、筆の勢いがあり珍しいそうです。
     『肉筆浮世絵』
  版画でなく、絵師が直接絵筆をとって描いた浮世絵です。描線や色彩感覚など、個々の絵師の造形力を
  ストレートに鑑賞できる点が魅力です。壊月堂派のように肉筆専門の画法もありました。

菱川師宣 

■立美人図 元禄元年~七(1688~94)年
桜花文と雪輪文を散らした振袖を見にまとう女性が、右手で褄を取り左手を襟元にやりつつ、後をふりかえっています。
こうした見返り美人の例は多く、すれ違った男性に心惹かれて見返す姿と考えられます。
切手になった「遊女歌仙図」など、良く見かける作品です。

河原慶賀

■魯西整儀写真鑑 嘉永六(1853)年
 (鉄砲隊)・(楽隊)・(旗手)・(従者)・(プチャーチン大使)河原慶賀は天明8(1786)年、長崎の絵師河原香山の子として生まれた。
シーボルトの助手であったデ・フィレニューフェに西洋絵画を学びました。日本の文物を数多く描き、外人の風俗や出島の風景を細密に描いた作品を残しています。
魯西整儀写真鑑は、嘉永6(1853)年、日本との通所条約締結のために来航したロシア提督プチャーチンとその部下たちを描いたものです。
全7図から成る(新庄二郎コレクションには5図が有)。西洋画法を学んだ慶賀らしく、人物の高い鼻筋や衣服のしわに細かく影を加えた
立体感を表しています。慶賀の代表作で後期長崎版画の傑作として名高いそうです。当時の長崎の様子が良く分かります。
江戸時代唯一の対外貿易であった長崎で出版された版画。
異国の舟や人々、動物などが描かれ、珍しい長崎の土産として喜ばれました。合羽摺(かっぱすり)など版画技法にも特色があります。

織田一磨
■出雲風景 松江京橋 大正十四年(1925)年7月
夜の京橋川。水面に映る暖かな灯りは、石版独特の滑動を持った輝きで群青のとばりを深め色数の使用は抑えたものです。
化学変化で制版するため自由に出来てしまう描画に頼り過ぎず、油絵具の光沢が雰囲気を重ねないよう顔料に配慮してあるそうです。
    『創作版画』
 (様々な解釈がある中、狭義では)絵師・彫師・摺師の協業による浮世絵版画に対し、一人の作家が版画制作の全工程を行う近代版画のこと。
  織田一磨や平塚運一はその代表的な作家。

川瀬巴水
■旅みやげ代三集 出雲松江(曇り日)大正十三(1924)年
版元渡辺庄三郎から刊行された巴水の版画は、摺度数が少なくとも20回、多いもので40回弱も摺り重ねています。
植物性の絵具を主とし、水気が多く透明感を保った摺色に仕上がるそうです。水面に施された繊細で複雑な色彩と質感や奥行きの表現は、
この木版画の美質を最大限に生かした摺師の技によって可能となったものだそうです。


新庄二郎コレクション展 Ⅱ

2017-03-01 18:05:52 | Weblog
歌川広重
■東海道五拾三次之内 日本橋 朝之原 天保四年(1833)年頃
日本橋は江戸から京都へ向かう東海道の起点です。55図からなる揃物で、俗に「保栄堂版堂東海道」と呼ばれているそうです。
折からの旅行ブームを背景に大評判なり、広重の出世作となりました。
作品は早朝、高礼場前には、行商人らで賑わい。橋の向こうからは、国元へ帰る大名行列がやってくる場面です。
大木戸を左右に配し、シリーズの幕開けを告げるにふさわしい構図になっています。
     『揃物』
あるテーマのもとになるシリーズ化された浮世絵。例えば広重の(東海道五拾三次)は全55図
北斎の《冨獄三十六景》は全16部の揃物です。人々の購買意欲を高める戦略として有効です。

■東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪 天保四年(1833)年頃
家も山も全てが雪に覆われ、冬の静寂が画面を支配してます。道行く人が雪を踏む足音が聞こえてくようです。
華美な色彩を排した白と黒の強いコントラストが、凍りつき、乾いた冬の空気感を見事に表しています。
旅人の背中をまるめた姿や、管傘や傘で表情を見せない姿が冬の厳しさをしみじみと伝わってきます。
雪景色は10点余り展示されていましたが、この作品が一番心に伝わってきました。

■東海道五拾三次之内池鯉鮒 首夏馬市 天保四年(1833)年頃
副題に「首夏馬市」とあるように、毎年初夏に行われていた馬市を描います。
草原には多くの馬が杭に繋がれ、松の下では馬喰と馬飼たちが値段を決めています。草原の色彩が実に美しく、
薄い黄緑色から深い藍色への繊細の拭きぼかしにより吹きぬける初夏の爽やかな風をも感じさせます。
遠景の黒い丘は初摺にのみ見られるモティーフで、後摺り削除されたそうです。種々の馬の配置と爽やかな色彩が好きです。
     『初刷』
浮世絵版画における初版のこと。通例、板木の摩耗(まもう)や欠損が少なく、また浮世絵師の監督が行き届いた最初の200枚ほどです。
それに対して後に摺られたものを『後摺』と呼びます。

■東都名所 両国夕すずみ 弘化三~嘉永元(1848~50)年頃
納涼船が浮かぶ隅田川や両国橋を背に、心地よい夏の夜風に吹かれながら、三人の女性が艶やかさを競い合っています。
お歯黒を塗った既婚の女性は、当時江戸好みとされた縞柄を着こなしていて、襟をぐっと背中に引いた着くずし方や、
素足の膝下が見え隠れする女性の颯爽とした歩き方など、江戸の粋な女性像には躍動感があります。 

■木曽海道六拾九次之内 宮ノ越 天保七~八(1836~37)年頃
宮ノ越は日本橋を出発して36番目の宿場で、中山道のほぼ中間にあります。満月に照らされ、眠る幼子を抱えた父母と
それに従う娘の家族や橋は輪郭線で明瞭に描くのに対して、背景の岸辺や木々は墨の濃淡だけで表現しています。
パステル画のようなやわらかい色調が、夜霧に包まれた幻想的な風景を生み家族連れを引き立ています。家族の暖かさを感じます。

■(雪月花)木曾路之山川 安政四(1857年)八月
広重の最晩年を代表する大判三枚続きの大作。雪に覆われた木曾の山を画面いっぱいに大きく描かれています。
薄墨色の空と鈍く落ち着いた濃藍の木曽川が、この山を囲むように上下に緩やかな弧を描いています。
雪の白さと観る者へ迫りくるような山の塊量感が際立っていて私が観た版画では珍しい作品です。
      『続絵』
大判や中判を複数並べて、横長または縦長またはの大画面とした浮世絵のこと。
一枚では味わえない複雑な群像構成や迫力ある表現を楽しみます。

■枇杷に小鳥 天保(1836~44年)前期
背景を藍摺りとして小鳥を白く抜いており、その鮮やかなコントラストが美しい。
約30種知られる広重の大短冊判花鳥画の中で唯一の藍摺り作品です。当初は若林堂が出版していたが
後に喜鶴堂版の刷ものが多く、新庄コレクションのこの作品は希少な若林堂版で、新庄氏の自慢の逸品です。
この作品もどこかで観たような気がします。

■名所江戸八景 亀戸梅屋舗 安政四年(1857年)十一月
 広重が最晩年に取り組んだ《名所江戸八景》は、江戸の名所をテーマとした120図から成る壮大な揃えものです。
梅の名所であった亀戸天神裏の庭園・清香庵を描いています。名木“臥龍梅”の幹枝越に園内を望む構図が
手前から奥へ距離感を演出し、さらに黒々とした幹枝の色合いが、奥の梅見客を包む光の印象を強めています。
こうした奇抜な構図は19世紀の西洋の画家たちに強い影響を与え、ゴッホは油絵を模写して特に有名になりました。
この作品も良く観る作品ですが黒々した幹枝の色合いと奥の梅見客を包む光の色彩が良いです。

■松島 天保(1830~44)年後期
外題はありません。湾内外に多くの島が点在する松島の景と思われます。
広重は数多くの団扇絵を手がけましたが、このような藍摺の諸国名所絵の作例は少ないそうです。
      『団扇絵』
団扇形に摺られた浮世絵版画で、切り取って竹の骨に貼り合わせて使用した。
図柄は美人画、役者絵、風景画など多岐にわたり、夏のファションアイテムとして人気がありました。

■冨獄三十六景 遠江山中
遠江国(現在の静岡県西部)の山中、巨材を大鋸と呼ばれる鋸で切る木挽きたちを描く。
刃を研ぐ人物、赤子を背負う女性など、山深い土地に生きる人々の素朴な営みをとらえています。
画面の対角線に配された巨材と支柱三角の空間を作り、その間から富士をのぞかせる幾何学的な構図です。
また、構図で目を引いたのが冨獄三十六景「尾州不二見原」です。樽を通して富士をを望む作品も奇抜でした。         
     『ベロリン藍』
江戸後期に外国から輸入された藍色の化学染料で、「ベコ藍」とも言います。
発色が鮮やかで、空や水の微妙な諧調を表す「ぼかし摺」に適しました。
江戸後期に外国から輸入された藍色の化学染料で、通称「ベロ藍」とも言います。
発色が鮮やかで、空や水の微妙な諧調を表す「ぼかし摺」に適しました。



「新庄コレクション」展 Ⅰ

2017-03-01 17:19:01 | Weblog

県立美術館入口

島根県立美術館が所蔵する「新庄コレクション」展が「新庄二郎が愛した浮世絵」と題して1月2日~2月6日まで開催されました。

新庄二郎(1901-1996年)について
松江市出身の事業家で著名な浮世絵コレクター。蒐集した作品は多岐にわたり、東京オリンピックや大阪万国博展覧会の記念展示にも
作品が公開され、世界の浮世絵専門書にも掲載されています。1970年代は全国の美術館・博物館・百貨店でも開催されました。
1983年に島根県立博物館に378点を譲渡、その後74点の寄贈をあわせて合計471点です。
島根県は1984年に県の重要な財産として北斎の≪冨獄三十六景 凱風快晴》、《山下白雨》、《神奈川沖波裏》
広重の《東海道五十三次乃内》55点を有形文化財に指定。
1999(平成11年)島根県立美術館の開館に伴い「新庄二郎コレクション』全471点が同館に移管されました。

作品紹介
展示室では新庄二郎が高級スタンドの専門会社で成功したとき、ご自身がデザインされて、木彫職人が彫ったスタンドが展示されていました。
一本の丸木から螺旋状に柱を掘り出した製品とヨーロッパ風の「街角のギター弾き」の人物もハイカラで落ち着いた製品が素敵でした。

葛飾北斎
■冨獄三十六景 凱風快晴 天保二~四(1831~33)年頃
快晴の夏から秋の早朝、陽を浴びて富士の山腹が赤く染まる一瞬を描いたものとされ、通称「赤富士」の名で親しまれています。
空にはイワシ雲が描かれ、富士の頂から山腹は、褐色から赤へと繊細なぼかし摺りとうっすらと浮ぶ板木の木目により複雑で
豊かな表情を見せています。
赤い山肌と緑の樹海の境界線が湾曲し、赤から緑への緩やかな色彩の変化が意識されています。
朝暘に浮かびあがる荘厳な富士の麗容を見事にとらえた北斎の代表作です。
特に初期の摺りですので浮世絵師の当初の造形意図を反映している点で貴重だそうです。
用語集よりガイド作品
      『拭きぼかし』
色版を摺る際に濃淡の階調(かいちょう)をつける技法のこと。
湿らした版木に絵具をのせ、にじんだ状態で紙に摺りましす。
画面に水平にかける「一文字ぼかし」や不定形の「あてなしぼかし」もその一種。

■冨獄三十六景 山下白雨 天保二~四(1831―33)年頃
山頂の付近は晴れわたってますが、暗い山腹に一筋の稲妻が走り、地上には、にわか雨が降り注いでいることでしょう。
「凱風快晴」と基本的な構成は同じですが瑞雲のような雲の表現が観る者の視線を下へと導き、漆雲の裾野が底知れぬ自然の力を
暗示しています。
作品は右欄外に5~6㎜の余白が残り、電光の朱色も残っていて、山腹の摺り重ねの様子がうかがえます。作画過程の参考になるそうです。
朱色の電光が印象的でした。

■冨獄三十六景 神奈川沖波裏 天保二~四(1831-3)年頃
巨大な波が飛沫をあげながら立ち上がり、大きな押送船に波が襲いかかり、猛々しい自然のエネルギーが画面に横溢しています。
近景では曲線や斜め線により躍動する波の表現を目指していますが、遠景では水平線を浮かび上がらせ富士山が小さく見えます。
近と遠、動と静の劇的な対比が素晴らしく、この作品の力強さと色の美しさが私は一番好きです。
ヨーロッパでは「凱風快晴」より人気があるそうです。