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自然を愛して

田舎暮らし

三江線の風景

2016-08-26 22:29:17 | Weblog
 
   江津駅        浜原駅

子供がお盆に帰省しましたので今話題になっている三江線の旅に出かけました。
三江線(JR西日本鉄道)は広島県三次市と島根県江津市を約108kmを結んでいます。
三江線は一日5本しか運行してない赤字路線ですので、今廃止問題がニュースになっています。
乗客もカメラを持っている人が多く三江線の存続を願っている人達だと思いました。
江津市発三次行き朝6:00時出発、終点三次には9:21分着ですが、浜原ダムが目的でしたので
浜原駅に7:45分下車。
中国地方を代表する河川「江の川」沿いを並行してゆっくりと走り、四季折々の風景は素晴らしく絶景路線と言われています。
春の桜、秋の紅葉は見ていますが、夏の田んぼの景色は初めてですので稲が一面に黄金に輝き思わず「きれい!」と感嘆しました。

三江線の景色
    

子供は浜原ダムまで歩いて行きましたが、私たち夫婦は日差しが強いので橋から江の川や、遠くの峰々を眺めたりして、
子供が帰るまで駅でパンフレットを読んだり、話をして待ちましたが観光協会にお電話するとタクシーも呼ぶことが
出来ましたのに気が付きませんでした。

浜原ダム
    

子供が写真を多数写していましたが、その中の放水の迫力がすごく素晴らしく一緒に行動を取らなかったのがちょっと残念でした。
湖面には逆さ富士のように山を映しているのもいいですね。
帰りは浜原駅11:31分発→川本行12:09分着、川本町の街を楽しむ時間になっているみたいで、江津発は13:31分です。
江津駅に自家用車を置いていましたので川本駅からは江津駅までタクシーで帰りました。
子供は列車とタクシーでの風景を見ることが出来て喜んでいました。
江津について食事後、スーパーマーケットのイベント会場で石見神楽を上演していましたので鑑賞して帰宅しました。

石見神楽

子供は石見神楽のテンポや物語が好きだそうです。

石見地方の三江線観光
川戸駅
「千丈渓」「風の国」「今井美術館」
鹿賀駅
「風の国」「断魚渓・観音滝県立自然公園」
粕淵駅
「カヌーの里おおち」「斉藤茂吉鴨山記念館」「湯抱温泉」
宇都井駅
地上約20mの高さにあり、高さとしては日本一と言われる高架駅(無人駅)116段の階段を上がらなければなりません。
写真はクリックしてください。

クロアゲハ

2016-08-08 13:02:07 | Weblog


猛暑が続き庭の手入れも中々できませんが、7月中頃倉庫にいたと言って夫が標本の蝶みたいな蝶を持ってきました。
きれいな黒い蝶は秋の彼岸花でよく見かけるクロアゲハと思って調べました。
その蝶はモンキアゲハ(紋黄揚羽)によく似ています。
成虫は前翅60-75㎜、開張は110-140㎜。
鱗翅(りんし)目アゲハチョウ科の1種。
黒色の後翅は乳白色の大きな斑紋があるのが特徴で、
雌は外縁に赤色の弦月紋が発達。翅幅は広く、後翅には尾状突起があって
日本最大級のチョウ(沖縄を除いて)と書いてありました。

生息地域
インド、ヒマラヤ山脈、東南アジア、中国、台湾、日本分布。
日本では関東以西の平地や低山地の森林の周辺でよく見かけられユリ類、彼岸花、
人家の庭先の園芸種などの花にも訪れます。地面で水道のたまり水を吸っていたところを見かけました。
幼虫はミカン類、サンショウ類、ハマセンダンを食草するそうです。ミカンは畑、サンショウの樹は庭に植えています。


マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展

2016-07-17 16:23:14 | Weblog

   睡蓮のポスター
東京都美術館で「印象、日の出」から「睡蓮」までが2015年9月19日-12月13日まで開催されました。
日本各地で開催され福岡、京都展は終了しましたが、新潟県立近代美術館は2016年6月4日-8月21日まで開催しています。
昨年上京した折、東京の友人と10月の末に展覧会に行き90点の作品を鑑賞しました。
今年は島根県立美術館で『ポーラ美術館』の印象派作品を多く鑑賞して楽しみましたので、改めてマルモッタン・モネ美術館所蔵モネ展を
思いおこしました。私の知らない究極のモネを十分知ることができました。

マルモッタン・モネ美術館について
パリ市内、ブローニュの森に近い場所にあります。フランス印象派の画家モネのコレクションの収蔵は世界最大級です。
特にモネの代表作『印象・日の出』が名高です。
美術館の印象派の誕生はジョルジュ・ド・ベリオ・医師のコレクションが遺族によって同館に寄贈されたことによって基礎が築かれ、
その後、モネの息子ミシェルが父親から受け継いだコレクションを寄贈しました。

クロード・モネについて
クロード・モネ(1840-1926年)フランスのパリに生まれ ジヴェルニーで死亡
印象派の巨匠として絶大の人気を誇り生前成功した光の画家。10代で描いたカリカチュ(風刺画)や家族の肖像画
モネの収集した友人の芸術家たちの作品、モネの代名詞『睡蓮』の連作、晩年の作品を展示構成してありました。

特別出展
◆《印象、日の出》[9月19日-10月18日]
 フランスアーヴル港の風景ですが「印象派」の名前の由来となった言われています。
 予定が取れなくて鑑賞できず残念でした。
◆《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》[10月20日-12月13日]
パリのサン=ラザール駅を駅の構内から一歩足を踏み出して線路と同じレベルに立ち、右側のウィーン通りと左正面のローマ通りが
交差する方向を見上げて描いているそうです。
機関車から吐き出される白い蒸気が、霧のように地面や橋を覆い、迫力のある駅のイメージを創り出しています。
同駅の構内外をモチーフとした作品が、11点制作されているそうですが、この作品のキャッチコピーが
“「サン=ラザール駅」これを見ずには終わらない“と書いてあり、郷愁を誘う素晴らしい作品です。

家族の肖像
◆《新聞を読むクロード・モネ》ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841年) 油彩
モネとルノワールはパリのシャルル・グレールのアトリエでで出会い、親しい交友関係はルノワールが亡くなるまで続きました。
初めてアルジャントゥイユのモネの家に滞在した時の作品です。パイプの煙をくゆらせながら新聞を読むという家庭でのくつろいだ姿が
捉えられています。《クロード・モネ夫人の肖像画》も制作、展示されています。
          ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919年)
フランスの印象派の画家。後期から作風に変化が現れ始めたのでまれにポスト印象画家にされることもあります。
風景画、花などの静物画もありますが、代表作の多くは人物画です。

◆《トゥルーヴィルの海辺にて》クロード・モネ1870年 油彩
椅子に座る女性は海に背をむけぼんやりと座り、読書に夢中になっている女性の二人が自由な筆でさばきで描かれ、
夫人の顔や手の細部の描写が意図的に省かれ大胆な筆触で描かれることによって自然に生き生きとした効果が表れています。
大胆な構図も良くて避暑地らしいスタイルが爽やかさです。
◆《子供の肖像画》
モネは肖像画はわずかしか描いていませんが《ジャン・モネの肖像》《ポンポン付きの帽子をかぶったミシェル・モネの肖像》など
父親の深い愛情を感じます。生前には発表されることはありませんでしたが、大切に保管されていた作品です。

若き日のモネ
子供の頃からノートにカリカチュアを上手に描き、中学校ではデッサンに長けて15歳にして風刺画としてル・アーヴル中で知られる存在でした。
作品を販売してその資金でパリに移り住みました。

◆《正面を向いたノルマンディー老女》 クロード・モネ(1857年) 木炭、鉛筆、パステルによるハイライト、灰色の紙24×16㎝
ノルマンデイー地方の年配女性の典型的な姿を描いた作品。長袖のシャツにエプロンを付け、スカーフを肩から羽織るという仕事着を
身につけ、ル・アヴール地方で大流行していたひだのついた帽子をかぶる姿が特に強調されています。
◆《ピアノの前の若い女》クロード・モネ(1858年)
ピアノの前にいる若い娘の振る舞いを誇張して描いた作品。女性はプロフィールで描かれることでその尖がった顎が際立て
身につけているものはエレガントなドレスです。頭部も体に比べると並はずれて大きく描かれ女性の特徴的な風貌と
取り澄ました表情が強調されています。


収集家としてのモネ 
                           ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863年)
ロマン主義を代表する画家ドラクロワの鮮やかな色彩表現は後の印象派に大きな影響を与えました。
◆《エトルタの断崖、馬の脚》1838年 水彩、紙 
アーヴル近郊の景勝地を描いた作品。夕暮れに染まるそびえ立つ石灰層の絶壁が大きく描かれ、
前景には浜辺をに打ち寄せる白波を巧みに捉えられています。
波の浸食によって形成されたアーチ部分は、「馬の脚」のように見えるそうです。
ドラクロワの作品は「民衆を導く自由の女神」を鑑賞していますがドラクロワが印象派に影響を与えたことは初めて知りました。

             ヨハン・バルトルト・ヨンキント(1819-1891年)
風景画を得意としたオランダの画家。モネはヨンキントからアーヴルで出会い多くを学び影響を受けました。
◆《ラ・コート=サン=タンドレからル・グラン=ランへ向かう道》1880年 水彩、紙15,5×24㎝
フランス南西部の穏やかな田園風景が描かれています。草原や樹木を表す素早い筆触、夕暮れに向かう空の繊細な色彩などは
モネの作品にも共通しているそうです。

                              ウジェーヌ・ブータン(1824-1898年)
モネと同じくル・アーブルで育ちました。「空の王者」と評されるほど空と雲の描写を得意とし、ノルマンディーの沿岸で
海景図を数多く制作しています。
◆《舟と漁師》水彩、紙13×19㎝
小さな帆船が描かれた小さな作品。浜辺の風景は漁師とみられる人物が大まかに描かれ、舟は帆の向きや形が描き分けられています。

                             カミュー・ピサロ(1830-1903年)
カリブ海に浮かぶセント・トーマス島生まれ、グループ最年長のピサロは印象派のまとめ役で1874年から1886年にわたり開催された
印象派のすべてに参加した唯一の画家です。
1870年、普仏戦争を避け訪れたロンドンで再会した二人は一緒に「霧、雪、春の効果を研究したそうです。
◆《レ・プイユの小道、ポントワーズ》エッチング 52,7-45,7cm
作品にはサインに加え右下に「旧友CモネへCピサロ」と書き込まれており、画家から画家にへ直接贈られた作品であることが分かります。

                               オーギュスト・ロダン(1840-1917年)
フランスの19世紀を代表する彫刻家。石工や建築塗装飾の見習いなどを経たのち《青銅時代》をきっかけに
公的注文を獲得するようになします。1889年パリ―のジョルジュ・プティ画廊にて「モネーロダン展」を開催しました。
そのときロダンは「カレーの市民」を出展しております。
日本でも国立西洋美術館の前庭に『カレーの市民』『地獄門』『考える人』が展示されています。
◆《洞窟の中の若い母》1885年ブロンズ像38×28センチ
1888年にモネがベリー島で描きロダンに贈った作品の返礼作品です。
◆《ココの肖像》ピエルー=オーギュスト・ルノワール1907年 石膏直経21㎝
ココという愛称で呼ばれたルノワールの三男クロードを表した作品は、モネがアトリエに飾っていたもので家族ぐるみの交流が伺えます。

◆《施しを乞う共和政》ジャン=ルイ・フォラン 制作年記は不明、ブロンズ50×12㎝
フォランによる希少な彫刻作品。フランスの第三共和政が中年の女性の姿に擬人化され、不満げに開いた自らの右手を見下ろしています。

                              ポール・シニャック(1863-1935年)
印象派の作品に学んだものの1884年にはジョルジュ・スーラ―とアンデパンダン展の設立メンバーとなって、次第に点描技法を用いた
新印象派の様式を採用しました。
◆《ルーアン》水彩、紙28,5×40cm
フランスルーアンの街の大聖堂、水の揺らぎや、水面に映える建築や船を素早く巧みに捉えた水彩画

モティーフの狩人
旅を続けながら見つけ捉えたモティーフの風景画は素早く画面に写し取り、その様が「まるで狩人ような」と評されました。
豊かな色調は様々ですが、どれも美しく光と影が印象的です。
◆《雪の効果、日没》1875年 油彩、カンヴァス53×64㎝
家々の屋根や地面にうっすらと雪が残る夕暮れの情景を描いた作品
白い単調な広がりの世界を、雪に反射する繊細な光で捉えて、微妙な色彩を用いて表現しています。
◆《霧のヴェトゥイユ》1879年 油彩
モネが、ヴェトゥイユに移り住んでいた頃の作品。必要とする描写を放棄し、主題を単純化していったのが分かります。
作品からは人物がの姿が消えていきます。これ以後モネは自然を描き出すことに専念して、自然を「様々の季節に組み合わることで
最良の部分を引き出す」ようになったそうです。霧の情景を見事に表現しています。
◆《オランダのチューリップ畑 》1886年油彩
水の国オランダ旅行で描かれた作品。水面のきらめきとチューリップ畑、風車、そして曇り空にオランダらしい風景が広がっています。
ほぼ中央の地平線が、起伏のないどこまでも続く大地と空の広がりを感じ、中央の風車はラフな筆触が強い風の存在を感じます。
風によって波打つ水面や揺れる花々を水平に長い筆触によって表して、雲の隙間から降り注いだ光の反射し、風に揺れる一瞬を捉えています。
◆《ジヴェルニーの黄色いアイリス》1887年 油彩
1870年代初頭、モネはロンドンに滞在し、そこで出会ったターナーの作品に大きな感銘を受けます。
1870年代中頃から1880年代にかけての作品は、印象派の黄金時代。モネの風景画は印象派らしい明るい光に満ち、豊かな色に溢れています。
風にきらめく一面のアイリスの花の動きは横の画面いっぱいに描かれています。
◆《プールヴィルの海岸、日没》1882年 油彩
夕暮れの風景を水面に映る移りゆく束の間の光の情景を捉えることに成功。
太陽の輝きと海面にきらめく光の色調を画面に捉えています。

睡蓮と花―ジヴェルニーの庭
1883年モネが43歳のとき自然豊かな村のジヴェルニーに移り住み庭に多種多様な花が咲く「花の庭」を造り
その後、池を造成して睡蓮を浮かべた「水の庭」も造ります。この池から睡蓮をモチーフに200点超える作品を製作しています。
◆《小舟》1887年 油彩、
無人の小舟がゆらゆらと川に浮んでいます。主題の小舟を縦長の画面の端に配している構図は斬新です。
その舟に対して画面手前を大きく占めるのは、川の底で揺らめく水草です。
光を反射しながら水草の濃い緑に黄緑色や赤褐色をアクセントとして交え、うねるような曲線が強く描き重ねられています。
小舟が浮かぶ川のどこから水面で水中なのか明確に表されていないませんが、事物の空間の位置付けを曖昧にすることによって
水草はいっそう魅力的になるそうです。
◆《睡蓮》1903年 油彩
睡蓮が浮かぶ水面の広がりだけで画面が構成され、水平線もなく、画面上下左右も曖昧になる空間は想像の中で広がる空間です。
そこに柳やポプラなど周囲の植生を反映像として取り込むことで水面に点在する睡蓮に奥行きを与えています。
この作品はポスターになっています。
◆《睡蓮》1907年-19年 油彩 
長方形のカンバスに水面が緑、赤、紫、黄色と豊かに彩られ睡蓮を探すのは困難ですが、ダイナミックな筆跡で
とても目立ち一目で好きな作品になりました。

最晩年の作品
モネの最晩年の作品は白内障の影響で描く対象も庭の中に限られています。
作品は粗い筆触で、繊細の色調と異なり、赤系、青系の色彩が強く、濃密に重ねられた太い線は抽象画のような感じでした。
一瞬何が描かれているか判明できませんでしたが、題名で太鼓橋、バラの小道が2点判断できました。
◆《しだれ柳》ジヴェルニーの庭 1918-19年 
太い幹を中心に捉え一本の幹とうねる枝を降り注ぐ色彩は揺らめきとなっています。
明暗を際立たせることによってしだれ柳の存在を強くして画面の中に生命力が込められています。
◆《日本の橋》1918-19年 油彩
1895年、モネは睡蓮の浮かぶ水の庭に日本風の太鼓橋をかけました。
モネは水の庭は日本的なものを取り入れて、池のほとりに葉菖蒲やカキツバタ、柳や竹も配置されていました。
1899年から1900年に描かれた太鼓橋の最初の連作は自然主義的な調和のある繊細な風景です。
◆《バラの小道ジヴェルニー》1920-22年 油彩
「バラの小道」は、モネの家の正面入り口を縁取るように配置され、バラが咲きだす季節には道を覆うようにつるバラがアーチに絡らみ、
根元には色とりどりの花が咲き誇る花壇が設けられていて花のトンネルが形作られています。
線描で描かれたアーチは黄色く塗られた道が辛うじて判別できます。その他の部分は色の線が波打ち錯綜した画面になっています。
「バラの小道は」7点の連作ありますが白内障の手術後に制作は続けらることはなかったそうです。

モネの人気は絵画だけでなく、ジヴェルニーのモネ庭園も観光客に人気があるそうです。
日本にも「モネの庭マルモッタン」の庭が高知県北川村にあります。

東京・上野の国立西洋美術館が世界文化遺産(日本で20件目)2016年7月17日に登録が決定しました。













ねむの木

2016-06-30 15:21:56 | Weblog
 
                             休耕地のねむの木
  
                        自宅のねむの木                                夜に閉じた葉
 
自宅の物置の隅にねむの木が伸びましたので5月に横に広がった枝を切り落としました。
山側に6年前、自然と芽が出てきましたが、狭い場所ですので大きくならず今まで花を見たこともなく
花は咲くとは思っていませんでした。6月の中旬に庭のお掃除をしているとき、何気なく空を見上げましたら
薄紅色のやさしい花が咲いていましたのでびっくりしました。
最近、散歩に出かけたとき休耕地にねむの木を見つけていましたので、或いはその樹も花を咲かせているのではないかと思って
澄みきった青空の日に写真を撮りに行きました。休耕地は草刈がしてあり木も剪定されていました。
枝先には十数個の頭状花序がつき薄紅色の花がそよ風にゆらゆら揺れていました。花弁はなかほどまで合着し長さ8㎜の漏斗状
雄しべは多数あり、長さは3~4㎝花の外に長く付でて繊細で美しい花でした。
葉は20㎝から30㎝と大きく、2回羽状複葉で夏は羽状複状を広げ、夕方になると閉じました。
小葉の形は幅の広い披針形で、縁には短い毛が生えていました。


学名:Albizia julibrissin  マメ科:ネムノキ属: 分布:本州から沖縄 海外では朝鮮半島、中国、ヒマラヤ、インド、イラン
樹木:落葉樹5m~10m
ねむの木の名前を知ったのは「ねむの木の子守歌」でした。


『ねむの木の子守歌』 作詞:美智子皇后陛下:作曲山本正美.
ねんねの ねむの木 眠りの木 そっとゆすったその枝に 遠い昔の 夜(よ)の調べ ねんねの ねむの木子守歌
薄紅(うすくれない)の 花の咲く ねむの木蔭で ふと聞いた小さなささやき ねむの声・・・・・・
静かにハミングしながら書いています。


ポーラ美術館コレクション  モネからピカソ、シャガールへ展

2016-06-17 22:58:16 | Weblog
        
モネからピカソ、シャガールへ展が4月15日(金)-6月20日(日)まで島根県立美術館で開催されています。 
2002年に自然豊かな箱根仙石原に開館したポーラ美術館は国内屈指の充実した西洋絵画コレクションを誇る美術館です。
印象派のモネ、ルノワールをはじめ、ポスト印象派のセザンヌ、ゴッホ、そして20世紀絵画を代表するピカソ、シャガールまで
選りすぐりの作品71点が展示されています。箱根のポーラ美術館は訪れたことがあり親しみを感じ、県立美術館には
1回目は知人と2回目は図録を読んで気にいった作品をじっくりと鑑賞してきました。

展示作品

1.印象派の誕生:モネとルノワール
クロード・モネ(1840年―1926年)
《ジヴェルニーの積みわら》1884年 油彩/カンヴァス 66,1×81,3㎝
モネの「積みわら」の連作は人気がありますが、この作品はその前に積みわら風景を8点描いているうちの一つです。
日常の風景を観たままに描かれて積みわらは山型です。明るい色彩や強いコントラストによる光が印象的です。

《睡蓮》1907年 油彩/カンヴァス93,3×89,2㎝
印象派のモネは、パリの生活の後、郊外の村ジヴェルニーに居を構え、壮麗な庭園を造りあげていきました。
造成した池に浮かぶ睡蓮を描いた作品は200点を超え、彼の後半生の最も重要なモチーフになりました。
この作品は睡蓮が浮かぶ池の片隅をクローズアップで捉えています。
場所がどこであるかという指標が示されていませんが、断片的な場面をもたらした光の効果です。
水面に反映した画面の外側の世界、空や雲、そして周囲の木々のざわめきの陰景が良く分かります。
昨秋、東京でマルモッタン・モネ美術館のモネコレクッションを鑑賞しましたので、また違った睡蓮を見ることができて幸せです。

ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841年―1919年) 
《水の中の裸婦》1888年 油彩/カンヴァス81,3×65,4㎝
モネと並ぶ印象派の画家ルノワールのモチーフは人物でした。中でも女性を明るい色彩と柔らかいタッチで数多く描きました。
この作品は裸婦の背景を水面が覆い尽くすといった大胆な画面構成がとられています。
陰景とハイライトにより量感が作り出された女性の身体とは対照的に、水面には光のきらめきや反映を表す黄や
赤、白の筆触が並置されています。恥じらいのポーズの裸婦に魅力を感じましす。

アルフレッド・シスレー1839年―1899年)
《ロワン河畔、朝》1891年 油彩/カンヴァス
晩年の10年間を過ごしたフランス・モレ= シュル=ロワンの風景です。
初期には暗い色彩を使う風景画が多かったそうですが、この頃には明るい色彩を用いて青い空、朝のすがすがしい光に
照らされて輝くロワン河畔の水面と湖畔に建つ家々を柔らかな色調で描いています。

2.印象派を超えて:セザンヌとゴッホ、ゴーガン
ポール・セザンヌ(1839年―1906年)
《プロヴァンスの風景》1879-1882年 油彩/カンヴァス54,7×65,5㎝
セザンヌの故郷は自然が豊かな南仏プロヴァンスです。陽光に満ちた青い空、山の斜面に建つ家、緑の木々などが
鮮やかな色彩で描かれています。画面中央の家には、プロヴァンスで「マス」と呼ばれるモルタル塗りの壁と
赤く平たな瓦葺き屋根はこの地域に見られる農家です。家の周りには、強風を防ぐための木々が植えられていて
木々全体を統一的な構築を長方形のタッチで積み重ねて描いています。
ポーラ美術館で買ったときの図録はこの作品が表紙でした。子供と出かけたので懐かしい想い出です。

フィセット・ファン・ゴッホ(1853年―1890年)
《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 油彩/カンヴァス46,8×51,3㎝
ローヌ河畔のアルルにはローマ時代以来の歴史を有するこの町を理想郷と見なしたゴッホは、陽光の降り注ぐこの地で
新たに発見した色彩の効果を探究して日々を過ごしました。この作品は画面大半を占める空と運河の青に対して橋と
土手には部分的に黄色が使われています。土手に生い茂る草に始まり、橋上の低木林の緑の中にはアクセントして
赤で描いてあり、鮮やかな色彩が浮かび上がっています。
今まで鑑賞したゴッホの作品のうちで好きな作品になりました。

ポール・ゴーガン(1848年-1903年)
《小屋の前の犬、タヒチ》1892年 油彩/カンヴァス41,2×67,1㎝
文明社会に背を向けて、南洋の原始的で野性的な環境で絵画を制作したゴーガンは現地の風景や風俗、
そして宗教を主題とした作品を数多く残しました。この作品は植物だけを材料として組み立てられた
タヒチの伝統的な小屋を中心に馬や犬、そして現地に暮らす人々といった牧歌的な生活の様子が描かれています。
細やかな筆触の連なりによって生み出されるれた赤、緑、そして黄色といった色面が画面を構成しており
平面的なゴーガン特有の作風が生み出されいます。


3.象徴主義と新印象派:ルドン、シニャック、クロス
ポール・シニャック(1863年-1935年)
《オーセールの橋》1902年 油彩/カンヴァス73,2×92,2㎝
点描技法の創始者であるスーラが急逝した後、新印象派の牽引役なった彼は、はじめは細かな点描技法を用いていましたが
この作品は比較的大きな筆触を連ね、モザイク壁画を思わせる装飾性のあふれる技法を取り入れています。
フランスのブルゴーニュ地方の港町オーセールで制作。
町の中心を流れるヨンヌ川の左岸に当たる橋の向こう側にそびえるのは、荘厳なゴシック様式の塔を持つサン=テティエンヌ大聖堂と
尖塔型の鐘楼を持つサン=ジェルマン修道院です。人々が行き会う前景の護岸に用いられた青や紫など寒色の筆触が輝く水面や
陽の光を受ける後景の建築群の明るい色彩を際立たせています。


4.20世紀の前衛芸術:ヴラマンク、マティス、マルケ
アルベール・マルケ(1875年―1947年)
《パリ、カルーゼル広場》1910年 油彩/カンヴァス65,1×81,1㎝
画面の中景奥、および延長上にカーゼール門とエトワール広場の凱旋門が見えることからこの作品はルーヴル宮殿から
テュイルリー公園に向かって描いているそうです。立ち並ぶ木々が緑の階調を作り出しつつ、地面にくっきりとした影を
作り出しており、午後の強い光を浴びた庭園の様子を描き、色彩を巧みに駆使する画家の特徴だそうですが
構図が珍しいと思いました。

ピエール・ポナール(1867年―1947年)
《ミモザのある階段》1946年頃 油彩 カンヴァス80,8×68,8㎝
ポナールが晩年に暮らした地中海岸の町ル・カネ自邸の庭が描かれています。
中央の階段は、邸宅のある敷地から上方に咲くミモザが咲き誇り、ミモザのほうにゆるやかな弧を描きながら数々の植物に
取り囲まれています。濃い黄で描かれた花、緑の葉が鮮やかな高い樹木や、階段のの脇に丸い茂みを形成する灌木もあれば
紺碧の空を背景に枝を垂れた植物も見られます。
さらに複数の種類の花が何色も合わせた色面が、隙間なく庭の斜面を覆い尽くしています。起伏にとんだこの色彩の庭は
地中海の光の下に萌え出る自然の生命力を豊かに表現している作品です。

5.色彩と造形への挑戦:ピカソ、ブラック、シャガール
パプロ・ピカソ(1881年―1973年)
《花束を持つピエロに扮するパウロ》1929年 油彩/カンヴァス130,4×97,3㎝
この肖像画はピカソの息子パウロです。8歳になっていた息子は大人びた表情を見せ、堂々とした姿で描かれています。
色とりどりの花束や、同じ色の花飾りのついた杖と帽子を身に着け、可愛らしい幼年時代の面影も残しています。
前期の作品ですが巧みの筆致を用いて描かれ、親しみ深い作品です。

マルク・シャガール(1887年―1985年)
《オペラ座の人々》1968-1971年 油彩/カンヴァス129,8×97,0㎝
シャガールの80歳代前半の作品です。その頃は世界的な巨匠としての栄誉を浴していました。
パリのオペラ座を背景にした抱き合う男女、弦楽器を持つ音楽家、幸福のシンボルを宿り木を男女に捧げる鳥
自分の頭部投げる軽業師が空中の輪舞を華麗に繰り広げています。画面下で微笑む男はシャガールだと言われています。
彼はカラー・リトグラフや水彩画の制作により追求した瑞々しい色彩表現をフラスコ画のような重厚感のある大画面に
実現する卓越した技を披露しています。
シャガールのリトルグラフは見かけることがありますので誰でも親しみやすいと思います。

    《町の上ので、ヴィテブスク》1915年 油彩/カンヴァス129,8×97,0㎝
知人はこの作品が好きと言いましたので、2回目にじっくりと鑑賞すると確かに良さが理解できました。
この作品はシャガールの故郷の上を抱き合う一組の恋人たちが浮遊している幻想的な場面を描いています。
分割された色面から恋人たちと輪郭線で囲まれたヴィテブスクの家並み、異なった木の柵などには
キュビスムの影響を感じさせる幾何学的な表現がみられます。
画面には結婚直後のシャガールとベラの喜びと幸福感や穏やかで優しい情感に満ちています。

魅力ある作品は多数あってまだまだ選びたい気持ちです。 開催日の残りは後3日です。

        写真はロービーの垂れ幕から撮影
  
ムール貝採り(ピエール・オーギュスト・ルノワール)の一部です。右側には子供を見つめる母親が描かれています。
セーヌ河の日没、冬(クロード・モネ )光と影の対比が印象的で冬の日没ですので色彩は濃く中央の一部です。    


再興第100回日本美術院展覧会

2016-06-05 16:32:40 | Weblog
島根(西)展が5月13日(金)~5月29日(日)まで今井美術館で開催されました。
同人作品、受賞作品、入選作品68点が展示されました。島根県に住んでから91回~100回まで毎年鑑賞していましたので
同人の画家の名前、特徴も少々分かるようになり、記念すべき展覧会はどんな作品が鑑賞できるか楽しみに出かけました。

[好きな作品]
玄皎想(げんこうそう) (松尾 敏雄) 【日本美術院理事長】
水墨画基調とした作品。大観が「玄皎会」を開いたことに由来して「大観の意志である日本画の王道を歩こうと
新しい旅立ちを決意して描かれたそうです。「玄皎とは(黒と白)の手法」です。
画面いっぱいに描かれた白い牡丹は品格があって葉は墨の濃淡によって花が引き立っていました。

行間のよみ (宮廻(みやさこ) 正明)
イタリア・フィレンツェの街を流れる川にボートが水面を切って進む場面を藍色を基調に描いた作品。
水面に広がる波紋、行間に幻想的な光景が宗教的なものを感じました。行間には般若心経を描き込まれたそうですが、
近くで観ますと文字が薄らと見えました。般若心経の内容をよく知っていましたら奥深く読み取ることができたと思いますので
お経を聞く事があるときはじっくりお話を聴きましょう。
題名が「行間のよみ」行間の幅が違い発想が凄いと思いました。

森の住民(すみびと) (西田 俊英(しゅんえい)
巨樹が生い茂る屋久島(鹿児島県)の森をモチーフに、墨を中心に描かれた作品。
暗い洞窟の中から、太古の森を垣間見ている場面を表現したそうですが、住民は何かしらと思いましたら、
煌めく青空に子ザルでしょうか小枝に飛び移っている様子を観つけ自然の中の楽しみを感じました。

菊花 (那波多目(なばため) 功一)
全面に輝く金地着色(金箔押し地)の余白を十分に生かし、優美な糸菊が描かれている作品。
繊細で優雅な画風で四季の花をモーチフにしておられる作者は好きな画家です。今回は背景の金箔の輝きに目を見張りました。
華麗な糸菊が舞い、緑の葉はシンプルな構図ですが下に小菊が描かれたことにより、みずみずしさと凛とした清々しさを感じました。
院展91回の表紙に「きく図」が描かれていますがその花びらも素晴らしいです。

文部科学大臣賞  鉄線 (斉藤 満栄(みつえい)
初夏に白い花や紫の花が次々と咲き誇る鉄線はすっきりした花で庭を彩ります。
画の花は白色でしたが中心に紫の雄しべが描かれて花に力強さもあります。
画面全体にいっぱいの花が咲き、たくさんの葉っぱが爽やかで上品でした。

夕桜 (梅原 幸雄)
奈良県仏隆寺の望月桜(千年桜)作品
夕方の桜はうっとりする美しさとあやしさがあったそうですが、巨樹の側に一人の振袖を着た女性が描かれていました。
大和撫子の人物に魅力を感じました。
98回に展示された「旅の夕」作品はエキゾチックが漂う神秘的なインド女性が描かれていましたので対照的でした。

渦潮 (田淵 俊夫)
徳島県の鳴門のうず潮は、太平洋から入り込む海水と瀬戸内海からながれ出る海水が大量にぶつかって発生します。
春秋の限られた季節と時間に渦が大きくなると言います。その神秘性を海の芸術と捉えられて描かれた作品。
遠方の島々の瀬戸内海を描き、前方に渦潮を横いっぱいに描かれて柔らかい色彩によって神秘を感じます。
夫はもう一つのうず潮(松村 公嗣(こうじ))をじっと観ていましたがうず潮だけを大胆に明るく描いた作品でした。

[目に留まった作品]

内閣総理大臣賞
皇紀の一生 (宮北 千織(ちおり)

春三月(いこい) (鎌倉 秀雄) 宙と共に(郷倉 和子) 不忍 (手塚 雄二) 
緑映大和(後藤 純男)  山茶花(王(わん) 培(ぺい) 歩み続ける(伊藤 髟耳(ほうじ) 
白道(井手(いで) 康人(やすと) 雪月花(高橋 天山) 渡る風(小田野 尚之)
滝(大野 百樹(ももき)) 風の庭(北田 克己)集う(菊川 三織子(みおこ)
一葉(いちよう)の躊躇い(ためら)(染谷 香理) 伶(わざおき)(國司(こくし) 華子)

[夫がじっくり鑑賞していた作品]

日本美術院賞(大観賞) あずける (武部 雅子)  永遠の彩り(藁谷(わらや) 実)

行間のよみ(宮廻(みやさこ) 正明) 海霧(清水 達三) 鎮魂クトナーホラにて(吉村 誠司) 
中3とタンポポの頃(村上裕二) 帰還(清水 由郎(よしろう) 宵い刻(とき)(福井 爽人(さわと)
松樹千年(今井 珠泉(しゅせん) 雲上朝暘(うんじょうちょうよう)(下田 義寛)  
朝陽(あさひ)の中で(福王寺 一彦) うず潮(松村 公嗣(こうじ) 浄土須弥(大矢 紀) 
三原山(川瀬 麿士(まろし)

今井産業本社ビルの日本庭園 

今井美術館に隣接する今井産業本社ビルの特別応接室では会期中期間限定のカフェがあります。
大きな窓ガラスからは、松やサツキ、巧みに配置された庭石などが一望できます。
鑑賞後夫婦でコーヒーを頂きましたがレアチーズケーキが美味しくケーキ皿にはケーキの周りにきれいに
小さな果物、絞りクリームが配色良く飾ってあって至福のひとときを過ごしました。
許可を得て撮影しましたが、青空と新緑のコントラスが綺麗でした。


ハマナスの自生地

2016-05-18 17:45:27 | Weblog

島根県大田市静間町垂水地区の近藤ヶ浜にハマナスの自生地があります。
日本海側の西限地として県の天然記念物に指定。
ハマナスの分布は海外では朝鮮半島、中国東北部、サハリン、カムチャッカ
日本では寒冷地の北海道に多く、本州では太平洋側では茨城県、日本海側では島根県に分布。
5月初めに鮮やかなハマナスの花が新聞に出ていましたので、見頃の8日に行きましたが花びらが落ちていて
がっかりしましたが、海岸の周囲には種々の植物があって写真を撮って楽しみました。
蕾が少々ありましたので15日に再度訪れ、念願かなってハマナスの花を観ることができました。
花数は少しでしたが色鮮やかな赤紫の花、蕾、緑の実を観察できて満足しました。

ハマナスについて


分類:バラ科、バラ属 和名:(浜茄子)(浜梨)
ハマナスは花径6㎝~8㎝です。
初夏から晩夏にかけて次々に花を咲かせますが、ひとつひとつの花は命は短い1日草です。
生育地は海岸の砂地、落用樹木、高さは1m~1,5m 
茎は枝分かれして立ち上がり、茎には細かい棘があります。
葉は奇数羽状複葉(きすううじょうふくよう)
『葉の形態の主脈の左右に小葉が羽状に並んでいるものです』
小葉は5枚~9枚、形は楕円形 
実の特徴は花の後でき実は偽果『子房以外の部分が加わってできる果実』で
紅く熟し、甘酸っぱくてビタミンCが豊富です。
現在は園芸用に品種改良されたものもあります。

周囲に咲いていた花

   ハナニガナ             ハナボッス

ハマニガナ(浜苦菜
分類:キク科、ニガナ属、被子植物、多年草、海岸の砂地に生育。
砂浜で長い地下茎を伸ばして増え、葉は3㎝~5㎝、長い葉柄があります。
花期は4月~10月、葉腋から長さ10㎝になる花茎を伸ばし、
2㎝~3㎝の黄色の頭花をつけ、総苞は筒形で長さ10㎜~11㎜、総苞片は内側より短い。
果実は痩果で長さ6㎝~7㎝になり痩果のくちばし状は太く短いそうです。
ハナボッス(浜払子
分類:サクラソウ科、オカトラノオ属、越年草
北海道から沖縄県まで広範囲に分布、海岸に生育。
高さ10㎝~40cm、茎は茎部から分岐して直立しています。
花は5月から6月に1㎝の小さな白花を咲かせ、花冠は先端に5つに分かれています。
葉は光沢があり、やや多肉質で、葉の付き方は互生で均等に陽が当たるよう螺旋状に付いています。
緑の葉に白の花は浜辺に良く映えます。


          ハマエンドウ                          コマツヨイグサ

ハナエンドウ(浜碗豆)
分類:マメ科、レンリソウ属 多年草
日本各地の海岸に分布。日当たりの良い砂地や岩場などによく見られます。
草丈は高くなく地表面に沿って茎を伸ばし這って広がります。
葉は偶数羽状複葉、葉の先端には巻きひげがあります。
花期は4月~7月。濃紫色の花を咲かせ、スイートピーに似ており可愛い花です。
実はエンドウマメのような形状です。
コマツヨイグサ(小待宵草)
分類:アカバナ科、マツヨイグサ属、多年草
北アメリカ原産。日本には明治時代後半に渡来して分布拡大。
河原、裸地、農耕地などに生育。
花期は5月~7月、腋に直径4cmほどの淡黄色の4弁花をつける可憐な花です。
草丈は20㎝~40cm茎は斜上または匍匐(ほふく)『地面を這って伸びる蔓状の茎』
根元からよく分岐し、葉は無柄で互生、長さ3㎝~7㎝の細長い縁は不規則なぎざぎざの鋸歯です。


          葉(5月8日撮影)                      花(5月15日撮影)
ハマヒルガオ(浜昼顔
分類:ヒルガオ科、ヒルガオ属、多年草
北海道から沖縄にかけて分布、海岸の砂地に生育。
開花時期は5月~6月 花径は4㎝~5㎝の淡紅色。花冠は浅く5つに裂けます。
花は5~6月に咲き、花柄は葉より長く、葉の上に抜き出て咲きます。
草丈は10cm~20cm。茎は砂の上を這い、茎が砂に埋もれて葉だけが出ます。
葉は腎心形、やや丸くて基部は左右に張り出し、葉はつやのある緑で厚みがあります。長さは2㎝~4cm、幅は3㎝~5cm。
実は果(さくか)『熟すると下部が裂け、種子が散布される果実』です。
8日には咲いていなくて、15日には綺麗なハマナスの花を見つけ季節の植物変化を観賞するのも楽しみがあります。

名前が分からない植物



ハマナス案内板の前にある山

      ツルニチニチソウ                       ニセアカシア
           
ツルニチニチソウ(蔓日々草
分類:キョウチクトウ科 ツルニチニチソウ属 多年草
開花は3月~7月 花に付く茎が直立し、青紫色の花が咲く。
筒状の合弁花で咳が5つに大きく裂けています。
原産地はヨーロッパ中部からコーカサス、観賞用に渡来したものが野生化して庭植え、道端、林の中で見かけます。
落ち着いた竹林の中に点在して目立ちましたが優しさを感じます。
ニセアカシア(和名はハリエンジュ(針槐))
分類:マメ科 ハリエンジュ属の北米原産の落葉高木
樹高は20m~25m、花は5月~6月に白色の総状花序で蝶形花を下垂し、強い芳香のある白い蝶形の花は10㎝~15cmほどの房状に大量に咲かせます。
葉は奇数羽状複葉で小葉は薄く5~9は、基部に1対の棘あり、小葉は楕円形で3~9対。
花の後に平たい5cmほどの鞘に包まれた4~5個の豆ができるそうです。
8日は満開できれいでしたが15日には花は一房も付いていませんでした。
用途は街路樹、公園樹、砂防・土止めに植栽、

         
   近藤ヶ浜

ハマナスの花が咲く所から五月晴れの空、美しい山陰海岸の海、白い砂浜、さざ波を聞きながら
美味し空気をいっぱい吸って夫婦で自然を満喫しました。

堤防の菜の花と畑に咲く菜の花

2016-04-09 10:21:42 | Weblog

久しぶりに土手を散歩していると堤防には綺麗な若葉色の菜の花が所々点在しておりました。
遠方の山桜や川の水の流れをのんびり眺めるのも田舎生活の楽しみです。
少し歩いているとある家の一本の桜が堤防に垂れ下がっていて、淡紅色の桜と菜の花のコントラストが素晴らしく春爛漫です。

我が家の畑には冬野菜が残り種々の花が順番に咲き始め3月から毎日食しています。

     ブロコッリー               赤カブ                 水菜  

             大根の花                           チンゲン菜
写真以外に一番最初に咲いた白菜、これから咲く高菜もあります。
大根の花は咲き始めは白色で徐々に藤色に変わり上品な花です。

菜の花を使ったお料理
朝食にゴマ和えおひたし、シーチキンと茹で菜の花のマヨネーズ和え、
辛明太子とマヨネーズ和え、ウィンナーと菜の花炒め、菜の花と炒り卵
すまきカマボコの付け合せに茹で菜の花を使います。
昼食にはアサリのスパゲティ、ベーコンとスパゲティに一緒に炒めます。
夕食は煮びたしに刈り取ったばかりのワカメと菜の花、厚揚げなど・・・
てんぷらの材料にも加えます。また色取りには茶碗蒸し、すまし汁、バラ寿司など色々と調理でき重宝です。

菜の花は栄養価の高い緑黄色野菜です。栄養素のバランスが良くて、抗酸化作用のあるビタミンA(βカロテン)
ビタミンC、ビタミンEを豊富に含みます。ビタミンB1、B2、ビタミンC、鉄、カルシウム、カリウム
食物繊維などの豊富な栄養素をバランスよく含んでいます。

菜の花畑

2016-04-05 16:20:13 | Weblog

日ごとに暖かくなり旅に出かけたくなりますが、JRの山陰線では
菜の花と桜が見頃になりました。座席は日本海側へ座ると良いです。
大田市静間町では駅の近くの畑は一面に黄色の菜の花が咲き誇り見事でした。
風に揺れながらモンシロチョウが忙しそうに飛び廻っていましたが、カメラでは追いかけられず
写真は中々撮れませんでしたがやっと一匹あぜ道で写すことが出来ました。
田園風景は好きでズームで撮影しましたが、色はもう少し落ち着いた景色でした。


NHKの朝のドラマ『あさが来た』のラストシーンは菜の花畑でした。
老後も奮闘するヒロインあさに新次郎(亡夫)が「今日もがんばっはりますな」と優しく語りかけ二人が微笑み会う
暖かいシーンで終わりました。風景が素晴らしく心に残り菜の花が咲くと想いだすことでしょう!


菜の花と列車の写真も撮りたくなり2日間でかけました。
快速アクアライナーは駅から5分上り方向です。
特急まつかぜは駅から3分下った踏切の側で撮影
写真愛好の方が時計を見ながら方向、位置など教えていただきました。
やはり数を多く写すことが一番大切だそうです。

“第7回しずま 菜の花まつり”
3月27日(日) JR駅の周辺でありました。
イベント
●菜種油で揚げた山野草を食べよう!! 池田田植えばやし 2つの保育園の鼓笛、歌 銭太鼓 土江子ども神楽
大田市マスコットキャラクター「らとちゃん」もやってきました。
●フリーマーケット21出店 
初めて行ったのですがとても盛大でした。珍しい食べ物で菜種油のてんぷらはあっさりしていました。
『浜防風せんべい』は香りがあって美味しく大田市のお店で販売されていましたら買いたいです。

       大田市池田田植えばやし

ハナモモ

2016-03-24 11:34:19 | Weblog
各地では桜の開花が発表されていますが、ハナモモの開花は桜の開花前後に最盛期を迎えます。
我が家にはハナモモの花が二本ありますが、最初に咲いたのは鮮やかな桃色の八重桜に似たハナモモでした。(品種は矢口)


            (3月11日撮影)


もう一本は今つぼみで、花は(品種は源平)
一本の木から、ピンクと白の花が咲きます。
  4月入ってやっと美しく咲きました。          
            (4月3日撮影)


ハナモモについて
原産国:中国 界:被子植物 科名:バラ科 目:バラ目 属:モモ属 
桃の木には食用の実桃と花を楽しむ園芸用のハナモモの2種類に分けられます。
ハナモモも結実しますが、実は梅の実のように小さくて食用には適しません。
樹形は立性、枝垂れ性、ほうき立ち性
モモの歴史
中国から渡来したのは弥生時代と言われています。
『古事記』にもイザナギが黄泉の国から逃げ帰るとき悪鬼に桃を投げつけて退散させたとありますから
古い時代から栽培されていたようです。
その後平安時代には3月3日の桃の節句に祝われ、桃の花が観賞されるようになりました。
江戸時代に入ってからは観賞のハナモモとして改良が行われたそうです。

活け花

12月にハナモモの剪定した枝を夫が庭に放置していました。
もしかしたら蕾が出るのではないかしらと思って枝を壺に活けました。
花は家の庭からハランとピンクの山茶花、市販の黄色の百合とハナワキク。一ヶ月過ぎて百合とハナワキクが枯れたので
その後は庭の山茶花、赤い椿、木蓮、畑の菜の花などを足しています。  
2月初旬に枝から蕾が出て、庭の花より蕾が早く膨らみ始め、今年は春から縁起が良いと喜びました。
室内の花と庭の花の成長を楽しみに観察してきました。

暖かくなった3月は庭の花が早く咲き花径は大きく、美しい桃色の花びらは室内より色は濃く太陽の恵みの偉大さを感じました。
今は庭の花は萎み若芽の葉が出ています。室内の花はまだ蕾もありますのでまだ楽しみがあります。

花言葉:人柄の良さ、恋のとりこ、あなたに夢中です

出雲の音楽祭

2016-03-01 14:23:56 | Weblog

出雲フェスティバル「響け、出雲の音楽」が2月27日に出雲市の市民会館で開催されました。
主催は出雲市芸術振興実行委員会で地元の中学生、高校生の吹奏楽団や合唱団。
AKASAKA木管五重奏団、出雲市出身のオペラ歌手錦織健さんが招かれました。
出雲の中学生、高校生の吹奏楽団、合唱団は全国でもレベルが高く実際に聴きたいと思っていました。
オペラ歌手の錦織健は好きな歌手ですので、公演券はインターネットで2名申し込み夫婦で行って来ました。
期待して出かけましたが期待した以上に素晴らしく魅了しました。まだ余韻があり心豊かに過ごしております。
第1部
 出雲市の中高生による吹奏楽コンサート
 1.出雲市立平田中学、出雲市立湖陵中学校(合同吹奏楽)
    式典のための行進曲「栄光をたたえて」………作曲 内藤淳一
    斐伊川に流れるクシナダ姫の涙 ………………作曲 樽屋雅徳
 2.出雲北陵高等学校吹奏楽部
    「ミス・サイゴン」より …作曲 C.M.シェーンベルク

AKASAKA木管五重奏団
    1.ハイドン(ベリー編曲):ディヴェルティメントより
      第1楽章 第2楽章
    2.イベール:3つの小品
    3.R.ロジャーズ(ホルコンブ編曲):サウンド・オブ・ミュージック・セレクション

AKASAKA木管五重奏団
   出雲北陵高等学校・出雲市立平田中学・出雲市立湖陵中学校合同演奏
    「花は咲く」…………作詞 岩井俊二 作曲 菅野よう子


真っ白な雪道と春風薫る わたしはなつかしいあの街を思い出す・・・

感想
最初に行進曲で始まり、次に神話のふるさとにふさわしい「斐伊川に流れるクシナダ姫の涙」を演奏され、
選曲が良くて演奏する学生の熱心さが伝わってきました。
木管五重奏の演奏を聴いたのは初めてですが、柔らかい音色も良いですね。
「ディヴェルティメントより」はハイドンの曲だそうですが素朴でどこかで聴いたことがあるような気がして
口ずさみたくなりました。
「花は咲く」 平成23年3月11日(2011年)東北地方に太平洋沖地震が発生しました。(東日本大震災)
被災地の物心両面の復興を応援されるために制作されたチャリーティーソングですが、大勢の生徒さんが
吹奏楽に合わせて合唱され心にジーンと響きました。
AKASAKA木管五重奏団が一緒で木管楽器の良さがわかりました。

第2部
出雲市の中学生による合唱コンサート
 1.出雲市立第三中学校合唱部
    女性合唱にのための無伴奏小品集「愛のとき」から
   「いたいな」「霧明け」…………作詞 木島始 作曲 高嶋みどり
   「COSMOS」…………………作詞・作曲 ミマス 編曲 冨澤裕
 2.出雲北陵中学・高等学校合唱部
    北国の春……………作詞 いではく 作曲 遠藤実 編曲 信長貴富
    愛の歌………………作詞・作曲 前川真吾 編曲 井上一平
    こころよ うたえ…作詞 市倉宏 作曲 信長貴富

 3.出雲市立第三中学校・出雲北陵中学・高等学校合唱部(合同合唱)
    未来へ………………作詞 谷川俊太郎 作曲 信長貴富

錦織健リサイタル
 カッチーニ:アヴェ・マリア
 服部良一:蘇州夜曲
 スッベ:恋はやさしい野辺の花よ
 ブッチーニ:「トゥーランドット」より“誰も寝てはならなぬ”
 ラカジェ:アマポーラ
 サルトリ&クァラントット:タイム・トゥ・セイ・グッバイ

錦織健・出雲北陵中学・高等学校・出雲市立第三中学校合同演奏
 愛しきわが出雲……………作詞・作曲 竹内まりや 編曲 相沢直人     

                            
感想
合同合唱「未来へ」は誰もが考える詩ですが、未来のある学生たちが心を込めて
合唱されている様子が伝わりました。
錦織健リサイタルは歌曲、歌謡曲、オペレッタ、オペラ、ラブソング、イタリア民謡など、幅広くどの曲も好きですが
特にオペラ曲が好きで「トゥーランドット」はフィギュアスケートでは編曲したものが良く使われて盛り上がりが良く合いますが
錦織さんの歌は美声で盛り上りが素晴らしくうっとりしました。タイム・トゥ・セイ・グッバイもそうでした。
「恋はやさしい野辺の花よ」浅草オペラの名テノール歌手の田谷力三が歌っておられた懐かしい曲でした。
お話も上手で楽しく盛り上がりました。いつかオペラを観られる機会がありましたら是非鑑賞したいです。
「愛しきわが出雲」を最後に歌われましたが出雲の良さが出ていました。
出雲大社御本殿の60年に一度の御修造「平成の大遷宮」が平成25年行われたとき、
出雲に生まれて育ったシンガーソングライター竹内まりやさんが故郷への想いを綴りできた唱歌です。
You Tubeで「愛しいわが出雲 竹内まりや」をご覧なると出雲の風景と歌詞を観ることが出来ます。
来年も出雲フェスティバルを開催される予定だそうです。楽しみにしております。

雪の松江城

2016-02-08 17:20:55 | Weblog
島根県は1 月23 日夜から1 月24 日にかけて、強い冬型の気圧配置となり、強い寒気が流れ、山地を中心に大雪となりました。
孤立した集落もあり、交通機関も乱れましたが、帰省していた子供が1月26日に松江の雪景色を見たいと出かけて
私のカメラで写真を撮ってくれました。

松江城
  
  
  
帰省するたび家族で何回かお城見物をしていましたが、いつも兄弟で「どうして国宝にならないのかな!」とつぶやいていました。
今回は国宝になった松江城を観て願いが叶いうれしかったと思います。

▲松江城国宝から重要文化財・そして悲願の国宝になった軌跡
1935年(昭和10年)「国宝保存法」により国宝に指定。
1950年(昭和25年)5月文化財保護法制定により、「重要文化財」と呼称。
2015年(平成27年)5月15日 国の文化審議会において国宝に指定するよう文部科学大臣に答申がなされる。
2015年(平成27年)7月8日 正式に国宝に指定。

▲国宝再指定の決め手になったのは2枚の「祈祷札」を発見。
慶長16年と明記された祈祷札が天守の柱に貼られていたことが証明され、柱に札を打ち付けた跡が見つかりました。
お城は大手前下車              記事一覧の2009年5月に松江城について書いています。


松江歴史資料館
  
           堀川遊覧                                北惣門橋
松江城の東に隣接し、江戸時代には松江藩の家老屋敷が建ち並んでいた場所にあります。
現在は、松江市の伝統美観保存区域に指定されており、武家屋敷や小泉八雲旧居・記念館なども近くにあります。

宍道湖
  
建物は県立美術館・嫁が島が見えます。

松江市内


●出雲市 高瀬川(疏水百選)
  
                                    高瀬川   
出雲市の高瀬川は長さ11㎞の短い川です。江戸時代には農作物などを積んだ高瀬舟が行きかっていました。
高瀬川沿いでは明治時代は藍染めが盛んで、染物屋さんが軒を並べていました。
出雲地方の伝統的な嫁入り風呂敷などを藍で染めるために高瀬川の水が使われました。
藍がむらなく染まるために余分な糊を落すための水洗いです。今は染物屋さんは1軒だけだそうです。

電車
  
        普通列車(益田発:出雲駅行き)                     無人駅
  
特急やくも(岡山発:出雲駅)                          一畑電車大社線                                           
                          (出雲駅:出雲大社前駅)(出雲大社前駅:松江しんじ湖温泉駅)川跡駅で乗り換え







記念艦「みかさ」

2016-01-08 14:47:58 | Weblog

横須賀港の「軍艦めぐり」後、三笠公園へ行きました。
「三笠公園」は「水と光と音」をテーマとした公園で「日本都市公園100選」「日本歴史公園100選」です。
噴水の側に東郷平八郎元帥の銅像があり、海側に記念艦「みかさ」が保存されていました。

三笠公園噴水と東郷平八郎元帥の銅像
記念艦「みかさ」の入り口

記念艦「三笠」は世界三大記念艦・海事遺産賞を受賞

略歴
明治35年(1902)英国ビッカース造船所で竣工。明治36年連合艦隊旗艦となりました。
明治37年ロシア帝国に国交断絶を通告して日露戦争が始まりました。旅順口攻撃や旅順口閉塞作戦に参加し、黄海海戦に参加
明治38年に日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊と対馬沖で東郷平八郎司令官率いる連合艦隊の旗艦として交戦。
勇猛果敢に戦い歴史記的な大勝利に導き戦争の終局に大きく貢献し、ポーツマス条約が締結されて両国の講和が成立しました。
大正15年記念館として現在の場所に固定され保存されました。
昭和20年日本は 太平洋戦争に敗れ、連合軍の進駐により「三笠」は陸橋、マスト、各砲、煙突など上甲板構造物を
すべて撤去され荒廃したそうです。
1961年(昭和36年)復元
昭和30年イギリスのジョン・ルービン氏が来日し、「三笠」の荒廃に慨嘆、帰国後ジャパンタイムスにその惨状について
寄稿した記事が大きく反響になって復元の機運が高まりました。
国民各層から寄せられた募金、ニミッツ元帥はじめとするアメリカ海軍などの協力、政府の支援で復元されました。

主要な展示室
■上甲板(舷門)入口、出口
 補助砲 錨床 30センチ前部主砲 第一ビデオ室 第2ビデオ室 36式無線通信機
■最上艦橋(操舵室・海図室 司令塔)
■中甲板 
 子供たちの展示室 右舷各企画展示室 「三笠」の航跡
中央展示室
〈黄海海戦や日本海海戦の資料、バルチック艦隊の回路、「三笠」の艦首飾、東郷元帥の遺品、当時の測距儀
日本海海戦のパノラマ模型、〉 
左舷側各展示室〈当時の世界情勢、日本の海軍建設、日露戦争の経緯、旅順港作戦、15cm副砲の操砲の操作など展示〉
士官室、艦長公室 長官室 スターンウォーク(回路)


艦尾の旗竿は軍艦旗ですが写りませんでした。
艦首の旗竿は日本の国旗、30センチ前部主砲
長官専用スターンウォーク(回路)


最上艦橋には操舵室・海図室
羅針盤指令官の命令を伝えた


現在の砲塔、煙突、マストなどは戦後に作成されたレプリカで、主砲はコンクリートで復元されています。
軍艦の資料館になっていますが、甲板の一部に軍艦当時のままのチーク材やトイレットルームのタイル床、
錨、アンカークレーンが残っており、通信室付一帯が鋲接構造で当時の遺構だそうです。

疲れるとビデオ室で映像を観るのも良いです。
子供さん連れは子供展示室に行くと分かり易く説明されています。
記念艦では当時の世界の情勢が良くわかり歴史を学びことが大切だと痛感しました。
※世界三大記念艦
三笠(日本) ヴィクトリー(イギリス) コンスティチューション(アメリカ)


三笠桟橋には東京湾に浮かぶ無人島の猿島観光に行く人達が多く並んでいました。
猿島は貴重な自然が残り、かって旧日本軍の要塞島があった所です。
場所は横須賀沖1,7㎞(船で約10分)だそうです。一度行ってみたい所です。

横須賀港

2015-12-24 16:04:38 | Weblog
横須賀港は神奈川県横須賀市に寛永6年(1853年)アメリカのペリー艦隊の黒船が浦賀に来航して以来横須賀製鉄所
海軍工廠、軍港として発展を遂げた所ですが、末っ子が日曜日に「横須賀の軍港めぐり」に誘ってくれました。
現在は在日アメリカ海軍基地、海上自衛隊の艦隊司令部が置かれていて横須賀基地は長浦港に隣接し在日米海軍司令部や
極東海軍施設部隊が置かれています。
第7艦隊に属する原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」揚陸指揮艦ブルー・リッツ、イージスシステムを搭載したミサイル巡洋艦
ミサイル駆逐艦(イージス艦)と言った軍艦が事実上の母港としているそうです。当日は出航していて観ることができませんでした。
出掛けた日は11月1日「自衛隊記念日」で人出も多く「YOKOSUKA軍港めぐり」の汐入ターミナルには並んで待つぐらいでした。
案内人が海上自衛隊やアメリカ海軍の基地に停泊している艦船の種類、名前、役割など分かりやすく説明して下さいました。

艦船には艦番号と名前が付いていること。
「自衛隊記念日」には艦隊に満艦飾が国際信号旗をつなぎ合わせ艦首からマスト、艦尾まで揚げて装飾されること。
実際に珍しいものを見て艦船の美しさを感じました。
そして停泊している艦船はその時によって違いますので、また訪れるのも良いみたいです。
クリスマス頃には艦船がライトアップされ、2016年の年明けには鮮やかな花火が打ち上げられて見事だそうです。

≪停泊していた艦船≫


いずも(DDH-183)
海上自衛隊の護衛艦(横須賀へ配属)
艦名は令制国の出雲に由来し、旧海軍の出雲型装甲巡洋艦「出雲」に続き二代目で
海上自衛隊の護衛艦としては初代です。
2015年現在海上自衛隊では最大の艦艇。19,500トンがあり、航空運用機能、揚陸輸送機能、補給機能、病院船機能があり
ヘリコプター搭載護衛艦としてジャパン マリユナイテッド横浜事業所磯子工場で2012に起工。2015年就役。


しらせ(AGB-5003)
南極観測船第二代
文部科学省国立極地研究所の南極地域南極観測隊の輸送・研究任務のために建造。
艦の運用は海上自衛隊により行われています。
砕氷能力を向上させた独特の局面形状の艦首や朔氷補助設備として船首散水装置など改良。
観測船はオレンジと白がマッチして良く目立ちました。今は11月16日に出港しましたので今は横須賀港では観ることができません。


潜水艦
潜水艦隊司令部(横須賀基地船越地区)
第2潜水隊群(横須賀基地楠ヶ浦地区)
横須賀潜水訓練分貴隊(横須賀基地楠ヶ浦地区)
アメリカ軍基地の港に停泊していました。
黒いクジラのような艦から煙を出している様がとても珍しいく思いました。


横須賀海軍施設乾ドック
基地内には大型艦船用ドックがあり、各艦艇の日々の点検、修理業務には横須賀基地内で行われています。


海洋観測艦
5104(わかさ) 5104(にちなん)


汎用護衛艦(DD)
107(いかづち) 129(やまゆき)

ヴェルニー公園
JR横須賀駅で降り、海岸線に沿って広がるヴェルニー公園。艦船と色とりどりのバラを観ながら、
汐入ターミナルに行き「横須賀軍港めぐりに」乗船しました。
フランス式庭園には赤いバラ、黄色のバラ、ピンクのバラ、つるバラ、白バラなどがありました。
バラの観賞は5月下旬と10月中旬に「バラまつり」がありますのでその時期が一番良いのではないでしょうか。


  


日本初の南極船
日本初の南極船「宗谷」は昭和31年から37年(6次)まで観測船として活躍しました。
その後昭和53年に退役するまでは海上保安庁巡視船として活躍、昭和54年から
船の科学館(東京都江東区青海1丁目)前に停留され永久保存として展示されています。
宗谷は昭和13年耐氷型貨物船として建造され、太平洋戦争を経験。
その後引き上げ船、灯台補給船として使用された船です。
子供が小学生の時いとこ達と一緒に船の科学館に行って、見学したり遊んだことは遠い想い出となりした。
           

東京の夕焼け空

2015-12-16 20:57:08 | Weblog





夕焼けは日没の頃、西の地平線に近い空から赤く見える現象を言います。
空や山々を赤く染めあげて美しいものですが、あっという間に終わり
見とれているとカメラチャンスを逃してしまいます。
10月から11月に東京に居ましたのでその時写したものです。
東京の郊外ですが空気もきれいで隣の県は神奈川県です。良く晴れたときは
遠くの大山(おおやま)が見えることもあります。
私の好きな夕焼けは島根県立美術館から見る夕日です。
嫁が島がある宍道湖の夕日は素晴らしく屋上展望テラスがありますが、西側の屋外に出て芝生から眺めます。

霧のかかった空

朝目覚めたとき、窓ガラス越に見るといつもの景色がなく空は霧にすっぽり包まれて視界ゼロでした。
時間が経ってから雲の間から少しずつ丹沢の山並みが見え始めとても神秘的でした。
霧の発生は「放射霧」と言って放射冷却で地表付近の水分が冷やされる際に起きたためだそうです。