会期6月10日(金)~7月18日(月/祝日)
久しぶりに島根県立美術館「生誕130年 松岡映丘展」に行ってきました。
松岡映丘は明治14年(1881年~1938年)兵庫県に生まれ、8人兄弟の末っ子。
兄は国文学者の井上通泰、言語学者の松岡静雄、民族学者の柳田國男です。
業績は大正から昭和初期にかけて、文展・帝展を中心に活躍しましました。
日本のやまと絵の伝統を近代によみがえらせ「新興大和絵」と呼ばれる新しい表現を確立したそうです。
さらに大和絵の伝統を踏まえた新しい日本画の確立を目指して「国画院」を結成しました。
昭和12年国画院第一回展に武者絵の大作「矢表」と黒線主体の白描画を追及した「後鳥羽院と神崎の遊女たち」を
出品しています。
また東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授として文化勲章受章者を育てた優秀な教育者です。
その中には山口蓬春、山本丘人、橋本明治、杉山寧、高山辰夫がいます。
作品はきらびやかな色と繊細な筆使いで、「源氏物語」「平家物語」など日本古典文学に登場する
王朝貴族、武者など、優雅でロマンチックに描き上げています。
また「風景画」の鮮やかな青や緑の発色が素晴らしく特に「さつきまつ浜村」は空、海のぼかし、
繊細な波、鳥、松、家、船など全景をじっくり鑑賞すると良いです。
島根県立美術館入口
写真の作品
「千草の丘」
古典文学のモチーフから離れた現代風俗を表現した作品。
モデルは21歳の女優水谷八重子(初代)です。人物に風景描写を独立した純風景として表現することに意を注ぎ、
1本1本丁寧に可憐な野の花の数々、松の幹枝に照りかえる日光や細密に描かれた松葉、色の濃淡やぼかしの
テクニックを駆使した遠近感の表現など映丘が目指した大和絵の本質的なものを示しているそうです。
「宇治の宮の姫君」
『源氏物語』第45帖、「宇治十帖」の一帖「橋姫」の場面に由来する。
源氏の異母弟で今は零落してしまった八の宮と懇意にしている薫は、二人の姫君と暮らす宇治の屋敷に足しげく通い続ける。
秋のある夜、八の宮不在の宇治の屋敷を訪れると、有明の月のもと、琵琶と筝を合奏する姫君たちを垣間見る。
その気品高く、優雅な姿に薫はひかれるという場面が描かれている。
左隻はそれとは別の「須磨」の物語から、有明の月を眺める源氏とこれを見送る中納言の君を描いた場面との指摘がある。
(画題解説より)
第6回文展に右隻が初入選。人物描写をベースに流麗な線描を駆使して濃彩ながら落ちついた雰囲気にまとめています。
伝統的な俯瞰構図を踏まえつつ自然な視覚から姫君たちのやり取りをとらえ、この物語のエッセンスとなる情感を
集約するのに成功しているそうです。
松岡映丘の作品は山種美術館で「春光春衣」、「山科の宿」と芸大美術館所蔵名品展開館記念に
「伊香保の沼」を観ていますが、今回約60点あまりの作品を鑑賞して作者の偉大さが分り、
弟子に「古典の教養に立脚(りっきゃく)して時代に生きよ」とわれた意味が理解できました。
関連展示
「橋本明治 ―師・松岡映丘の薫陶(くんとう)を受けて―」
会期6月16日(木)~7月31日(日)当館のコレクション約50点を特集展示。
年表
橋本明治は島根県浜田市出身1904年(明治37年)~1991年(平成3年)
浜田中学(現浜田高校)を卒業後、東京美術学校日本画学科に学び松岡映丘に師事、画業の基礎を学びました。
1928年 妹をモデルに制作した≪ガラシャ夫人像≫が島根県展に入選。
1929年 帝国美術院第10回美術展覧会に 「花野」が入選。
1940年~1950年 法隆寺金堂壁画を模写する
1952年 芸能選奨文部大臣賞「赤い椅子」
1955年 日本芸術院賞を受賞。「まり千代像」
1967年から翌年にかけて、焼失した法隆寺金堂壁画再現模写に主任として参加
1974年 文化勲章を授与されました。
皇居新宮殿の壁画「桜」を制作されています。
展示されている作品
「花野」は初めて観る作品ですが、恩師の映丘作品「千草の丘」に共通しているところがあると感じました。
学芸員による作品解説では『「花野」は同校の4年学内コンクールで第1席の作品です。
主任教授の映丘はこの作品が気に入らず、「学校で1席をとろうということを考えて絵を描いちゃだめだ。
もっと難しい絵を描きなさい」と忠告されて、その後、少女2人の構図に変え、倍の大きさで描き改めた作品が
10回帝展で入選しました。』
後期の作品は、「鶴」と「舞妓」をおもなモチーフとしながら、強い描写よる明快な形体と鮮やかな色彩を融合させた
独特の作風を生み出し、現代日本画壇に新しい方向性を示しました。
県立美術館に行くと必ずコレクション室で橋本明治の作品を観ますが、「関取」は貴ノ花が早く横綱になって欲しいとの
思いから意識的に10キロ太らせた体格で筋肉をたくましく描いているそうです。
明治が首席で卒業した年に画いた「普賢菩薩像」は白像頭部の描写においては、明暗のコントラストを強めて巧みに
立体感を表現しているそうです。
私の好きな作品の「鶴と遊ぶ」は、舞妓と鶴を同画面に盛り込んだ華やかな作品です。
ギャラリートーク
担当学芸員による作品解説は7月17日(日)14:00に行われます。
松岡映丘の展覧会「東京展」
会期10月9日(日)~11月23日(水) 会場:練馬区立美術館
橋本明治画伯の銅像が浜田市世界こども美術館の庭にあります。一度浜田市世界こども美術館行かれるのも良いですよ
久しぶりに島根県立美術館「生誕130年 松岡映丘展」に行ってきました。
松岡映丘は明治14年(1881年~1938年)兵庫県に生まれ、8人兄弟の末っ子。
兄は国文学者の井上通泰、言語学者の松岡静雄、民族学者の柳田國男です。
業績は大正から昭和初期にかけて、文展・帝展を中心に活躍しましました。
日本のやまと絵の伝統を近代によみがえらせ「新興大和絵」と呼ばれる新しい表現を確立したそうです。
さらに大和絵の伝統を踏まえた新しい日本画の確立を目指して「国画院」を結成しました。
昭和12年国画院第一回展に武者絵の大作「矢表」と黒線主体の白描画を追及した「後鳥羽院と神崎の遊女たち」を
出品しています。
また東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授として文化勲章受章者を育てた優秀な教育者です。
その中には山口蓬春、山本丘人、橋本明治、杉山寧、高山辰夫がいます。
作品はきらびやかな色と繊細な筆使いで、「源氏物語」「平家物語」など日本古典文学に登場する
王朝貴族、武者など、優雅でロマンチックに描き上げています。
また「風景画」の鮮やかな青や緑の発色が素晴らしく特に「さつきまつ浜村」は空、海のぼかし、
繊細な波、鳥、松、家、船など全景をじっくり鑑賞すると良いです。
島根県立美術館入口
写真の作品
「千草の丘」
古典文学のモチーフから離れた現代風俗を表現した作品。
モデルは21歳の女優水谷八重子(初代)です。人物に風景描写を独立した純風景として表現することに意を注ぎ、
1本1本丁寧に可憐な野の花の数々、松の幹枝に照りかえる日光や細密に描かれた松葉、色の濃淡やぼかしの
テクニックを駆使した遠近感の表現など映丘が目指した大和絵の本質的なものを示しているそうです。
「宇治の宮の姫君」
『源氏物語』第45帖、「宇治十帖」の一帖「橋姫」の場面に由来する。
源氏の異母弟で今は零落してしまった八の宮と懇意にしている薫は、二人の姫君と暮らす宇治の屋敷に足しげく通い続ける。
秋のある夜、八の宮不在の宇治の屋敷を訪れると、有明の月のもと、琵琶と筝を合奏する姫君たちを垣間見る。
その気品高く、優雅な姿に薫はひかれるという場面が描かれている。
左隻はそれとは別の「須磨」の物語から、有明の月を眺める源氏とこれを見送る中納言の君を描いた場面との指摘がある。
(画題解説より)
第6回文展に右隻が初入選。人物描写をベースに流麗な線描を駆使して濃彩ながら落ちついた雰囲気にまとめています。
伝統的な俯瞰構図を踏まえつつ自然な視覚から姫君たちのやり取りをとらえ、この物語のエッセンスとなる情感を
集約するのに成功しているそうです。
松岡映丘の作品は山種美術館で「春光春衣」、「山科の宿」と芸大美術館所蔵名品展開館記念に
「伊香保の沼」を観ていますが、今回約60点あまりの作品を鑑賞して作者の偉大さが分り、
弟子に「古典の教養に立脚(りっきゃく)して時代に生きよ」とわれた意味が理解できました。
関連展示
「橋本明治 ―師・松岡映丘の薫陶(くんとう)を受けて―」
会期6月16日(木)~7月31日(日)当館のコレクション約50点を特集展示。
年表
橋本明治は島根県浜田市出身1904年(明治37年)~1991年(平成3年)
浜田中学(現浜田高校)を卒業後、東京美術学校日本画学科に学び松岡映丘に師事、画業の基礎を学びました。
1928年 妹をモデルに制作した≪ガラシャ夫人像≫が島根県展に入選。
1929年 帝国美術院第10回美術展覧会に 「花野」が入選。
1940年~1950年 法隆寺金堂壁画を模写する
1952年 芸能選奨文部大臣賞「赤い椅子」
1955年 日本芸術院賞を受賞。「まり千代像」
1967年から翌年にかけて、焼失した法隆寺金堂壁画再現模写に主任として参加
1974年 文化勲章を授与されました。
皇居新宮殿の壁画「桜」を制作されています。
展示されている作品
「花野」は初めて観る作品ですが、恩師の映丘作品「千草の丘」に共通しているところがあると感じました。
学芸員による作品解説では『「花野」は同校の4年学内コンクールで第1席の作品です。
主任教授の映丘はこの作品が気に入らず、「学校で1席をとろうということを考えて絵を描いちゃだめだ。
もっと難しい絵を描きなさい」と忠告されて、その後、少女2人の構図に変え、倍の大きさで描き改めた作品が
10回帝展で入選しました。』
後期の作品は、「鶴」と「舞妓」をおもなモチーフとしながら、強い描写よる明快な形体と鮮やかな色彩を融合させた
独特の作風を生み出し、現代日本画壇に新しい方向性を示しました。
県立美術館に行くと必ずコレクション室で橋本明治の作品を観ますが、「関取」は貴ノ花が早く横綱になって欲しいとの
思いから意識的に10キロ太らせた体格で筋肉をたくましく描いているそうです。
明治が首席で卒業した年に画いた「普賢菩薩像」は白像頭部の描写においては、明暗のコントラストを強めて巧みに
立体感を表現しているそうです。
私の好きな作品の「鶴と遊ぶ」は、舞妓と鶴を同画面に盛り込んだ華やかな作品です。
ギャラリートーク
担当学芸員による作品解説は7月17日(日)14:00に行われます。
松岡映丘の展覧会「東京展」
会期10月9日(日)~11月23日(水) 会場:練馬区立美術館
橋本明治画伯の銅像が浜田市世界こども美術館の庭にあります。一度浜田市世界こども美術館行かれるのも良いですよ