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自然を愛して

田舎暮らし

温州ミカンと夏みかんの花

2017-05-31 21:19:59 | Weblog

五月の初旬に裏庭に白い花の温州ミカンと中旬から夏みかんの花が木の枝に可憐に多数咲き甘い香りが漂っていました。
花は直径3㎝くらいの5弁花ですが、開花時期は2~3週間咲き今はほとんど散ってしまいました。
温州ミカンと夏みかんの花びらの形は少々違い、温州みかんの花は長めでちょっと星形のようです。
花柱は長めで柱頭がちょこんと付いています。夏みかんの花びらは桜の花のようにふっくらしておりました。

ウンシュウミカン(温州蜜柑)について

ミカン科・ミカン属 落葉果樹 開花期 5月 収穫期 9~2月
花、葉、果皮に半透明の油点があるのが特徴です。ミカンの皮がオレンジに見えるのは「フラベド」と言われ外果皮のせいで、
果実が成熟するにつれて緑色から黄色、オレンジ色に変化していきます。
皮を剥ぐと表われる白い繊維は、「アルベド」と呼ばれ、実と外皮の間の中果皮の部分です。
アルベドは根や葉っぱから吸収した水や養分を全体に回す役割をはたし、収穫期は11月~12月頃です。
みかんは直径6.5㎝~7cm前後で酸味が少なく多汁で糖度高いのが特徴。冬の人気の果物で果物籠にはいつも入れています。
効能
●血行の改善 
栄養素:ビタミンA・C、ペクチン、ヘスペリジン、葉酸、カリウム、
ヘスペリジン「別名ビタミンP」フラボノライドの一種。ビタミンCの働きや吸収を助け、毛細血管を丈夫にして
血流を改善する働きがあります。
●風邪予防、下痢の改善
水溶性植物繊維のペクチンは、血糖値の上昇を防ぎ、コレステロールの吸収を抑える成分です。
消化管の壁に貼りついて胃の消化を遅くするので、糖尿病や肥満、高血圧といった生活習慣病に効果的です。
これらの成分はミカンの果皮の部分に多く、果肉の部分と比べるとペクチンが約4倍、
ヘスペリジンが約10倍も含まれているそうです。
温州みかん系の柑橘類だけに含まれている成分にシネフィリンがあって気管支を広げる作用をもち
のどからくる風邪の予防に役立ちます。

夏みかんの特徴

果実の成長期は9月~12月
5㎝~7,5㎝ほどの扁球形の実は熟すにしたがって緑色から橙黄色に変色します。
一般的に花粉は少なく単為結果性のため受粉がなくても結実します。自家和合性ですが
受粉しても雌性不稔性が強いことから、通常は種なし(無核)です。
晩秋に色付いても春先までは酸味が強くため食せず、酸味が減じさせるため木成りや貯蔵で完熟させたものを
初夏に販売しているみたいです。
我が家は真冬にサルがやって来たら取られないためすぐ収穫します。きれいな葉っぱを箱の中で入れて乾燥しないように
暗い物置で甘くなるまで待ち、食べごろになるとそのまま皮をむいて食べます。
そしてマーマレードや砂糖菓子、冷凍してジュースにもします。


夏蜜柑と聞くと山口県の萩市の旅を想い出します。武家屋敷の土塀から黄色の夏みかんが見えて落ち着いた景観でした。
今は平安古伝建地区にかんきつ公園があって萩で栽培される夏みかん・甘夏・橙などを身近に見ることが出来きて
5月は香りも楽しむことができます。「かおり風景100選」
明治維新胎動の地として史跡めぐりをお勧めします。

春の庭木

2017-04-29 16:07:32 | Weblog
早春の頃より庭の花木を撮影していましたが、今は木々の芽が芽吹き、窓越しに見る雨後の若葉が美しく映えています。
裏山からはホーホケキョと鶯の鳴き声も響き渡り、山里のうららかな春を満喫しております。          

  
               シロモクレン(白木蓮)                    シモクレン(紫木蓮)
           
①蕾     ②花びら  ③最後の花びら ④ハクモクレン ⑤花の散った後   ⑥ヤブツバキ ※写真はクリックして下さい

■ハクモクレン 花言葉 「高潔な心」「慈悲」
 原産地:中国 モクレン属 、大型の種類で樹高は10-15m程度成長します。
 花は新芽が出る前に清らかな乳白色の花が上向きにたくさん咲きます。公園などでよく見かけますが、
 青空がよく似合う花で私の希望で庭に植えています。
 今ではハクモクレンの樹は5メートル以上になって、ふくよかな花から上品な香りをただよせ風に吹かれて
 ひらひらと舞い散る姿が素敵です。

■シモクレン 花言葉「自然への愛」「崇高」「持続性」
 モクレン科モクレン属 、花は紫色であることから別名(紫木蓮)
 原産地 :中国南西部(雲南省、四川省) 樹高3―5m 
 葉は互生で広卵形 花は濃い紫色から桃色に、花弁は6枚,顎は3枚雄しべと雌しべの多数が螺旋状につき
 花びらは舌状で長いです。

 ■ヤブツバキ(藪椿)花言葉:「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」「謙虚の美徳」            
  原産地:中国、日本、ツバキ科、ツバキ属の常緑樹、花期:10月~4月
  花は赤色、花茎5㎝~8㎝の筒状の5弁花、雄しべはたくさんあり、花びらは1枚ずつ散らないで1花ごと落花します。
  実は熟すると下部が裂け庭に種子が落ちますが、毎年拾っても何も創らず終わってしまいました。
  万葉の時代から日本人に愛された花ですが、最近は茶花によく使用されます。

       
⑦梅         ⑧八重桃       ⑨紅白桃    ⑩ボケ       ⑪赤ボケ
 
■ウメ(梅)花言葉 白梅は「上品」「忠実」
 和名:梅 バラ科、サクラ属 、原産地:中国 落葉高木
 梅の種類は300以上の品種があり、花の鑑賞には野梅(やばい)系、紅梅系、
 梅の実を採るのは豊後(ぶんご)系に分類されています。
 5枚の花弁のある1㎝~3㎝ほどの花を葉に先立って咲かせ、葉は互生で先が尖がった卵形、周囲が鋸歯状です。
 1月末に咲いた白梅は花梅と呼ばれ観賞用が咲きはじめ、3月の遅咲き梅はピンクから赤みの花になり食用にしています。
 実梅は6月中頃に梅干や梅酒を作っています。

 受験シーズンなると菅原道真が庭の梅の花を惜しんで詠んだ有名な歌を想い出す人が大勢いることでしょう。
    東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れるな

■桃の花 花言葉:「私はあなたのとりこ」「天下無敵」「気立ての良さ」
 原産国:中国(西北部の黄河上流地帯)、種子植物、バラ科モモ属
 中国から伝来したのは弥生時代と言われています。古い時代から栽培され、
 平安時代には3月3日は桃の節句と言われて桃の花を観賞されるようになりました。
 モモの木は食用の実桃と花を楽しむハナモモの2種類に分けられます。
 ハナモモも結実しますが実が小さくて食用に適しません。
 最初に開花したのは鮮やかな桃色の八重桜に似たハナモモ3月初め(品種は矢口)
 4月初め一本の木からピンクと白い花が咲き始め、気立ての良さを感じ永く楽しみました。(品種は源平)

■ボケ(木瓜)花言葉「先駆者」「指導者」「平凡」「妖精の輝き」
 原産国:中国バラ科、ボケ属、開花期3~5月、11月頃咲き始めるものもあります。
 花径は3㎝位の5弁、花の色は紅色、白、ピンク 紅色は一番永く咲いています。
 花後は9月~10月に青い実をつけますが、果肉が硬く酸味と渋味が強いため生食に向かず、
 香りがあるので黄色く熟したとき果実酒やジャムを造ると良いそうです。
 実の大きさは5センチぐらいの楕円形です。
 
       
⑫レンギョ      ⑬月桂樹   ⑭オウトウ  ⑮ハナズオウ(花蘇芳)      ⑯ユキノシタ

■シナレンギョウ 花言葉:「希望」「かなえられた希望」
 原産地:中国、朝鮮半島、東ヨーロッパに分布 モクセイ科レンギョ属
 開花期3月~4月 落葉性低木
 葉に先がけて黄色の花をたくさん咲かせ旺盛な生育力を持っています。雌雄異株で花びらはやや細長くてよじれることもあります。
 枝垂れした枝が地面につくとすぐそこに根付き新しい株を増えていきます。

■月桂樹 花言葉:「勝利」「名誉」「栄光」「輝ける未来」
 クスノキ科ゲッケイジュ属 常緑高木、原産地:地中海沿岸 雌雄異株
 月桂冠は月桂樹の葉の付いた枝をリング状に編んだ冠のことです。ギリシャ神話における光明神アポローンの霊木として崇められました。
 葉は芳香があってローリエとして香辛料として煮込み料理に大活躍です。花は小さな薄い黄色の花がたくさん咲きます。

■オウトウ(桜桃)花言葉:「善良な教育」「小さな恋人」「上品」「幼い心」
 原産地:トルコ、 バラ科サクラ属、サクラ亜属のサクランボ果樹、ミザクラ(実桜)とも言い食用にします。
 枝にいっぱいに桜に似た白い5弁の花が咲き、今はちょうど青い小さな実が出来ています。
 品種は《佐藤錦》ですが初夏に赤い実になります。昨年は小鳥にほとんど食べられしまいましたので今年は早く網をかける予定です。

■ハナズオウ(花蘇芳)花言葉:「高貴」「質素」「裏切り」「喜び」
 原産地:中国、マメ科ジャケツイバラ亜科、落葉低木、
 早春に枝に花芽を多数つけ、4月中頃から葉に先立って紅色の花が開花しました。
 花には花柄がなく、枝から直接に花がついて赤紫で長さ1㎝ほどの蝶形花です。
 開花後は豆果をつけ、秋から冬に黒褐色に熟します。

■ユキヤナギ(雪柳) 花言葉:「愛らしさ」「気まま」「殊勝」
 原産地:中国、日本、バラ科シモツケ属 別名コゴメバナ、コゴメヤナギ、
 落葉低木、開花時期:3月~5月
 柳のように細長い枝に5弁の白い小さな花が枝全体につけて、地面の際から枝が何本にも枝垂れして綺麗です。
 手をかけなくても成長し自然に増えていきます。

春の高木の花はほとんど散りましたが、ゴールデンウィークに入り低木のツツジ、山吹などが満開になりました。














新庄コレクション展 Ⅳ  宍道湖の景色

2017-03-01 22:17:04 | Weblog
織田一磨
■出雲風景 松江京橋 大正十四年(1925)年7月
夜の京橋川。水面に映る暖かな灯りは、石版独特の滑動を持った輝きで群青のとばりを深め色数の使用は抑えたものです。
化学変化で制版するため自由に出来てしまう描画に頼り過ぎず、油絵具の光沢が雰囲気を重ねないよう顔料に配慮してあるそうです。
                   『創作版画』
     (様々な解釈がある中、狭義では)絵師・彫師・摺師の協業による浮世絵版画に対し、一人の作家が版画制作の全工程を行う近代版画のこと。
      織田一磨や平塚運一はその代表的な作家。


川瀬巴水

■旅みやげ代三集 出雲松江(曇り日)大正十三(1924)年
版元渡辺庄三郎から刊行された巴水の版画は、摺度数が少なくとも20回、多いもので40回弱も摺り重ねています。
植物性の絵具を主とし、水気が多く透明感を保った摺色に仕上がるそうです。
水面に施された繊細で複雑な色彩と質感や奥行きの表現は、この木版画の美質を最大限に生かした摺師の技によって可能となったものだそうです。



浮世絵はこれまでは島根県立美術館のコレクション室や本、ポスターなどで観るぐらいと
東京町田市国際版画美術館で鑑賞したことがあるぐらいで知識はありませんでした。
今回多数の作品を観て大胆な構図、遠近法、版画摺の内容、江戸時代の風景、生活などを知り
また、大正時代からの近代作品、松江・出雲の風景を観ることが出来て版画の良さを楽しみました。
説明を書いた作品は私の好きな作品と会場で頂いた鑑賞ガイドの「浮世絵物知双六」の用語解説文を参考にまとめました。
これからは美術館に出かけましたときはコレクション室でじっくり鑑賞したいと思っています。生まれ故郷を大切になさった新庄二朗氏に感謝です。


大雪が降った後の松江(1月)
 
               宍道湖の青空                                                   大人気の宍道湖うさぎ(籔内佐斗司)                     

                 県立美術館の雪かき跡


新庄二郎コレクション展 Ⅲ

2017-03-01 20:54:49 | Weblog

伝杉村治兵
■清水桜下の男女 うらみのすけと雪姫
杉村治兵衛は、菱川師宣と共に浮世絵草創期活躍した絵師で浮世絵版画で一枚摺を制作した先駆者として知られています。
作品はは無款ですが治兵衛作と考証され、背景の音羽の滝の描写から清水寺を舞台にとしていることが分かります。
     『丹絵』
  黒一色の墨摺絵の上に、丹(酸化鉛)を中心に黄や緑などの絵具を筆で手彩色したもの。
  おおらかな墨の線や鮮やかな丹のオレンジからは、素朴ながら力強い印象を受けます。

鈴木春信
■蚊帳の母子 明和二~七(1765~0)年頃
春信は微笑ましい母と子の情景を数多く描いています。男の子の輪郭は空摺で色を付けないで、子供の柔らかい肌の質感を表現しています。
男の子の腕をそっと掴む指先、細い目などわが子を思う母の愛情を感じます。     
     [空摺]
  絵具をつけない板木で強く摺り、紙に立体的な凸凹線を摺り出す技法。着物の模様や子供の柔肌、
  降り積もる雪などやわらかい質感を表現するために用いられました。

喜多川歌麿 
■糸屋小いとが相 寛政(1789~1801)期
歌麿の画集後期に制作された美人大首絵。歌舞伎や浄瑠璃の恋のヒロインを取り上げた揃物でよく見かける作品です。
「本町二丁目の糸屋の娘」と歌われた糸屋の娘小糸を描いたものです。
左右に大きな貼り出した髪は灯籠鬢(とうろうびん)という当時流行の髪型。髪の毛の間から奥が透きできるほど精緻(せいち)な彫りです。
     『大首絵』
  人物の胸から上に、特に顔を大きく捉えた役者の絵や美人画のこと。人物の心情や性格に迫る細やかな表現を可能としました。
  勝川春好、写楽、歌麿らが優れた作品を残しています。

東州斎写楽■(市川男女蔵の奴一平)寛永六(1794)年
写楽の第一期大判役者絵28図の内の一つで、歌舞伎『恋女房染分手綱』に取材した作品。
丹波留木家の家老の子、伊達与作に仕える下僕奴一平が奴江戸兵衛に襲われる場面で、刀の柄に手をかけて身構える緊張感のある
一瞬の所作をとらえています。背景全面に施された黒雲母が、人物の表情や所作を際立てています。
糸屋小いとが相、市川男女蔵の奴一平)は良く見かける作品です。
     『雲母摺(きらずり)』
  粉状にした鉱物をの雲母(うんぼ)を用いる摺り技法。鉱物特有の輝きが画面に華やぎを与えました。
  特に背景を一色で摺る「地潰(じつぶ)し」として、写楽の役者絵や歌麿の美人画で用いられる。

歌川豊春

■浮絵阿蘭陀国東南湊図 安永~明(1772~89)年
西洋の線遠近法(透視図法)を真似て、空間の奥行きを強調した絵です。近景が手前に浮き出ているように見えます。
二次元の画面上に遠近法を生む錯視的効果は、それまでにない新しい視覚として面白がられました。
豊春は浮絵を発展させた絵師で、代表作の一つです。
線を重ねる陰影表現や異国風の建物と人物の表現は江戸時代では目新しいです。
     『浮絵』
  西洋の線遠近法を真似て、空間の奥行きや距離感を強調した浮世絵です。
  近景が手前に「浮」出ているように見えることから、この名で呼ばれました。

小林清親(1847~1915年) 
浮世絵になかった新しい空間表現や水や光の描写を誘う感傷が同居した独自の画風が人気を博し浮世絵版画に文明開化をもたらしました。
西洋風の風景画が多く「明治の広重」と評されました。新庄二郎氏が最初に蒐集した作品は小林清親だったそうです。

■九段坂五月夜 明治十三年(1880)年
九段坂は標高が高い絶景地だったそうですが、靖国神社に建つ常燈明台が今の景色にも感じるところがあります。
光は現代とは違いますが、この作品は街を彩る転々とした明かりが情感を高めています。
雨雲のぼかしや地面に映える提灯の色にすり違いがあり、抑えられた色違いで坂の下へ静かに少しずつ暗くなって消えていく余韻を感じます。
    『光線画』
  主に小林清新が描いた光や影によるドラマチックな効果を活かした「東京名所図」のこと。
  清新は文明開化で劇的に変わる東京の姿を郷愁誘う独自の画風で描きとめました。


懐月堂安度
■武田信玄図 宝永~聖徳(1704~16)期
江戸時代には、武田信玄の軍陣影が盛んに描かれました。日輪の前立をつけた諏訪法性の兜をつけ、鎧の上に緋色の法衣を羽織り虎皮に座す姿です。
鮮麗な色彩による装飾的で平坦な体が、顔の皺や髭まで描き、わずかに陰影を施し面貌部を際立っています。
「日本戯畫懐月堂図之」の落款と「安度」印があり、美人画で名高い壊月堂安度の武者絵は極少数もので、筆の勢いがあり珍しいそうです。
     『肉筆浮世絵』
  版画でなく、絵師が直接絵筆をとって描いた浮世絵です。描線や色彩感覚など、個々の絵師の造形力を
  ストレートに鑑賞できる点が魅力です。壊月堂派のように肉筆専門の画法もありました。

菱川師宣 

■立美人図 元禄元年~七(1688~94)年
桜花文と雪輪文を散らした振袖を見にまとう女性が、右手で褄を取り左手を襟元にやりつつ、後をふりかえっています。
こうした見返り美人の例は多く、すれ違った男性に心惹かれて見返す姿と考えられます。
切手になった「遊女歌仙図」など、良く見かける作品です。

河原慶賀

■魯西整儀写真鑑 嘉永六(1853)年
 (鉄砲隊)・(楽隊)・(旗手)・(従者)・(プチャーチン大使)河原慶賀は天明8(1786)年、長崎の絵師河原香山の子として生まれた。
シーボルトの助手であったデ・フィレニューフェに西洋絵画を学びました。日本の文物を数多く描き、外人の風俗や出島の風景を細密に描いた作品を残しています。
魯西整儀写真鑑は、嘉永6(1853)年、日本との通所条約締結のために来航したロシア提督プチャーチンとその部下たちを描いたものです。
全7図から成る(新庄二郎コレクションには5図が有)。西洋画法を学んだ慶賀らしく、人物の高い鼻筋や衣服のしわに細かく影を加えた
立体感を表しています。慶賀の代表作で後期長崎版画の傑作として名高いそうです。当時の長崎の様子が良く分かります。
江戸時代唯一の対外貿易であった長崎で出版された版画。
異国の舟や人々、動物などが描かれ、珍しい長崎の土産として喜ばれました。合羽摺(かっぱすり)など版画技法にも特色があります。

織田一磨
■出雲風景 松江京橋 大正十四年(1925)年7月
夜の京橋川。水面に映る暖かな灯りは、石版独特の滑動を持った輝きで群青のとばりを深め色数の使用は抑えたものです。
化学変化で制版するため自由に出来てしまう描画に頼り過ぎず、油絵具の光沢が雰囲気を重ねないよう顔料に配慮してあるそうです。
    『創作版画』
 (様々な解釈がある中、狭義では)絵師・彫師・摺師の協業による浮世絵版画に対し、一人の作家が版画制作の全工程を行う近代版画のこと。
  織田一磨や平塚運一はその代表的な作家。

川瀬巴水
■旅みやげ代三集 出雲松江(曇り日)大正十三(1924)年
版元渡辺庄三郎から刊行された巴水の版画は、摺度数が少なくとも20回、多いもので40回弱も摺り重ねています。
植物性の絵具を主とし、水気が多く透明感を保った摺色に仕上がるそうです。水面に施された繊細で複雑な色彩と質感や奥行きの表現は、
この木版画の美質を最大限に生かした摺師の技によって可能となったものだそうです。


新庄二郎コレクション展 Ⅱ

2017-03-01 18:05:52 | Weblog
歌川広重
■東海道五拾三次之内 日本橋 朝之原 天保四年(1833)年頃
日本橋は江戸から京都へ向かう東海道の起点です。55図からなる揃物で、俗に「保栄堂版堂東海道」と呼ばれているそうです。
折からの旅行ブームを背景に大評判なり、広重の出世作となりました。
作品は早朝、高礼場前には、行商人らで賑わい。橋の向こうからは、国元へ帰る大名行列がやってくる場面です。
大木戸を左右に配し、シリーズの幕開けを告げるにふさわしい構図になっています。
     『揃物』
あるテーマのもとになるシリーズ化された浮世絵。例えば広重の(東海道五拾三次)は全55図
北斎の《冨獄三十六景》は全16部の揃物です。人々の購買意欲を高める戦略として有効です。

■東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪 天保四年(1833)年頃
家も山も全てが雪に覆われ、冬の静寂が画面を支配してます。道行く人が雪を踏む足音が聞こえてくようです。
華美な色彩を排した白と黒の強いコントラストが、凍りつき、乾いた冬の空気感を見事に表しています。
旅人の背中をまるめた姿や、管傘や傘で表情を見せない姿が冬の厳しさをしみじみと伝わってきます。
雪景色は10点余り展示されていましたが、この作品が一番心に伝わってきました。

■東海道五拾三次之内池鯉鮒 首夏馬市 天保四年(1833)年頃
副題に「首夏馬市」とあるように、毎年初夏に行われていた馬市を描います。
草原には多くの馬が杭に繋がれ、松の下では馬喰と馬飼たちが値段を決めています。草原の色彩が実に美しく、
薄い黄緑色から深い藍色への繊細の拭きぼかしにより吹きぬける初夏の爽やかな風をも感じさせます。
遠景の黒い丘は初摺にのみ見られるモティーフで、後摺り削除されたそうです。種々の馬の配置と爽やかな色彩が好きです。
     『初刷』
浮世絵版画における初版のこと。通例、板木の摩耗(まもう)や欠損が少なく、また浮世絵師の監督が行き届いた最初の200枚ほどです。
それに対して後に摺られたものを『後摺』と呼びます。

■東都名所 両国夕すずみ 弘化三~嘉永元(1848~50)年頃
納涼船が浮かぶ隅田川や両国橋を背に、心地よい夏の夜風に吹かれながら、三人の女性が艶やかさを競い合っています。
お歯黒を塗った既婚の女性は、当時江戸好みとされた縞柄を着こなしていて、襟をぐっと背中に引いた着くずし方や、
素足の膝下が見え隠れする女性の颯爽とした歩き方など、江戸の粋な女性像には躍動感があります。 

■木曽海道六拾九次之内 宮ノ越 天保七~八(1836~37)年頃
宮ノ越は日本橋を出発して36番目の宿場で、中山道のほぼ中間にあります。満月に照らされ、眠る幼子を抱えた父母と
それに従う娘の家族や橋は輪郭線で明瞭に描くのに対して、背景の岸辺や木々は墨の濃淡だけで表現しています。
パステル画のようなやわらかい色調が、夜霧に包まれた幻想的な風景を生み家族連れを引き立ています。家族の暖かさを感じます。

■(雪月花)木曾路之山川 安政四(1857年)八月
広重の最晩年を代表する大判三枚続きの大作。雪に覆われた木曾の山を画面いっぱいに大きく描かれています。
薄墨色の空と鈍く落ち着いた濃藍の木曽川が、この山を囲むように上下に緩やかな弧を描いています。
雪の白さと観る者へ迫りくるような山の塊量感が際立っていて私が観た版画では珍しい作品です。
      『続絵』
大判や中判を複数並べて、横長または縦長またはの大画面とした浮世絵のこと。
一枚では味わえない複雑な群像構成や迫力ある表現を楽しみます。

■枇杷に小鳥 天保(1836~44年)前期
背景を藍摺りとして小鳥を白く抜いており、その鮮やかなコントラストが美しい。
約30種知られる広重の大短冊判花鳥画の中で唯一の藍摺り作品です。当初は若林堂が出版していたが
後に喜鶴堂版の刷ものが多く、新庄コレクションのこの作品は希少な若林堂版で、新庄氏の自慢の逸品です。
この作品もどこかで観たような気がします。

■名所江戸八景 亀戸梅屋舗 安政四年(1857年)十一月
 広重が最晩年に取り組んだ《名所江戸八景》は、江戸の名所をテーマとした120図から成る壮大な揃えものです。
梅の名所であった亀戸天神裏の庭園・清香庵を描いています。名木“臥龍梅”の幹枝越に園内を望む構図が
手前から奥へ距離感を演出し、さらに黒々とした幹枝の色合いが、奥の梅見客を包む光の印象を強めています。
こうした奇抜な構図は19世紀の西洋の画家たちに強い影響を与え、ゴッホは油絵を模写して特に有名になりました。
この作品も良く観る作品ですが黒々した幹枝の色合いと奥の梅見客を包む光の色彩が良いです。

■松島 天保(1830~44)年後期
外題はありません。湾内外に多くの島が点在する松島の景と思われます。
広重は数多くの団扇絵を手がけましたが、このような藍摺の諸国名所絵の作例は少ないそうです。
      『団扇絵』
団扇形に摺られた浮世絵版画で、切り取って竹の骨に貼り合わせて使用した。
図柄は美人画、役者絵、風景画など多岐にわたり、夏のファションアイテムとして人気がありました。

■冨獄三十六景 遠江山中
遠江国(現在の静岡県西部)の山中、巨材を大鋸と呼ばれる鋸で切る木挽きたちを描く。
刃を研ぐ人物、赤子を背負う女性など、山深い土地に生きる人々の素朴な営みをとらえています。
画面の対角線に配された巨材と支柱三角の空間を作り、その間から富士をのぞかせる幾何学的な構図です。
また、構図で目を引いたのが冨獄三十六景「尾州不二見原」です。樽を通して富士をを望む作品も奇抜でした。         
     『ベロリン藍』
江戸後期に外国から輸入された藍色の化学染料で、「ベコ藍」とも言います。
発色が鮮やかで、空や水の微妙な諧調を表す「ぼかし摺」に適しました。
江戸後期に外国から輸入された藍色の化学染料で、通称「ベロ藍」とも言います。
発色が鮮やかで、空や水の微妙な諧調を表す「ぼかし摺」に適しました。



「新庄コレクション」展 Ⅰ

2017-03-01 17:19:01 | Weblog

県立美術館入口

島根県立美術館が所蔵する「新庄コレクション」展が「新庄二郎が愛した浮世絵」と題して1月2日~2月6日まで開催されました。

新庄二郎(1901-1996年)について
松江市出身の事業家で著名な浮世絵コレクター。蒐集した作品は多岐にわたり、東京オリンピックや大阪万国博展覧会の記念展示にも
作品が公開され、世界の浮世絵専門書にも掲載されています。1970年代は全国の美術館・博物館・百貨店でも開催されました。
1983年に島根県立博物館に378点を譲渡、その後74点の寄贈をあわせて合計471点です。
島根県は1984年に県の重要な財産として北斎の≪冨獄三十六景 凱風快晴》、《山下白雨》、《神奈川沖波裏》
広重の《東海道五十三次乃内》55点を有形文化財に指定。
1999(平成11年)島根県立美術館の開館に伴い「新庄二郎コレクション』全471点が同館に移管されました。

作品紹介
展示室では新庄二郎が高級スタンドの専門会社で成功したとき、ご自身がデザインされて、木彫職人が彫ったスタンドが展示されていました。
一本の丸木から螺旋状に柱を掘り出した製品とヨーロッパ風の「街角のギター弾き」の人物もハイカラで落ち着いた製品が素敵でした。

葛飾北斎
■冨獄三十六景 凱風快晴 天保二~四(1831~33)年頃
快晴の夏から秋の早朝、陽を浴びて富士の山腹が赤く染まる一瞬を描いたものとされ、通称「赤富士」の名で親しまれています。
空にはイワシ雲が描かれ、富士の頂から山腹は、褐色から赤へと繊細なぼかし摺りとうっすらと浮ぶ板木の木目により複雑で
豊かな表情を見せています。
赤い山肌と緑の樹海の境界線が湾曲し、赤から緑への緩やかな色彩の変化が意識されています。
朝暘に浮かびあがる荘厳な富士の麗容を見事にとらえた北斎の代表作です。
特に初期の摺りですので浮世絵師の当初の造形意図を反映している点で貴重だそうです。
用語集よりガイド作品
      『拭きぼかし』
色版を摺る際に濃淡の階調(かいちょう)をつける技法のこと。
湿らした版木に絵具をのせ、にじんだ状態で紙に摺りましす。
画面に水平にかける「一文字ぼかし」や不定形の「あてなしぼかし」もその一種。

■冨獄三十六景 山下白雨 天保二~四(1831―33)年頃
山頂の付近は晴れわたってますが、暗い山腹に一筋の稲妻が走り、地上には、にわか雨が降り注いでいることでしょう。
「凱風快晴」と基本的な構成は同じですが瑞雲のような雲の表現が観る者の視線を下へと導き、漆雲の裾野が底知れぬ自然の力を
暗示しています。
作品は右欄外に5~6㎜の余白が残り、電光の朱色も残っていて、山腹の摺り重ねの様子がうかがえます。作画過程の参考になるそうです。
朱色の電光が印象的でした。

■冨獄三十六景 神奈川沖波裏 天保二~四(1831-3)年頃
巨大な波が飛沫をあげながら立ち上がり、大きな押送船に波が襲いかかり、猛々しい自然のエネルギーが画面に横溢しています。
近景では曲線や斜め線により躍動する波の表現を目指していますが、遠景では水平線を浮かび上がらせ富士山が小さく見えます。
近と遠、動と静の劇的な対比が素晴らしく、この作品の力強さと色の美しさが私は一番好きです。
ヨーロッパでは「凱風快晴」より人気があるそうです。


イノシシの捕獲

2017-01-13 15:15:52 | Weblog
 
元旦に氏神様へお参りに行きましたら、イノシシが近所で捕獲されたことが話題になっていましたので早速見に行きました。
イノシシの生息地は山間部でも低地地域や平地の人里に近い位置に住み、木の生い茂った土地や河川が近い湿地帯を好むと聞いています。
まさしくその通りで、人家の裏山から降りて箱罠にかかっていました。近くには河川や、田んぼ、畑もあります。
イノシシは初めて見ましたが、豚によく似ていて体毛が茶褐色から黒褐色の剛毛で追われいます。
体重は170㎏はあると思いました。水浴、泥浴も行うそうで豚より汚いです。
私は傍に近づかないではっきり観察できませんでしたが、夫は下顎の牙が10cm以上あって半月型に曲がっていたと言っていましたので
雄だと思います。
近頃は成獣のイノシシが作物を荒し、人間にも襲いかかるそうですので山の近くには一人では出かけたことはありません。
そんなイノシシでも3年前、山道を車で通過していたとき可愛いイノシシの赤ちゃんを見つけました。
体色はきれいな縞模様でしたが、瓜の縞模様に似ていることから「うり坊」と呼ばれているそうです。
抱きかかえたいと思うほど可愛いのですが、近くに母親がいるかもしれないからと言われすぐ車に戻りました。
そのとき、カメラを持参していなかったので写真も撮ることが出来ず残念でした。

イノシシの被害
イノシシは雑食性ですので植物ではドングリなどの木の実、果実、タケノコ、山芋、里芋、サツマイモ、とうもろこし、稲
動物性のものでは昆虫、蛇、カエル、ネズミ、ミミズなど食します。
我が家の被害は3年前、田んぼに実った稲を倒されたことです。その時、思切って稲作はやめました。
今は畑にして果物、野菜類を植えていますが、昨年はさといも、サツマイモなど被害を被りました。
夜に行動するようで現場は見ていませんが大きな足跡があり、土を掘っていました。
昨年は市の補助で土手に皆さんが金網を張り安心していましたが反対側の山側にも気を付けて
対策を練らないといけないと思いました。
                      

時季外れの花

2016-12-08 15:36:13 | Weblog
                                  ツツジ
 
                                       南天の側に咲いたツツジ
木枯らしが吹き、寒さが身に染みる12月に入りましたが、時季外れの白いツツジの花が集会所の片隅に可憐に咲いていました。
秋に三瓶山の近くで桜が咲いていたのは見たことがありますが、冬にツツジが咲いたのは初めてです。
夫に話しましたら季語にあり、初冬の小春日和の頃に花が開くので忘れ花とも言うそうです。
さっそく歳時記で調べましたら帰り花、狂い花とも言い、桜、梨、つつじ、タンポポなどが咲くと書いてありました。
そう言えば我が家の庭でタンポポの花も見かけました。
今年の気象は夏の猛暑や長雨などで花にも影響しているのでしょうか?

                                  朝顔
 
植木鉢に植えた朝顔は7月、8月に咲き、観賞は夏の朝の楽しみでしたが、10月に入って庭の芝生に這って三輪ほど朝顔が咲き
お昼過ぎても咲いていました。植えた覚えはありませんので、種が風に飛んで生えたか、小鳥が運んできたか分かりません。
11月過ぎても美しい赤紫、ブルー色の花を楽しみました。

奥出雲の旅 絲原記念館・鬼の舌震

2016-11-20 17:20:06 | Weblog

◆絲原記念館(島根県仁多郡奥出雲町大谷)(国の有形登録文化財)
松江藩鉄師頭取の絲原家は400年にわたって伝承してきた美術工芸品やたたら製鉄資料などが記念館に展示され
居宅も一部公開されています。


駐車場側の小川のせせらぎを聴きながら緑色のモミジの美しさに見とれてから、黒門の入り口に行くと杉木立の奥深さを感じます。
入口では左に白壁の記念館、右側に絲原家居宅がありました。
記念館では第1展示室《たたら製鉄コーナー》《有形民俗資料コーナー》第2展示室《美術工芸品コーナー》
第3展示室《茶道具コーナー》《立体展示コーナー》があります。
子供は「永代たたら」と「番子吹子」の3/1復元模型を興味津々、年表では近衛文麿公、歌人与謝野寛、晶子夫妻が訪れられたこと
松江藩と絲原家の関係など説明文を読んでいました。
私は美術工芸品コーナー、茶道具コーナーをじっくり鑑賞しましたが特に特別展の花嫁道具が良かったです。
その中のべっこうのかんざしなどあまり見る機会がないものが展示されていました。
またお茶碗が仕覆(しふく)に入れて展示されているのも珍しいです。


居宅・庭園は部屋数が40室を誇る大邸宅です。客殿、書院の間に庭園が広がり、庭園は森林を借景とした池泉回遊式の出雲流名園です。
飛び石は短冊石と丸石の組み合わせた手法ですが、丸石は珍しい臼石のような感じでした。美しい庭を眺めていますと心が安らぎます。
記念館奥手にある「露地門」は茶道裏千家16代坐忘斎千宗室御家元のご千染筆扁額「洗心之路」が掲げてありました。
少し進むと茶席「庭玉軒」があります。昭和10年近衛文麿公来駕に新築されました。

林間散策路は山野草や茶花、樹木約350種が植栽されています。
花の名前が書いてあり、知っている花、知らない花などじっくりと観察できます。
9月でしたので花は盛りではありませんでしたが、トクサ、ミズヒキが目につきました。

11月半ばも過ぎ、紅葉が一番素晴らしい時期です。訪れるには今が最高の時期でしょう
来年はトロッコ列車に乗って紅葉をゆっくり楽しみたいと思っています。
                                                                                                
◆鬼の舌震(おにのしたぶるい)(島根県仁多郡奥出雲町三成)
国の名勝・天然記念物 県立自然公園 中国自然歩道


鬼の舌震は子雲母花崗岩地帯で、斐伊川の支流大馬木川の急流が長年にわたり浸食し、節理や甌穴(おうけつ)によって造られ
約2㎞にわたるV字峡谷です。
一度夫婦で散策しましたが、種々の形をした岩が乱立し、清澄な碧流がその間を屈折して流れる様を眺めながら
自然の素晴らしさを感じてほしく子供を誘いました。
今回は時間がなく「舌震の“恋”吊橋」の上から景色を楽しみました。
吊橋は下流部に川面の高さは45m、長さ160mの大吊橋で、歩いても揺れることなく安心して渡られます。
峡谷を楽しむには宇根駐車場から「玉日女橋」「舌震上橋」の方向に進むと良いと思います。
バリアフリー遊歩道もあり、無料の休憩場もあります。


          三瓶山浮布池
帰りは飯南町の方向に進みましたが、稲刈りが終わった田んぼは黄緑がとてもきれいで美しい景色でした。
最後は三瓶山の浮布池を観て帰宅しました。


鼈甲(べっこう)は熱帯に棲むウミガメの一種タイマイの甲羅の加工品です。
背と腹の甲を構成する最外層の角質からなる鱗を10枚程度に剥がして得られます。
色は半透明で、赤み帯びた黄色に濃褐色の斑点あります。

奥出雲の旅

2016-11-13 20:59:51 | Weblog
◆玉造温泉(島根県松江市玉湯町玉造)
岡山県の旅の後、島根県の奥出雲に行きたくて、宿泊は“玉造温泉”に決めました。
玉造温泉の泉質はナトリウム(硫酸塩),カルシウム、塩化物、弱アルカリ性で美肌効果があります。
約1,300年前、奈良時代に書かれた「出雲国風土記」に「神の湯」として記されています。
平安時代になると清少納言の「枕草子」にも登場します。
最近、島根県の女性は肌が綺麗と言われていますが、実際に入浴してみて肌がスベスベになりましたので
久しぶりに朝湯にも入りました。
朝食後は清々しい気分で庭を観賞しましたが時期外れのカキツバタでしょうか花菖蒲でしょうか
優しそうに咲いていて見惚れてしまいました。


            佳翠苑皆実の庭

◆須我神社(島根県雲南市大東町須賀
須我神社の主祭は素盞嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしいなたひめのみこと)
そして二人の間の御子神・清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)の三神です。

古事記には(和銅5年・712年)
「八雲たつ 出雲の八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」と歌われています。
この歌が日本で一番古い歌です。
そしてお二人はこの地に日本では始めての宮殿をお造りになり、日本の国造りを始められました。
これが古事記・日本書紀に所載されている「須賀宮」であり、日本初の宮、和歌発祥の地です。



◆須我神社奥宮「夫婦岩」
神々の宿る八雲山―御室山(おむろやま)の中腹にそそり立つ巨岩(夫婦岩)は大中小の三つの磐座(いわくら)が
須我神社の奥の宮として崇敬され、参道には「文学碑の径」として60基の歌碑句碑が建立されているそうです。
子供がちょっと見てきましたが、私は無理をしないように参拝しませんでした。ゆっくり夫婦で訪れると良いです。


素盞嗚尊と奇稲田姫命の物語は石見神楽の演目では「大蛇」(おろち)として有名です。
素盞嗚尊が奇稲田姫命を助けるため大蛇と闘い勝って結婚する話です。
大蛇退治は大蛇が3匹~5匹、舞台いっぱいに闘いスケールが大きく魅了します。
そして衣裳が素晴らしく、囃子もテンポが良くて、いつ観ても飽きることがありません。(石見の国 伝統芸能)

高松城址公園

2016-11-05 13:21:49 | Weblog
               
                      
高松城址公園 (国史跡指定) 岡山県北区高松町
静かな田園風景の公園には中央に7000㎡の広大な堀があって、約4000㎡に渡って「宗治蓮」があります。
7月には蓮の花が咲き揃い人気があるそうですが、私たちが行ったときは花托の実も落ちていました。
子供は初めて見たそうで珍しそうに写真を撮りました。
この場所は戦国時代天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉軍と毛利氏配下の清水宗治の守備する
備中高松城を攻略した戦いです。「高松城の水攻め」の主戦場となった城址として有名ですが、この戦いの最中に「本能寺の変」が
起きたことなど子供が説明してくれました。観光にこの場所を選んだ意味が解りました。
 
水攻めについて
備中高松城は当時少なかった低湿地を利用した平城(沼城)であり、鉄砲、騎馬戦法に強く城主は清水宗治でしたが容易に攻め落す
ことが出来ず秀吉は低湿地にある沼城という本来なら城攻めを困難にさせるはずの利点を逆手に取った奇策を講じました。
堤防工事は東に門前村から蛙ヶ鼻まで東南約4㎞、高さ8m、底武4m、上幅12mにわたる堅固長堤を造り
川の水をせきとめようとするものでした。秀吉の築いた湖に毛利輝元は身動きが出来ず講和を決意しました。


水攻めの築提跡高さ表示板 
現存する築提跡(蛙ヶ鼻)と本丸の高さを標高で表したものです。
蛙ヶ鼻現存築提高8,4m、本丸の高さ7,0m

清水宗治の自害
清水宗治は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため自害しました。
兄の清水宗知、家臣の難波伝兵衛、末近左衛門の首と引き替えに城兵の救命を求める嘆願書を毛利輝元に提出し次々と自害を遂げ
4人の介錯を行った國府市正も自刃しましたそうです。いつの世も戦いは嫌ですね。

造山古墳
(国の史跡) 岡山市北区新庄下

造山古墳 古代吉備王国の首長の墓と言われ、全国4位の規模を持ち全長350mの前方後円墳です。
前方には径40mの円墳から鏡、砥石、鈴、大量の鉄器などが出土し、一部が宮内庁に所蔵されているそうです。


駐車場に案内板があり説明文の写真です

田園の中に住宅がありその後ろに古墳がありました。時間があまりなく残念ながら遠くから眺めて済ませました。

備中国分寺の五重塔

2016-10-22 16:30:55 | Weblog
 
備中国分寺の五重塔【国指定重要文化財】岡山県総社市上林
備中国分寺は、聖武天皇の「国分寺建立の詔」天平13年(741年)に基づき8世紀後半に創建されましたが
平安時代以降国分寺が衰えるとともに消滅しました。
五重塔再建は、国分寺住職であった證旭(しょうぎょく)和尚が文永4年(1821年)に着手され、天保6年(1835年)に
入仏式が行われました。20年余りの歳月を経て弘化元年(1844年)頃に完成。

 
            二層目の鬼瓦                       初層外部の十二支の彫り物
総高34,3mの大規模の塔で、木造本瓦葺きで青銅製の相輪をたてています。
用材は三層までは欅材(けやき)4・5階は松材が主体で、心柱は礎石の上から相輪まで達する古式を採用。
初層の東西南北の外面には12支を形どった彫刻があります。
初層の内陣には大日如来を中心に東は阿閦、西は阿弥陀、南は宝生、北は不空成就の五智如来が安置。
各天井は花や天女の天井絵が飾られ、堂内は厳かにしてあるそうです。特別公開されるときは拝観したい気持ちになりました。
この塔は屋根の伸びが短く、横の幅に比べて高さの方が著しく高いため不安定な感じがしますが、境内にそびえる五重塔は
岡山県唯一のもので吉備路の代表的な景観となっています。江戸時代後期の建築様式だそうです。

 
                勅使門                             客殿・本堂


  
国分寺周辺は田んぼが続き、真っ赤に染まった赤米の稲穂が森と五重塔の風景にとても美しく映え
写真を撮るには最高のスポットです。(9月15日撮影)
子供にお任せの旅行でしたが、初めて見る赤米はすらっとした稲穂で感激しました。

赤米(古代米)
赤米は総社市では今も御神饌米【岡山県重要無形文化財】として、総社新本にある本庄と新庄の両国司神社で栽培されています。
芒の赤色が最も美しいのは出穂後1~2週間とされていて、米が赤くなるのは籾(もみ)が成熟し収穫できる直前になった時点です。
玄米の種皮に赤い色素を含んだ赤米はタンニン系の赤色の色素を含む品種で、白米に比べ血液中の悪玉コレステロールを減少させ
同時に善玉コレステロールのレベル値を上げる作用が優れていると言われてることから健康食としても注目されています。

吉備の旅(岡山県)

2016-10-13 14:57:28 | Weblog
吉備津神社 
帰省した子供と岡山市北区吉備津にある吉備津神社へ車で行きました。島根県江津市から広島県庄原市を通過して岡山市に着きました。
吉備津神社は主祭神は大吉備津彦大神、山陽道圏屈指の大社です。
吉備国開拓の大祖神として尊崇され、平和と吉備文化の基礎を造られました。


北の参道の石段をの登ったところに北向きに建つ三間一尺の八足門があります。

本殿拝殿【国宝】
本殿・拝殿は過去2回の火事によって焼失しましたが、応永32年(1425年)再建。本殿80坪、拝殿、24坪
神社建築では日本屈指の巨大のものです。
日本唯一の建築様式で吉備津造り(「比翼入母屋造」ひよくいりものづくり)です。
白い基壇の上に多数の円柱、天竺様の肘木に支えられて檜皮の大屋根、比翼の千鳥破風があって優美です。
思わず「きれいね。」と言葉が出ました。

拝殿【国宝】
拝殿は本殿の正面に接続して突き出した建物です。柱間は正面が1間、側面3間、棟高12m、柱は本殿と同じ太さの円柱を用い
挿肘木よる大仏様の組み物を供え物をそなえ、外観は重層、内部は屋根裏まで見とおした構造。
正面は切り妻となり屋根を桧皮で葺いています。
前面と両側面には一間通の裳階をつけ、屋根は本丸瓦葺きになっています。
  
            本殿の外観                                  拝殿
 
御釜殿【岡山県指定重要文化財】
御釜殿では鳴釜神事という特殊神事が行われています。釜を焼き湯を沸かして釜の上にセイロをのせて湯気があがっているとき
神官と阿曽女が籠を挟んで向かいあって座り、祈願したお神札を籠の前で祀ります。
神官が祝詞を奏上するころ釜から出る音の大小長短によって吉凶禍福を自分の心で判断します。神秘的ですね。
岡山県は桃太郎で有名ですが、桃太郎伝説のモデルになったのは大吉備津彦大神、鬼は百済の王子・温羅と言われ
御釜下には大吉備津彦大神に退治された温羅の首が埋めてあり、これが起源になったそうです。
  
      鳴釜神事の案内板(鳴釜殿前)                        池庭
回廊【重要文化財】
本殿横から長い回廊があります。庭を眺めながら御釜殿にたどりつきます。
 
               回廊の屋根 
 
     サルスベリ                     萩の花

風月燈龍
 神社の宝物に源三位頼政の奉献した風月燈龍があります。雅趣に富み、古来風流を好む人々のために原型とおりの鋳造したものがかかっていました。

白色の猫
 社務所の近くで猫が堂々とお昼寝です。可愛いいですね
 
        風月燈龍

木造建築用語解説
比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)
日本における神社建築様式の一つで、入母屋造の2棟を1棟にに結合した形態の建築様式のこと。
千鳥破風(ちどりはふ)
 屋根の斜面の中に装飾。換気・採光のために設ける三角形の破風。
挿肘木(さしひじき)
 柱の上に乗っている肘木としての基本とは異なり、柱の横に挿入する形で固定された肘木が上部構造を支えている状態。
切り妻
 屋根の形状のひとつで屋根の最頂部の棟から地上に向って二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根。
裳階(もこし)
 仏堂・塔などで、本来の屋根の下につけた差しかけの屋根。
天竺様(てんじくさま)
 大仏様



石見畳ヶ浦(いわみたたみがうら)

2016-10-02 12:02:43 | Weblog
所在地:浜田市国分町  
国の天然記念物指定・島根県では唯一選ばれた『かおり風景100選』です。
1882(明治5年)3月14日浜田市を中心にマグニチュード7,1と推定とされる地震があり、
国分海岸一帯が隆起し石見畳ヶ浦は(別名:千畳敷)現在の姿になりました。
若い頃一度訪れていますので、テレビで放映される度に懐かしくまた訪れたいと思っていました。
夫と子供は初めて訪れ、珍しい光景を眺め驚き、潮風の香りを楽しみました。

行き方は国道九号線から唐鐘海岸の『かおり風景100選』の看板の先にトンネルがあります。
昔は石がゴロゴロで暗闇の中に「賽の河原」のお地蔵さんが置かれ怖かったのですが、
今はトンネルはきれいに舗装され壁には説明板が多くあり畳ヶ浦や地質学のことが良く分かります。
最初に目に付くのは海蝕洞です。岩の景観と光、波が打ち寄せる音を聞きながらこの写真を写しました。一番好きな写真です。

                      
                             海蝕洞

トンネル内部の観音菩薩、地蔵菩薩さまも立派になっていました
そして、トンネルを抜けるとそこには千畳敷の風景が広がりびっくりされることでしょう

千畳敷
およそ49,000㎡の広がりをもち、畳を敷き詰めたように表面縦横に無数の亀裂が走って岩盤は棚状になっています。
波食棚の砂岩層は(約1,600万年前)からなり、貝殻、流木、クジラ骨などの化石が含まれているそうです。


ノジュール(団塊)
床面には腰掛のように丸い石が無数並んでいましたが、地震によって岩盤が隆起した際に発生したものです。
ノジュールは貝殻に含まれる炭酸カルシュームの働きでコンクリート状になったそうです。


海上には犬島、猫島という奇岩も浮かんでいます。



◆アクセス
 列車ではJR山陰本線下府駅下車、下府駅前にあるバス停より石見交通バスに乗車、千畳苑口バス停か畳ヶ浦バス停下車、徒歩10分

近くには浜田市、江津市にまたがる「島根県立石見海浜公園」(海水浴場百選)「しまね海洋館アクアス」があり島根県の自然を満喫できます
●しまね海洋館アクアス
  シロイルカのリング、ペンギン、アザラシのパオフォーマンス、400種10,000点の海の生物展示
●島根県立石見海浜公園(海水浴場百選)
  ケビン村、オートキャンプ場、海水浴、マリンスポーツ体験、スポーツ教室、アクアスランドなど飽きることなく過ごせます。

浜田城址のきのこ

2016-09-23 14:58:56 | Weblog
9月に帰省した子供が浜田城址を見たいと言いましたので、父親の運転で浜田市にドライブに行きました。
護国神社をお参りして頂上にある本丸跡まで登りました。子供は説明板を読みながら私のペースに合わせて登り
頂上では一足先に登った父親と一緒に東西南北の景色を楽しんでいました。
 
            頂上からみた湾
大雨の降ったあくる日、曇りの天気でしたが水平線がきれいでした。

帰りは二の門跡の石垣の近くで真赤な綺麗なきのこを見つけました。
夫の話ではアカタケだそうです。
直径4~5㎝位でしたが幼菌の時は白い点があり饅頭型で、成長すると雨傘のような形に開きます。
繊維状でヌメリはなく、裏面のヒダは直性または湾性してやや密に並んでいるそうです。
きれいなキノコは毒があると言いますが本当にきれいなキノコを見たのは初めてです。
 
           写真よりきれいな紅色です。               裏面はワインのような色です。

少し降りていくと欅の木にサルのコシカケも見つけました。サルのコシカケは樹木の幹に付き半円形で本質は厚く堅いキノコです。
木の上のほうにあり見上げるようでしたが大きさは20㎝はありました。サルノコシカケは種類も多くあります。


子供の頃、母の実家に行くと裏山に大木があって「猿の腰掛」と言って、いとこたちと奪い合って座り良く遊びました。
色は白でなく茶色だったと思います。
今はサルノコシカケは薬効があって人気があるみたいです・・・

浜田城復元(コンピューターグラフィックイメージ)説明板より  “浜田護国神社正面左手からの方向から見上げた復元図です”

浜田城は約250年間続いた浜田藩政の中心地だった場所です。(島根県指定文化財)
お城は長州征伐で長州藩軍に攻められた際に当時の浜田藩主松平武聡が城を捨てて、藩兵が火を放ち殆どが焼失したと聞いています。
現在は城山公園として、本丸から三の丸にかけて階段状の石垣と土塁が残り静かな良い所です。
春には桜が咲き夜桜見物もできます。
『自然を愛して』の中に2013年ー06-19日に〈浜田城跡〉を書いています。


お食事に行った道の駅「ゆうひパーク」の景色