『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1123】せめてもの「世界平和の祈り」と『私は経験する神である』(^^;ゞ

2007-09-15 22:17:07 | 思索
一生懸命に「世界平和の祈り」をするのは良いことなのですが、
心のなかに「欲」が芽生えると、「執着心」が生まれまして、そのあと、思考が「取り引き」を始めます。(^^;ゞ

つまり、「こんなに一生懸命に祈っているのに、どうして売上げが上がらないのか。(*^_^*)
神様は、なにを考えているのか(笑)」という思いが、知らない間に形成されることになります。(^^;ゞ

そういう「執着心」は、自分の心を縛る結果になりますが、
もともと、金銭を得るための商売は、そんなに誉められた仕事ではないと思うのです。

「世界平和の祈り」をしながら商売をするのなら、
赦されるだろうぐらいに考えたほうがよいのかも知れません。(^^;ゞ

「儲かって、あたり前」などと考えるから、売れないときに、苦しくなるのです。(^^;ゞ

以前に書いた「生活費が足らない」事件も、私と家内がアセンション(次元上昇)するための、
とても良い機会だったと思えてきました。

子供達に金銭の掛かる時期ではなくて、それなりに生きてゆけばいいのですから、
たくさんの生活費が要るはずはないのです。(^^;ゞ
そもそも、生活費とは、なんなのでしょうか? 「金額」ではないと思うのです。(^^;ゞ

家内と、「足らないなりでやっていく人生(知足の人生)」という相談が出来る段階(アセンション・次元上昇)になったのかもしれません。(^^;ゞ

そのように考えたとき、「足らなくて、ありがとう」と思える気持ちになりました。(^^;ゞ

そして、我即神也の印を組んでいましたら、
『私は、経験する神である』という言葉が浮かびました。

【1122】私は、めんどくさがり屋の「自由」志向!

2007-09-14 21:35:25 | 思索
以前にも書きましたが、
私は、「自由でありたい」という思いの強い人間でして、
束縛されたり、命令されることが苦手です。(^^;ゞ
ですから、他人のために、献身的に、とことん尽すことは出来ないと思うのです。

ですが、そんな特性の私だからこそ、
事象の解決をしようとしないで、「世界平和の祈り」(統一)をして、
自分の本心(深部)に触れ、平安を得ようとする道を選べているとも言えます。(^^;ゞ

とにもかくにも、「世間の人々の欲」には興味がないようになってしまったのです。(^^;ゞ

「自由でありたい」と、「めんどくさいことはしたくない」という気持ちは、
私のなかで繋がっているのですが、どのように関連しているのかは、
「統一」しながら、解き明かしたいと思っています。 今後のテーマです。(^^;ゞ

【1121】私は、身勝手な人間(^^;ゞ

2007-09-13 21:22:25 | 思索
毎日、早朝から起きて、「世界平和の祈り」や行をしているので、
自分は、それなりに出来た人間である(笑)というようなイメージを持っていましたが、
内面をのぞいてみると、自分の気分を中心に考えている人間のようです。(^^;ゞ

先日、『コムスンショック』(NHKスペシャル)で、
深夜に十軒のお宅を介護して回っている介護ヘルパーさん(男性)が紹介されていましたが、
私には、とても出来そうにないと思いました。(^^;ゞ

それに海外の危険地帯で活動しているNPOの方や、感染の危険のある医療機関や、
長時間の手術に従事されている方などの献身的な働きには、ただただ頭が下がります。
自分は他人のために、それほど尽くせないと思うのです。(^^;ゞ
私は、そういうことのできない身勝手な人間だと思うのです。

当たり前のことですが、「世界平和の祈り」をしている人だけが立派なのではなく、
世の中には、愛に満ちて、優しくて、尊い人たちがたくさんいるのだと思いました。(^^;ゞ

【1120】「経験」は、自らの執着が引き寄せている

2007-09-12 21:42:51 | 思索
私は、町を歩いている人たちを見るたびに、
これらの人々もすべて、「業」を経験するために生まれてきて、
今、ここを歩いていると思うのです。

不遜な言い方ですが、「ご苦労さまです」と声を掛けたい気持ちになります。(^^;ゞ

若い時期には、「人間には最後的に死がやってくるのに、何故、生きることに意味があるのか」という疑問を持つことがありますが、「業を経験するために、生を受けた」と答えられると思うのです。

『人生(人間)とは、経験の場』だと思うのです。
『自分の執着の経験の場』だと思うのです。

そして、「死」とは、経験(執着)からの卒業です。

死後には、「経験」が出来ないと思うと、
いままでのどのような経験も、いと恋しく思えてきます。(^^;

「経験」が、今の私を造ったことは、間違いがないと思うのです。
そして、「経験」は、自らの執着が、引き寄せていると思うのです。

【1119】死とは、経験の終了(^。^?

2007-09-11 21:33:18 | 思索
「宇宙には、自分の人生しかなくて、私こそが、宇宙」なのですが、
その人生は、いつかは必ず、「死」によって終わります。

「死」とは何でしょうか? 一般的には、「肉体の死」です。(^^;ゞ

今日、瞑想中(「統一」)に浮かんだのは、『体は、いのちと一体』という言葉ですが、
不調和さえなければ、「体」は、空気や食物が供給されるかぎり存続し続けるのでして、
そういう意味では、人間の肉体は「無限供給の世界」にあるのです。

「肉体」は、寿命があるかぎりは存続すると思えれば、気が楽です。(^^;ゞ
良い家に住みたいとか、美味しい物を食べたいというのは、「業」に過ぎません。(^^;ゞ

また、「人生とは、「業」の経験である」とするなら、「死」とは、「業」の経験の終了です。
けれども、そう考えるのもまた、「いま、この瞬間の自分の考え(観念)」でして、「消えてゆく姿」なのです。

「いのち」はただ、生き続けている存在だと思うのです。
それにしても、「いま在る」とは、なんとありがたくて、嬉しくて、美しいことなのでしょうか!(*^_^*)

「いのち」さえあれば、いくらでも気付いていけそうな気がします。(^^;ゞ

気付き続けるために、「いのち」は大切なのです。(*^_^*)

【1118】宇宙には、「自分の人生」しかないのか?

2007-09-10 21:47:05 | 唯識
「人生」とは、何なのでしょうか(^。^?
よく、「自分の人生」「他人の人生」という言い方をしますが、
「他人の人生」とは、自分が思っている「他人の人生」なのですから、
結局は、「自分の人生(思い)」しかないと思うのです。(^^;ゞ
「他人の人生」は、「私の思い」なのです。(^^;ゞ

同様に、私が「宇宙」とか「宇宙神」だと思っていることも「私の思い(イメージ)」なのですから、
「私」とは、宇宙の中に居て、 客観的には何も認識できない存在であると同時に、
「自分」こそがすべてであり、そういう意味では、「宇宙の創造者」なのです。

つまり、「いま、生きている自分の思い」とは、「宇宙そのもの」なのです。(*^_^*)

ですから、【宇宙には、「自分の人生」しかないのか?】という問いに、答えるとすれば、
『そうであると同時に、あなたこそが、宇宙だ』ということになります。(^^;ゞ

ただ、上の文で私は、「自分こそが、宇宙だ」ではなくて、「あなたこそが、宇宙だ」と書いたのですが、
これも重要なポイントです。

つまり、「宇宙の中身」には、「自分の思いが、宇宙そのものである」ことと平行して、
身近な人を含めた、すべての人類と物質との「思いの関係」が含まれるのです。

「宇宙(世界)」は、私たち一人一人によって、形成されているのです。
ですから、「自分は、宇宙の創造者」だというのは、「傲慢な見解」(笑)ではないのです。(^^;ゞ

ただ、この真理に気付いて生きるには、勇気が要ります。
ほんとうに解脱してしまえば、勇気を出す必要はなくて、ただ、行じればよいのですが、
凡夫は、勇気を出して「自分は、宇宙の創造者であること(我即神也)」を行じることが必要なようです。

一行目の【「人生」とは、何なのでしょうか?】に答えるとすると、
『人生とは、「私の思い」』だいうことになると思います。(^^;ゞ

★ 先日の『オーラの泉』の山田邦子さんへの「スピリチュアチェック」の質問で、
「あなたの人生の目標は、何ですか?」という問いがありました。

私なら、「解脱」と答えると思いました。(^^;ゞ
私の人生は、過去世からの色々な経験を経て、『最終章』に来ていると思うのです。(^^;ゞ

【1117】「お金と社会の関係」は、如何に(^^;ゞ

2007-09-09 07:26:53 | 思索
「お金の苦労」について、思い出したのは、東京に住んでいる次男のことです。(^^;ゞ

以前にも書きましたが、彼(29歳)は中高校の時分から、
本やお笑いや宣伝や言葉が好きなちょっとユニームな性格の人でして、
友人の影響もありまして、コピーライターをめざしていました。

20歳のときには自活して京都に住み、新聞配達をしながら夜間の大学に通ったり、
その後は数年、コンビニでバイトをしながら、コピーの公募に応募していました。
そのころは、将来に対する不安もあったし、「お金の苦労」もあったと思いますが、
29歳までは、そういう生活を続けると言っていました。

彼の興味と目標は、コピーライターの仕事なので、「お金の苦労」はあったものの、
頓着はしていなかったと思うのです。それでも、ギリギリの生活だったと思うのです。

そして、26歳のときに、東京の会社に就職できたのですが、
彼は、「コピーを考えること」以外には興味がなく、家賃と食費以外に給料を使うことがないので、
結果的には、貯金が貯まっているのですが、そのこと自体にも興味がないのです。(^^;ゞ

私が、「仕事ばかりをしていないで、たまには旅行にも行ったら」と言いますと、「興味がない!」と言います。
私たち凡人には、「旅行に興味がない」ことが不思議です。(^^;ゞ

次男のこのような事例を考えますと、
「仕事と趣味と生きがいとお金の関係」はどうなっているのかと考えてしまいます。(^^;ゞ
私たちは、何のために生きているのでしょうかねえ(^^;ゞ

先ほど、介護施設で働く職員の方の番組をみたのですが、
4人の職員で、障害ある45人の食事の介護をしていました。
それらを終えた午後9時からが自分の食事ですが、
そのときにも、寝付かれない利用者の話し相手になっていましたし、その後は、
一人一人の介護日誌をつける作業があるそうなので、頭の下がる思いでした。

それなのに、介護保険からの補助金が少なくなったので、平均給料は21万円ほどなのだそうです。
早朝から夜遅くまで続く重労働なので、離職率は20%。しかも、自分を責めてやめていく人が多いのだそうです。

私も絵手紙を教えるボランティアで、ディケアーセンターに行くのですが、
職員の方々は、本当に優しい態度で、敬意をもって利用者さんに接しておられます。
私は、その施設の職場の雰囲気がとても好きです。

私も、「自分は優しい人」(笑)だと思っていますが、四十六時中、あれだけ敬意をもって接しられる自信はありません。(^^;ゞ
仕事とはいえ、なかなかできることではないと思います。
そう考えますと、自分は「けっこうわがままな、自分中心の性格」だと思います。(^^;ゞ

話がそれましたが、
結婚して子供ができれば、お金が掛かるので、お金を得るために働かなければならないし、
その仕事自体が、自分のやりがい(生きがい)でないという問題も起ってきます。(^^;ゞ

そして、「人生の生きがいは、趣味です」という話にもなり、
私の絵手紙講師の仕事は、そう考える女性の使うお金が回ってきて、それが、
私と家内の生活費になったり、私の趣味のお金になったり、「白光」の行事に参加するバス代になったりするのです。

「お金」、これはとても不思議なものです。
実体があるような、ないような感じがします。(^^;ゞ

「作物と金銭の関係」にしてもそうです。(^^;ゞ
はじめは、影も形もなかった野菜を収穫して、売ることによって生活している人々、
運ぶことによって生活している人、加工することによって生活している人。

そのほかには、マッサージや医療や介護や通信産業や性風俗のような、
生産に関わらない無形のサービスで、金銭をやりとりする場合もあり、
それが、実生産の価値取引よりも、はるかに大きい市場規模であったりします。

そして、そもそも、「生活とは何なのか?」 
肉体の維持なのか、精神の維持なのか?
「肉体の経験を通して、真理を知るため」なのか?

お金について、色々と考えていますと、わけがわからなくなってきますので、
「今は、必要なことが、起こっている」と考えて、私は「世界平和の祈り」をします。(^^;ゞ


★今日は、時間があったので、日ごろ思っていることを、すこし長めに書きました。
 あまりまとまっていませんし、的確な表現でないところもあると思いますがお許しください。(^^;ゞ
 
★この頃の日々のアクセス数は、200前後なのですが、
嬉しいことに、9月2日は1088、3日は540ありました。 ありがとう御座いました。(*^_^*)

【1116】「お金の苦労」について(^^;ゞ

2007-09-08 05:08:30 | 思索
「印による世界各国の平和の祈り」は、テープを聞きながらやっているのですが、
とにかく25分間は、やり続けなければならない(笑)ので、
行としてはやり易いし、力づくで思考を止める効果があります。

今朝その最中に、「お金の苦労」について、以下のようなメッセージが浮かびました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★正直な話です。(^^;ゞ 
神さまに繋がっている私なのに、なんでいまさら、
「お金の苦労」をしなければならないのかと思っていました。(^^;ゞ

「白光」に繋がって、会員でもあり、毎日こんなに「世界平和の祈り」をしているのに、
なんで、いまさら「お金の苦労」をしなければならないのか。

「あふれるばかりの神の慈愛に抱かれて、あなた方は、幸せである」(昌美氏)と言われるけれども、
生活費さえもままならない会員では、意味がない(笑)と思っていました、(^^;ゞ

それでも、よく考えてみますと、「白光」の会員さんでも、「お金の苦労」をしている方はいるのです。
聞いた話では、「白光」の長老で、事業欲が強く、失敗を繰り返して、借金があった人もいるそうです。(^^;ゞ

ですから、神さまにつながっている人がすべて、
「お金の苦労」をしないということではないのです。

「お金の苦労」と神様事(かみさまごと)とは、関係がないのです。別のことなのです。
「お金の苦労」をするという因縁があるから、苦労をするのです。

自分に出来ることは、ひたすら「世界平和の祈り」をして、印を組み、
「お金の苦労」という因縁(カルマ)を、小さくすることです。

けれどもそれは、神に媚びることではなくて、「お金の苦労」に立ち向かうということでもあるのです。

実際、いまの私は大殺界でして、細木さんの本によりますと、来年は、生活に困窮することもあるそうです。(^^;ゞ
しかし、考えようによっては、大殺界のわりには、「まあまあ、それなりに売れている」のです。(^^;ゞ

それで、気づいたのは、「私は、必要な経験をさせられている」ということです。

人間と生まれているのだから、「お金の苦労」は、あって当たり前ですし、
「お金の苦労」は、あってもよいのです。それはそれで、よいのです。

神様に繋がっているから、「お金の苦労」がないと考えることが、間違いなのです。(^^;ゞ
「お金が足りなければ、足らないでいい」(知足)のです。 あるように使えばよいのです。

守護霊さんの眼からみれば、
私は、「必要な経験をさせられている存在」なのです。

そして、よく考えてみますと、大した苦労ではないのです。(^^;ゞ
店の中には、食べるものがあふれていますs(笑)し、
食べるものが買えないほど、困窮しているのはないのです。(^^;ゞ

頭で考えて、「足らない」と思っているだけでした。(^^;ゞ

【1115】私の行の順序は(^^;ゞ

2007-09-07 04:54:00 | 思索
自分にとってやり易い順序がありまして、それは、
「人間と真実の生き方」を読み、「統一」のあと、光明思想徹底行、地球世界感謝行、我即神也の宣言文と印、
人類即神也の宣言文と印、「印による世界各国の平和の祈り」です。

最後の「世界各国の平和の祈り」のあとは、とてつもなく心地良いので、
その状態をできるだけ楽しみ、心に憶えさせます。(^^;ゞ

上のような順序でよいのだとは思いますが、
今日は、この「世界各国の平和の祈り」を、
「呼吸法の印」に変えて、25分間組みました。

この2つの行の、自分の脳に与える影響の違いを、調べたいと思うのです。
「呼吸法の印」は、チャクラを順番に開くと言われていますので、
できれば、「呼吸法の印」を多く組んだ行のほうが、自分の霊性がより開かれると思うのです。

そしてこの頃、「呼吸法の印」を組み続けていますと、体を動かしたくなることを発見しました。
印のおかげで、痩せてお腹の皮がたるみ、おじいさんのようなので、腕立て伏と腹筋をして、
引き締まった体にしたいと思っています。(^^;ゞ

体を動かしていると、「自分が存在していること」が、嬉しくなってきます。
とくに、気功法的なストレッチをしますと、体が融けていきそうなうぐらい気持がよいです。

「統一」をすれば、いつでも気持が良くなるのですから、これを日常に広げればよいのです。
そして、だれでもがそうなれば、争いのない社会が実現すると思うのです。(*^_^*)

【1114】いつでも、至福(*^_^*)

2007-09-06 21:23:44 | 思索
朝、目が覚めますと、条件反射的に、脳が「統一」を求めます。(^^;ゞ
そして、「統一」をすれば、いつでも、気持ちの良い「至福」がやってきます。(^^;ゞ

この原稿は、朝の「統一」の前に書いているのですが、私の頭は、一刻もはやく、
「統一」に入りたくて、ウズウズしています。(^^;ゞ

そして、「統一」をしていると、色々なインスピエーションが浮かびますので、それをメモして、あとで実行します。
こうしますと、悩むことがないので、ものごとがスムーズに進みます。

ただ、時空には、微妙なタイミングがあるので、常に「統一」を保って、その流れを読む必要があります。
「統一」で示唆を受けたからといって、やみくもに行動に移しても、うまくいかない場合もあります。
常に「統一」していますと、そのタイミングがわかるようになってきます。

また、私の場合は、「統一」で、自分の心のもっていき場所を定めます。

【1113】商売と光明思想(無限なる売上げ)

2007-09-05 22:10:29 | 思索
「売れない日もある」と認めることは、光明思想でないと思うのです。(^^;ゞ

商売としては、「完売」が、完全完璧な形です。(*^_^*)
「完売」でなかったのは、売れなかったのではなくて、たまたま「完全完璧な形」が現れなかったのです。(^^;ゞ

光明思想家(笑)としては、常に前向きに、「完売」を思い描いて「世界平和の祈り」をすればよいのです。
お客さんが来ないときには、「呼吸法の印」を組んでいればよいのです。

その成果かも知れませんが、今日までは「ほぼ完売」が5日間ほど続いています。

なにしろ、
『あなたの日頃の「世界平和の祈り」は、天に届き、溢れるばかりの徳となって、
今年から、あなたのもとに帰ってくる筈である』なのですから、
心に完成した状態を思い描いて信じればよいのです。

【1112】「神人」を勧めるとは、何か(^。^?

2007-09-04 22:44:37 | 思索
【1111】を書いた理由は、
「他人は他人(一人一宇宙)」が大前提なのに、
「なぜ私は、他人に『神人』になることを勧めるのか」という疑問があるからです。

何事も、本人の意志であり、選択なのですから、
「神人養成プロジェクト」を勧めるのは、要らないお世話(笑)だと思えるのです。

ただ、来たるべき「アセンション(次元上昇)」を迎えるために、
私たちは、自分の意識のレベルを上げておく必要があるという話なのです。

それでも、自分が「神人」になって、内面的に成長したと思うので、(^^;ゞ
そういう話を受け入れてくれそうな人には、勧めようとは思っています。(^^;ゞ

目に見えない世界のことであり、言葉で言い表すことも難しい世界観であり、
しかも、「信じる」ことが必要なことなので、どのように伝えべきなのかと、考え込んでしまうのです。(^^;ゞ

ですが、人間はもともと「神人」であったので、
それを思い出してもらうための、「神人養成カルキュラム」をしてもらうということなら、
結局は、本人のためなのですから、受け入れる準備が出来ている人には、
「神人養成プログラム」のお誘いをしてみようと思っています。

何度も書きますが、
「その人が、もともとは「神人」であったことに気付くためのエセクササイズ」だと思うのです。

【1111】他人の人生に、我は関せず、なれど「世界平和の祈り」

2007-09-03 22:58:50 | 思索
「他人の人生」は、その人のものであり、
全部肯定すべきことであり、他人が評価できるものではないのです。

それに、その人は、その人の「業」を生きるために、生存しているのですから、
「他人は他人。自分は自分。」という以外に、言えることはないのです。(^^;ゞ

「他人」を評価する必要は、一切ないのです。
必要なのは、自分の内面を見つめることだけです。
心を落ち着けて、自分の内面を、ただ見続けていればよいのです。

そうしますと、自分とは、「業の消えてゆく姿」だと知ることができます。

そして、「自分の内面」の「消えてゆく姿」に気づいた人は、
「他人の業」の評価はしないと思うのです。

一人一人の「業の解決」は、自力で捜すことによってしか得られません。
「解答」は、その人自身の中にあるのです。

【1110】すべての人には、内面がある(神人候補生現れる)

2007-09-02 05:06:39 | 思索
すべての人には、内面世界があり、それが、自分にとっても、その人にとっても、すべてだと思うのです。
でも、これが案外忘れられていて、自分の内面を中心に考えがちなのです。

他の人の中にも、自分と同じような内面広がっていると考えると、
壮大なドラマを見ているような気分になり、私は、嬉しい気持ちでいっぱいになります。(*^_^*)

それぞれに内面があるからこそ、変化するチャンスがあると思えることが、嬉しいのです。

先日から、私と同年輩の近所の男性が二人、なんとなくアリスに来られまして、
店先で、「世界平和の祈り」や精神世界の話をしたのですが、案外、話をわかってくれるのです。(^^;ゞ

ひとりの方は、滝行をしたことがあるそうですし、もうひとりは、日本画を描かれる方ですが、
浄土宗や真言宗、仏教の知識をもっておられて、
「白光」の会員さんと話しているのと同じようなテーマで話せたのです。

そして、その場で、
現代にとって、「世界人類が平和でありますように」が、念仏に値する言葉だというのは、
とてもよくわかると言われるのです。

この松原市在住の日本画家さんは、10年ほど前に、
店先にある私の絵を見に来られたのですが、久し振りに来られました。

もうひとりの方は、私より2才年上ですが、今年ガンの手術をして、
一命を取りとめたそうなのです。

それぞれに『我即神也』をお渡しして、白光真宏会の話も少しできました。
おふたりとも「神人候補生」かも知れませんね。(^^;ゞ

【1109】「私の霊性開発」と「白光の行事」の関係

2007-09-01 04:56:41 | 思索
白光真宏会は、維持会員の霊性開発を支援するための組織だと思うのです。
白光真宏会は、会員である私のいのちを輝かせるための方法を、色々と提案してくれます。

ふつうに考えると、「私の霊性開発=白光の行事」だと思うのですが、
私の守護霊が、私の行事参加を止めようとすることがあるのでしょうか?

それとも、「私の業」が、行事参加を渋るのでしょうか?(^^;ゞ

「業の私」には、守護霊さんの神性な意図がわかりません。
それで、守護霊さんの声に耳を傾けようと思って、
「統一」をしたり、講師さんの講話を聴いたり、行事に参加したりして、
守護霊さんの意図を探ろうとしているのが、いまの私なのです、(^^;ゞ

富士聖地の近くに住んでいればと、悔やまれます。(^^;ゞ
下世話な話で恐縮ですが、交通費が掛からなければ、
毎月でも参加したいと思っている会員さんが、ほとんどだと思うのです。(^^;ゞ

逆にいえば、『白光の行事』に参加できるのは、とても恵まれたことだともいえます。

遠方に住んでいる会員さんは、霊性開発が遅れるいうことではないのです。
遠方の会員さんは、その方なりの方法で、同時刻に自宅で「祈り」に参加したりする方法があるそうです。

とにもかくにも、人間は「日々の信仰心」が試されているようです。(*^_^*)