『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1130】「ないがしろ」にされて、ヤマギシ会に参画(^^;ゞ

2007-09-22 21:43:00 | 経験
昨年、娘に赤ちゃんが生まれて、おじいちゃんになったのですが、(^^;ゞ
同時に、その当時、父親であった私の「ないがしろにされた気持ち」を思い出すことになりました。(^^;ゞ
(これもまた、「誰が悪い」ということではなくて、私たち夫婦の魂の計画です。念のため。)(^^;ゞ

そして、その「ないがしろにされた気持ち」に背中を押されて、
自分がヤマギシに参画した部分もあったという記憶が甦ったのです。(^^;ゞ
そのことを簡単に書きたいと思います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
娘の子供が、1歳3ヶ月になりました。(^^;ゞ
動きまわるので、世話をするのが大変なのですが、
30年前の我が家では、その時期に、次男を出産する準備をしていたのですから、
私たち夫婦は、「頑張っていた」(笑)と思うのです。(^^;ゞ

ただ、次男を出産して10ヶ月後に、私はサラリーマンを勝手にやめてしまい、
モロゾフの喫茶部に就職したり、その後は、ヤマギシに参画してしまうのですから、
「頑張っていた」ことにはならないのかも知れません。(^^;ゞ

そして、娘が孫を出産した後の色々な人間関係や感情を経験して、
当時の自分が抱いていた「みたされない気持ち」や「ないがしろにされた気持ち」を思い出したのです。(^^;ゞ

母娘は、脳密な血縁関係なので、知らず知らずのうちに、
「娘の夫の存在」がないがしろにされてしまうことに気づいたのです。
夫(父親)というのは、父権社会のなかで作り出された概念的な存在なので、
「存在の根拠が薄い」のです。(^^;ゞ

家内の父親は、それなりに気を使ってくれたとは思うのですが、
家内と母親のペースで、勝手に話を進められることもあり、「自分に相談がない」という思いがありました。
ちょっとした被害妄想ですね。(^^;ゞ

「ねぎらいの言葉」をかけてもらったこともなく(笑)、
「亭主は、給料の運び屋で留守がよい。」(笑)という言動を感じて、限界がきて、
私の「ヤマギシでやってみたいという思い」の背中が押され、
「自分も勝手にさせてもらうわ。ヤマギシに行くわ」となったのです。(^^;ゞ

父親は社会的な存在ですから、妻からの「尊敬の言葉」や「ねぎらいの言葉」がないと、
「自分は、ただのお金を稼ぐ道具なのか」と卑下しかねない存在なのです。(^^;ゞ

ご主人を敬愛しているのなら、感謝の言葉と、感謝の態度を示したほうが良いです。(^^;ゞ

世界人類が平和でありますように!