「宇宙には、自分の人生しかなくて、私こそが、宇宙」なのですが、
その人生は、いつかは必ず、「死」によって終わります。
「死」とは何でしょうか? 一般的には、「肉体の死」です。(^^;ゞ
今日、瞑想中(「統一」)に浮かんだのは、『体は、いのちと一体』という言葉ですが、
不調和さえなければ、「体」は、空気や食物が供給されるかぎり存続し続けるのでして、
そういう意味では、人間の肉体は「無限供給の世界」にあるのです。
「肉体」は、寿命があるかぎりは存続すると思えれば、気が楽です。(^^;ゞ
良い家に住みたいとか、美味しい物を食べたいというのは、「業」に過ぎません。(^^;ゞ
また、「人生とは、「業」の経験である」とするなら、「死」とは、「業」の経験の終了です。
けれども、そう考えるのもまた、「いま、この瞬間の自分の考え(観念)」でして、「消えてゆく姿」なのです。
「いのち」はただ、生き続けている存在だと思うのです。
それにしても、「いま在る」とは、なんとありがたくて、嬉しくて、美しいことなのでしょうか!(*^_^*)
「いのち」さえあれば、いくらでも気付いていけそうな気がします。(^^;ゞ
気付き続けるために、「いのち」は大切なのです。(*^_^*)
その人生は、いつかは必ず、「死」によって終わります。
「死」とは何でしょうか? 一般的には、「肉体の死」です。(^^;ゞ
今日、瞑想中(「統一」)に浮かんだのは、『体は、いのちと一体』という言葉ですが、
不調和さえなければ、「体」は、空気や食物が供給されるかぎり存続し続けるのでして、
そういう意味では、人間の肉体は「無限供給の世界」にあるのです。
「肉体」は、寿命があるかぎりは存続すると思えれば、気が楽です。(^^;ゞ
良い家に住みたいとか、美味しい物を食べたいというのは、「業」に過ぎません。(^^;ゞ
また、「人生とは、「業」の経験である」とするなら、「死」とは、「業」の経験の終了です。
けれども、そう考えるのもまた、「いま、この瞬間の自分の考え(観念)」でして、「消えてゆく姿」なのです。
「いのち」はただ、生き続けている存在だと思うのです。
それにしても、「いま在る」とは、なんとありがたくて、嬉しくて、美しいことなのでしょうか!(*^_^*)
「いのち」さえあれば、いくらでも気付いていけそうな気がします。(^^;ゞ
気付き続けるために、「いのち」は大切なのです。(*^_^*)