『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1126】否定的想念が強いと、「世界平和の祈り」が出来ない(^。^?

2007-09-18 21:43:48 | 思索
16日は、藤井寺の「世界平和の祈り」集会に参加して帰宅したあと、
時間があったので、家内とゆっくりと、経済的なことも含めて、
今後のことや今までのことについて、5時間位話をしたのですが、これまで、
このブログ日記で探求してきたことの総集編、総復習の場となりました。(^^;ゞ

以下、具体的な内容を箇条書きにしたいと思います。
多少差し障りがあるかも知れませんが、(^^;ゞ
これらはあくまでも「現状の分析」と「確認」であって、
「家内への批判」(笑)ではありませんので、一般論として読んでください。
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★「うらやむ気持ち」が、悪口を言わせる。
「悪口」を言うと、一時的に、「うらやむ気持ち」が消えるのですっとする。

★「うらやむ気持ち」は、否定的な想念(不安とねたみ)によって生じる。
 「うらやむ気持ち」の底には、コンプレクスがある。

★他人に対して「うらやむ気持ち」を持つ人は、「自分に自信がない人」のである。

★「自分に自信がない人」とは、自分の「生き方(いのちの輝き具合)」に自信がない人であり、
 そういう人は、得てして、「物に依存して、安定を求めようとする。」

★否定的想念が、「ねたみの感情」を生み、「うらやむ気持ち」を抱かせる。
 そして、「ねたみ」や「うらやみ」の感情をもつことは、苦しいものである。
 つまり、自分の否定的想念で苦しんでいるのは、自分なのである。
 
★ 「ねたみの感情」(否定的想念)は、だれにでもあり、「自分の現状」に満足できない時に生じる。

たとえば、家内の場合は、
「自分は短大を出て、勤めていた数年間は、毎日が楽しい日々であり、他人と比べても、
恵まれている方だったので、「ねたみの感情(否定的想念?)」を抱いたことはなかった。

ところが、私と結婚したために、苦労が始まった。(^^;ゞ
もともと私は、家庭生活には、不向きな人間だと思う」のだそうです。(^^;ゞ

★「現状の満足感」には、二種類ある。
 他人の物質的な状況(収入や子どもなど)と、自分の状況を比較して満足感を得る場合(A)と、
自分の内面の充実感で、満足感を得る方法(B)である。

★否定的想念の強い人は、「自分が不幸なのは、他人のせい」だと思う。
 
★行動を制約されて、禁止されて育つと、否定的想念が強くなる。
(これは、私の分析であり、家内の同意は得られませんでした。)(^^;ゞ
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五時間いろいろな話をしまして、そういう「否定的な想念」を止める方法として、
「静座」や「統一」を勧めたのですが、「絶対にしたくない。そんなことで幸せになるはずがない」と、
ここでも「否定的想念」が発揮され(笑)まして、拒絶されました。(^^;ゞ

そして、後で気が付いたのですが、家内は、否定的想念が強いので、「善悪」ではなくて、
「世界人類が平和でありますように」と言えない人だったのです。(^^;ゞ

というのも、以前、藤井寺の集会で、「世界人類が平和でありますように」と言えない会員さんがいたのです。
その方は、自分の中の別の想念が邪魔をして、「世界人類が平和でありますように」と言えない時期があったそうなのです。

『「世界人類が平和でありますように」って、いい言葉でしょ』という会話がキッカケで、
「白光の教え」を紹介したという話を白光誌で読んだことがあって、
「なるほど、正当な勧誘方法だなあ」(笑)と思っていました。

ところが、否定的な想念が強いと、「世界人類が平和でありますように」を良い言葉だとは思わないし、
口にもしたくないという人も居るのだと理解できたのです。(^^;ゞ

そういう現状も「消えてゆく姿」であり、プロセスではあるのですが、
『否定的想念が強いので、素直な気持ちになれない』というのは、かなり根深い問題だと思いました。(^^;ゞ

「否定的な想念」が強い人にこそ、「白光の教え(統一)」が役に立つと思うのですが、
そういう人に限って、「否定的な想念が強い自分」に向き合うことを避けようとして、
「世界平和の祈り」をしたくないと思うようなのです。

★ここまで「現状の分析」が進めば、あとは瞑想(「世界平和の祈り」)という実践をするだけなのですが、(^^;ゞ
私に出来ることは、彼女の心が開かれ、「天命が完うされること」を、宇宙神に祈る(想像する)だけです。