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アウンサンスーチーはいやな女だ、訪日の際の付け人のハナシ、検索と符号する、

2016年01月07日 12時40分03秒 | thinklive

*以下の記事には署名はない、ネットで検索したものだ、メディアのジャンヌダルク評価には疑問を感じていた、彼女の訪日の際の関係者のハナシ、具体的な些事をきいたが、忘れた、謙虚さをしらない、奥ゆかしさがない、といった感想に同感していた、

”ちょっと前にアウンサンスーチーが日本政府に招きで来日した。アウンサスーチーと言えば、91年にノーベル平和賞を授与され、国内外で軍事政権と戦うヒロインというのがほとんどの日本人が持つイメージだろう。しかし以前に本ブログでも指摘したことがあったが、そうした彼女に対するイメージはマスメディアが作った虚像にすぎず、彼女には偉大なる父君、アウンサン将軍から受け継ぐべく品位が感じられず、また、マスメディアの報道だと彼女のことを「軍事政権と戦っているヒロイン」「現代のジャンヌ・ダルク」など礼賛するのがほとんどで、彼女を批判するものはなかった。僅かに元産経新聞の記者の高山正之さんの本「スーチー女史は善人か」があるくらいで、「平和のシンボル」アウンサンスーチーを批判するのは憚られてるような雰囲気だった。

 しかし、最近はアウンサンスーチーの実像が徐々にではあるが暴かれ始めている。週刊新潮4月25日号「新聞は持ち上げてもアウンサンスーチー  実にいやな女だった!」の中で元ミャンマー大使であった山口洋一氏の体験談を掲載している。それによると、彼女は「軍はけしからん」「民主化しろ」というだけで、政治的素養もビジョンもないとバッサリ、又、1997年のミャンマーASEAN加盟に際し、当時の橋本首相が賛成したことにアウンサンスーチーは「軍が横暴となり、反対勢力は皆殺しにされる」と怒鳴り散らしたそうだ。また翌98年、ヤンゴン国際空港の滑走路の整備に日本政府が援助を決定したことに対し烈火のごとく怒り、山口氏が「人命にかかわることで、空港が機能しないと国際交流もなくなる」と言うと、驚くことにスーチーは「ミャンマーは孤立してもいい」と言い放ったという。今ミャンマー国内で自分の支持勢力でもあった少数民族が軍から攻撃を受けている問題でも「私は関係ない」と発逃げ回っている。何だが‘瞬間湯沸かし器’‘バ菅’と言われた菅直人を彷彿させるようだ。ネットの世界でもアウンサンスーチーに対する疑念も出ているようで、彼女に対する批判的な記事も少しではあるが見受けられる。

 アウンサンスーチーは訪日中の4月17日、日本記者クラブの会見で「政党のトップで国のトップになりたくない人がいるのか。なりたくなければ偽善ではないか」と語っている。この言葉にこの婆さんの本性が透けて見える。婆さんからすれば、自らの名誉欲を満たすために、民主化民主化と叫び続けていたのだ。国内の不満分子や少数民族を集め、騒動を繰り返す。そういった連中は彼女にとっては捨て駒に過ぎず、恐らく政権を奪取したらポイ捨てにしてしまうだろう。自らの栄耀栄華が目的なので早晩ミャンマーの国民を捨てることになると思う。彼女を育てたのは、ミャンマーの国土を奪い、ミャンマーの大半を占めるビルマを最下層に貶め、国内にインド人、中国人、少数民族を入れ分断統治をした、イギリスだからである。これは高山先生の本からだが、彼女は思春期から中年期までをインドやイギリスで過ごし、ご丁寧にイギリスは年頃になった彼女にハンサムなイギリス青年(実は諜報部員)まで提供している。

 「ともに素晴らしく頭の切れる人物という点では共通しています。実に頭脳明晰で頭の回転が速く記憶力も抜群です。しかし大きく異なる点が二つある。将軍は謙虚で控えめな性格でけっして驕ることがなく、他人のいうことに耳を傾ける人物であったのに対して、娘のほうは気位が高く、高慢で、強硬な自己主張をする。自分の言うことはすべて正しく、他人は自分の発言を聞き、それに従うべきだと思っている。他人の発言を傾聴することはまったくない。

 

 



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1 コメント

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Unknown (すー)
2021-07-18 07:09:12
些事という言葉の使い方が、不自然。

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