サウジアラビア人ジャーナリスト失踪事件で、トランプ米政権がトルコとサウジのメンツが立つ形で手打ち工作を進めているとの観測が出てきた。トルコに2年間拘束されていた米牧師がこのほど釈放されたのもこの工作の一環と見られ、事態がこれ以上悪化しないよう、3国が政治決着に踏み出したようだ。
今回の事件でトランプ大統領はどのようなディールをするのか?
釈放されたのはアンドルー・ブランソン牧師。牧師はトルコのクーデター未遂事件に関与したとして2016年10月にトルコ当局に逮捕、拘束されていたが、この12日、裁判所の命令で唐突に釈放された。エルドアン大統領の独裁支配が敷かれる同国で裁判所が独自に決定を下すことはあり得ない。大統領の政治的な意思に基づく釈放であるのは間違いないだろう。
牧師をめぐっては、その所属する米国のキリスト教福音派が釈放を要求し、トランプ政権がトルコへ制裁を発動するなど両国の対立が続いてきた。福音派はトランプ大統領にとって最大の支持基盤。11月6日の中間選挙を前に牧師を釈放させ、同派へのアピールにしようと腐心してきた。釈放は大統領の与党共和党に追い風になると見られている。
トルコは対米関係の悪化により8月には、通貨リラが年初と比べ4割も急落、物価が高騰し、深刻な経済不振にあえいでいる。だが、エルドアン大統領は米国の圧力には屈しないと反発を強め、冷却化していたドイツとの関係を修復するなど反米姿勢を見せていた。
しかし、経済的な苦境から脱却するには、米国との関係を正常化する以外にないのも実情。このため、エルドアン大統領はトランプ政権とよりを戻す機会をうかがってきた。そうした時に、イスタンブールのサウジ領事館で反政府のジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の失踪事件が起こった。
トルコ側は同氏が入館後にサウジ本国から来た暗殺チームに殺害されたとし、地元紙や米ワシントン・ポストによると、殺害を証明する映像と音声記録があると米政府に伝えている。トランプ大統領は13日、この映像を見たかと記者団に聞かれ、「見ていない」と述べた。録音は同氏が着けていた米アップルの腕時計端末「アップルウオッチ」を通じて行われたものとされる。
エルドアン大統領はサウジの犯行を示唆しながらも、経済低迷の緊急事態を考慮し、石油大国で富裕なサウジとの関係をこれ以上悪化させず、なんとか失踪事件を軟着陸させたいというのが本音。だからこそ、サウジを激しく非難することを控え、事件を捜査する「合同作業部会」の立ち上げに合意した。
“跳ね上がり”の犯行?
ベイルート筋は失踪事件とブランソン牧師の釈放を「偶然ではない」とし、「釈放は事件の政治決着を米国に頼むための手土産だ」と指摘した。だが、トランプ大統領はこの点について「偶然に重なっただけ」と一切の取引を否定した。
また大統領は13日放映したCBSテレビとのインタビューで、記者殺害が事実であるなら、「厳罰が待っている」とサウジに厳しい対応を取る考えを明らかにした。しかし、その一方で、サウジに対する1100億ドルに上る武器売却を反故にするつもりはないと語っており、サウジとの関係が決定的に悪化するような措置は取らないだろう。大統領は1両日中にサウジのサルマン国王と電話会談する見通しだ。
ベイルート筋は米国が水面下で進めている手打ちがトルコ、サウジ両国のメンツが立つようものになるだろうと指摘した。カショギ氏の殺害をなかったことにするには証拠がそろい過ぎている上、サウジの全面否定ではトルコ側が納得しないとし、取り沙汰されているシナリオの1つを明らかにした。
それによると、両国の「合同作業部会」がまずカショギ氏の死亡を発表。「サウジ人の“跳ね上がり”集団」による犯行のせいにし、行方を追っていたサウジ治安当局と国内の潜伏先で銃撃戦になり、全員が死亡、といったスパイ小説を地で行くようなストーリーが考えられるという。だがこれでは、無理に無理を重ねた隠蔽となり、うまくいかない可能性が強い。
砂上の楼閣
どんな形で政治決着が図られるにせよ、サウジの若き改革者として売り込まれてきたムハンマド皇太子のイメージは完全に地に落ちた。皇太子は今月下旬リヤドで、第2回サウジ投資会議を開催する予定だ。この会議はスイスで毎年開かれる世界経済フォーラム主催のダボス会議を文字って「砂漠のダボス会議」と呼ばれている。
第1回会議が2017年10月に開かれ、世界の政治家や企業人、投資家、マスコミなど多数が参加した。皇太子は会議で「世界の新たな地平を切り開く」と宣言、砂漠に5000億ドルを掛けてハイテクとロボットを駆使した「ネオム」という人口都市を建設する構想をぶち上げ、投資を呼び掛けた。皇太子の国家改造計画「ビジョン2030」の一翼を担う計画だ。
今年はその2回目。最高級ホテル「リッツ・カールトン」を舞台に華々しく開催、世界中から要人を集める計画で、米国からもムニューシン財務長官を団長に多くの政財界人が参加する見通しだった。皇太子はこれに先立つ4月、米国を訪問してトランプ大統領と昼食を共にし、フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグ氏、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏らと写真に収まり、投資会議の宣伝をした。
しかし、カショギ氏の失踪事件が起きた後、多くがサウジや皇太子との関係を見直し始めた。米有力紙などによると、ライドシェア最大手「ウーバー」のコスロシャヒ最高経営責任者ら企業経営者、ニューヨーク・タイムズ、CNNといったメディアも参加を取りやめた。ムニューシン財務長官がキャンセルするかは明らかではない。
皇太子はサウジ王国の古い体質の改革者、とのイメージをアピールしてきた。映画やコンサートなどの娯楽を開放し、女性の車の運転を解禁、宗教警察の権限を縮小し、各国から評価を受けてきた。しかし、カショギ氏の失踪事件が皇太子自らの命令によるものとの見方が強まり、ダーティな裏の顔がクローズアップされるところとなった。
国内的には権力を掌握するため王族も含めた政敵や反体制派を徹底的に弾圧し、対外的には隣国イエメンの内戦に武力介入、子供ら民間人の殺戮も意に介さないという非情な独裁者の顔だ。皇太子は失踪事件のあまりの反響の大きさにビックリしているという。「墓穴を掘った」(ベイルート筋)“裸の王子”故の戸惑いだろう。王子が夢を描いた砂漠の都市「ネオム」は本当に砂上の楼閣になってしまうかもしれない。
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