歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

宇治市・平等院鳳凰堂 明治後期に流出した天井板が見つかり、菩薩像が描かれているのを確認

2011年02月25日 | Weblog
 平等院は25日、明治後期の修理時に流出したとみられる鳳凰堂(国宝)の天井板が見つかり、菩薩像が描かれているのを確認したと発表した。
 天井板は横2・5m、幅約30cm。天井の木枠で隠れていた部分に、朱色の線で描かれた菩薩の顔と右足(いずれも縦6cm、横4cm)が流れるようなタッチで描かれ残っていた。平安後期の特徴をよく示しているという。
 平安時代、天喜元年(1053)の鳳凰堂創建時、仏絵師が板に彩色する際の筆慣らしとして落書きしたとみられる。
 鳳凰堂の天井には、「宝相華」が描かれており、明治35年(1902)から4年間の修理で、一部の板が取り換えられた。古材は修理費捻出のために売却されたとみられる。
 奈良教育大大山明彦准教授(絵画記録保存)が、平成20年(2009) 京都市内の古美術商から購入して調査した結果、宝相華と同じ緑、赤、青の顔料がわずかに残っていたことなどから、鳳凰堂の天井板とわかり寄贈した。
 天井板は26日(土)から、同寺の「鳳翔館」で公開される。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞]

菩薩像描かれた平等院鳳凰堂の天井板見つかる(読売新聞) - goo ニュース
平等院鳳凰堂の天井板返還=1世紀ぶり―彩色痕の形状など一致・京都(時事通信) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
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姫路市・山之越古墳 周濠跡が見つかり、東西約60mの方墳を確認

2011年02月25日 | Weblog
 姫路市埋蔵文化財センターは24日、同市御国野町国分寺の5世紀中期の方墳・山之越古墳(やまのこしこふん)で周濠跡が見つかり、墳丘の大きさが東西約60mだと分かったと発表した。
 現地説明会は26日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]
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奈良市斑鳩町・中宮寺跡 東端の塀跡が見つかる

2011年02月25日 | Weblog
 斑鳩町教委は24日、聖徳太子ゆかりの中宮寺跡で、南北に並ぶ金堂や塔の中軸線から東約65mの場所から、7~8世紀の掘っ立て柱の塀跡が、南北に9つの柱穴跡が約20mにわたって見つかったと発表した。 中央から東端までの距離が判明したことで、東西の範囲を130mと推定した。
 また、南門推定地の南側に東西に並ぶ6つの柱穴が見つかった。周囲にはほかに穴がないことから、儀式の際に宝幢(ほうどう)の遺構で旗竿と支柱を立てる穴とみられる。 宝幢は寺の正門前に立てられるため、この穴が寺の南端と推定。この結果、寺の範囲は東西130m、南北205mとなる。
 また、寺域北西部で鋳造関連遺物数百点が出土。銅や鉄製品を作る工房があったらしい。
 現地説明会が3月12日、13日午前10時~午後4時に開かれる。
[参考:産経新聞、奈良新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.2.19中宮寺跡 心柱立てる櫓の柱穴とみられる遺構を確認
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