歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

岩手県金ヶ崎町・鳥海柵遺跡 9世紀末の緑釉陶器ながど出土

2011年02月18日 | Weblog
 岩手県金ケ崎町教委は17日、鳥海柵(とのみのさく)遺跡(同町西根)から、9世紀末の緑釉陶器と土師器が出土したと発表した。
 竪穴住居跡で発見された緑釉陶器は直径約18cm、高さ約5cmで、唾壺(だこ)の口縁部と思われ、土師器は直径約16cm、高さ約4cmで香炉の蓋とみられる。
 唾壺や香炉は当時の役人など特権階級が使う装飾品で、鳥海柵から南東約1.5kmにある胆沢城(802年~10世紀半ば)に出入りできた有力者の住居だったと推測している。 鳥海柵が、安倍氏が有力者の住居跡に柵を築き権勢を誇示した可能性が高まったとする。
 18日から27日まで、同町中央生涯教育センターで2つの器を公開する。
[参考:河北新報、岩手日報]

過去の関連ニュース
 2010.7.24・鳥海柵遺跡 律令制下の末端行政組織「五保」を記した墨書土器が出土
 2009.11.27 鳥海柵遺跡は安倍氏が前九年合戦で築いた柵
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大分市・羽田遺跡 平安末期の大型の羽釜の鋳型が出土

2011年02月18日 | Weblog
 大分市教委は17日、羽田遺跡(同市羽田)の発掘調査で深さ約1・2mの地中ら、平安時代末期(12世紀後半)に使用されたとみられる大型の羽釜の鋳型(土製、直径約70cm、高さ約70cm)が、ほぼ原形のまま出土したと発表した。
 同じ土坑からは溶解炉の破片も出土した。 見つかった鋳型は外型で、日常生活で使う羽釜より大きいため、寺社の神事など特別な用途で使われたとみている。
 羽田遺跡は1964年に発見され、これまでに弥生時代から古墳時代にかけての集落跡などが見つかっている。
[参考:読売新聞、毎日新聞]
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高知県いの町・バーガ森北斜面遺跡 弥生時代中期末の竪穴建物跡6棟などが出土

2011年02月18日 | Weblog
 高知県埋蔵文化財センターが17日、いの町是友(こりとも)の丘陵地で見つかった弥生時代中期末(1世紀前半~2世紀)の「バーガ森北斜面遺跡」で、新たに竪穴建物跡6棟や周囲に巡らした柵跡などが出土したと発表した。
 同遺跡は、1957年に仁淀川支流の宇治川左岸の標高約40~80mに広がっているのが見つかった。 これまで竪穴建物跡は4棟だったが、昨年5月以降の調査で、標高42~58mに建物跡6棟と柵などの柱穴314基が出土。集落の範囲が東西450m、南北300m、13万5000㎡あることが分かった。 東の山には同時期の朝倉遺跡(高知市)などがあり、山伝いに集落が広がっていったことが考えられるという。 四国の高地性集落では最大級の紫雲出山遺跡((しうでやまいせき、香川県)などに匹敵するという。
 斜度約40度ある急斜面が、4段に造成され、標高約40~80m周辺で4棟の竪穴建物跡が出土した。竪穴建物跡は直径3~5mの6つの穴。 のろしを上げるための炉、石鏃や鉄鏃、直径3~5cmの石の「投弾(とうだん)」約200個などが見つかった。同時に、煮炊き用とみられる炉や約1万点の土器片(壺・高杯等の弥生土器)が出土し、日常的に人々が生活していたことが分かった。農具とみられる鉄斧も見つかった。尾根上の竪穴建物跡では工房跡とみられ、砥石や石材などが見つかった。
 鉄斧は国産品の形で、近くに鉄製品を作る工房があった可能性も出てきた。 土器の9割は四国南部特有のへらで装飾したものだったが、瀬戸内地方の甕などもあり、他地域との交流をうかがわせる。
 現地説明会は19日午後1時半~3時に開かれる。(小雨決行)。
[参考:読売新聞、毎日新聞、高知県文化財団埋蔵文化財センターHP、高知県HP]

過去の関連ニュース・情報
 2008.9.25いの町・天神溝田遺跡 律令制から荘園制への変換がたどれる遺跡

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