歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

明日香村・飛鳥寺西方遺跡 槻の木の広場を横切り飛鳥寺西門に続く参道跡とみられる石敷きが出土

2011年02月09日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が9日、明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、645年に乙巳の変(大化改新)を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったとされる「槻(つき)の木の広場」のすぐ西側で、飛鳥時代の東西の道路跡と推定される石敷きが見つかったと発表した。
 石敷きは飛鳥寺西門跡の西約100mで、幅2・4m、長さ80cm分の石敷きを確認した。 表面が平らなこぶし大の石が敷かれ、人の頭ほどの大きさの縁石も残っていた。 さらに、約150m西には甘樫丘がそびえる。
 橿考研によると、飛鳥寺南門の参道の幅は2・2mで今回見つかった石敷きの幅に近く、石敷きは蘇我蝦夷、入鹿父子の邸宅があった甘樫丘方面から槻の木の広場を横切る参道だった可能性もある。
 また、その北55mでも石組み溝の底部とみられる石敷きが東西2・6m、南北80cm分、出土した。
 現地説明会はないが、橿考研付属博物館(橿原市畝傍町)の速報展(2月11日~3月6日、月曜休館)で紹介される。
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞]

過去の関連ニュース
 2010.3.18飛鳥寺西方遺跡 大化改新ゆかりの「槻の木広場」か、石敷き跡が出土
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赤穂市・有年牟礼・井田遺跡 古墳時代後期末の鍛冶炉跡が見つかる

2011年02月09日 | Weblog
 兵庫県立考古博物館は8日、弥生時代から古墳時代にかけての住居跡などが見つかっている赤穂市有年牟礼(うねむれ)の「有年牟礼・井田遺跡」で古墳時代後期末(6世紀末~7世紀初頭)の鍛冶炉跡(直径約40cmの焼けた土)を発掘したと発表した。 この地域での古墳時代鍛冶遺跡は、金子遺跡(佐用町)についで2例目。炉跡が見つかったのは初めてという。
 ほかに、覆い屋があったと思われる工房関連施設、消し炭のごみ捨て場などが見つかった。一緒に出土した須恵器などから、古墳時代後期末の遺跡とみられる。
 工房関連施設から鉄滓3点や直径2cmほどの鉄塊2点、釘の破片2点が、ごみ捨て場からは鍛造鉄片数点が見つかり、炉から約20m離れたところで土製の鞴(ふいご)の羽口片も見つかった。
 現地説明会は11日(土)午後1時半から開かれる。
[参考・毎日新聞、朝日新聞]
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岐阜県養老町・象鼻山古墳群 5世紀後半頃の円墳2基を確認 300年以上にわたり造墓

2011年02月09日 | Weblog
 養老町教育委員会は8日、象鼻山(ぞうびさん)古墳群(同町橋爪)の第5次発掘調査の結果、象鼻山(標高142m)が300年以上にわたって、70基の墳墓が造られた「聖地」だった可能性があると発表した。
 同古墳群は濃尾平野を中心とした複数の集団の統率者らを埋葬したと考えられている。これまでの調査で、墳墓は2世紀中頃(弥生時代後期)から造られ始め、その半数は2世紀中頃から後半頃に集中し、山頂部からは3世紀後半頃の墳墓も見つかっていた。
 しかし、今回の調査で、標高約80mの中腹にある墳墓2基(51・53号墳)が5世紀後半頃(古墳時代中期末)に造られたと判明。ともに、直径約14mの円墳とみられる。 これまでの整地をした後に盛り土して築造したのと違い、地形を活用し土木量を抑えた方法で築造していた。 さらに、この2基を含め周辺に同じ時期に造られた墳墓が約10基あり、新しい墳墓は、過去の墳墓を避けて造られていたことがわかった。 また、筒形器台や高杯、蓋などの須恵器片が出土している。
 11日(金・祝)13:00~16:45に養老町民会館(同町石畑)で「邪馬台国時代の象鼻山―古墳出現の背景を探る―」と題してシンポジウムが開かれる。
 また、19日(土)午後1時~3時、現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞、毎日新聞、中日新聞、岐阜新聞、養老町教育委員会HP]

過去の関連ニュース
 2010.11.27象鼻山古墳群 弥生後期築造の2基を新たに確認、同古墳群の築造は2世紀に集中
 2010.9.15象鼻山古墳群 2世紀後半の方墳と円墳を発掘調査
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