歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良県斑鳩町・中宮寺跡 心柱立てる櫓の柱穴とみられる遺構を確認

2010年02月19日 | Weblog
 斑鳩町教委は18日、国史跡・中宮寺跡(同町法隆寺東2)で創建当初(7世紀前半)の塔の中心を貫く心柱を立てるために使った櫓の柱穴とみられる遺構が見つかったと発表した。
 古代寺院で心柱を立てるための施設跡が確認されたのは初めてという。塔の建築方法を考える上で貴重な発見としている。
 昨年8月から、室町時代に移築された現・中宮寺の東約400mにある塔の基壇跡を調査。以前の発掘調査で地表面から深さ約2.5mに心柱の礎石があることが分かっていた。今回は礎石の西側で柱穴2つ(深さ80cm超)を確認。礎石をはさんで南北にそれぞれ約5mずつ、西に約50cm離れた位置にあり、礎石の近くに建てられた櫓の柱穴とみられる。柱は基壇(約14m四方)を造る途中に抜き取られていた。櫓の底面は四角に組まれていたと考えられることから、今回発見された柱穴の西側にもさらに2か所あったとみられる。
 調査の結果、「版築」の手法で基壇を造る途中で掘られ、基壇完成後に版築で埋め戻されていたことが分かった。
 塔の基壇跡は1963、84年度にも調査。心礎の石は花崗岩製で東西1・75m、南北1・35m、厚さ0・8mの直方体。当時の地表から深さ約2mに埋められており、東側に幅約3m、奥行き3・5mの土の斜面が作られていた。この斜面に先端部分に綱などをくくり付けた柱を置き、西側に建てた櫓の頂上に滑車などを置き、綱などをかけて人力で心柱を立ち上げたらしい。
 中宮寺は飛鳥時代に聖徳太子が建立し、金堂や塔が一直線に並び、塔は絵図などから三重塔とみられ、近くにある同時代の法起寺三重塔(国宝)などとの比較により、高さは約20mと推定される。
 今回の調査では、金堂を挟んで塔の北側にあるとされる講堂の推定地も発掘したが、土が深く削られていたため、遺構は確認できなかった。10年度は南門の推定地などを調査する。
 現地説明会は21日(日)午前10時~午後4時に開かれる。
[参考:2/18毎日新聞、共同通信、2/19読売新聞]

過去のニュース・情報
 2009.4.8 奈良県斑鳩町・中宮寺 金堂跡基壇、再建時も同じ柱位置

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岐阜市岐阜公園内 織田信長... | トップ | 伊勢原市 西富岡・向畑遺跡 4... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事