奈良市の薬師寺が1日、1982年12月まで法要で普通に使っていた「大般若経」のうち47巻が奈良時代の写経と分かったと発表した。
鎌倉時代の興福寺の僧永恩(えいおん)が、奈良―平安時代初期の数種類の大般若経の写経をひとまとめにした「永恩経」と呼ばれる経典の一部。これまで約40巻しか知られていない。京都国立博物館は今回見つかったものとは別の永恩経2巻を所蔵しており、重要文化財に指定されている。
2007年以降、所蔵品を順次調査している寺の宝物管理研究所が保管していた巻物を調べたところ、約450巻のほとんどは江戸時代の版木による印刷物だったが、47巻は文字の筆跡や紙質、末尾に記された奥書などから、奈良時代に作成され、鎌倉時代の13世紀に興福寺の僧だった永恩(1167年~没年不詳)が句の切り目に朱色の点で印を付けた「永恩経」だと判明したという。 当初は巻物だったとみられるが、縦25・6cm、横9・3cmの折り本の形に改装されていた。 江戸時代に作成された厚紙の表紙が付けられており、このころに改装したとみられる。
薬師寺では毎月8日、折り本状にした大般若経を蛇腹のように開いたり閉じたりしながら猛スピードで読み上げたことにする「大般若経転読法要」を行い、47巻は1982年まで使用していたが、その後、同寺境内の西僧坊に保管されたままになっていた。 83年1月以降は新たな全600巻と交換した。
26日から薬師寺東京別院(東京都品川区)で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で初公開される。
[参考:時事通信、共同通信、産経新聞]
法要使用のお経は奈良時代の作=47巻が「永恩経」―奈良・薬師寺(時事通信) - goo ニュース
鎌倉時代の興福寺の僧永恩(えいおん)が、奈良―平安時代初期の数種類の大般若経の写経をひとまとめにした「永恩経」と呼ばれる経典の一部。これまで約40巻しか知られていない。京都国立博物館は今回見つかったものとは別の永恩経2巻を所蔵しており、重要文化財に指定されている。
2007年以降、所蔵品を順次調査している寺の宝物管理研究所が保管していた巻物を調べたところ、約450巻のほとんどは江戸時代の版木による印刷物だったが、47巻は文字の筆跡や紙質、末尾に記された奥書などから、奈良時代に作成され、鎌倉時代の13世紀に興福寺の僧だった永恩(1167年~没年不詳)が句の切り目に朱色の点で印を付けた「永恩経」だと判明したという。 当初は巻物だったとみられるが、縦25・6cm、横9・3cmの折り本の形に改装されていた。 江戸時代に作成された厚紙の表紙が付けられており、このころに改装したとみられる。
薬師寺では毎月8日、折り本状にした大般若経を蛇腹のように開いたり閉じたりしながら猛スピードで読み上げたことにする「大般若経転読法要」を行い、47巻は1982年まで使用していたが、その後、同寺境内の西僧坊に保管されたままになっていた。 83年1月以降は新たな全600巻と交換した。
26日から薬師寺東京別院(東京都品川区)で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で初公開される。
[参考:時事通信、共同通信、産経新聞]
法要使用のお経は奈良時代の作=47巻が「永恩経」―奈良・薬師寺(時事通信) - goo ニュース