歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

江原道華川郡・原川里遺跡 200年代の大規模百済の村遺跡を発掘

2010年09月15日 | Weblog
 濊貊文化財研究院は15日、華川郡下南面原川里一帯川辺沖積台地1万7千500㎡を発掘調査した結果、早ければ2世紀末、遅くとも3世紀頃(漢城首都期.BC 18~AD 475)に、この地域に現れた大規模の村遺跡を確認したと発表した。
 青銅器時代の住居跡20ヶ所と石棺墓1ヶ所、そして初期百済時代の住居跡136ヶ所と関連竪穴遺構多数を確認した。
 現在まで、百済時代の家の跡地42ヶ所と竪穴遺構34基などを調査したところ、空中から見下ろす住居跡が漢字の「凸」または「凹」の字に似ている。これら住居跡の人の主な生活空間の平面形状は、大部分が六角形であり、その後方中央にはほとんど例外なくかまどを設置した典型的な百済住居跡形状であった。
 住居跡から硬質無文土器、打捺文土器に属する壷と甕、深鉢形土器、長卵形土器、蒸し器など多様な土器が出土し、特に黒色磨研土器(흑색마연토기)がいろいろ確認された。
 そのうち、肩全周に○とU字のような模様をきめ細かく入れた秀作品がある。これと似た色磨硏土器出土品が、ソウルの可楽洞古墳群出土品と最も似ているとして、漆で土台を塗った後に煤煙と漆を混ぜて塗って黒い色を出したようだという。模様が繊細で製作技法が非常に優れるという点から、漢城百済中央から地方に送った物品とみられる。
 原川里遺跡(원천리 유적)は北漢江上流流域で確認した大規模集落遺跡であり、住居跡と遺物出土から見ると、漢城百済の北漢江上流への進出様相を見せる画期的な遺跡としている。このことから、百済がすでに始祖温祖王時代の紀元前6年に今の春川一帯と考えられる朱壌(走壌)まで進出したという記録と符合する可能性が一層大きくなったと評価している。
[参考:聨合ニュース]



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岐阜県養老町・象鼻山古墳群 2世紀後半の方墳と円墳を発掘調査

2010年09月15日 | Weblog
 養老町教委と象鼻山(ぞうびさん)古墳群調査整備委員会は14日、同町橋爪にある象鼻山古墳群のうち6基を対象とする第5次調査で、12号墳(方墳約18m四方)と14号墳(円墳、直径約16m)の調査結果を発表した。
 12号墳から土器片が出土し、2世紀後半の製作とみられる。
 象鼻山古墳群は、山頂付近に約70基の古墳が点在しているが、自然の地形を生かして築造されたものではなく、山を削って整地したうえで造られた可能性が高い。今回の2基の古墳は象鼻山(標高142m)の山頂から約30m下った場所で発掘され、同様にして整地後墳丘のほとんどを盛土で構築されている。2つの古墳は2世紀後半、ほぼ同時に築造された可能性が高く、2世紀中ごろから築造された山頂部の墳墓に続いて築造されたとみられる。
 東海地方で2世紀後半に造られた円墳が見つかるのは珍しいという。
 現地説明会が19日(日)午後1時から開かれる。
[参考:岐阜新聞、毎日新聞、読売新聞、養老町教育委員会HP]
コメント (2)
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金海市酒村面 伽耶時代の村遺跡で木製のクギと牛の下顎の骨が出土

2010年09月15日 | Weblog
 金海市と東アジア文化財研究院は14日、金海市酒村面(주촌면)で伽耶時代の村遺跡を発掘したと発表した。
 発掘場所からは、伽耶時代の高床家屋(고상가옥)の柱跡3ヶ所、土地を耕して作った遺構から竪穴14基、村と低湿地間境界地点から木柱などが確認された。
 竪穴では牛の下顎の骨と鉄塊などが出土し、祭祀遺構と工房跡などと推定される。
 村と低湿地間境界では2列の小木柱がある間隔で低湿地の外側の線に沿って設置されていて、川岸で高床家屋を保護するための一種の防波堤や堤防機能をしたと推定される。
 低湿地内部から、木胎漆器(목태칠기)1点と木で作った漏斗(쇄기)状の精巧なクギ(못)1点が出土した。
 伽耶時代の村が、共同墓区域と住居地域、祭祀空間、川(海)岸線など明確に分けられていることが確認された。
 竪穴から出土した牛の下顎の骨は、金官伽耶王らの墓地である大成洞古墳群第1号木槨墓の封土でも出土した事例があり、伽耶人の精神世界究明につながるとしている。
[参考:聨合ニュース、MNKマイニュースコリア]



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岡山市・犬島貝塚 紀元前7760年~7490年の海水性貝を確認 瀬戸内成立解明への成果

2010年09月15日 | Weblog
 瀬戸内最古級の縄文貝塚遺跡、犬島貝塚(岡山市東区犬島)で調査保護プロジェクトチーム13日、同貝塚から紀元前7760年~7490年のものとみられる海水産の貝・ハイガイ(フネガイ科)を初めて確認したと発表した。縄文時代の温暖化による海面上昇で、犬島周辺が海になった時期を示し、瀬戸内海の成立過程を知る重要な発見。
 ハイガイは、1970年代まで岡山県沿岸でも生息していた。昨秋の第3次調査で、第1貝塚の最上層部で出土。年代測定を行い、同日までに結果が得られた。
[参考:山陽新聞、毎日新聞]

過去の関連ユース・情報
 犬島貝塚
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