京都市埋蔵文化財研究所の調査で、京都市右京区西院清水町の西京極遺跡で弥生時代後期(1世紀後半~2世紀初め)に鉄器を生産していたとみられる炉の跡や、加工する際に出た小さな鉄片約100点が見つかった。
「京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告 2006-30 平安京右京六条四坊二町跡・西京極遺跡」によると、2006年12月11日〜2007年2月9日に行われた発掘調査で、弥生後期の竪穴住居跡8棟が出土し、最も古い住居跡(No.474)の中央部で炉状施設と考えられる遺構が確認された。その炉状施設には3つの土壙があり、2つの土壙(直径0.6mφ、深さ0.65~0.7m)から鉄片と鉄滓が出土、一方の土壙肩口からガラス小玉が出土した。この竪穴住居の埋土と鉄片が出土した土壙の埋土は水洗篩別作業を行っているとしていた。
この水洗篩別作業と分析・整理が終了し発表されたものと思われる。
その結果、ガラス小玉27点や水晶片6点も見つかり、同竪穴住居跡は装飾品などに使う玉類を作る工房跡で、玉に穴を開ける錐(きり)などを作っていたのではないかと推測している。
近畿地方平野部の大規模な拠点的集落で、この時代に鉄器生産を行っていたことに意義がある。
[参考:読売新聞、京都市埋蔵文化財研究所HP]
「京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告 2006-30 平安京右京六条四坊二町跡・西京極遺跡」によると、2006年12月11日〜2007年2月9日に行われた発掘調査で、弥生後期の竪穴住居跡8棟が出土し、最も古い住居跡(No.474)の中央部で炉状施設と考えられる遺構が確認された。その炉状施設には3つの土壙があり、2つの土壙(直径0.6mφ、深さ0.65~0.7m)から鉄片と鉄滓が出土、一方の土壙肩口からガラス小玉が出土した。この竪穴住居の埋土と鉄片が出土した土壙の埋土は水洗篩別作業を行っているとしていた。
この水洗篩別作業と分析・整理が終了し発表されたものと思われる。
その結果、ガラス小玉27点や水晶片6点も見つかり、同竪穴住居跡は装飾品などに使う玉類を作る工房跡で、玉に穴を開ける錐(きり)などを作っていたのではないかと推測している。
近畿地方平野部の大規模な拠点的集落で、この時代に鉄器生産を行っていたことに意義がある。
[参考:読売新聞、京都市埋蔵文化財研究所HP]