歴歩

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福井県越前町・劔神社 神仏習合の源流か 境内を分割する水路と神宮寺が770年に存在したことを裏付け

2010年09月04日 | Weblog
写真は劔神社。
境内の劔神社御由緒説明版
末社織田神社

 先月14日より劔神社(越前町織田)境内で初めての発掘調査を開始していた越前町教委員は3日、境内を南北に分割する水路の一部や参道の遺構と奈良時代末の須恵器の破片1点が見つかったと発表した。
 水路を挟んで北は神社、南は神宮寺で棲み分けをしていたとみられ、神仏習合のあり方や変遷を示す重要な発見としている。
 水路は室町時代に描かれた地図「劔神社古絵図」と同じ位置にあり、遺構と絵図が一致することが裏付けられた。
 一方、水路や参道が埋まっていた土から、江戸時代末期から明治時代にかけての瓦などの破片が出土し、この時期に埋め立てられたことがわかった。廃仏棄釈運動による埋め立てではないかとみている。
 見つかった須恵器は杯(つき)の蓋の破片で形状は、光仁天皇奉納とされる同寺の梵鐘の銘文「劔御子寺鐘 神護景雲四(770)年九月十一日」と同時期にあたる8世紀末から9世紀初め奈良時代末の特徴があり、神宮寺が奈良時代末期に活動していたことが裏付けられたとした。
 町教委は今回の発掘調査の結果をまとめた企画展覧会「神仏習合の源流をさぐる-氣比神宮と劔神社-」を4日から来月11日まで、劔神社近くの町織田文化歴史館で開催する。
[参考:産経新聞、読売新聞、越前町HP]

過去の関連ユース・情報
 2010.7.5 劔神社 神宮寺遺構の発掘調査を開始
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