歴歩

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京都府向日市 野田遺跡 長岡京北側に新たな条坊道路跡を発見

2008年08月21日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターが21日、長岡京跡(784-794年)の北側の野田遺跡(森本町野田)で、碁盤目状に区画する条坊道路跡が新たに見つかったことを発表した。
 都がさらに北に広がっていたことがほぼ確実となり、長岡京の成立や構造を解明する貴重な遺構といえそうだ。
 今回の調査では、これまで長岡京の北端とされてきた北京極大路からさらに約120m北の地点で、約9m幅の南北に走る2本の溝が見つかった。この溝は条坊道路跡(東二坊坊間西小路)とみられ、溝の外側からは掘っ立て柱の建物跡や井戸跡なども見つかった。
 平成17年の調査でも、北京極大路から約800m北の修理式遺跡(寺戸町修理式)から側溝を持つ幅24mの道路跡を確認。前年にその東側でも道路跡が見つかっていた。今回の調査で、長岡京全体がさらに北に広がっていたことが裏付けられた。
 これまでは都の一番北側に政治の中枢機関が集中する「宮城」があったとされていたが、同センターは「平城京をモデルとして最初に宮の中心部を決めたが、南は桂川が流れ、都を広げることができなかったため、北側に拡大させたのではないか」と話している。平城京や平安京とは異なった構造をとっていた可能性があるという。
 現地説明会は野田遺跡で23日午前10時から。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞]
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妙高市・西俣円墳群 金色の太刀出土

2008年08月21日 | Weblog
 妙高市教育委員会は、同市北条の西俣古墳群で、平安時代の遺構の下から横穴式石室(全長10m)を持つ古墳時代後期(600~650年ごろ)の円墳(径15m)が確認され、副葬品として金メッキが施された長さ約90cmの「金銅装圭頭(こんどうそうけいとう)太刀」が見つかったことを発表した。
 同じ刀は同市の谷内林古墳でも見つかっており、県内で2例目。今回発見した刀はほぼ全形をとどめ、きわめて保存状態がいいという。
 石室からは、他にも矢尻などの鉄製品約50点、耳飾りやガラスの小玉など約20点も見つかっており、大きな政治勢力が存在したことを示している。
 古墳時代後期の妙高市周辺は従来、古墳が密集する関川左岸の斐太地区が政治の中心と考えられていたという。
 しかし、今回、対岸地区で大量の副葬品を有する大規模古墳が確認されたことで、市教委担当者は「7世紀後半段階で、この地区に斐太とは別の大きな政治勢力が存在したことが明らかになった。この時代の歴史の定説を見直す契機になる貴重な発見」と話している。
 同市教委は23日午前10時から現地で説明会を開く。
[参考:読売新聞]
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寒河江市・上の寺遺跡 発掘調査説明会開催予定

2008年08月21日 | Weblog
財団法人山形県埋蔵文化財センターより、標題の開催予定が発表されています。

『上の寺遺跡(第2次)』の発掘調査説明会
日 時  :平成20年9月6日(土) 午後1時30分~3時
場 所  :集合場所:上の寺遺跡調査事務所(旧醍醐小学校跡)
説明会場:調査事務所及び上の寺遺跡(第2次)
成 果
 現在、慈恩寺には国の重要文化財の十二神将など多くの優れた仏像があります。上の寺遺跡は、鎌倉時代から室町時代にかけて十二神将などを納めていた薬師寺、聞持院(もんじいん)という寺院があった一帯に広がる遺跡です。
今回の調査では、柱穴や土坑、溝などの遺構が数多く見つかりました。また、中国産の磁器や、瀬戸美濃産の陶器、石塔など鎌倉時代から室町時代頃の出土品があります。
 今回の調査によって中世の慈恩寺を検討するうえで貴重な資料を得ることができました。         
[財団法人山形県埋蔵文化財センターHPより]

 前回、第1次発掘調査では、板碑、宝篋印塔、五輪塔が出土。ほかに、礎石を持つ建物跡、土抗、焼土、青磁、越前焼など、中世以前・中世・近世(16世紀末~18世紀)にかけての遺物がそれぞれ出土している。
[「上の寺遺跡発掘調査説明資料」 財団法人山形県埋蔵文化財センター]

 今回の第2次発掘調査は4月21日から行われており、今までに縄文時代の石器・土器、宝篋印塔および相輪部、中国製碁笥(ごけ)底の磁器皿(16世紀)、緑色釉薬の陶器、天目茶碗、古瀬戸の平碗、コの字形(実際は四角と推定できる)に並んだ大きな柱穴跡などが見つかっている。
[上の寺遺跡第2次発掘調査速報・財団法人山形県埋蔵文化財センター]
 上記については、全て財団法人山形県埋蔵文化財センターのホームページより得られます。

慈恩寺(じおんじ)
 山形県寒河江市大字慈恩寺。瑞宝山慈恩寺。慈恩宗の本山。本尊は弥勒菩薩。
 724年(神亀元年)行基がこの地を選び、746年(天平18年)、聖武天皇の勅命で菩提僊那(婆羅門僧正 704 – 760))が開基したと伝えられる。古くは天台宗・真言宗の二宗兼学の寺として、また出羽三山とともに修験道の寺としても栄えた。
 江戸時代には幕府から2,812余石の御朱印を受けて、最上院(天台宗)・花蔵院・宝蔵院(ともに真言宗)を中心として多くの子院を有し、東北に置ける天台宗・真言宗の中心的な寺院であった。第二次大戦後独立し、現在は慈恩宗を称している。
 境内には、本堂(国指定重要文化財)、三重塔、薬師堂、仁王門などが立ち並ぶ。
 平安、鎌倉時代に作られた阿弥陀如来像や十二神将をはじめとする仏像群は、ほとんどが国重要文化財に指定されている。
 慈恩寺のある山は瑞宝山と呼ぶのであろうか。山頂は標高271mでそれほど高くはない。寺院は標高180m位の所に建てられている。背後(北)に連なる山々、その中で古くは出羽三山のひとつであった葉山(標高1462m)は瑞宝山(慈恩寺)と一つの峰として、葉山を慈恩寺の奥の院だとする説が通じている。
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