歴歩

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三井寺 宝冠釈迦如来座像 中世期2例目の脱活乾漆造と判明

2008年08月06日 | Weblog
 大津市の園城寺(三井寺)金堂の宝冠釈迦如来座像が、14世紀から15世紀に国内で作られた脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の仏像であることが、市歴史博物館などの調査で分かった。
 脱活乾漆像は奈良時代に多く作られ、興福寺の阿修羅像、東大寺の金剛力士立像、唐招提寺の鑑真和上像(いずれも国宝)などが知られるが、中世期の国内製では鎌倉市・寿福寺の釈迦如来座像(室町時代の作)に続く2例目。
 同時期の朝鮮半島製とみられる脱活乾漆像も近くの寺院で見つかっており、博物館は「中世期に古い仏像製作技法を復活させるのが東アジアで流行していたことを推測させる貴重な史料」という。
 宝冠釈迦如来座像は座高約120cm。宝冠は見つかっていないが、かぶっていた跡が残る。
南北朝時代から室町時代に活躍した院派の仏師の作とみられる。
 脱活乾漆造は、大まかに形を決めた塑像を、漆を浸した麻布で包み乾燥させる工程を繰り返して像を形作り、最後に塑像を取り出す製作手法。
[参考:京都新聞]

亀谷山金剛寿福禅寺
 寿福寺は臨済宗建長寺派の寺。この地は、昔、奥州征伐に向かう源頼義が勝利を祈願した云われる源氏山を背にした源氏家父祖伝来の地である。また源頼朝の父・義朝の居館があった所でもある。頼朝が建久10年(1199)に亡くなると妻・北条政子が夫の菩提を弔うため、正治二年(1200)に明庵栄西を招いて創建した。墓地には源実朝、北条政子の墓と伝えられる五輪塔がある。
 仏殿の本尊・釈迦如来坐像は、高さ2.7m。室町時代の作だが、この時代には珍しい脱活乾漆造である。
 本尊は俗に籠釈迦と呼ばれ、相模国風土記稿にも「籠釈迦という、籠にて作り、上に張りたるものなり」と記されている。正月のみ公開している。
 仏殿は1714(正徳4)年に建立されたもので、中央には本尊と両脇侍像として木造の脇侍文殊と普賢菩薩像、そして、鶴岡八幡宮の仁王門にあった仁王像・銅像薬師如来坐像や源実朝像・栄西禅師座坐像も安置されている。

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