カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

すてーきハウス しま田

2011年01月26日 | 京都
「この賭けに、負けはない。」

上等の、牛脂の欠片で炒められた人参の輪切り、これが先ず、旨い。
これまでは、人参が旨いなどと、特段に思ったことなどなかったように思うが、これ以降は、人参は、旨いものだと刷り込まれたかのように、あらゆる料理の中に人参を探すようになった、それくらいに旨い。
少しの塩で、その甘さが際立つ。

真冬の京都、その戸外の寒さ、底冷えがあるから、尚更に、料理にこもった鉄板の熱が身に沁みる、これぞ鉄板焼きの醍醐味である。
目の前の、程好く小さな鉄板で、手際良く仕上げられていく、焼きたて、炒めたてのインゲン、ジャガイモ、先の人参、それらが、皿に置かれて揃う間もなく、平らげてしまう、美味し過ぎて。
この状態で、皿の上に品数が揃うのを待つことなど、愚の骨頂のように思える、言うまでもなく、冷めてしまうのを余所目に、関係のない話をする事など、以ての外である。

そして、ひと休みのサラダ、漬物。
一席千五百円のステーキ・ランチでは、ここで本来、白いご飯が供されるのであるが、三百円の追加で、最後、ガーリック・ライスに変更できるとの事、そちらをお願いしたので、今回は、白いご飯はない。

いよいよ、妻と二人前の、ステーキ肉、その塊が、鉄板上に登場である。
その肉厚、ボリュームに惹き寄せられ、凝視してしまうが、これではイカンと、サラダなど頬張って、少し目を離したその隙に、手早く肉塊は裁断され、次に目にしたその時には、既に、大ぶりの細長い肉片へと変形している。
それを更に、ひと口大の肉塊に裁断、少々焼き目が付くくらいに丁寧に、鉄板の上で転がして行く。
ジュウジュウと、肉の焼ける音、そして香り、ガーリックの芳香と相まって、チンチンと、箸で皿を叩きたくなる程、焼き上がるのが待ち遠しい。
コロコロと、皿に盛られる肉塊は、今すぐ食べてと言わんばかり、何もかもが、準備万端である。
ホクホクと柔らかく、モリモリ、口に放り込む。
付け合せのガーリック、そして、塩と、様々の味付けで、その肉塊は、あっと言う間に、口中に消えてなくなる。
クライマックスが過ぎて、完全なる満足感に包まれるが、更に追加のガーリック・ライスである。

冷や飯に、溶いた卵を絡ませて、手早くニンニク・チップと共に鉄板で炒められ、こんもりお茶碗に装われたガーリック・ライスは、意外と淡い味わいの、ほっこりするお味、そして姿である。
赤出汁のお味噌汁、そして、先に出されたお漬物とも、これは良く合う、納得の風味、出来である。

更なるアンコールは、パイナップルのデザートで、これがまた、憎いまでに完璧な口直しと言える組み合わせ。
帰り際、更にクールミント・ガムまで戴けた。

老練、且つ、誠実そうなご主人と差し向かい、四人、乃至は、五人のみの、カウンター席。
掘り炬燵のような座り心地のその席で、自分の為だけに目の前で料理してくれるその感覚は、作る方も、食べる方も、真剣勝負、良い意味での緊張感、少しの距離感、故の親密感、そして、信頼感が存在する。

所謂、ステーキ・ハウスとは思えない、その外観、そして、驚くほど狭いスペースで、差し向かいとなるカウンター席、それは、何だか、色んな意味で、賭場のイメージを想起させる風情であるが、トランプや花札で、その賭け、真剣勝負に負けることはあっても、此処、しま田を選んだというその選択、初めて此処に寄せてもらうという、その賭けは、絶対に負けて悔やむことのない、そんな賭けである事、請け合いである。


コメントを投稿