カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

グリル葵

2012年01月26日 | 京都
「お勧めしてもらったように、お勧めしてあげたい、そんな心持ち。」

喩えるならば、半熟のゆで卵、その卵黄のようにとろりとしているのだ、この牡蠣フライは。
そして何故だか、そのとろみというのが一体化して感じられ、牡蠣の身における各々の部分的な食感というものがあまり感じられないのだ、この牡蠣フライは。
それはやはり、ひと角の食通に絶妙と言わしめるその熱の通し方による作用であろうし、この混沌とした状態の牡蠣の身であるからこそ、海の幸としては幾分似つかわしくないとすら思える、クリーミーという言葉で形容される、そういうことなのであろう、どこか得体の知れぬ、とろりとした魔的な魅力というものを、きっちりと宿している、そのような風情の、この御店の牡蠣フライである。

個人的には、まだ記憶に新しい、しっかりと熱を通し、極限まで旨味の凝縮された、そんな牡蠣フライを他店で戴いていたからであろうか、今回感じたものはそこまで強く、はっきりとした風味とはいかなかったものの、その明確な味の記憶が足掛かりとなって、これまでの自分であれば、そのクリーミーさの中に埋没してしまい感じ取れなかったであろう牡蠣独特の旨味も、仄かに、しかし、しっかりと味わうことが出来るようになったようである。

少し離れた場所にある、そこそこに似た系統の有名店と、かなり似通った造り、間取りの店内は、しかしその有名店以上に小ぎれいで、接客も経営するご家族の気持ちが隅々まで行き届いている、そんな印象を、そこはかとなく受ける。
そしてメニュウは牛肉ばかりに特化することもなく、バリエーション豊富で、何よりも手間を惜しまず、丁寧に作られ、盛り付けられ、そして更に言うならば、その良心的な価格というものも、相当に魅力的である。

既に以前から常連客には困らない、そんな人気店であろうことは、その客層から窺い知れることではあるのだけれど、知らなかった人間からすれば、まだまだこういう御店があるのだなと、京都という街の食に関する奥深さを思い知らされるような気がして、まだ戴いていないその豊富な料理の種類というのは、あれやこれやと未知の何かを、次回来る時に期待させる。

所謂、京料理と呼ばれるものの奥深さなどというものは、あえて意地の悪い言い方をするならば、おおよそ支払う金額に比例して得られる、そんな類のものでしかない、そういう印象がなくもないのではあるけれど、この御店で提供される料理の奥深さ、その広がりというものは、もっと無邪気で健全で、純粋に素直な心持ちで日常的に戴ける、そんな類の喜びに満ちたものである、そんな印象を与える、この佳店であった。

グリル葵洋食 / 五条駅(京都市営)四条駅(京都市営)烏丸駅
昼総合点★★★★ 4.0



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