カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

伊佐夫

2013年08月21日 | 京都
「プログレッシヴ・ラーメン。」

抑揚も、およそ何の高揚感もなく、只ひたすらに己のペースで長々と其の知識と技術を披露し、垂れ流し続ける、プログレと呼ばれるひとつの確立されたジャンル、そんな音楽が世の中にはある。

などと言うと、其のファンに怒られそうではあるけれど、そんなものを聴いているのは、実は自分もそんな音楽を齧っているというような、いわば身内だけなのではないだろうか、正直そうとしか思えない。

実はラーメンという食べ物と、所謂ポピュラー・ミュージックに対して求めているものというのは、個人的にはそう遠くはなく、メンタルの部分で言えば、ほとんど同じであるのかも知れない、そう思わなくもない、そして、特に其処にロックを求める者にとって、ラーメンという食べ物は、時に大きなシンパシーを感じさせる、共感を催すものであることを、あえて否定するものではない。

先ず、気安さがあり、ノリがあり、多少の優しさもあり、しかし、ちょっとした行き過ぎがあり、多分、ヤケクソであり、実は自己破壊的ですらある、其れでこそ、其処に充実した満足感が訪れる、其のような実感があるのだけれど、此処のラーメンに其のような雰囲気は欠片もない、ロック・スピリットなどまるで宿ってはおらず、あえて言えば、他人行儀なプログレでしかないのだ、其れが幾ら技術的に高度なものであろうとも、其れこそが根源であるべき初期衝動を失くした存在は、最早、ロックではないのである。

そして勿論のこと、まさか此処の店主が己の一皿を以って、此れは当たり前のラーメンであるなどと口を滑らすことは、およそない、其のくらいに用意周到な計算高さを窺わせる此の麺ではあるのだけれど、では、此の料理を実際に戴いてみて、さて、どのジャンルに振り分けるべきなのかと自問してみると、先ず、ラーメン以外を連想する人物など、およそいる筈もない、とても困らされてしまう、そんな代物なのである。

だから、此処のラーメンが好みだとのたまうような人物というのは、きっとそもそも、ラーメンという存在に切実に向き合ってはいない、つまり、其の人生に、ロック・・・もとい、ラーメンという存在を必要としてはいない、其れが真実なのだろう、そう思われるのである。

伊佐夫ラーメン / 一乗寺駅茶山駅元田中駅
夜総合点★★★☆☆ 3.5



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