ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

現代音楽のCDを買うとき

2015-09-28 23:54:22 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


ここ10年ほどのクラシックCD市場の動向をみると、空前の廉価版ボックスブームであることがうかがえます。
もちろんこれは私が言い始めたことではなく、売り手側も意図的にプロモートしてますし、ほとんどの買い手もかなり意識していることと思います。

具体的に述べますと、バッハ全集(142CD)が一万五千円程度、モーツァルト全集(170CD)が一万六千円程度で買えてしまったりします。
タイミングによっては、それぞれ一万二千円程度で入手することも可能でしょう。
なんと一枚あたり百円を割ってしまうのです!

普段CDを買わない人や、せいぜい二~三千円が相場だと考えている人からすると、一気に一万五千円も吹き飛ぶのはためらわれるかもしれません。
しかし、CDアルバム五枚分の値段で歴史上の大作曲家の全作品が手元に置けることを考えると、決して高いということはなく、むしろ安すぎると言ってもいいくらいでしょう。
これほどまでに、いまクラシックCDは値崩れを起こしているのです。
国内版は他ジャンルのCDと変わらないくらいの高値ですが、輸入盤に関して言えば年中バーゲンセール状態だといえるでしょう。


ただ、クラシック音楽であれば全て廉価版が存在するかというと、そんなことはありません。
中でも現代音楽作曲家の作品に関して言えば、ほとんど廉価版ボックスは売られておらず、一枚売り・二枚売りがほとんどです。
これはおそらく、新録音のためのコストがかかるからだと考えられます。
つまり、現在の廉価版ボックスブームは、大手レコード会社が過去に残したクラシックライブラリーの存在を前提にしてなりたっており、新録音のコストがかかる現代音楽(およそ半世紀以内に作曲されたもの)の場合には、廉価版に収録されにくい傾向にあるのです。

そこでどんなことが起きるかというと、価格面で相対的に「損をしている」ように見える現代曲は、すぐには手が出にくい、ということが起こります。
インターネットでのCDの売れ行きを見ると、限定盤のボックスは瞬く間に在庫がなくなってしまうのに対し、現代曲は何年も前にセールに出されているCDが未だに「在庫あり」で取り残されている、ということはよくあります。
かくいう私自身も、CDを購入する際はどうしてもコストパフォーマンスのいいものを優先してしまいます。
廉価版と価格面で相対的な差をつけられてしまったことで、現代曲に対するハードルが上がってしまっているところがあるのです。


価格面以外にも、現代音楽のCDを買う際には問題があります。
それは、作曲家の数が多すぎるということです。

例えば、バロック期(後期)であればヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハあたりの作品をおさえておけば、基本的には普段耳にする範囲のものはおさえられます。
もちろん、これはバロック期の音楽を網羅できるという意味ではありません。
実際には同時代にラモーなどの理論史上重要な作曲家や、クープラン、パーセル、テレマンなどの有名な作曲家がいます。
しかし、先に挙げた三者の名前と楽曲があまりにも眩しいので、一つの時代的象徴として捉えることができるということです。
同様に古典派の場合、世間の相場ではほぼウィーン古典派を指すので、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの主要作品を目安にして鑑賞することができるでしょう。
ロマン派は幾分多くなりますが、良く名前の出てくる作曲家はそれほど多くありません。

それにひきかえ、現代音楽の作曲家は、とにかく目に見える数が多い。
一応現代音楽の作曲家にも有名な人はいて、ブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼン、クラシックを聴かない人にも知られているのではジョン・ケージ(《4分33秒》などが有名)などがいるかと思います。
しかし、これらは本当に氷山の一角に過ぎず、少し範囲を広げてみればまだまだ挙げられるでしょう。

日本だけでも團伊玖磨や芥川也寸志、武満徹などが著名な作曲家として知られています。
また、クラシックを中心に作曲していないジョン・ウィリアムズ(スター・ウォーズもろもろのサウンドトラックを担当)といった映画音楽の作曲家や坂本龍一などのマルチな作曲家も含めれば、たちまち二ケタでは収まらなくなってしまうでしょう。

このように、あまりにも多種雑多な作曲家のカタログを前にしては、「どの作曲家からCDを買えばいいのか」というところで、大きく迷いを生むことは想像に難くありません。
内容を確かめないままに勇気を出して買ってみても、聞えてくるのがクラスターや絶叫のような不協和音では、果たして何を求めて買ったのかわからなくなってしまいます。


もちろん、実際には、「現代音楽作曲家は数が多い」というよりも、「いずれの時代にもそれなりの数の作曲家はいたが、現代作曲家の場合には歴史に忘れ去られる前に作曲家の動静を捉えることができるし、メディアの発達も手伝って多く見える」という側面もあるでしょう。
近年、近代以降の忘れられた作曲家の「再発見」が相次いでいるのも、そのことを間接的に裏付けています。
より古い時代の作曲家の「再発見」が相対的に少ないのは、昔にさかのぼればさかのぼるほど、資料的な制約から発掘が難しくなるということです。
ようするに、近いものはよく見えるけれども、遠くのものはかすんで見えないということなのです。

これは、文学作品でも同じことが言えます。
資料的制約の問題や、文化が一部の特権的地位にある人間の寡占状態にあったことから、古い作品ほど数が少なくなるのに対し、近現代になると文化の独占状態の緩和、メディアの発達などもあり、より多くの作品を手に取ることができるのです。
文学作品でも、時代別に読み始めようと思えば、やはり迷うのは近現代になるのではないでしょうか。


そんなわけで、祭りのごとくクラシックCDが売られているのにもかかわらず、現代音楽のCDにはかなり手が出しにくいというのが現状です。
まぁ一筋縄ではいかないところではありますが、なにか採算の取れるような形で、かつ買い手にも優しい販売形態が確立されないものかと願っております。
頑張れレコード会社!
一クラシックファンとして、無責任に応援させていただきます。


それでは!

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