ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

若年性なんとか

2012-05-30 20:24:00 | エス
 家の中でお弁当を数回にわたってなくしました。どうも、エスです。
 なぜか洗濯機の上に置いてありました。理解に苦しむ。

 最近もの忘れがひどくて、洗濯物を干し忘れたり準備万端だったはずなのに仕事前に慌てて財布探したりなど、枚挙に暇がないほどやらかします。
 一日の予定を立てて行動すれば多少は良くなるのかもしれませんが、仕事から帰ってきてぐうたらしてご飯食べて寝るだけの毎日なのでなかなかそうもいきません。休日は気力があっても全部シュビかイベントに使っているので時間がなかったりします。
 部屋にはほとんど物を置いてはいませんが、想像を超えたところに置き忘れしてたりするので片付いてなくてもあんまり変わらないかなぁ、とか思ったりします。まあ、もしこれで物が多くて部屋が汚かったらどうなってたかは分かりませんが。
 つい先日まで社員証をなくしてて仕事先に入れなかった(他の人が出入りする時に入っていた)ので、もうちょっとちゃんと置く場所を決めておいた方が良さそうですね。まあ社員証はもうすぐ不要になるのですが。

 あとあれだ、昨日ブログの更新するの忘れてた。
 頭を使わなければ。

イベントのない日曜日?

2012-05-28 22:22:08 | エス
>>そんなものはない

 どうも、エスです。
 先日の日曜日はシュビのない珍しい休日だったこともあり、せっかくなので東方オンリーイベント『例大祭9』に出てきました。
 土曜日に休みを取って自転車で行って泊まりは代々木公園でテント云々
 その話は先日したと思うので割愛しましょう。概ね予定通りでしたし。



 土曜日の幻想郷グリークラブの話。

 人数が多いっていいですね。大学の合唱団やらその他の合唱団に行かなくなってからは多人数で歌うことがほとんどなかったので久しぶりの感覚でした。
 他の人の出してる音に乗っかれるのってすごく楽。あとちょっとミスってもバレない。
 シュビだと一人のミス=パートのミスですしね。
 隣で歌ってた人が手折さんだったことに歌い終わってから気が付く。驚愕。
 終了後飲み会に参加して合唱界の狭さを知る。不気味社の話とかも出ました。
 
 ざっとこんな感じでした。日が回ってから飲み屋を出てテント張って2時過ぎに就寝。



 日曜日。例大祭。

 本当はこの日、自サイトの友人と一緒にオフ会がてら回るはずだったのですが、体調不良により欠席とのことだったので大人しく一人で回ることに。結果的にこれはこれで良かったのかもしれない。理由は後述。
 朝6時に警備員に起こされる。そんな早く起こされても困るんですけども。
 大手を回る人はこの時間じゃ遅いくらいなのかもしれませんが、自分は基本小説しか買わないので、人が少なくなってから回っても買えます。6時の津波にわざわざ巻き込まれたくはなかったのですが、どこかで休んだら爆睡する危険性があったので大人しく会場に向かいました。
 7時出発、8時着。並ばされて会場に入れたのが12時過ぎ。カタログを買っていたら更に時間を食った。
 連絡を受けていた某氏のスペースで売り子。18禁本。
 オフ会で一緒に行くのが女の子だったのでもし来てたら完全にセクハラでした。18歳は越えているとはいえ。
 まあこれはこれで、とか思ってたらもう一人の売り子さんも女の方でした。挨拶に来た方も二人ほど女の方でした。その内一人は自分の書いたエロ本を置いていきました。
 世の中間違ってるだろう。いや、女性のそういうのについてとやかく言うつもりはないのですが。

 ところで18禁って、あんまり食指が動かないんですよ。
 いや、やることやっててもいいんだけど、むしろそこまでに至る経緯が重要じゃね? むしろその場面そのものは書かなくてもいいんじゃね? とか思うわけですよ。
 東方のエロは大きく分けて三種類あって(多分ね)、
 1.名無し男とのエロ
 2.ふたなり百合
 3.百合ちゅっちゅ
 ……という感じで分類されると思っているのですが、1は過程も何もないことが多いので除外、2も行為に重点が置かれることが多いので除外、そうなると重要なのは3の百合ちゅっちゅということになります。
 作品によって度合いは異なりますが、百合は異性愛観点から見てタブーとされやすいこともあり恋愛関係に行くまでに高いハードルが設定されていることが多いです。全くないのもありますが。
 そのハードルによる少女たちの葛藤や苦悩などが描かれ、それでもだんだんと心惹かれていく様が丁寧に描写してあったりするともうたまらんすね(ゲス顔)
 これはBLにおいても同じことが言えるのではないかと思います。つまりは前置きもなくいきなりエロエロやってるのは良くないですよと俺は一体何を語ってるんだ閑話休題。

 原作者のZUNさんが当日結婚式だということでお祝いソングを合唱しようという企画がありました。
 カタログに楽譜が載っていて一度聞かせてからみんなで歌うという結構な無茶振り企画。
 しかし合唱といっても全員で同じ音を歌うのでただの斉唱です。某ニコニコ動画とかにあるようなあれですね。いっつも合唱で検索して引っかかってくるので死ねって思ってます。
 というわけで、幻想郷グリークラブのメンバーと合流し、あらかじめ旧姓かわかみさんが作ってあった男声合唱四部の合唱譜で思いっきり歌ってきました。周囲の目が気持ちよかったです。

 でもあれ、なんにも知らない人が見たら超気持ち悪い光景なんでしょうね……。東方は宗教とはよく言ったものですわ。



 ……という充実した土日を過ごしました。連休ってこんなに時間あるんですね! 普段土曜日も働いてると曜日感覚も狂います。代わりに月曜日のダメージも減りますが。
 え? 今日? 死んだ魚のような目で仕事に行きましたとも。ええ。

オフの日曜

2012-05-27 00:36:11 | ヨン様
 こんばんは、ヨン様です。


 今日は日曜日です。
 そしてこれという予定もありません。

 日曜に予定がないってのは本来は別段珍しいことでもないのですが、ここ最近はずっと日曜にシュビの練習が入っていましたし、そうでなくても編曲作業で休日もクソもなかったので、本当に久しぶりに日曜日してる感じがします。

 ま、来月の日曜は毎週シュビだけどね!


 シュビという団体も、今から思い返せば、少し前まではオフとオンの中間ぐらいの活動をしていました。
 しかし、コミケに向けて活動を始めてからは、シュビも完全にオンの活動体制になっているのかなと思います。

 歌に対して真摯でありながらも、紳士であることを忘れない。
 そういったクールな活動が続けられるといいですね。


 というわけで、前々から告知していたように、わたくしヨン様は明日からしばらく記事の投稿をお休みします。
 きっと誰かが代わりに毎日の更新を行ってくれることでしょう。

 それでも、週に一回ぐらいは更新したいかな…。


 ではこのへんで失礼します。 

ツタヤとゲオは爆発するべき

2012-05-26 07:54:15 | エス
 どうもエスです。ヨン様がいない間はできるだけ頑張って記事を書こうかと思います。
 目標は一日一更新ですが、今日の夜はお家に帰らないので出発するまえの朝に書いてしまおうという作戦です。

 え? どこに出発するのかって?
 嫌だなあ分かってるくせに。幻想郷グリークラブの練習に顔を出すんですよ。
 明日が東方projectオンリーイベント「博麗神社例大祭SP」なので、遠くから来た人向けに練習をやるらしいのです。
 私は関東圏内なので遠くではないのですが、(自転車で)片道7時間の場所なので早めに準備しないといけないのですね。
 18時開始とのことなので、終了は21時半くらいでしょうか。
 そこから帰ったのではどう考えても次の日の例大祭に間に合わないので、そのまま代々木公園あたりでテント泊して向かいます。人と会う可能性もあるので着替えは持っていきますが多分臭いと思いますごめんなさい。
 例大祭が終わるのが四時くらいなので、そこからまっすぐ帰っても11時。次の日は水槽でゆらゆらと流されるままになっている目が白く濁った死んだ魚のような顔をした男が元気に仕事に向かっていることでしょう。
 ああ仕事辞めたい!


 ところで表題ですが、今回、せっかくアイマスをやることになったのでアニメも見てみようと思い立って近所のツタヤに行ったんですよ。
 1と2が借りられてるんですよ。
 次の日も行ってみたんですよ。
 まだ借りられてるんですよ。
 5日ほど連続で行ってみたんですよ。
 まだ借り(ry

 ふざけんな! こんな貸出中ばかりのツタヤなんかにいられるか! 俺はゲオに行く!

 近所にゲオありませんでした。

 ふざけんな! こんな遠いところにあるゲオなんかに行けるか! 俺はツタヤに行く!

 以下ループ。

中止になりました。

2012-05-25 23:24:50 | ヨン様
 こんばんは、ヨン様です。


 昨日行われるはずだった5月最後の練習は主要参加者の一人に急遽仕事がはいってしまったため中止となりました。

 シュビが仕事の話をするなんて…。

 みんな大きくなったものです(目を細めながら)。



 さて、22日に書いた記事の続きがまだでしたね。
 今日はその続きを書いてしまいたいと思います。

 前回触れられなかったのは、翻訳と編曲には似ているところと全然似ていないところがあるという話の内、似ていないところについてのお話でした。

 翻訳と編曲の似ていない側面というのは、実用性の違いという視点から考えることができます。
 この間の記事は「目的は共通している」という趣旨で話を進めましたが、実は、それはほとんど芸術的な側面にのみ言えることなのです。
 たとえば言語は文学などに典型的に見られるような美的(詩的)価値ばかりでなく、伝達や記述という、極めて即物的な役割も持っています。一方で「運命」という象徴的な名を持ちながら、「交響曲第5番」という単なる機械的なナンバリングにすぎない名前も持つ曲があるということ、これらの言語(命名)のあり方は、前者は象徴的であるという点で文学的、後者は機械的であるという点で記述的であるということができます。つまり、言語は単に物語(虚構)を生みだすだけでなく、事実を描写、記述することができるわけです。
 そして、美的価値ではなく確実な伝達に目的をおいてある言語を翻訳する場合(たとえば公文書や学術書の翻訳など)、それは明らかに組み換えでも再解釈でもなく、A言語によるB言語の記述でしかないのです。
 編曲においてはどうでしょうか。はたして同じようなことがいえるのでしょうか。
 そもそも音楽という表現手段は、言語のように記述という目的(機能)を持っていません。それはいわゆる真理命題的な意味を音楽という表現がもちえないということから明らかであります。真理命題的というのは、真偽を確かめることができる性質を持っているということです。たとえば、「シュビドゥヴァーズが歌を歌った」という文があるとすると、「シュビドゥヴァーズが歌を歌った」のは真か偽かと確かめられるということはこの文が真理命題的であり、真か偽かを確かめられる範囲がこの文の真理命題的な意味ということになります。仮に真理命題的な意味を伴わない表現があるとすれば、それは少なくとも概念的な何かを指すことができないということですから、その表現を用いての記述は不可能であるか極めて困難なものになるでしょう。
 いくら音楽が種々の複雑な要素から構成され、あたかも文法的にふるまっていたとしても、そこに真か偽かという問いを立てることはほとんど無意味です。つまり、音楽には記述的な機能はなく、当然編曲も「意味」を正確に伝えいようという意図はないのです。もちろん、なにか素晴らしい音楽体験をして頭の中でさまざまな想いが渦巻き、それを誘発してのは間違いなく音楽であると感じることもあるでしょう。しかし、そいうった感動体験から得られる伝達内容は、推論的で極めて確定性の薄い伝達の結果にすぎません。言語を分析する際の術語としての真理命題的意味という概念はいろいろと見直されてはいますが、言語と音楽の比較のような場合は推論的な伝達レベルの問題でなく、それとは別の次元の問題であるととらえるほうが妥当でしょう。
 さきほど述べた翻訳と編曲の実用性の違いというのは、つまり以上のような対照から考えられることで、翻訳は伝達を目的として記述的に用いられることがあるのに対し、音楽(もちろん歌詞のような言語的な要素は含みません)にはそのような役割はほとんどないといっていい、ということです。そもそも記述している対象も意味もないわけですから、意味伝達の目的で編曲することはないのは当たり前でしょう。

 と、いうわけで、翻訳と編曲の違いについて、言語と音楽の「意味」という観点から考えてみました。
 まだまだつきつめるべき点があるかとは思いますが、このままいくとなんだかきりがないのでやめておきます。

 しばらく書けなくなるだろうし、2~3週間分を前倒しってことで。

 それでは、また。

5月最後の

2012-05-23 23:14:19 | ヨン様
 早いもので、明日は5月最後の練習日。


 こんばんは、ヨン様です。


 コミックマーケットで販売予定のCDの収録曲がすべて出揃い、いよいよ明日は最後に完成した曲《my song》の初合わせとなります。
 難易度的には、全6曲の中でも簡単な部類に入るでしょう。
 とはいえ時間があまりありませんので、練習の初期段階からしっかりと肉付けしていきたいものです。


 あと、昨日の記事の続きですが、今日は時間がないのでやめておきます。

 
 え?いやちゃんと書きますよ!

 ワタシウソツカナイ!

邦訳本の発見

2012-05-22 19:56:16 | ヨン様
 今日はいきなり肌寒い一日でしたね。


 こんばんは、ヨン様です。


 今日近くの楽器店に行きました。
 すると平積みされている本があって、それが偶然にも1年半前にドイツで買った本の邦訳でした(邦訳の出版は2009年)。

 そして価格はなんと約12000円!
 千二百円ではありません、一万二千円です。

 原著は30EUROくらいでしたから、日本語になったことでものすごく高騰してます。
 学術書の翻訳はかなり骨の折れる仕事でしょうし、しかもそれなりに大部な著作でして、まぁこんなもんなのでしょう。


 ところで、翻訳と編曲は似ているところと全然似ていないところがあると思います。

 似ているのは、原著あるいは原曲をもとに、編作者がその作品の組み換えや再解釈をおこなって装いを改めるという点です(当たり前ですが)。
 たとえば翻訳の場合ですと、言語によって語順が異なるのは日常茶飯事ですから、当然言語形式の組み換えはほとんど必然的です。また、翻訳される言語のある語に対する翻訳する言語の訳語が一つとは限りませんし、一つだとしても文脈によって再解釈を行わなければならいないこともまた常です。現代日本語と古典日本語との間でさえ、意訳的な解釈を行おうとすればそのような事態が起こってくるわけですから、他言語間では当然のことといえます。
 編曲の場合ですと、旋律主体のポピュラー音楽を合唱にアレンジする際などは、旋律に四声体的あるいは対位的な種々の声部を追加したり、和声をより機能的に連結することによって楽曲の組み換えがおこなわれます。また、楽曲の構成上の理由から大幅にフレーズや楽節を追加、削除して再解釈を行うなどの作業も考えられるでしょう。
 こういった組み換えと再解釈の過程で、作品が既成ジャンルの敷居を飛び越えたりすることもあります。そのことによって、より原作の魅力を深化させたり今までその作品の存在すら知らなかった人のもとへ物語が届けられるのです。
 ただ、いずれの例示もかなり極端な例です。翻訳といっても、原作では詩の形態をとっていたものが翻訳され、かつ小説という形式に置き換えられてしまう場合もあります。さらに編曲にしても、トランスクリプションからモティーフの借用といった程度のものまで、広義に編曲といった場合にはさまざまな程度のものが含まれてしまいます。つまり、翻訳や編曲と翻案の境界というのは常に連続的なもので、「ここからここまでは翻訳だけど、ここからは翻案」というような絶対的な線引きができるたぐいのものではないということです。さらに言えば、他言語で書かれた声楽曲を母語で編曲する際には、翻訳と編曲という二つの編作過程が(特にポリフォニックな処理において)有機的に絡み合って同時進行していくわけですから、もはや翻訳と編曲を区別することすら困難になります。
 ここまではかなり抽象的な話でして、具体的かつ精密な例証をしようと思えばもっと長大な話題になってしまうでしょう。訳語による意味(ニュアンス)のズレと楽器編成の移し替えも類比できるような気がしますし、音楽ジャンルをまたぐ編曲(たとえばクラシックからジャズとか)が翻訳における言語体系の対照とも通ずるところがあるようにも考えられます。いろいろと手落ちではありますが、ともあれ、組み換えと再解釈によって原著や原曲から新たな輝きを導き出すという目的において、翻訳と編曲は共通しているといえるのではないでしょうか。
 もちろん、世の中良い翻訳や編曲だけが転がっているわけではありません。ただ、モノの良し悪しはあくまで結果としてのそれであって、決して目的レベルで粗悪な編作が作られたわけではないはずです。


 で、翻訳と編曲の全然似ていないところについてですが、なんだか思っていたよりも話が長くなってしまったので次回以降に投稿したいと思います。

 ではまた。

寝過して…

2012-05-21 23:21:14 | ヨン様
 金環日食を見逃しました。


 こんばんは、ヨン様です。


 次に今回と同じような規模で見られるのは300年後の2312年4月8日だそうです。
 長生きしなきゃね。

 300年後となると、もうドラえもんとかいるのでしょうか。
 というか、「どこでもドア」があったら、日本で日食しようがブラジルで日食しようがあまり関係なくなりますね。
 交通網が今より発達していき、国の垣根がより低いものになっていれば、「日本での日食」に今回ほどの価値はなくなっているかもしれません。

《GO MY WAY!!》いただきました!!

2012-05-20 21:46:29 | ヨン様
 今日は録音日。
 今後の運命を大きく左右する、重要な一日であります。


 こんばんは、ヨン様です。


 さて、結論から言いまして、今回の録音は今までで最高の(!)出来栄えだったのではないかと思います。
 いやほんとに。


 午前中、編集担当者と連絡がとれず、録音作業に入ることすらままならない状態でした。
 いざ録音が始まっても、事前の練習では全く意識していなかった演奏上の問題が浮上し、このままズルズルと納得のいかない収録が続くのではないかと、以前の録音状況を知るメンバーは誰もが危惧しました。


 ところが、午後になると…。

 なんということでしょう!

 みるみるうちにかつてないクオリティのテイクが上がってくるではありませんか。
 これには誰もが驚きました。


 そして、部分的な修正を加え、曲が完成。
 そうです、完成したんです。
 あとは午前中に遠い彼方へ旅立ったリーダーを別録りで補えば、全員がそろったことになります。


 今回、序盤は少してこずってしまったものの、あまり声の出ない午前中に曲の最終確認と録音上の調整を行い、午後に本格的な録音を開始するというメリハリのきいたスケジュールにしたことで、納得のいくテイクを吹き込むことができたのではないかと思います。
 もちろん、当日に臨むまでの練習が恐ろしく密度の濃いものだったのも要因の一つでしょう。積み重ねは大切です。

 今日は本当に幸先のいいスタートとなりました。
 今後も決して簡単とはいえない曲が待ち受けていますが、今日の感覚を忘れずに次回以降も納得のいく録音をしていきたいですね。

 そして、事前の予定をキャンセルしてまで来てくれたリーダー、時間のないなかシュビに時間を割いてくれている社会人のみなみなさま、本当にありがとうございました。
 まだまだ作業量としては六分の一で、6月に入ると、それこそモーレツに忙しくなってくるわけですが、その貴重な時間に見合った結果を出していきましょう。


 ではまた!