こんばんは、ヨン様です。
人生で褒められたり貶されたりすることは、一度や二度のことではないでしょう。
それなりに生きている人は、それなりに褒められたり貶されたりしているものです。
人間の人格というものは、熱したり冷やしたりする鍛冶打ちのように、褒貶を繰り返し受けて形成されると言っても過言ではありません。
ところで、人から褒められるとき、次の二つのパターンを区別することができます。
ひとつは、面と向かって直接的に褒められること。
そしてもうひとつは、他人に対して自分のことが話されているときに、間接的に褒められることです。
直接的に褒められる場面は、例えば頼まれたことに対して期待以上の成果で応えたときなどに訪れるでしょう。
テストで良い点を取ったとき、与えられた演習課題をちゃんとこなしたとき、幼女ペロペロしたとき、などなど。
こちらは、いわば普通の褒められ方ということができます。
一方で、間接的に褒められる場面は、少し特殊です。
「~さんが君のこと〇〇って言ってたよ」とかいったように、人づてに聞くとなると、ただ褒めてもらうというだけでなく、その話を聞いた人からも情報を引き出さなくてはなりません。
あるいは特殊なケースとして、例えばトイレの個室にこもっているときに人が入ってきて、「~さんってすごいよな」というような会話をこっそり盗み聞ぎするようなパターンもあるでしょう。
いずれにせよ、そういった場面に遭遇する機会はまれです。
直接的に褒められることと、間接的に褒められることは、どちらが嬉しいでしょうか。
褒められることは、直接にせよ間接にせよ、嬉しいものです。
しかし、しいて甲乙をつけるとすれば、後者のほうが嬉しいのではないでしょうか。
直接「君はすごいね」と褒められるよりも、「〇〇君はすごいって言ってたよ」と、人から聞く方がテンションが上がるのです。
これはどうしてでしょうか。
ひとつには、間接的に褒められる機会の状況に出くわすが少ない、ということが挙げられるでしょう。
そのような貴重な場面に遭遇するだけで、少しラッキーな気分になるというわけです。
ですが、私はそれだけではないように思います。
間接的に褒められることが嬉しいのは、おそらく、そのような場合、相手が本気でそう思っていると信じやすいからではないでしょうか。
直接褒められた場合には、相手とのやり取りのなかで、一切の駆け引きを無視することが難しいものです。
例えば、あなたが相手よりも優位な立場にあるときに相手から褒められると、「この人は自分に擦り寄ろうとしているのではないか」とかいった邪推が働いたりします。
あるいは異性からモテる人は、自分のことを褒められた時に「自分に気があるのではないか」という勘繰り・驕りをしてしまうこともあるでしょう。
このような、相手の打算を疑ってしまう心は、多かれ少なかれ、ほとんどの人が持っているように思います。
直接的に褒めるということは、「私はあなたのことをこんなにも評価しています」という含意を同時に伝えることになるので、そのような含意が「このひとは自分を褒めることで気に入られようとしているのではないか」という推論を生むことがあるのです。
それに対し、間接的に褒める場合はどうでしょうか。
この場合、褒めた人は、話しの利き手に対して「私はAさんのことをこんなにも評価しています」という含意を伝えることはあっても、褒められた人に対して、そのような情報を伝達することはありません(もちろん、話の利き手が必ずAさんにそのことを話すことが分かっているというような特殊な状況は除きます)。
つまり、褒められた人は、褒めた人に対して「このひとは自分を褒めることで気に入られようとしているのではないか」という疑いを持つことなく、素直な形で褒め言葉を受け取ることができるのです。
間接的に褒められた時の嬉しさは、このような駆け引きのないクリーンな情報伝達によっているのではないかと考えられないでしょうか。
だからこそ、相手が心から自分のことを褒めているのだと信じることができるのだと思われます。
ところで、ここでの分析が事実だとすると、人間というのはなんとも不幸といいますか、素直ではない生き物のように思えてきます。
直接的に褒めることは、いわばその人の気持ちを包み隠さず伝えることです。
「告白はメールや電話ではなく直接」などという金言(?)があるように、直接伝えることが美徳とされることもしばしばです。
一方で我々は、直接言われると、その発話が生む含意から、なにか発話された内容以上のことを読み込んで、時としてその読み込みが疑いや誤解に繋がることになります。
本来素直に伝えるべき称賛の言葉が、却って不信のタネになるというのは、不幸というほかありません。
直接伝えることと間接的に伝えることのどちらがより効果的なのかは、その場面によりさまざまです。
状況に応じて使い分けましょう。
それでは!
【コミックマーケット92委託情報】
日程:8月13日日曜日(三日目)
委託先:
「白浜坂高校アルバム委員会」(東ホールV17a)
「竹輪大学大学院言語学研究室」(東ホールU10a)
【頒布品】(新譜)
『男声合唱とピアノのための ARIA』(CD・楽譜)
人生で褒められたり貶されたりすることは、一度や二度のことではないでしょう。
それなりに生きている人は、それなりに褒められたり貶されたりしているものです。
人間の人格というものは、熱したり冷やしたりする鍛冶打ちのように、褒貶を繰り返し受けて形成されると言っても過言ではありません。
ところで、人から褒められるとき、次の二つのパターンを区別することができます。
ひとつは、面と向かって直接的に褒められること。
そしてもうひとつは、他人に対して自分のことが話されているときに、間接的に褒められることです。
直接的に褒められる場面は、例えば頼まれたことに対して期待以上の成果で応えたときなどに訪れるでしょう。
テストで良い点を取ったとき、与えられた演習課題をちゃんとこなしたとき、幼女ペロペロしたとき、などなど。
こちらは、いわば普通の褒められ方ということができます。
一方で、間接的に褒められる場面は、少し特殊です。
「~さんが君のこと〇〇って言ってたよ」とかいったように、人づてに聞くとなると、ただ褒めてもらうというだけでなく、その話を聞いた人からも情報を引き出さなくてはなりません。
あるいは特殊なケースとして、例えばトイレの個室にこもっているときに人が入ってきて、「~さんってすごいよな」というような会話をこっそり盗み聞ぎするようなパターンもあるでしょう。
いずれにせよ、そういった場面に遭遇する機会はまれです。
直接的に褒められることと、間接的に褒められることは、どちらが嬉しいでしょうか。
褒められることは、直接にせよ間接にせよ、嬉しいものです。
しかし、しいて甲乙をつけるとすれば、後者のほうが嬉しいのではないでしょうか。
直接「君はすごいね」と褒められるよりも、「〇〇君はすごいって言ってたよ」と、人から聞く方がテンションが上がるのです。
これはどうしてでしょうか。
ひとつには、間接的に褒められる機会の状況に出くわすが少ない、ということが挙げられるでしょう。
そのような貴重な場面に遭遇するだけで、少しラッキーな気分になるというわけです。
ですが、私はそれだけではないように思います。
間接的に褒められることが嬉しいのは、おそらく、そのような場合、相手が本気でそう思っていると信じやすいからではないでしょうか。
直接褒められた場合には、相手とのやり取りのなかで、一切の駆け引きを無視することが難しいものです。
例えば、あなたが相手よりも優位な立場にあるときに相手から褒められると、「この人は自分に擦り寄ろうとしているのではないか」とかいった邪推が働いたりします。
あるいは異性からモテる人は、自分のことを褒められた時に「自分に気があるのではないか」という勘繰り・驕りをしてしまうこともあるでしょう。
このような、相手の打算を疑ってしまう心は、多かれ少なかれ、ほとんどの人が持っているように思います。
直接的に褒めるということは、「私はあなたのことをこんなにも評価しています」という含意を同時に伝えることになるので、そのような含意が「このひとは自分を褒めることで気に入られようとしているのではないか」という推論を生むことがあるのです。
それに対し、間接的に褒める場合はどうでしょうか。
この場合、褒めた人は、話しの利き手に対して「私はAさんのことをこんなにも評価しています」という含意を伝えることはあっても、褒められた人に対して、そのような情報を伝達することはありません(もちろん、話の利き手が必ずAさんにそのことを話すことが分かっているというような特殊な状況は除きます)。
つまり、褒められた人は、褒めた人に対して「このひとは自分を褒めることで気に入られようとしているのではないか」という疑いを持つことなく、素直な形で褒め言葉を受け取ることができるのです。
間接的に褒められた時の嬉しさは、このような駆け引きのないクリーンな情報伝達によっているのではないかと考えられないでしょうか。
だからこそ、相手が心から自分のことを褒めているのだと信じることができるのだと思われます。
ところで、ここでの分析が事実だとすると、人間というのはなんとも不幸といいますか、素直ではない生き物のように思えてきます。
直接的に褒めることは、いわばその人の気持ちを包み隠さず伝えることです。
「告白はメールや電話ではなく直接」などという金言(?)があるように、直接伝えることが美徳とされることもしばしばです。
一方で我々は、直接言われると、その発話が生む含意から、なにか発話された内容以上のことを読み込んで、時としてその読み込みが疑いや誤解に繋がることになります。
本来素直に伝えるべき称賛の言葉が、却って不信のタネになるというのは、不幸というほかありません。
直接伝えることと間接的に伝えることのどちらがより効果的なのかは、その場面によりさまざまです。
状況に応じて使い分けましょう。
それでは!
【コミックマーケット92委託情報】
日程:8月13日日曜日(三日目)
委託先:
「白浜坂高校アルバム委員会」(東ホールV17a)
「竹輪大学大学院言語学研究室」(東ホールU10a)
【頒布品】(新譜)
『男声合唱とピアノのための ARIA』(CD・楽譜)
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