ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

外発的動機付けを有効活用しよう

2017-02-28 23:45:14 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


人間の生産活動、特に芸術・娯楽分野のものについては、多くの場合人間の内発的な動機付けによって成立するものであると考えられる傾向にあるように思われます。
例えば、詩について考えてみましょう。
私たちは、詩人の書いた素晴らしい完成品を見て、ああ、なんと素晴らしい詩なのだろう、こんな言葉が人によって作られたなんて、と驚嘆したりします。
そしてそれと同時に、作家の神がかり的な仕事ぶりに称賛の声を浴びせるのです。

このとき、多くの場合想起されるのは、おそらく、何か詩人の心の深淵にある神秘から、無数の言葉が湧出してくるというようなイメージではないでしょうか。
あたかも作者が神託に打たれ、想像力の奔流から一掬いのアイディアを取り上げるというようなイメージです。
つまり、作家の想像力の源泉は作家自身の内面にあり、その内発的な原動力によって、作品が成立するというわけです。

いま見てきたのは詩の例ですが、同じようなことは音楽にもいえることです。
敬虔なキリスト教信者であったバッハは、一音一音を神に祈りを捧げながら書いていたなどとまことしやかに言われることもあります。
音楽家の生み出したものを内面的な神に仮託しているという意味では、これも作家の生産活動の神格化の一例と考えてよいでしょう。
あるいは、芸術・娯楽分野以外に、研究分野においてもそのような神格化がなされる場合があるかもしれません。
アインシュタインの天才的な発想を耳にするとき、我々は「暗い研究室に独り閉じこもった白衣の研究者が、ある日雷に打たれたように理論を発見した」というようなイメージを想起していないでしょうか。

このように、人間の創造的な生産活動というものは、多くの場合内発的な動機付けによるものだと考えられる傾向があるように見えます。
中には、たしかにそのような天才的な発想で生産活動をするひともいることでしょう。
しかし現実的に考えると、そのような内発的な動機に依存するよりも、外発的な動機付けによって生産活動を行う方が圧倒的に多く、その生産活動によって得られたものも、決して悪いものではないように思われます。

例えば、民間企業が開発した工業製品は、いずれも「経済的利益を上げるため」という外発的動機付けによって製作されており、決して「神託に打たれて作りました!」という類のものではありません。
しかし、その多くが現在の我々の生活必需品となっています。
電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機のない生活が考えられるでしょうか?
企業の社会的使命という理想論もありますが、これらはいずれも一義的には経済的利益を上げる必要に迫られたために生み出され、結果的に人々の生活水準に貢献しています。
「必要は発明の母」とはよく言ったものです。

さらに重要なことは、神秘的な営みによって生産されているとついつい思ってしまいがちな分野においても、外発的な動機付けが非常に重要な役割を果たしているという点でしょう。
なぜ本が売れないとされる時代においても、週刊誌や月刊誌の漫画雑誌の連載をやめて、単行本だけに絞らないのでしょうか。
これには出版業界のさまざまな事情が絡んでいるかと思われますが、その理由の一つには「作家に対するインセンティブを与える」という側面があります。
つまり、「定期的に出版する(=一定間隔の締め切りを設ける)」という外発的動機付けを与えることにより、作家のモチベーションを維持しているのです。
このようなことは、程度の差はあれその他の芸術・娯楽分野、研究分野にもみられることです。
締め切りがあるから頑張ろうと、原稿その他の書類作成に追われた経験のある人は少なくないでしょう。
人間の生産活動は、目先の締め切りがあるからこそ、モチベーションを維持できているのだといえます。

以上のことは、人間の生産活動が、究極的には「作りたいから作る」という発想よりも「~のために作る」という発想に準じたほうが効率的である可能性を示唆しているように思われます。
「作らなくてもなんとかなる」というようにのんびり構えているよりも、「作らなければ死ぬ」という状況(!)のほうが生産性が上がるというのは、直感的にも納得のいくことです。
ただし、外発的動機付けの中に身を置くということは、それだけストレスフルな環境に置かれるということでもあります。
そのあたりのバランスをとりつつ、有効なインセンティブとして締め切り等の外発的動機付けを活用することが望まれるのではないでしょうか。


最近締め切りに追われることが多いので、自己暗示的な話になってしまいましたかね。
なお、このブログも「書かなければ死ぬ」という外発的動機付けによって書かれていることを、ここに申し添えておきます。

それでは!

デレステ、ガシャ予想 〜運命の2月末〜

2017-02-27 23:48:06 | かみさと
こんばんは。かみさとです。
さすがに2ヶ月連続ってのもなぁと思ったんですが、明日の更新で(また)僕の生死が決まるのと、KJさんに

こんなこと言われちゃったんで、定期でやるかはともかく今月はまたガシャ予想しようと思います。



予想に際し必要な予備知識等は前回の記事をご参照ください。

さて、今月末に登場するSSRの属性はクールキュートです。
まずはこの2属性で、恒常SSRの登場から6ヶ月以上が経過しているボイス付きのアイドルを挙げてみましょう。

クール :速水奏 白坂小梅 三船美優 上条春菜
キュート:五十嵐響子 (乙倉悠貴)
※乙倉悠貴はボイス内定済み

クールの4人のうち、白坂小梅は先月のイベント『Lunatic Show』で上位報酬として登場しているため、今月末の線は少し薄くなります。
また、ソロ曲を持たないアイドルの限定SSR化は前例がない(依田芳乃は登場時点で内定済み)ため、上条春菜が登場する可能性については未知数です。


(以下、ガシャ画面の『アイドル詳細』で一番上に位置するSSRを限定①、その次に位置するSSRを限定②とします)

2016年7月末の限定ガシャから、限定①の特技は常にコンボボーナスとなっています。
そのため、各ステータス特化のコンボボーナスSSRの数を比べることで、次回以降の限定SSRの特化ステータスをある程度推測することが可能です。

クールのコンボナSSRの数は、ボーカル3、ダンス1、ビジュアル2です。
今月末のクールはダンス、あるいはビジュアル特化のコンボナSSRが登場する可能性が高いでしょう。

また、根拠としては少し弱いですが、11月末の神谷奈緒から3ヶ月連続でビジュアルSSRが登場しています。
クールだけで見ても神谷奈緒・二宮飛鳥と連続しており、恒常を含めればさらに多田李衣菜を加えた3枚がビジュアル特化です。
ここから更にクールのビジュアル特化SSRが増えるとは考えづらいでしょう。
よって、消去法で今月末のクールはダンス特化が最有力と言えます。

上記のクール4人のうち三船美優は恒常SSRがダンス特化なので、限定のダンス特化で登場することはありません。
以上から、今月末のクール最有力候補は(先月に引き続き)速水奏です。


(ただし、今月末のクールがビジュアル特化でないと言い切ることはできません。
それに加え、直近のコミュ(ストーリー41話)に登場したことなどを踏まえると、
三船美優の可能性も全く否定できません勘弁してください)


キュートの方はというと、全く絞り込めません。
限定②の特技はコンボボーナス・オーバーロード・回復・スコアアップの全てが登場する可能性があるため、特化ステータスの予想が極めて難しいのです。



以上から、今月末の限定SSR予想は速水奏・五十嵐響子(乙倉悠貴)です。
三船美優も警戒しておいてください。


今月の恒常は柚が来たことで、担当であるナターリアのSSRが一気に視野に入ってきました。
お願いだから、美優さんと立て続けに来て僕の財布を破壊することだけはやめてください。

それでは、今後ともよいガシャライフを。

魔法少女モノのいま

2017-02-26 23:35:44 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


先日、さらさんに薦められて「魔法少女育成計画」というアニメを鑑賞いたしました。
なお、原作はライトノベルみたいですが、そちらは鑑賞しておりません。
今日は簡単にその感想をまとめたいと思います。

「魔法少女育成計画」というのは、簡単に説明すると「ただ一つの魔法少女試験の合格者の座を争い、魔法少女同士が殺し合いの戦いを繰り広げる」という物語です。
最初は、魔法少女に憧れる女の子が魔法少女になって夢をかなえる話、のような体裁をとっているのですが、途中からバッタバッタと人が死んでいきます。
メインっぽかったキャラクターに対しても、まったくもって容赦はありません。
とにかくサヴァイヴ色を前面に押し出した、シリアスなアニメになっております。

「魔法少女育成計画」を見たあとの感想としてまっさきに思い浮かんだのは、「今の魔法少女モノ(特に深夜枠のもの)は、かなり「魔法少女まどか☆マギカ」の影響を受けているのだなぁ」ということです。
「まどマギ」以前の魔法少女モノは踏み込んでもせいぜいバトルアクションくらいの演出にとどまっていたのですが、「魔法少女育成計画」は完全に殺し合いの魔法少女サバイバルアクションとなっております。
つまり、「魔法少女育成計画」も「まどマギ」で開拓された「夢と希望にあふれた魔法少女」に対するアンチテーゼが引き継がれているといえるのです。

ヒロインが病んじゃう話とかシリアスど直球な展開は好きな方なので、個人的にはこういった傾向を歓迎したいと思います。
ただ一方で、日曜朝の爽やかな「白魔法少女」と深夜枠の「黒魔法少女」で二極化しているのは、なんというか面白い状況ですよね。
「白」あっての「黒」、またはその逆なので、もはやその二つは切り離せない極同士なのですが、魔法少女のイメージに対してこれほど極端な対照が見られるというのも不思議なものです。


日本の魔法少女モノは今後どのような展開を見せていくのでしょうか。
今後の魔法少女モノの動向にも期待したいと思います。

それでは!

電気屋の休憩室ヒエラルキー

2017-02-26 00:00:48 | さら
さらです。
少し仕事で海外に行っていたのですが、
帰国してからずっとお腹の調子がおかしいです。


以前にも日記で書いたことがありますが、
学生時代に、家電量販店で販売員のバイトをしていました。
○マダ電機とかの売り場に立っていて、一方的にアレコレ説明してくる人です。
そんな接客業をしていたのに、どうしてこんな社会性ゼロのコミュ障になってしまったのかは完全に謎ですが、
今でも昔の知り合いに「○○が買いたいんだけどオススメある?」みたいなメッセージをもらうことがあります。

私は、少し特殊な雇用体型の都合により、
ヤマ○やらケー○やらヨドバ○やら、
様々な店舗で仕事をしたことがあります。
よく「今回はどんな店舗だろうか」みたいなことを考えながら出勤していたわけですが、
仕事で入った店舗のヒエラルキーがなんとなく知れるのが、
従業員用の「休憩室」がどの程度のものか、という点です。

電気屋の店員の休憩室というのは大抵、
"なんらかのスペースに長机と椅子が並べられている空間"
という点については共通していますが、
そのクオリティや作りは、
たとえ同じ系列の店でも、店舗によってだいぶ異なっています。



比較的良い意味で印象的だった休憩室の一例


-- [郊外のとある店舗A]
休憩室における一般的な設備は、
長机・椅子・湯沸かしポット・飲料自販機
であり、
これらが全て揃っている時点で概ね健全な休憩室と認定していました。

この店舗Aには2台の飲料自販機・3台の湯沸かしポットと、各種設備が多めに置かれており、
大型の液晶テレビも置かれていました。

更に特筆すべき点として、マッサージチェアのデモ品が隅に置かれており、従業員は使うことができました。
全てのIT企業は見習うべきですね。

なお、いつもおじさまの従業員が占領していたので、結局私が使えたことはありません。


-- [駅前のとある都心型店舗B]
郊外の店舗よりも圧倒的に売上の多い都心型店舗です。
やはり休憩室も金が掛かっているように見受けられました。
圧倒的に広く明るい空間と意味不明に数が多い飲料自販機が印象的です。壁に液晶テレビも付いていました。
そして一般的な設備に加え、入ったことのある休憩室の中で唯一「社員食堂」がありました。
人生で初めて見た社食は感動モノでした。

ちなみに社員食堂は値段がやたらと高く全く使う気にはなりませんでした。



比較的悪い意味で印象的だった休憩室の一例

-- [山奥のとある店舗C]
テレビが無い ← 分かる。
自販機が無い ← まぁ分かる。
窓が無い ← うん…
その上で電灯も無い ← うーん……
椅子は休憩室には無いので、裏の倉庫から自力で見つけてきて下さい ← あっはい……


-- [駅前のとある都心型店舗D]
休憩室自体は割と普通というか比較的充実しており、自販機は複数台あったのですが、
何故か携帯電話・スマホが持ち込み禁止でした。
在庫のある倉庫と繋がっているわけでもないのに、
一体この休憩室には何が隠されていたのでしょうか。

ちなみにテレビ等も無かったため、
昼食を食べ終えた後は何もせずボーッと座っている従業員で溢れかえっていました。


-- [郊外のとある店舗E]
山奥の某店舗と同じく、休憩室に椅子がありませんでした。
しかしこちらの店舗では「椅子を取ってこい」などという野暮なことは言われず、
地面に新聞紙が敷かれていました。
やさしい。
新聞紙の上に座って昼食を取ります。
ここの店長は従業員を何の生き物だと思っていたのでしょうか。




こうして見ると、やはり休憩用のスペースというのは
単純な福利厚生を超えて、従業員が人間扱いされているか否か、という点まで見極める重要なファクターのように思えますね。
就活のシーズンには、各社とも「我が社自慢の休憩室です!」みたいなサイトを特設して頂けると、私みたいのが喜ぶのですが……

難しい曲

2017-02-24 23:24:33 | ねぎとろ
こんばんは、ヨン様です。


明日はシュビドゥヴァーズの練習!
先週やったので今月2回目ですね。
引き続き夏コミに向けた曲の練習をしてまいります!

今練習中の曲は透明感があって非常にきれいなのですが、以前お話したとおり和音が難しめです。
このことは、曲の作曲者がアカデミックな場で音楽を学んでいた人であるということとも無関係ではないでしょう。

アカデミックな場で音楽を学んでいた人は、ポピュラー音楽を作らせても、和音の使い方が難しめだったりすることがよくあります。
音大卒のアーティストであるaiko、奥華子などは、作曲科の人ではありませんけれど、借用和音とか転調とかしっかりつかってきたりしますよね。
ましてや作曲科を出たような方は、かなり和声なりサウンドなりを作りこんでくる印象があります。
やっぱりなにげないところにもにじみ出てしまうのでしょう。

そういった和音が使われている曲は、ポピュラー音楽であってもやりがいがあるので、嬉しくなりますね。
ただ、必ずしもいいことばかりではありません。
どうしても単純な曲よりもかかる時間が増えてしまうため、日程に余裕のない時は正直あまり出会いたくありません。
時間が無尽蔵にあればいいんですけどね。


愚痴はさておき、明日の練習に臨みたいと思います。
厳しい日程を乗り越えられるよう頑張るぞい!

それでは、また。

無駄遣いに気を付けよう

2017-02-23 23:52:36 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


人間は、損得を絶対的な基準ではなく相対的な基準で考える傾向にあるそうです。
例えば、ある日ステテコパンツが5000円で売られていたとしましょう。
ステテコにもいろいろあるので一概には言えませんが、一般的な相場感覚で行くと、これはけっこう「高い」と感じるのではないかと思います。

しかし、全く同じステテコが「本来10000円のところ、特別に5000円でご提供いたします!」となっていたら、どうでしょうか。
さらにその値引きが「本日限り!!」という脅し文句(?)とともに行われていたらどうでしょうか。
こうなると、先ほどとだいぶ印象が変わってしまうのではないかと思われます。
そしておそらく、このようにプロモートされたほうが、我々はまったく同じステテコであっても「買おうかな」という気になってしまうのです。

これはつまり次のようなことを意味しています。
私たちは売買を行うとき、単純に「ある商品に対し、それに見合った対価(お金)を支払っている」のだと思いがちなのですが、実はそのような絶対的な価値基準に則っているのではありません。
「Aのようにすれば、Bのようにした場合よりも得である」とか、「Aのようにすれば、Bよりも損ではない」などといったように、相対的な価値基準の指標を臨時的に設定し、それと比べて損得を判断する傾向にあるのです。
先ほどの例で考えてみると、最初に挙げた事例よりも次に挙げた例の方が何となく「お得」であるように感じられたのは、「ここで購入すれば、普通に購入するよりも5000円得である」という、相対的な価値基準が作用しているからにほかなりません。
加えて、人間はその場での投機的な判断を冷静にできないような精神構造を持っているとされるので、「今だけ!!」などと言われてしまうと、余計に「損をしないため」今その場で買おうとしてしまうというわけです。

もちろん、これは傾向に過ぎないので、個人差もあることでしょう。
中にはどんな状況においても絶対的な価値基準を曲げない人がいてもおかしくはありません。
しかしながら、私たちがさまざまな場面で相対的な価値基準を意識するあまり、本質的な損得を見誤るということはよくあることでしょう。

例えば、種々の値引きセールやポイントセール。
「今買ったほうが安い」とか「ポイントが10倍だから…」などといって、大して使わないものに対してお金を支払ったことはありませんでしょうか。
私なども、ついついポイントセールのときなどは「買うなら今のうちかな…」などといって、買うつもりもなかったCDを眺めたりしてしまいます。
まんまと売り手側の術中にはまっているというわけです。

ここで重要なことは、「いずれ絶対に買うものは、セールの際に購入したほうが、絶対的な基準から見ても損はしない」ということでしょう。
セールだからといって、欲しいと思っていなかったものや必要のないものまで買ってしまっては本末転倒です。
一方で、いずれ必ず必要になる物品(消耗品など)については、どうせ買わなければいけないので、セールのときに買うのが一番です。
生活必需品以外の趣味嗜好品で「いずれ必ず買うもの」を判断するのは必ずしも簡単ではありませんが、シリーズものの本やお気に入りのアーティストのCDなど、購入が確定している商品もないことはないでしょう。
甘言にほだされないようにするためにも、このことは覚えておいて良いのではないでしょうか。


というわけで、自戒を込めてモノを買うときの教訓を書き留めてみました。
みなさんも無駄遣いには十分お気を付けください。

それでは!

秩父に行ってきました

2017-02-22 23:53:49 | ねぎとろ
先日、サークルの卒業旅行(第2回)で秩父に行ってきました。
なぜ第2回かって?
全3回だからです。(理由は察してください)

秩父は程よく田舎で、田舎ながら中心の西武秩父駅~秩父駅の商店街が発達していました。
やはり首都圏に近く、観光客が多く訪れる土地柄だからでしょうか。
「あの花」「ここさけ」の聖地でもあるみたいです。
「あの花」関連のグッズがたくさんありました。
地元の酒造に行くと、あの花ラベルのお酒がいくつも。
せっかく「ここさけ」があるなら、「ここで酒を飲みたがってるんだ」ということで何かやればいいのに……とは思ってませんよ。

しかし、今回の私たちの旅行の目的は観光ではありません。
ただただ、行って食って寝て、食って飲んで寝て、食って風呂入って食って食って帰る。
文字通り慰安旅行です。

なので、最近これしかやってない気もしますが、また食レポでもしましょうか。
(行先は出発前日に同期の友人が考えてくれました。感謝です)

・お食事処 野さか(西武秩父駅)



秩父の行列店ということで、イの一番に尋ねてみました。
豚みそ丼が美味しいこの店。
写真は、最も大きい「特盛」サイズです。
2,3合はあろうかというご飯の上に分厚い豚バラとロースの味噌焼きが盛られた丼の表面は、ちょうど成年男性が手のひらを広げたくらいの広さです。
豚味噌焼きは、いい具合の焦げ目をつけた味噌の層が食欲をかきたててくれて、肉厚なこともありボリューミーな食べごたえでした。
トッピングで「あらぎりわさび」を頼むと、小皿に盛られてきました。
わさび特有のツンと来るからさは控えめで、わさび漬けを改良したようなサッパリとした食べやすさ。
自分にとって「特盛」は多すぎたのか、このわさびのサッパリ感に何度助けられたことか。
卓上の「レッドペッパー」「山椒」もなかなか良い仕事をしてくれました。



・秩父湯元 武甲温泉



今回宿泊したのはこちらですが、宿泊施設というよりは温泉施設がメインのようでした。
一応、離れに9棟の平屋があり、そこに宿泊もできるみたいで。



中は、4.5+6畳の2部屋とバス・トイレ・窓側の謎スペース(「広縁(ひろえん)」というらしいです)の構成。
「実家のような安心感」とはこのことですね。
旅先ならではのことをやるわけでなく、普通にテレビを見ながらダラダラ喋ってくつろいでしまいました。
こういう時間も良いもんですね。1人暮らしだとなかなか出来ません。あー、家族欲しい。

温泉施設は、宿泊客以外にも、地元の方がたくさん利用されていて、スーパー銭湯と公民館を足したような施設でした。
そこの2階の小部屋で夕食をとりました。



安いプランだったのでしたが、食べきれないほどの量でした。
個人的にはもつ煮が美味しかったです。



朝食は、バイキングというわけではなく、あっさりとした感じ。
1人暮らしでは朝食を食べることが少ないので、これはこれでありがたいです。

朝風呂に10時から入り、しばらく駄弁るなどしていたら12時近くなっていたので
売店でソースカツ丼(700円→500円セール)をいただくことに。



カツも揚げたてで、なかなか良いコスパでした。


・だんござか珍達



ここでは珍達そばをいただきました。
醬油ベースでわずかにとろみのあるスープに、斜め切りにされた白髪ねぎと細かな豚バラ肉が入っています。
麺は細麺ですが、柔らかめで出てきたので、固麺原理主義者の私としては少し不満でした。
ごま油が入っているのか、非常に香り豊かで、食べてて飽きは来ませんでした。
秩父市役所と秩父鉄道の線路の間にある名店です。


これを食べた後、素直に帰路に就きました。
いい湯につかって、いいご飯食べて、よく眠れたので、心身ともにリフレッシュした旅でした。
次に来るときは、氷柱や和銅黒谷の遺跡など、観光名所もめぐってみたいと思います。
それでは!

コードネームは合理的な表記体系である

2017-02-21 23:16:59 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


今日はコードネーム表記について書きたいと思います。
コード“進行”ではなく、コード“表記”についてであるところがポイントです。
コードを表記として捉えると、どのようなことが見えてくるのでしょうか。

コードネームというのは、音楽の教科書で楽譜の五線の上などに併記されている、和音を示すための記号のことです。
具体的には、


C Am Dm7 G C


といった表記が、コードネームにあたります。
これらはそれぞれ和音を表しており、「C」であれば「シー(・メジゃー)」となり、「CEG(ドミソ)」、Amは「エイ・マイナー」で「ACE(ラドミ)」、Dm7は「ディー・マイナー・セブンス」で「DFAC(レファラド)」、Gは「ジー(・メジゃー)」で「GBD(ソシレ)」です。
初めてきくとちょっと分かりにくいかもしれませんが、ようは根音(和音の一番低い音)と補助的な記号を記すことで、三度の堆積を基本とする和音を表す表記方法なのです。

私は、常々コード表記が非常に合理的な表記方法であると思っていました。
というのも、その表記体系は一貫して「無標な要素は表示しない」という原理を貫いているからです。
ここでいう「無標」というのは、「頻繁に用いるためにごく当たり前のこと、特殊性のないこと」などといった意味です。
「無標な要素は表示しない」というのがどういったことか、以下で説明いたします。

ここで、最も基本的なコードネームである「C」を見返してみると、これは字義的には「Cの音(ド)」しか表していません。
しかしコードネームとしては、「ドミソ」の和音を表しています。
つまり、「C」というコードネームには、簡単に見つもっても


(1)コードネーム「C」に含まれる情報
a. 「根音がC(ド)であること」
b. 「根音(ド)と第3音は長三度である(ミ)こと」
c. 「三和音であること」


という情報が含まれていることになります(その他、厳密には「転回形でないこと」などの情報も含まれていると考えられますが、ここでは省略します)。

比較するため、今度は「Cm」(シー・マイナー)というコードネームを見てみましょう。
こちらの場合は、「C」に「m」という記号が付されているので、字義的には根音の「C」と「短和音である(=根音(ド)と第3音は短三度である(ミ♭)こと)」が表記されています。
そしてコードネームとしては「ドミ♭ソ」の和音を表しており、全体としては


(2)コードネーム「Cm」に含まれる情報
a. 「根音がC(ド)であること」
b. 「根音(ド)と第3音は短三度である(ミ♭)こと」
c. 「三和音であること」


という情報を有していることになります。

これらの違いはなんでしょうか。
(1)と(2)を比べてみると、bにおいてのみ対照的な関係にあるということが分かります。
このとき注目してほしいのは、(2b)の情報が「Cm」という表記が字義的に表示していた情報である、という点です。
つまり、「Cm」においては明示的に示されていた根音と第3音の音程が、「C」においては示されていないのです。
これは極めて重要な点で、まさにこの点にコード表記の合理性の秘密があります。

一般に、西洋音楽では短調よりも長調のほうが機能的に完成されており、古典的な和声において好まれる傾向にありました。
すると、長三和音(「C」で表示される和音)は、長調の主和音であり、その点で短調の主和音である短三和音(「Cm」で表示される和音)よりも“無標”(特殊性がなく一般的に用いられる)だといえます。
このことから、最も頻繁に用いられる長三和音に何か特別な記号を付けて表示するよりも、より使用頻度の低い短三和音に補助記号を付けて“有標”(無標の逆)であることを示すほうが、はるかに認知的な経済性が高く、合理的であるということになります。
先ほどの例に照らして言えば、頻繁に用いられる「C」にわざわざ記号を付けて「根音と第3音の音程が長三度であること」を示すよりは、より頻度の少ない「Cm」に記号を付けて「根音と第3音の音程が短三度であること」を示す方が計算のコストが低い、ともいえるでしょう。
「三和音と言えば長三和音が当たり前なんだから、わざわざ書かなくてもいいでしょ」ということなのです。
「C」はまれに「Cmaj」などと表記して「根音と第3音の音程が長三度であること」を明示することもありますが、こういった表示法がほとんど採用されないのは、分かりきったことを表示することでかえって不経済な表記になってしまっているからだと思われます

このように、コード表記は「無標な要素を表示しない」(「C」という表記においては、「根音と第3音の音程が長三度であること」をわざわざ表示しないということ)という方針を徹底することにより、非常に合理的な表記体系になっています。
ちなみに、「Cm7」などといったセブンス・コードと「C」などの三和音の場合にも、同じような情報の明示性の差異があります。
「Cm7」という表記は、字義的に「根音がCであること」、「根音と第3音の音程が短三度であること」、「四和音(七の和音)であること」が表示されているといえますが、これはコードネームとしての「Cm7」が有しているコアな情報とほとんど格差がありません。


(3)コードネーム「Cm7」に含まれる情報
a. 「根音がC(ド)であること」
b. 「根音(ド)と第3音は短三度である(ミ♭)こと」
c. 「四和音であること(七の和音であること)」


(1)と(3)を比べてみると、bcにおいて対照的であることが分かります。
当然、三和音に対して四和音は有標であるため、「7」という表記を付して明示したほうが合理的であるということになります。
「C」というコードネームが持っていた「三和音である」という情報も、無標の要素を省略することによって含意されていることがお分かりいただけるでしょう。
やろうと思えば「Cmaj5」のようにして情報を明示することもできるわけですが、無標な要素はわざわざ明示しなくても理解できるため、このような表記はむしろ認知的なコストを高めてしまうのです。


というわけで、コード表記がいかに合理的な体系となっているかを見てきました。
今日ご紹介した以外にも、コードにはさまざま情報が詰め込まれています(たとえば「C」では、「五度が減音程でないこと」など)。
このような観点からコードネームを見返してみると、また新たな発見があるのではないでしょうか。

それでは!

カルピスと食費

2017-02-20 23:28:50 | かみさと
こんばんは。かみさとです。


割と長いこと「自分のブログ記事はこんな内容でいいのか?」という疑問が頭の中にありました。
が、よく考えなくても『アニソン中心の男声合唱団』のブログでアニメ・ゲームの話をするのになんの遠慮が要りましょうか。
そういうわけで来週以降はアイマスとか趣味の話ばっかりしようと思います。



12月のチャーハンレシピから実に2ヶ月、割と順調に自炊生活が継続できています。
食材を積極的に冷凍することや多少の賞味期限切れは気にしないことを覚えたおかげで、冷蔵庫のサイクルがしっかり回るようになり、これを効率良く消費すること自体が楽しくなってきました。
パズルゲームのような感覚でしょうか、野菜が安い日の前日に無理せず食材を使い切れた時の快感はひとしおです。

その流れで、最近は「食費をより安く済ませる」方向に興味がシフトしつつあります。
家計簿はまだつけていませんが、ここ1週間でどの食材を何円で買ったかはだいたい把握するようにしています。

そして僕は、恐ろしい事実に気がついてしまいました。


カルピスへかけるお金が、食費の1/4を占めていることに。


希釈タイプのカルピスは数日でなくなるので、そのたびに補充します。
また、コンビニ等で期間限定のカルピスウォーターが陳列されると必ずチェックし、気に入った商品はもう何度か購入します。
カルピスコラボの菓子やアイスも、必ずではありませんが基本的に目を通しているつもりです。
そんなカルピス愛の結実が、食費という最も現実的な形で跳ね返ってきてしまいました。

これは大変なことですよ。
食費を気にかけ始めたとはいえ、目に見えて効果が出るほどの節約術を僕はまだ身につけていません。
そんな中での食費の1/4です。
1ヶ月カルピス断ちを行えば(無理ですが)、ガチャを何度か回せる額が浮くでしょう。
正直な話、出費は当然のこと、糖尿も心配になってきました。


憂慮すべき事態だと考えた僕は、いくつかの対策を考えました。

・業務用スーパーで安く大量に買っておく
・カルピス以外の食費をさらに抑える
・カルピスの摂取頻度を減らす

……近所に業務用スーパーが見当たらない以上、どれも非現実的な対策です。
最も手軽で効果が高く、健康面の心配も薄れるのが『カルピスの摂取頻度を減らす』ですが、これは車への給油頻度を減らすようなものです。
まあ、現状で多少余裕のある給油をしている自覚はありますが、そうは言っても現在の半分以下に減らすことは不可能でしょう。
もし実行した場合、精神的に多大な苦痛を伴う可能性が高いです。

そんなわけで、明日からも僕は食費の1/4をカルピスに充てながら生活していきます。


と、これを書いている最中に、Amazonの『定期おトク便』なるものを使えば、毎月ちょっとお安く1Lのカルピスが届くことに気付きました。
食費の大幅…とまでは行かずとも、ある程度の削減にはなってくれるかもしれません。Amazon様信仰しなきゃ……!
糖分とりすぎの問題は、まあ、なるようになります。たぶん。

三大欲求について

2017-02-19 22:52:12 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


昨日さらさんから人間の三大欲求に関する言及がありましたね。
実はちょうど私も三大欲求について少し考えていたところでした。
便乗して書いてみたいと思います。

良く知られているように、人間の三大欲求とは「食欲・睡眠欲・性欲」の3つがあります。
それぞれ「食糧を摂取したいという欲求」「睡眠を摂りたいという欲求」「幼女をペロペロしたいという欲求」と、ざっくり規定することができるでしょう。
私はこの三大欲求に対し、長年抱いている疑問があります。
それは、分類が恣意的過ぎるのではないか、という点です。
具体的に説明しましょう。

三大欲求のそれぞれが人間という個体や種の維持に必要不可欠な欲求であるということは、誰しも疑うことはないでしょう。
長い歴史の中である程度の耐性があるとはいえ、人間は食事によって栄養を摂らなければ死んでしまいますし、睡眠活動も脳の休息には不可欠であるとされます。
また、性欲がなくなってしまえば幼女をペロペロしたいという人間はいなくなってしまい、人間という種は滅びてしまうでしょう。
このように、個体レベル、種レベルという違いはあれど、三大欲求はいずれも人間の存続に必要不可欠なものなのです。

しかし問題なのは、人間の生命活動に必要なのは、なにも上記の三大欲求に限らない、という点です。
例えば、呼吸はどうでしょうか。
我々は意識的に呼吸を止めることができますが、おそらく運が悪ければ「断食」や「断眠」するよりもずっと短い間隔で死に至ってしまうでしょう。
また、ある程度無意識的なものであるとは言っても、呼吸を止めた際に「息を吸いたい」という欲求が生じることから、これも広義の欲求の一つであるということができます。
このように、呼吸は紛れもなく我々の生命活動に不可欠な欲求です。
ところが、呼吸は人間の三大欲求に数え上げられることはありません。
なぜなのでしょうか。

他にも、類例はいくつかあります。
食事をしたあとで、当然待っているのは排泄です。
これも我々が抱く欲求の一つであり、かつ、生命活動に不可欠なものです。
これも同様に「排泄欲」などとしてカテゴライズされることはありません。
食欲がリストアップされているのに、なぜ排泄はリストアップされないのでしょうか。

このような疑問に対する根本的な問いについては、私はよくわかりません。
生理学や生物学をご専門とされる方なら、あるいは何か答えをお持ちなのかもしれません。
しかし「三大欲求」なるカテゴリーが、果たして客観的妥当性を持つものなのかという点については、やはり疑問の余地があると言えるでしょう。

おそらく、三大欲求がこのような分類となっているのは、人間の文化と無関係ではないように思われます。
人類は、食糧が十分に供給されている時代よりもはるかに長い期間、食糧が不足している時代を歩んできました。
したがって、食糧を「神/自然からの授かりもの」として神聖視する価値観は、多くの文化に見られます。
また、睡眠というのは人間の生活習慣の中で大きな比重を占めています。
1日のうち約三分の一は眠っているわけですから、睡眠が極めて有標的な活動に思えても不思議はありません。
さらに、人類はこれまでに多くの幼女をペロペロしてきました。
性欲が人類の精神活動に不可欠であるとされるのも無理からぬことです。
このように、三大欲求とされるものはいずれも人間の文化活動に大きな影響を及ぼしてきているのです。

それに対し、呼吸や排泄はどうでしょうか。
一部の宗教的・武道的価値観において呼吸が重要視されることはあるのかもしれませんが、人類は生まれてからこのかた「空気不足」に悩まされたこともありませんし、「排泄不足」に悩まされたこともないでしょう。
また、これらはいずれも人間の生活習慣に深刻な影響を与えるほどのものではなく、お世辞にもそこから派生した文化芸術が多いとは言えません。
つまり、文化的にそれほど重要視されてこなかった(排泄に至っては、むしろ忌み嫌われてきた)といわけです。
こういった事実は、これらの活動が生命維持に不可欠であるのにも関わらず三大欲求に含まれなかったことと無関係ではないのではないでしょうか。


というわけで、三大欲求のお話でした。
TPOに応じて欲求を抑えることも大切ですが、適度に発散することも大切です。
欲求のため過ぎにはご注意を。

それでは!