こんばんは、ヨン様です。
近年はダイエットブームと言われます。
おそらく広告代理店のPR戦略等もあるかと思いますが、新たなダイエット食材やダイエット器具などが流行っては廃れを繰り返し、なんだかんだ長い息を保っているようです。
肥満になってしまうのはあまり体にも良くないらしいので、一種の健康管理としてのダイエットは意味のあることなのでしょう。
ところでよくよく考えてみると、ダイエットが流行るという現象は人類史的に見て極めてレアなことですよね。
というのも、人類はこれまで食料に関して供給不足になることはたくさんあれど、供給過多になることはまずなかったと思われるからです。
現代でも、食糧が十分に供給されているのは一部の国や地域のみで、ほとんどの場合、食糧は供給不足になっているに違いありません。
つまり、人類にとっては食料は“ない”のがデフォルトだということになります。
結果として、私たちの体は長い年月をかけて食糧がない状態に対する耐性を身につけてきたと考えられます。
食糧の不足した状態では、当然消耗量の多い人は生き残れず、少ない供給でたくさんの脂肪を蓄えられる人(現代で言うところの「太りやすい人」)が生存するというような選択圧がかかるからです。
逆に言えば、私たちは供給過多に対する耐性をほとんど身につけていません。
いくら社会構造が変わって食糧供給が多くなったところで、急に体質が変わるはずもなく、体の方は相変わらず「あるだけため込んだるわ!」と息巻いています。
このようなことを踏まえれば、食糧過多に陥った現代日本社会にダイエットブームが到来するのは、いわば宿命といえるでしょう。
ダイエットとは、現代人が食糧が不足していた頃の健康状態を取り戻すための、いわばリハビリのようなものなのです。
ここで話を未来の方に移してみましょう。
少なくとも、現代日本は社会全体で見れば食糧が供給過多の状態にあります。
つまり、供給過多の状態に体の耐性がない人(太りやすい人)は、さまざまな疾病のリスクが高まり、生存確率が下がる(あるいは残せる子孫の数が減る)という選択圧が掛かっている可能性があるのです。
すると、1万年~10万年くらいすると、日本には供給過多に耐性のある人間ばかりが生き残っているというのも、あながち無理のある予測ではないでしょう。
肥満傾向にある人は段々と減っていき、痩せ型の人ばかりが食糧過多の日本を生き抜く、というわけです。
この供給過多に耐性を持った人類はしかし、供給不足に対しては全くの耐性を持っていません。
なぜならば、供給された栄養分を非常に効率の悪い形で燃焼してしまうという、太りにくい体質を持っているからです。
さて、人類がこのような進化を遂げたときに、ある日突然飢饉がやってきたらどうなるのでしょうか。
考えてみると少し恐ろしくなりますよね。
もしかしたら、少ない食料を争いながらなすすべもなくバッタバッタと倒れていくかもしれません。
その時代の人々は、食糧を食べてもそれほどたくさんのエネルギーを蓄えることができないので、食べても食べても飢えが満たされることはないのです。
食糧過多の状態が続くと、そんな未来がやってくることも現実味を帯びてきます。
幸いなことに(?)、日本以外の国で供給過多の状態になっている国はそう多くないようなので、そのような新人類が地上を闊歩する時代は当分やってこないでしょう。
太りやすいということは、それだけ食糧がなかった頃の耐性を体が維持しているということ。
ダイエットができるということは、その人がまだヒトとしての健全なエネルギー貯蓄機能を有しているということの証左なのかもしれません。
今日のお話は、例によって「食料廃棄をやめろ!」とかいったような大層な啓蒙思想の宣伝を意図したものではありません。
太ることって敬遠されるけど、実は人間として普通なんじゃないという趣旨のものとして理解していただければ幸いです。
それでは!
近年はダイエットブームと言われます。
おそらく広告代理店のPR戦略等もあるかと思いますが、新たなダイエット食材やダイエット器具などが流行っては廃れを繰り返し、なんだかんだ長い息を保っているようです。
肥満になってしまうのはあまり体にも良くないらしいので、一種の健康管理としてのダイエットは意味のあることなのでしょう。
ところでよくよく考えてみると、ダイエットが流行るという現象は人類史的に見て極めてレアなことですよね。
というのも、人類はこれまで食料に関して供給不足になることはたくさんあれど、供給過多になることはまずなかったと思われるからです。
現代でも、食糧が十分に供給されているのは一部の国や地域のみで、ほとんどの場合、食糧は供給不足になっているに違いありません。
つまり、人類にとっては食料は“ない”のがデフォルトだということになります。
結果として、私たちの体は長い年月をかけて食糧がない状態に対する耐性を身につけてきたと考えられます。
食糧の不足した状態では、当然消耗量の多い人は生き残れず、少ない供給でたくさんの脂肪を蓄えられる人(現代で言うところの「太りやすい人」)が生存するというような選択圧がかかるからです。
逆に言えば、私たちは供給過多に対する耐性をほとんど身につけていません。
いくら社会構造が変わって食糧供給が多くなったところで、急に体質が変わるはずもなく、体の方は相変わらず「あるだけため込んだるわ!」と息巻いています。
このようなことを踏まえれば、食糧過多に陥った現代日本社会にダイエットブームが到来するのは、いわば宿命といえるでしょう。
ダイエットとは、現代人が食糧が不足していた頃の健康状態を取り戻すための、いわばリハビリのようなものなのです。
ここで話を未来の方に移してみましょう。
少なくとも、現代日本は社会全体で見れば食糧が供給過多の状態にあります。
つまり、供給過多の状態に体の耐性がない人(太りやすい人)は、さまざまな疾病のリスクが高まり、生存確率が下がる(あるいは残せる子孫の数が減る)という選択圧が掛かっている可能性があるのです。
すると、1万年~10万年くらいすると、日本には供給過多に耐性のある人間ばかりが生き残っているというのも、あながち無理のある予測ではないでしょう。
肥満傾向にある人は段々と減っていき、痩せ型の人ばかりが食糧過多の日本を生き抜く、というわけです。
この供給過多に耐性を持った人類はしかし、供給不足に対しては全くの耐性を持っていません。
なぜならば、供給された栄養分を非常に効率の悪い形で燃焼してしまうという、太りにくい体質を持っているからです。
さて、人類がこのような進化を遂げたときに、ある日突然飢饉がやってきたらどうなるのでしょうか。
考えてみると少し恐ろしくなりますよね。
もしかしたら、少ない食料を争いながらなすすべもなくバッタバッタと倒れていくかもしれません。
その時代の人々は、食糧を食べてもそれほどたくさんのエネルギーを蓄えることができないので、食べても食べても飢えが満たされることはないのです。
食糧過多の状態が続くと、そんな未来がやってくることも現実味を帯びてきます。
幸いなことに(?)、日本以外の国で供給過多の状態になっている国はそう多くないようなので、そのような新人類が地上を闊歩する時代は当分やってこないでしょう。
太りやすいということは、それだけ食糧がなかった頃の耐性を体が維持しているということ。
ダイエットができるということは、その人がまだヒトとしての健全なエネルギー貯蓄機能を有しているということの証左なのかもしれません。
今日のお話は、例によって「食料廃棄をやめろ!」とかいったような大層な啓蒙思想の宣伝を意図したものではありません。
太ることって敬遠されるけど、実は人間として普通なんじゃないという趣旨のものとして理解していただければ幸いです。
それでは!