ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

ライブに足を運ぶ価値(マスタリング担当による音響のお話3)

2018-12-05 01:24:55 | hork(KJ)
こんばんは。KJです。
音楽好きのコミュニティに属していると、TLには常に「〇〇のライブ」「〇〇ドーム・アリーナ」また「第◯回定期演奏会」と言った「リアルな音楽体験」の話題があふれています。
前回、音圧戦争…ひいては「音源」としての音楽についてお話しましたが、実際の「ライブ音楽」についてはどうでしょうか。
ライブというのは演奏者にとっても、観客にとっても、特別な非日常の空間です。
その価値に関しては勿論ここで言うまでもなく、生の演奏を見られる機会であったり、観客同士のコミュニティであったりと語り尽くされています。

しかしここではそんなほんわかした事象には言及しません。
一体感とか、あるんだかないんだか観測の難しいものはどうでもよろしい。問題にしたいのは、物理的な差です。

世に出てくる所謂マスター音源において、極端なダイナミクス(音量差)等の無駄な部分が削除・整頓されているのは以前お話しした通りです。それは逆を言えば、ライブの音にはこれらの要素が含まれているという事にもなります。大出力のスピーカーから放たれる腹に響く様な極低音や、歌手の耳を突く様なキレのある発声等もその一つです。これら“臨場感”の要素はダイナミクスと一体であることも多く、音を整頓する過程でその多くが失われてしまいます。
この整頓される前の全ての音、全ての表情に触れる事が出来るのは、演奏会場にいる人間だけの特権です。つまり、極端な言い方をすると、ライブはこの無駄な部分、主として「絶対的な音量差」を体感しに行く事に真価があると言えるのです。

これは、映像作品にも同じことが言えます。
金曜ロードショーや日曜洋画劇場と言った地上波放映の映画を見ていて、音の(特に大音量部の)細部が歪んでいるのに気づいた事のある方もいるのではないしょうか。
これは映画という非日常の産物を日常のテレビに運び込んだことによって起きる弊害です。

映画の中の世界は、我々の日常生活と比べて非常に激しいものです。
私たちの日常に突然ステイサムやシュワルツネッガー、ジャックバウアー達が突然突入してきたら?

うるさいですよね。

あ、その状況では我々が真っ先に死ぬとかそういう話はしてないです。

うるさいですよね。

彼らの様な人々にはちゃんと防音設備が整ったところで存分に暴れてもらいましょう。そこで良いところがあります。映画館って言います。
テレビで放映される大抵の映画では、無駄な音を抑えて逆に小さい音を持ち上げ、全体を聴きやすくする様に調整が加えられているので食事中でもまともに聴く事が出来ます。無加工のままではうるさすぎたり、逆に聴こえなさすぎたりして生活の邪魔になるでしょう。

リアルなものを余すところなく体験しようとしたら、しっかりそのための場所に閉じこもらないといけない訳です。高倍率のチケット当落、LVの予約、ドームへの過酷なアクセス。乗り越えないハードルはたくさんあります。しかしこれらの非合理を乗り越えてでも体感したい価値が、また“そこにしかない音”があるからこそ「現地」は最高の憧れであり続けるのでしょう。

最後に当落の度に一喜一憂するTLの皆様に幸あらん事を願いまして、終わりにしようと思います。
それでは。

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