集団自決と言えば沖縄戦の悲劇として有名であるが、「自決というのは自らが責任を取って自死することから日本兵だけに使用されるのが正しく、県民は軍の命令、強制、誘導によってであり、"強制集団死”“強制死”として本質をとらえ直さなければならない」、と言ったような表記の段階から未だに論争される問題である。
そもそも、「集団自決」の言葉自体鉄の暴風の作者の一人の太田良博氏による造語であり、軍による強制、命令は軍人恩給が貰えるからとの軍人のせめてもの償いが逆の形で伝わり、家永等の主張を支えるものとなったのである。
家永三郎は当初、専攻は日本古代思想史であり、特に仏教思想史研究で成果をあげた歴史学者であったが、やがて反権力的な姿勢で逆コースを批判しあの教科書裁判となる。
陸軍士官学校教官を志望したが病気を理由に不合格となっており、戦後も、昭和天皇に進講し、学習院高等科の学生だった皇太子(今上陛下)に歴史を講ずるなど皇室との係わりを持っていたのだが、わざわざ経歴を貧しい方へ詐称し、戦争の反省から手のひらを返したように逆コースを批判する。これはあの朝日新聞と同じコースを辿ることになる。
沖縄の集団自決で家永等は集団自決と住民虐殺という区別を付けその殆どを日本軍によるものとの解釈を主張している。
実際、戦場で追い詰められた軍人や住民の多くは、占領されたときのことをあらかじめ想定する時間がなかったため、生か死かの2択しか基本的に発想できなかったほどであったことが悲惨な結果を招いたのだろう。
『判決は第一審から第三審まで検定意見は適法とし、国が勝訴した。その前の事実認定としては住民殺害より集団自決の方が数が多いとは必ずしも言えない、集団自決については「学会の状況にもとづいて判断すると、本件検定当時における沖縄戦に関する学会の状況は(中略)日本軍の命令によりあるいは追いつめられた戦況の中で集団自決に追いやられたものがそれぞれ多数にのぼることは概ね異論のないところであり」とし、集団自決の原因については、「集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的」とした』(第三次訴訟・高裁判決文)。
この中でも特に軍、守備隊長による命令のいわゆる強制性があったのかなかったのかの論争が未だに決着はついていないが、オーラルヒストリーでの危険性は赤松、梅沢の裁判を見れば理解出来るだろう。
あの現代史家秦郁彦氏でさえ、家永は悪玉の悪行は見つけしだいに書くが、善玉の悪行には目をつぶるくせがある(この場合の悪玉は日本政府、日本軍、アメリカ、南ベトナム、資本主義であり、善玉は中国、ソ連、北ベトナム、社会主義)と言っているように、家永の手の平返しによって、沖縄戦の集団自決に与えた影響は大江健三郎らに影響を及ぼし、琉球大、沖縄タイムス、琉球新報の歴史観に深くて暗い陰を落とすこととなる。
そもそも、「集団自決」の言葉自体鉄の暴風の作者の一人の太田良博氏による造語であり、軍による強制、命令は軍人恩給が貰えるからとの軍人のせめてもの償いが逆の形で伝わり、家永等の主張を支えるものとなったのである。
家永三郎は当初、専攻は日本古代思想史であり、特に仏教思想史研究で成果をあげた歴史学者であったが、やがて反権力的な姿勢で逆コースを批判しあの教科書裁判となる。
陸軍士官学校教官を志望したが病気を理由に不合格となっており、戦後も、昭和天皇に進講し、学習院高等科の学生だった皇太子(今上陛下)に歴史を講ずるなど皇室との係わりを持っていたのだが、わざわざ経歴を貧しい方へ詐称し、戦争の反省から手のひらを返したように逆コースを批判する。これはあの朝日新聞と同じコースを辿ることになる。
沖縄の集団自決で家永等は集団自決と住民虐殺という区別を付けその殆どを日本軍によるものとの解釈を主張している。
実際、戦場で追い詰められた軍人や住民の多くは、占領されたときのことをあらかじめ想定する時間がなかったため、生か死かの2択しか基本的に発想できなかったほどであったことが悲惨な結果を招いたのだろう。
『判決は第一審から第三審まで検定意見は適法とし、国が勝訴した。その前の事実認定としては住民殺害より集団自決の方が数が多いとは必ずしも言えない、集団自決については「学会の状況にもとづいて判断すると、本件検定当時における沖縄戦に関する学会の状況は(中略)日本軍の命令によりあるいは追いつめられた戦況の中で集団自決に追いやられたものがそれぞれ多数にのぼることは概ね異論のないところであり」とし、集団自決の原因については、「集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的」とした』(第三次訴訟・高裁判決文)。
この中でも特に軍、守備隊長による命令のいわゆる強制性があったのかなかったのかの論争が未だに決着はついていないが、オーラルヒストリーでの危険性は赤松、梅沢の裁判を見れば理解出来るだろう。
あの現代史家秦郁彦氏でさえ、家永は悪玉の悪行は見つけしだいに書くが、善玉の悪行には目をつぶるくせがある(この場合の悪玉は日本政府、日本軍、アメリカ、南ベトナム、資本主義であり、善玉は中国、ソ連、北ベトナム、社会主義)と言っているように、家永の手の平返しによって、沖縄戦の集団自決に与えた影響は大江健三郎らに影響を及ぼし、琉球大、沖縄タイムス、琉球新報の歴史観に深くて暗い陰を落とすこととなる。