天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

沖縄集団自決問題と家永三郎

2017-09-16 17:33:28 | 歴史
集団自決と言えば沖縄戦の悲劇として有名であるが、「自決というのは自らが責任を取って自死することから日本兵だけに使用されるのが正しく、県民は軍の命令、強制、誘導によってであり、"強制集団死”“強制死”として本質をとらえ直さなければならない」、と言ったような表記の段階から未だに論争される問題である。

そもそも、「集団自決」の言葉自体鉄の暴風の作者の一人の太田良博氏による造語であり、軍による強制、命令は軍人恩給が貰えるからとの軍人のせめてもの償いが逆の形で伝わり、家永等の主張を支えるものとなったのである。



家永三郎は当初、専攻は日本古代思想史であり、特に仏教思想史研究で成果をあげた歴史学者であったが、やがて反権力的な姿勢で逆コースを批判しあの教科書裁判となる。

陸軍士官学校教官を志望したが病気を理由に不合格となっており、戦後も、昭和天皇に進講し、学習院高等科の学生だった皇太子(今上陛下)に歴史を講ずるなど皇室との係わりを持っていたのだが、わざわざ経歴を貧しい方へ詐称し、戦争の反省から手のひらを返したように逆コースを批判する。これはあの朝日新聞と同じコースを辿ることになる。

沖縄の集団自決で家永等は集団自決と住民虐殺という区別を付けその殆どを日本軍によるものとの解釈を主張している。

実際、戦場で追い詰められた軍人や住民の多くは、占領されたときのことをあらかじめ想定する時間がなかったため、生か死かの2択しか基本的に発想できなかったほどであったことが悲惨な結果を招いたのだろう。

『判決は第一審から第三審まで検定意見は適法とし、国が勝訴した。その前の事実認定としては住民殺害より集団自決の方が数が多いとは必ずしも言えない、集団自決については「学会の状況にもとづいて判断すると、本件検定当時における沖縄戦に関する学会の状況は(中略)日本軍の命令によりあるいは追いつめられた戦況の中で集団自決に追いやられたものがそれぞれ多数にのぼることは概ね異論のないところであり」とし、集団自決の原因については、「集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的」とした』(第三次訴訟・高裁判決文)。

この中でも特に軍、守備隊長による命令のいわゆる強制性があったのかなかったのかの論争が未だに決着はついていないが、オーラルヒストリーでの危険性は赤松、梅沢の裁判を見れば理解出来るだろう。

あの現代史家秦郁彦氏でさえ、家永は悪玉の悪行は見つけしだいに書くが、善玉の悪行には目をつぶるくせがある(この場合の悪玉は日本政府、日本軍、アメリカ、南ベトナム、資本主義であり、善玉は中国、ソ連、北ベトナム、社会主義)と言っているように、家永の手の平返しによって、沖縄戦の集団自決に与えた影響は大江健三郎らに影響を及ぼし、琉球大、沖縄タイムス、琉球新報の歴史観に深くて暗い陰を落とすこととなる。


チビチリガマ破壊

2017-09-16 15:58:53 | 時事
心霊スポットに行こうと思った
肝試しをした
逮捕されたいずれも本島中部在住の無職や型枠解体工の少年4人16〜19歳は自供している。


沖縄に限らず全国の若者の一部は成人式までは羽目を外すものだ。

左翼系のしばき隊に近い言論人は政治的な方向へなんとか持っていきたいようである。

彼等言論人が政治的な方向へ誘導したい真意は過去のチビチリガマの右翼団体構成員による平和を願うモニュメントの破壊との関連からであろう。

山口二郎氏はヘイトクライムなどとどうしても朝鮮人の民族差別へと結びつけたい意図が見え見えだ。

恐らく少年達の名前や素性は明らかにはならないし、動機や背後関係なども喋らないであろう。




ここからは憶測なのでそのつもりで読んで頂きたいが、恐らく地元の知恵の付いた先輩が

「お前等じゃチビチリガマに肝試しには行けても千羽鶴を引き抜いたり遺品を壊したりは出来ないだろうな、絶対やるなよな、絶対やるなよな、絶対やるなよなクルサリンド〜」

といったような会話があったのではないだろうか。つまり、少年達をそそのかした先輩(左翼活動家)が背後にいるが真相は闇の中である。

前回も書いたがマッチポンプ説が極めて濃厚だが
アンネの日記毀損と同じく闇に葬られる事件であることが予想される。

最後になってしまったが、チビチリガマを今日までチビリガマと誤表記していたことをお詫びし、呉々も犠牲者のご冥福をお祈りしたい。

沖縄県護国神社に向かい拝礼🙇

水原希子嫌い‼️は差別では無い

2017-09-16 10:14:27 | 時事




「エセ日本人がcmしてる」「偽日本人か。ビールが不味くなる」などを例にあげて「出自」を差別するような投稿であるとしているが微妙である。



『こうした自らのルーツには、本人も悩んできたようだ。16年10月14日放送の「アナザースカイ」(日本テレビ系)に出演した際に水原さんは、米国人と韓国人のハーフとして生まれ日本で育つ中で、「自分の存在が恥ずかしいと思うこともあった」と吐露。その上で、

「色んな差別が本当になくなればいいって心の底から願っている。私が強く生きている姿勢を見せて行かなきゃいけない」』J-castニュースより


そもそもこうした有名人の好感度に出自は全く関係ない。現状、在日外国人であろうが、日本人だろうが日本に居住している限り基本的人権だけは保障されるようになった。

よく明治の頃は外国人の人権までは保障されておらず、日本国憲法によって保障されるようになった、といったような解釈が一般的だが、基本的人権が外国人まで及ぶことは明文化されてはいないが判例からの解釈であり、そう言った意味では明治からの日本人は差別とは無縁のお人好し国民であったようだ。

同和問題での被差別が解消してからはこの日本には目に見える差別などは皆無であろう。つまり、差別と騒ぐことで日本人は萎縮してしまい、闇雲に寛容にならざるを得ないお人好し国家なのだ。

人権派と呼ばれる者達がこれを利用して日本の司法に寄生しているのも頷ける。

要するに日本人ではないや、外国人と言うだけでその区別は限りなく差別発言に感じさせ、また国民も感化され感じてしまうのだ。

畳に土足の違和感はその対象がモデルであろうが、日本人、在日外国人関係なく不快に感じる。

これまでの人権問題に乗せて考えれば、現代日本人として不快に感じるのは貴方の心に外国人差別、レイシズムが芽生えているからだ、と言われ萎縮しつつあるのが日本人の現状であろう。

日本文化への冒涜と言わず、畳に靴、うん!新しいと賛同、共感、賛美し、伝統を破壊して行くのが日本人の見本であれと言わんばかりである。

しかしながら、日本人に求められている物は伝統を保守し、嫌いな物は嫌いと言える勇気であり、決して排外的にならない事であろう。

従ってもし本気で差別を無くそうとするならば直ちに通名を廃止するべきなのだ。