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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

{韓国 ソウル 昌慶宮}昌徳宮からの入口近くにも昌慶宮案内板があります

2013-06-27 09:27:07 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

昌徳宮からの入口近くにも昌慶宮案内板があります。

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 昌慶宮から昌徳宮への入口があります・・・・

2013-06-27 08:03:09 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

←昌徳宮

昌慶宮から昌徳宮への入口があります・・・・

昌徳宮への切符売り場

門の向こうは昌徳宮です・・・・

ユネスコ世界文化遺産・昌徳宮
1405年に景福宮(キョンボックン)の離宮として建立。壬辰倭乱(イムジンウェラン。文禄・慶長の役)で全て焼失した後、1615年に再建されました。約270年間正宮となっており、朝鮮王朝で王が最も長く住んだ宮殿で、王朝の生活様式・趣・思想などが伺えます。政務のための効率的構造に優れている景福宮に対し、昌徳宮は自然がひきたつ豊かな生活空間。中でも自然にあふれる庭、秘苑(ピウォン。正式には後苑ともいう)は韓国伝統庭園の真髄とも言われます。そうした景観の卓越や希少資料の存在などから、昌徳宮は1997年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 昌慶宮は昌慶苑でした・・・・

2013-06-27 07:51:16 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

昌慶宮をぶら~り散策しています・・・・・

世宗元年(1419年)に建築され、最初の名前は寿康宮といったが、成宗14年(1483年)に修繕されたのち、現在の名前である昌慶宮に変えられた。南側には宗廟、西側には昌徳宮が隣接している。

文禄の役(1592年)において、国王の宣祖が漢陽(ソウル)から逃亡すると、豊臣秀吉軍の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり景福宮や昌徳宮などと共に建物の多くが焼失した。

 

1909年、日本が純宗の心を慰めるとして昌慶宮内の宮門や塀を壊して動物園(「京城李王職昌慶苑動物園」)と植物園を造 一般人も観覧できるようになり、1911年には博物館を建て、昌慶苑に改名した。

1984年、動物園などをソウル郊外のソウル大公園へ移転させ、昌慶宮を復元・整備し、再び名前を元来の昌慶宮に戻した。大韓民国の史跡第123号に指定されている。

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 通明殿(トンミョンジョン) 、養和堂(ヤンファダン)

2013-06-27 07:17:15 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

通明殿(トンミョンジョン)養和堂(ヤンファダン)

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮}養和堂(ヤンファダン)

2013-06-27 07:11:30 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

養和堂(ヤンファダン)

1636年、清が朝鮮に侵攻した丙子胡乱(ビョンジャホラン)の際、南漢山城(ナマンサンソン)に避難していた第16代王・仁祖(インジョ)が、都に帰還するにあたりここに留まりました。扁額は純祖の直筆によるもの。

 

 

 

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韓国 ソウル 昌慶宮} 通明殿は、王と王妃が暮らした内殿の中で最も大きい建物

2013-06-27 07:05:59 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

通明殿(トンミョンジョン)

明政殿の北西側にある通明殿は、王と王妃が暮らした内殿の中で最も大きく、宴会場所としても使用された建物。
壬辰倭乱、そして1790年の火災で焼失しますが、1834年に再建されました。

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{韓国 ソウル 昌慶宮}自然の美しさが感じられる王族たちの生活の場

2013-06-27 06:10:33 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

昌慶宮をぶら~り散策しています・・・・

 

自然の美しさが感じられる王族たちの生活の場

昌慶宮(チャンギョングン)は、五大宮のうちのひとつで世界遺産に指定された昌徳宮にも隣接し、自然の豊かさが魅力の宮殿です。

東洋の宮殿は通常、建物を南向きに建てますが、ここでは正殿などが東向きに配置されています。

元々の自然や地形にそって建てたため、このような珍しい配置になったといわれています。

春には桜の名所、秋には紅葉が美しいことでも知られており、豊かな自然のなかで暮らした王族たちの生活の趣が感じられます。

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 「景春殿」と書かれた扁額は、第23代王・純祖(スンジョ)の直筆

2013-06-27 06:05:44 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

景春殿(キョンチュンジョン)

昌慶宮の内殿(王と王妃の生活空間)として1484年に創建されました。
第22代王・正祖(チョンジョ)と第24代王・憲宗(ホンジョン)が生まれた場所でもあります。

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮}涵仁亭(ハミンジョン)、柱のみで構成された開放的な建築様式が特徴

2013-06-27 06:00:34 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

涵仁亭(ハミンジョン)

科挙(クァゴ:朝鮮時代に官僚を選ぶために国が行った試験)に合格した人々を王が称賛して、もてなしたところ。柱のみで構成された開放的な建築様式が特徴で、見晴らしの良い庭にそびえたっています。
 

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{韓国 ソウル 昌慶宮} リスがいます・・・・・

2013-06-27 05:54:34 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

韓国ぶら~り旅 最終日の朝、昌慶宮をぶら~りしています。

 

「孝(ヒョ)」の心により創建された昌慶宮の歴史

昌慶宮の歴史は、退位した父・太宗(テジョン)が穏やかに後世を送る場所として、1418年に朝鮮王朝第4代王・世宗(セジョン)が建てた「寿康宮(スガングン)」にはじまります。
その後、1484年に第9代王・成宗(ソンジョン)が、祖母・貞熹王后(チョンヒワンフ)、生母・昭恵王后(ソヘワンフ)、養母・安順王后(アンスンワンフ)の3人が住むための別宮として再建、名前も現在の「昌慶宮」となりました。
1592年の壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄・慶長の役)ですべての建物が焼失、1616年に再建後も大小の火災に見舞われ、そのつど復旧が重ねられました。
日本による植民地時代には動・植物園が作られ、名称も「昌慶苑(チャンギョンウォン)」に格下げされて一般人にも公開されるようになるなど、宮内の建物の多くが破壊・変形されました。
しかし1983年から3年間にわたる韓国政府の大規模な復元・改修工事を経て、「昌慶宮」という名前とともに、ようやく昔の姿を取り戻すに至りました。

リスがいます・・・・・

 

 

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