韓国の新しい大統領が誕生したら、まずやってもらわなければならないのが、李明博大統領の天皇陛下への非礼発言についての謝罪だ。だが、日本人が韓国の人たちに謝らなければならないことが一つだけある。韓国の安全を脅かす勢力を日本国内で野放しにしてきた歴史だ。
大統領候補の朴槿恵氏は22歳だった1974年、父の朴正煕大統領を狙った銃弾で母の陸英修さんを失った。犯人は大阪で生まれ育った22歳の在日韓国人、文世光・元死刑囚。韓国の捜査当局に対し、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の支部幹部A氏に指示されたほか、大阪港に停泊中の万景峰号内で北朝鮮の工作指導員から「朴大統領暗殺は金日成主席の指令だ」と言われたと供述し、「朝鮮総連にだまされた」と言い残して死刑台へ消えた。
凶器の拳銃は大阪府警南署高津派出所から盗んだものだった。日本人女性B氏の協力で夫C氏(翌年離婚)の戸籍謄本を入手し、C氏名義の旅券を作って韓国に渡った。
日本で生まれ日本の教育を受けた者が、日本にある組織の指示を受け、日本政府発行の旅券で入国し、日本の警察の拳銃で大統領夫人を射殺した…。韓国政府は日本政府に徹底捜査と朝鮮総連など北朝鮮関連組織の取り締まりを求めたが、大阪府警はB氏を旅券法違反などの疑いで逮捕したもののA氏やC氏は立件できなかった。
陸英修夫人の葬儀に参列した田中角栄首相は朴大統領に「えらい目に遭われましたね」と人ごとのように話し、木村俊夫外相は国会で「北朝鮮の脅威はない」と言い切った。
C氏は事件直後、「私は無関係だ」「テロは許せない」と語ったが、実は筋金入りの親北朝鮮活動家で、チュチェ思想研究会や日本キムイルソン主義研究会のメンバーとして、事件後も何度も北朝鮮を訪れた。
文世光事件で日本をテロの出撃拠点にした北朝鮮は、日本人そのものも狙うようになる。事件から3年後の昭和52(1977)年、横田めぐみさんが連れ去られるなど拉致事件が本格化した。北朝鮮が発射しようとしているミサイルは在日朝鮮人の送金で作られた。
文世光事件への対応は、韓国だけでなく日本人の安全にかかわる問題だったのだ。