たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る旅の思い出・「蘇州」その5・「盤門三景・盤門景区」(再)

2024年03月03日 15時02分25秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その5
「盤門三景・盤門景区」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


「観前街」から、タクシーで移動し、
15時30分頃、「瑞光塔」前に着いたようだ。

「瑞光塔」は、247年に孫権によって創建された普済禅寺の敷地に建てられた13層の塔だったが、現在の塔は、12世紀前半に八角七層の再建されたものなのだそうだ。
境内に入るには、入場料が必要で、さらに塔に登るには別途料金が必要だったようで、
時間的にも余裕が無くて、確か、入場せずに、外から覗き込んで、写真を撮っただけ
だったような気がする。

「瑞光塔」は、隣接する「盤門」「呉門橋」と共に、「盤門三景」「盤門景区(パンメン ジングウー、pán mén Jingqu)」と称され、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
数多の中国の世界遺産の中にあって、
「盤門」は、「北で万里の雄大さを見、南で盤門の麗しさを見る」と言われる程、美しい蘇州の水陸城門遺跡。歴史は古く、三国志の呉の孫権とも係る「瑞光塔」や「呉門橋」等、蘇州らしい風景が集約された場所で、古城遺跡公園として整備保存されている。

「盤門(パンメン、盘门、pán mén)」は、紀元前508年、呉国が蘇州に築城した際に作った、水門8門のひとつで、元代の1351年に再建されたもの。外城河に囲まれた蘇州城に唯一残っている城門のこと。
運河と城壁を組み合わせた造りで、陸の城門と運河の水門が並んでいる。敵に対する砦であり、船が往来する交通路でもあったことが分かる、城壁の周囲には砲台も置かれているというが、見掛け無かったのか、気が付かなかったのか・・・。

「呉門橋」は、盤門口に有り、一つの穴を持つアーチ橋。蘇州市内では最も高く、傾斜がきつい橋で、下を船が通れるようになっている。北宋時代の1084年に建造され、当時は「新橋」と呼ばれていたが、北宋時代の最後に壊され、南宋時代に復旧された際、「呉門橋」と名付けられたのだそうだ。現在の橋は清の同治年間に復旧されたもので、蘇州市内に残る石橋の中では最も古いものと言われている。


(参考・参照)
「盤門三景・盤門景区」
👇
こちら


ここでも、観光客目当ての露店がちらほら有ったが、それほど執っこい売り込みも無く、浮浪者風の男が寄ってきてお金をせびられたが、次男が体よく断り、まとわりつかれることも無かったような気がする。雨が降りそうな天候と、季節柄、観光客、行楽客は少なく、閑散としており、むしろ予想外の寂しい、わびしい風景だった。
(つづく)

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3月3日、ひなまつり、雛飾り、あれこれ

2024年03月03日 06時42分22秒 | 懐かしいあの曲

今日は、3月3日、「ひなまつり」、
日本人ならば、誰しも、子供の頃から慣れ親しんでいる年中行事だと思うが、
昭和20年代、30年代、北陸の山村で幼少時代を過ごした爺さん、
当時は、村落の近所の家や親戚の家等で、「雛飾り」を設える等して、
「ひまなつり」をする風習等は、全く見られなかったような気がしている。
子供心に、「雛飾り」「ひなまつり」等は、都会の裕福な家がする行事?
なんだと、思い込んでいたような気さえする。
「あかりをつけましょ、ぼんぼりに・・・♫」
ラジオから流れてくる童謡歌手が歌う「うれしいひなまつり」に、
着飾った女の子と雛飾りのなんとも優雅な情景を
想像したりしていただけだったように思う。
成人してからも、我が家だけでなく、義姉弟の家でも、それぞれ男の子2人、
8人が全て男の子、女の子は皆無だったこともあり、
「ひなまつり」「雛飾り」には、縁がなかった身内、親族。
当然、興味関心が無いままで、老年を迎えた。
最近は、全国各地で、個々の家庭での「ひなまつり」「雛飾り」ではなく、
大々的な「ひなまつりイベント」が催されており、
毎年、「ひなまつり」前後には、テレビや新聞等の報道や、
相互フォロワー登録している方々のブログ等から、
そうした催しの情報が耳に入り、
多少は、「ひなまつり」「雛飾り」に纏わる話題にも
付いて行けるようになったのかも知れないが・・・。
「3月3日」という響きから、ふっと脳裏に浮かぶ曲は、やはり、
童謡、「うれしいひなまつり」。

今更になってネットで調べてみると
「うれしいひなまつり」は、1936年(昭和11年)に、サトウハチロウ作曲、河村光陽作曲で発表された童謡で、2007年(平成19年)には、「日本の歌百選」に選出されている曲だった。1935年(昭和10年)に、サトウハチロウが、愛娘に雛人形を買い与えた前後に作詞し、それに河村光陽が曲を付け、レコードし、発売されたのだそうだ。

「うれしいひなまつり」 (YouTubeから共有)
 


「ひなまつり」「雛飾り」で、
「ブログ内検索」してみた。
予想通り、関連する記事は、極めて少ない。
コピペ、リメイク等して、振り返ってみた。


(1)遠州可睡斎ひなまつり
6年前の2018年3月に、近くに住んでいる義姉(妻の長姉)を誘い、三人で、当時まだ老人介護施設に入所していた義母に面会する目的で、静岡県浜松市まで、車で出掛けたことが有った。
すでに後期高齢ドライバーだったこともあり、そろそろ長距離運転する最後の機会になるんじゃないかという思いが有ったが、せっかく浜松まで出掛けるのに、高速道をただピストンするだけではもったいない?、との思いも有り、無理せず、行き帰りの途中で2泊し、「小さな観光旅行」を兼ねるつもりで出掛けたものだった。
途中、立ち寄った、静岡県袋井市の「遠州可睡斎ひなまつり」もそのひとつ。
義姉、妻にとっては、郷里に近い、馴染みの「可睡齋」だったはずだが、「ひなまつり」は初めてとのこと、感動が大きかったようで、未だに話の種になっている。
撮影自由だったこともあり、やたら カシャ、カシャ、写真を撮り、その一部を、YouTubeにして、アルバム代わり、いつでも、振り返り見ることが出来るようにしている。
先日、たまたま、テレビのニュースか何かでも、紹介されているの見て、
今にしてみれば、
あの日あの時、思い切って立ち寄って、本当に良かった・・・、と、
思ったりしている。

YouTube 「追想アルバム 遠州可睡斎ひなまつり」

(参照・引用)
可睡斎の由緒・縁起
👇
こちら


(2)甘草屋敷
7年前、2017年3月に、山歩きの帰りに、山梨県塩山市の「甘草屋敷」に立ち寄ったことがあった。ちょうど、「ひな祭り」イベント中で、印象に残っている。

振り返り記事
「甘草屋敷」
👇
こちら


(3)目黒雅叙園
7年前、2017年2月に、旅行会社の格安バスツアーで訪れた「目黒雅叙園」、
それまで、まるで、知らなかった、九州地方のひなまつりを知り、目から鱗・・・だった気がする。

振り返り記事
「目黒雅叙園」
👇
こちら


 

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