夕食時、まんまるお月さんに気が付いた。
今日が 満月のようだ。
当地 今日は 凍てつくような気温ではないが
冴え渡った夜空、室内から外へ出た瞬間は ブルルンとしてしまう。
夕食時、まんまるお月さんに気が付いた。
今日が 満月のようだ。
当地 今日は 凍てつくような気温ではないが
冴え渡った夜空、室内から外へ出た瞬間は ブルルンとしてしまう。
11月30日、小春日和、
好天に誘われ、何日か振りに、近くを歩いてきた。
腰の具合を気にしながら・・・・、
毎度のこと、コンデジでやたら撮りながら・・・・、
スマホの歩数計で 約12,000歩、
エッ!、今時 キリシマツツジ(霧島躑躅)?
クロガネモチ(黒金黐)の実
モミジバフウ(紅葉葉楓)の実
皇帝ダリア
(ネットから拝借無料イラスト)
数年前まで まるで興味も関心もなかった川柳、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、川柳とは程遠い存在の爺さんが ひょんなきっかけで 「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も 分からないまま、単なる五七五言葉並べ遊びを続けてきた。
2年半前頃には 相互ブログフォロワー登録している方からのお声掛け、お誘いを受けて 恥も外聞もなく 拙句、駄句を ある「川柳教室」に投句してしまうことにもなっているが、結果、何も分からなかった川柳の世界を ちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ 所詮 川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは お題に対して 締め切り日までに 錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し 五七五に編むという過程が、ある種脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れないという期待感から 続けていることだと思っている。
出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ川柳(らしきもの)
せっかく作ったものを 忘れてしまう前に書き留め置くことにした。
国連の世界保健機関(WHO)の定義では 65歳以上の人を「高齢者」としているそうだが、超高齢化社会に突入、高齢者の定義も いずれ変わるのかも知れない。
後期高齢者等と呼ばれるようになり久しく、これまでもちょこちょこ、「老境」を川柳(らしきもの)にし、ブログにも掲載してきたが、一度まとめてみようという気になり、書き出してみた。
「爺川柳(らしきもの)」
「とったメモ探し出すのに小1時間」
「父親の遺影とダブル俺の顔」
「他人事(ひとごと)にあらず竹馬の友が逝く」
「冷水と言われぬように無茶はせず」
「ポンコツは止まれば終わり走る日々」
「落葉に我が身の老いを重ねたり」
「今でしょと自答しつつ暮らす日々」
「まったなしその内いつかは禁句とし」
「あれもこれも思い立ったら吉日に」
「顔見ても名前出て来ず君の名は」
「爺さんもスマホでラジオ聴く時代」
「他人(ひと)を見てまだまだ小僧振り直そ」
「キョウヨウ有りキョウイク有りの有難さ」
「血圧が右肩上がりの候となり」
「正月もさして変わらぬ老夫婦」
「他人(ひと)は他人(ひと)我は我なり生きる術(すべ)」
「最終章その内いつかは禁句とし」
「爺婆(じじばば)のパソコン依存はボケ防止」
「高齢者病院行きも用の内」
「年寄りじゃ許してたもれと居直って」
「登りより長き下りの道標(みちしるべ)」
「下山路に道連れ友有り有難き」
「空眺め花愛でながら下山中」
「金と暇無きゃ無いなりに我が暮らし」
「恥晒す才能無しの爺川柳」
「脳トレのつもりで挑む爺川柳」