松本と言えば 松本城、
確か 数十年前に訪れたことの有る松本城ですが すでに記憶は曖昧になっており 初めて訪れるような感覚でした。
松本市役所前の太鼓門から城内に入って行きます。
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400年余の風雪に耐えてきた
国宝 松本城 (概略)
松本城は 姫路城、彦根城、犬山城、松江城と共に 国宝に指定されている。
北東から南西に緩やかに傾斜する扇状地上に有る平城である。
戦国時代初めに守護大名の小笠原氏の支城として この地に築かれた深志城が始まりで、
1550年には 甲斐の武田氏が小笠原氏を追放し 深志城を信濃支配の拠点とした。
武田氏滅亡後 再び 小笠原氏が深志城を取り戻し、
名を松本城と改め、城郭と城下町の整備を進めた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉が天下統一するや 徳川家康が関東に移封され
松本城藩主小笠原秀政は 家康に従って 下総に移り
代わって 秀吉から封ぜられた石川数正、慶長父子が入城し
文禄2年~3年(1593年~1594年)に 天守を建築する等、
さらに 城郭と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城と城下町の姿が整えられた。
松本城の範囲は 総堀に囲まれた内側を指し 総面積は 約39万平方メートルで有り
その約3分の1を 三重の水堀が占めている。
総堀の内側に 三の丸、二の丸、本丸が配置されていたが、本丸は 享保12年(1727年)に焼失、
二の丸は 幕末まで松本城の中枢機関だった。
天守は 明治維新の際 松本市民の熱意尽力により取り壊しの危機から救われ 現存し 松本市のシンボル、市民の心の拠り所になっている。
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コンデジで やたら カシャ、カシャ撮った記録的拙劣写真、
記憶力減退老脳の記憶補助目的で デジブックにしました。
お時間お有りの方には ご笑覧下さい。
デジブック → 「国宝 松本城」
(つづく)