たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

松本街歩き・旧開智学校周辺 (松本その3)

2019年06月02日 10時03分58秒 | 旅行記

宿泊した松本駅近のビジネスホテルをチェックアウトし 松本駅へ。
駅構内のコインロッカーに荷物を預け 松本街歩きの準備は OK。
「信州松本街歩きマップ」を参考にして市内各所を歩いて巡る予定でしたが どうも天候が思わしくなく 途中で雨になりそうな感じも有り、
ほぼ 歩いて周れる距離園ではありますが、エリアからエリアへの移動時間を短縮した方が良さそうということになり 「松本周遊バスタウンスニーカー」の1日乗車券を買い求めました。

「信州松本街歩きマップ」

「松本周遊バスタウンスニーカー」1日乗車券 

先ずは 「松本周遊バスタウンスニーカー」北コースに乗車し 学都松本と称される所以ともなっている重要文化財 「旧開智学校」に向かいます。

「旧開智学校校舎」
重要文化財
本年2019年5月 擬洋風建築の文化的意義が評価され 近代学校建築初の国宝に指定されることに決まったようです。

 

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「旧開智学校」の概略、
「旧開智学校」は 江戸時代の松本藩校崇教館を継承し 明治6年(1873年)学制発布を受けて開校された。当初は 廃寺等を利用していたが 教育立県の指針のもとに 建設工事費1万1千円の7割を 進取の気風を持つ地元住民が寄附する等して 明治9年に 現存する校舎が完成した。
地元大工棟梁立石清重が 東京、横浜等の西洋建築を見学に行き、設計、施工、和風と洋風混在の擬洋建築校舎に造り上げた。
「旧開智学校」は 元々、松本市の中心部を流れる女鳥羽川沿いに有ったが 同川の河川改修工事のため 昭和39年の現在地に移築復元された。開智学校に保管されてきた明治時代から現代に至るまでの教育資料等 約11万点収蔵資料の一部を展示、昭和40年から教育博物館として一般公開されている。
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枚数ばかり多い拙劣写真は 記憶力現在爺さんの記憶補助用にデジブックにしてみました。
お時間お有りの方には ご笑覧下さい。

デジブック → 「松本市旧開智学校校舎」

「高橋家住宅」
松本市重要文化財、
享保11年(1726年)に鳥羽から戸田氏に従って松本藩に移住してきた高橋家が 松本藩士の住まいとしてあてがわれた いわば官舎のような建物。
平成16年に 高橋家から松本市に寄贈され 松本市が復元工事をし管理しているようですが あいにく休館日で 入館出来ずでした。
屋根の上の置き石・・・昭和20年代の故郷北陸の山村では まだ杉皮で葺いた屋根に置き石した家が有ったことを思い出してしまいました。

賢忠寺跡、首貸せ地蔵、

大日堂、道祖神

松本中央図書館

「松本市旧司祭館」
明治22年(1889年)にフランス人のクレマン神父によって建築された宣教師用住宅、
各部屋に暖炉が設けられており 窓は縦長、観音開きの鎧戸が付く等 純西洋館の姿を留めています
元々は 松本城三の丸武家屋敷跡地に建設さてていた建物でしたが 街路拡幅事業に伴って 現在地に移築復元されたもので、
2005年には 長野県の「県宝」に 指定されています。
日本初の日仏辞典編纂し始めた建物としても知られています。

「松本市旧司祭館」・・・ネットから拝借、

  

現在の「開智小学校」の校庭、
運動会徒競走の練習でしょうか。

平成の名水百選「まつもと城下町湧水群」
「松本神社前井戸」

「松本神社」

「旧葵の馬場町」

「池上百竹亭」
明治から昭和を生きた呉服商池上喜作は 少年期に正岡子規の俳句短歌に惹かれ、自らも俳句短歌をたしなむ文人でもあったが、
子規の門人等多くの文人達との交流を深めたゆかりの旧邸。日本の伝統を伝える和室や茶室、露地や竹林の閑静な庭園からは ワビ、サビが醸し出されています。

「松本市役所」

平成の名水百選「まつもと城下町湧水群」
「松本市役所前庭の井戸」

松本市役所前の太鼓門から 松本城に入ります。

(つづく)

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