40年来の友人で 仕事を辞めてから油絵を勉強し出した御仁がおり もう6~7年になるんでしょうか、毎年 展示会に出展するようになり 今年も その展示会の案内状と入場券を送ってきました。
「日本の自然を描く展」
入選、佳作、優秀作品等を含めて 出展者大多数のため 作者名(アイウエオ)で区分して順番に展示されるようで 展示期間は5日だけ。
たまには 東京都心の空気を吸ってくるのもいいか? 等と思いながら 今日 出掛けてきました。
JR上野駅の公園口を出て直ぐの 「上野の森美術館」です。
絵画をたしなむ方々や 作者の関係者と思われる方々等 老若男女でかなり混雑していましたが 彼の作品を鑑賞し 展示会場を一巡するのに 左程 時間は掛かりません。
美術館を出てから 上野公園内をちょこっとぶらついてみました。
上野公園と言えば 西郷隆盛銅像、
彰義隊の墓、
清水観音堂、
清水観音堂に有る 「月の松」、
浮世絵師 歌川広重が描いた「名所江戸百景」の「月の松」です。
明治時代初期の台風で失われていたものを 江戸の風情を復活させるため 平成24年に復元されたのだそうです。
台東文化ガイドブック「清水観音堂の月の松」に 詳しく解説されています。
そして JR上野駅、
昭和20年代、30年代、北陸の山村で小学生、中学生でしたが 1回は 祖母に連れられて親戚廻りで 1回は 中学生の修学旅行で はるばる 北陸本線、信越本線、高崎本線経由の鈍行で 終着駅上野駅に 着いたものでした。
どの位 時間が掛かったのか記憶に有りませんが 朝出発し 上野に着く頃は 夕暮れの大都会の風景でした。
東京は 遠いところ、憧れの地、ワクワク、ドキドキだった気がします。
北海道や東北や北陸地方の人にとっては 上野駅は 東京の玄関口。
当時 「金の卵」等と言われ 中学卒業後 大挙 東京に就職する時代、同級生も 三分の一は 東京方面に、三分の一は 関西、中京方面に 就職していました。
特別仕立ての集団就職列車で同級生を見送った記憶はありませんが 「集団就職」という言葉が 耳に残っています。
夫々が いろいろな思いで 上野駅に降り立ったはずです。
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
石川啄木歌碑が有ります。
始発終着ホーム、なんだか懐かしくなります。
「上野はー おいらの こころーの駅だー ♪」
まだまだ貧しかった地方の農村の子女を 「金の卵」等と称されて 大都会の労働力に 大量充当していた時代、
集団就職組では有りませんでしたが 同じ時代の空気を吸っていた者、
「あゝ 上野駅」の心情は 充分過ぎる程 共感してしまうのです。
ハーモニカ演奏の「あゝ 上野駅」、
YouTubeから共有させていただきました。