おはようございます。ようやく春間近となりました。まだ朝夕は肌寒いもののなにやら春の予感を感じる日々です。今年は1名しかいない中3が竹の会としては平成20年の都立西合格以来の独自校受験で精神的にかなりきつい1月、2月を過ごしてきたせいか、心が随分と軽くなり、この三月二十日という日を迎えられたように思います。都立中受検では桜修館2名の合格を確信しながらも、もしかしたらという不安が頭をかすめる日々で精神的にかなり消耗してしまいました。あれだけの天才が落ちるとはと思いつつも、思ったのが、バランスのいい「心」の重要性でした。特に、小学生にはバランス感覚のある情緒の安定した状態というのは維持が難しいということを改めて認識しました。試験場で常と同じ精神状態におけるなどということができるには余程の努力をした者でなければ不可能ではないか。その意味でも勉強を私事の従としてきた親や子には土台受検は無理であったのだと思います。試験場では普段の自分はいない、舞い上がってあわてふためく、焦りで心ここにあらずという中で問題を読む、すでに勝負は決まっている。
今年桜修館に合格した女子は、実行力、強い意志という点では非凡の域にあったが、心の状態もバランス感覚にあふれた、健全な情緒を感じさせた。彼女は体調不十分なままに受検したけれど心の中で「竹の会の神様がきっと助けてくれる」と信じたそうだ。
この素直な信じる心というのが、平静な、冷静な心の入り口のような気がしてならない。自分の心をうまくコントロールして平静な状態を保たせるというのも試験技術であろうが、「神なんか信じない、実力で受かってやる」という合理的な精神を口に出す者ほど本番では舞い上がり我を失うものである。それはもともと実力に不安があり、合理性の精神の矛先がそこへ向かうのが常だからということもあるが、試験に対する不安がもともと合理性を標榜しながらも実は合理性に徹しきれない人間の弱さというものが精神のバランスを失わせ情緒の不安定を招くからである。合理性を言う者ほど合理性という偏見に満ちて心はバランスを欠くものである。
話は変わるけれど、都立高校受験というのは、誠に微妙な対応を迫られるものであると思う。
トップ、2番手、3番手という世間の分類があるのは承知しているが、わたしは都立はまず東京23区と多摩地区で二分して考えたほうが実際的だと考える。これは都立中についても言えることで、都立中なら、23区エリアでは、小石川、桜修館、両国、白鴎、富士の5校、それに区立の九段が対象になる。それ以外の都立中は関心の外にあると言っていい。
都立高校は、23区エリアでは、日比谷、西、戸山が群を抜いているということになろうか。
都立高の対策は、共通問題出題校とグループ作成の学校では本質的に違う。共通問題というのは、学校の優等生、つまり内申のいい子が、90点以上とれるレベルだ。しかし、この学校の優等生がまるで解けないのが独自問題である。私立難関と難易度は変わらないと思う。しかし、私立難関の問題とも違う難しさを実現しているのが独自問題である。
駒場や小山台といった共通問題校のトップにある学校を受けるのと、独自問題校では対策は別ということである。前者では内申はかなり高い子たちの争いになる。しかし、後者は単純ではない。私立難関をめざして勉強してきた者の中には必ずしも内申が良くないという子たちが多数いるからである。もちろん内申もいい、実力もある、という生徒もいる。が、これは少数のような気がする。よく戸山受験だと平均の換算内申は47くらいだと言うけれど、どうもそういう内申を取っている生徒は実力がそれほどでもないような感想を持っている。竹の会の今年の合格者は実は内申は悪かったと思う。親御さんが「よくぞこの内申で合格したものだ」と驚いたくらいであった。
平成20年に都立西に合格した女子も学校から思うように評価してもらえず苦しんだけれど、それでも5は5個あったから、素内申41(満点45)はあった。彼女のときは、独自問題の受験の経験も初めてでわたしも緊張したが、妙に大胆なところがあっていつもわたしは強気だった。平成13年に西に合格した男子は、素内申44で推薦合格だったので、独自問題は未経験だった。余談だが20年西合格者はお茶の水女子に、13年西合格者は慶應理工に進んだ。
竹の会では、平成26年度都立駒場高校に合格しているが、これは一般受験、25年度の北園高校の合格は推薦であった。このときは私立の子が突然都立を受験したもので、学年1番、オール5の女子であったけれど、一般受験ならダメだったかもしれない。
内申のいい子というのは、実力がないのが相場である。
そして共通問題校のトップ校を受験する場合と独自問題校を受験する場合とでは、明確に対策が異なる。
さらに独自問題校でもトップ校はまた別格の対策を必要としよう。
中1の時から都立戸山に入ることを夢見て大手でがんばってきたのに夢を果たせずという生徒がいたことを聞かされて、試験の無情さ、容赦のない切り捨てに震撼するけれど、ある意味フェアーな判定に安心もする。
ここでアドバイスしておけば、大手の塾は都立高校対策に不適であるということは知っておいたほうがいいということでしょうか。
都立高校というのは戦略的な対策がかなり大切で大手以外の中小塾、個人塾でも指導者の質がいいという保証はなく、当たり外れ、いや外れの可能性が大きいということだけは覚悟しておいたほうがいいでしょう。
それから学校でもトップクラスにある優等生が、塾に行っていないという話しをたまに耳にしますが、こういう子たちが、高い内申を持ちながら、結局独自校問題出題校に行けなかったという後日談を去年の駒場高校に合格した女子の親御さんから、そして本年戸山に合格した子から聞いております。というか独自問題出題校を受けられずに、かなりレベルを下げて受験したやに聞いております。
なぜ塾に行かないのか、学校で1番、2番にあったから、必要ないと考えたのか。それはあまりに受験を知らない、見識のない行動でした。都立高校の受験というのは、戦略的な対策を要するもので、素朴に学校1番だから日比谷に受かるというものではありません。
今年桜修館に合格した女子は、実行力、強い意志という点では非凡の域にあったが、心の状態もバランス感覚にあふれた、健全な情緒を感じさせた。彼女は体調不十分なままに受検したけれど心の中で「竹の会の神様がきっと助けてくれる」と信じたそうだ。
この素直な信じる心というのが、平静な、冷静な心の入り口のような気がしてならない。自分の心をうまくコントロールして平静な状態を保たせるというのも試験技術であろうが、「神なんか信じない、実力で受かってやる」という合理的な精神を口に出す者ほど本番では舞い上がり我を失うものである。それはもともと実力に不安があり、合理性の精神の矛先がそこへ向かうのが常だからということもあるが、試験に対する不安がもともと合理性を標榜しながらも実は合理性に徹しきれない人間の弱さというものが精神のバランスを失わせ情緒の不安定を招くからである。合理性を言う者ほど合理性という偏見に満ちて心はバランスを欠くものである。
話は変わるけれど、都立高校受験というのは、誠に微妙な対応を迫られるものであると思う。
トップ、2番手、3番手という世間の分類があるのは承知しているが、わたしは都立はまず東京23区と多摩地区で二分して考えたほうが実際的だと考える。これは都立中についても言えることで、都立中なら、23区エリアでは、小石川、桜修館、両国、白鴎、富士の5校、それに区立の九段が対象になる。それ以外の都立中は関心の外にあると言っていい。
都立高校は、23区エリアでは、日比谷、西、戸山が群を抜いているということになろうか。
都立高の対策は、共通問題出題校とグループ作成の学校では本質的に違う。共通問題というのは、学校の優等生、つまり内申のいい子が、90点以上とれるレベルだ。しかし、この学校の優等生がまるで解けないのが独自問題である。私立難関と難易度は変わらないと思う。しかし、私立難関の問題とも違う難しさを実現しているのが独自問題である。
駒場や小山台といった共通問題校のトップにある学校を受けるのと、独自問題校では対策は別ということである。前者では内申はかなり高い子たちの争いになる。しかし、後者は単純ではない。私立難関をめざして勉強してきた者の中には必ずしも内申が良くないという子たちが多数いるからである。もちろん内申もいい、実力もある、という生徒もいる。が、これは少数のような気がする。よく戸山受験だと平均の換算内申は47くらいだと言うけれど、どうもそういう内申を取っている生徒は実力がそれほどでもないような感想を持っている。竹の会の今年の合格者は実は内申は悪かったと思う。親御さんが「よくぞこの内申で合格したものだ」と驚いたくらいであった。
平成20年に都立西に合格した女子も学校から思うように評価してもらえず苦しんだけれど、それでも5は5個あったから、素内申41(満点45)はあった。彼女のときは、独自問題の受験の経験も初めてでわたしも緊張したが、妙に大胆なところがあっていつもわたしは強気だった。平成13年に西に合格した男子は、素内申44で推薦合格だったので、独自問題は未経験だった。余談だが20年西合格者はお茶の水女子に、13年西合格者は慶應理工に進んだ。
竹の会では、平成26年度都立駒場高校に合格しているが、これは一般受験、25年度の北園高校の合格は推薦であった。このときは私立の子が突然都立を受験したもので、学年1番、オール5の女子であったけれど、一般受験ならダメだったかもしれない。
内申のいい子というのは、実力がないのが相場である。
そして共通問題校のトップ校を受験する場合と独自問題校を受験する場合とでは、明確に対策が異なる。
さらに独自問題校でもトップ校はまた別格の対策を必要としよう。
中1の時から都立戸山に入ることを夢見て大手でがんばってきたのに夢を果たせずという生徒がいたことを聞かされて、試験の無情さ、容赦のない切り捨てに震撼するけれど、ある意味フェアーな判定に安心もする。
ここでアドバイスしておけば、大手の塾は都立高校対策に不適であるということは知っておいたほうがいいということでしょうか。
都立高校というのは戦略的な対策がかなり大切で大手以外の中小塾、個人塾でも指導者の質がいいという保証はなく、当たり外れ、いや外れの可能性が大きいということだけは覚悟しておいたほうがいいでしょう。
それから学校でもトップクラスにある優等生が、塾に行っていないという話しをたまに耳にしますが、こういう子たちが、高い内申を持ちながら、結局独自校問題出題校に行けなかったという後日談を去年の駒場高校に合格した女子の親御さんから、そして本年戸山に合格した子から聞いております。というか独自問題出題校を受けられずに、かなりレベルを下げて受験したやに聞いております。
なぜ塾に行かないのか、学校で1番、2番にあったから、必要ないと考えたのか。それはあまりに受験を知らない、見識のない行動でした。都立高校の受験というのは、戦略的な対策を要するもので、素朴に学校1番だから日比谷に受かるというものではありません。